鬼のツノゴと神のメゴ

くるっ🐤ぽ

文字の大きさ
6 / 20

三人の妻を持つ山男

しおりを挟む
 山男はツノゴの手から酒瓶を奪い取ると、ツノゴの隣にドッカリと岩のように座り込みながら、喉を逸らしてグビグビと酒を飲んだ。岩のカケラのような喉仏が、上へ下へと動き、樽のような腹の底へ酒が下っていく。山男の唇の端から、飲み込みきれなかった酒が、岩間から溢れる水のように伝い、山男の膝の上にポタリポタリと落ちるのを、竹林を舞う青白い蛾が啜る。
「もったいない」
「酒はこう飲むものだ」
 山男は赤い歯茎まで剥き出しにして、アハアハと笑った。モジャモジャとした胸毛の奥の肌の底から、血の色が上る。
「お前のお雛はどこじゃ」
「トワコは寝かせている」
「嘘をつけ。そこにいるではないか」
 トワコは、襖の向こうにひっそりとして、山男がグビグビと酒を飲むのを、面白そうに見ていた。
「お雛、お雛」
 山男は青緑の目をグリグリ光らせながら、トワコを呼んだ。
 山男は唐草模様の風呂敷を広げた。大きな果物が三つも、ゴロゴロとある。そのうちの一つがトワコの膝の前まで転がってきたのを、トワコは掌を皿のようにして受け取った。皮の色は黄色味がかった桃色で、表面に細かい産毛が生えている。トワコは果物の形を確かめるように撫で、鼻を近づけた。鼻の先に、チクチクと産毛が当たる。スゥッと息を吸うと、酸いような、甘いような匂いが、胸の奥に染みた。
「おい、いつまでそうしておる」
 山男は呆れたように言った。
「こう食うのじゃ」
 そう言って山男は、自分も果物を掴んだ。トワコが両手で大事に持つ果物を、片手で鷲掴みにしたのである。そして、それを口元まで持っていくと、大きく口を開けて、果物の皮を剥くこともせず、ガブリと噛んだ。果汁がドッと溢れ、山男の手首まで濡らした。山男はモッチャモッチャと口を動かすと、実だけを飲み込んで、種と皮は地面に吐き出した。蛾がヒラヒラと飛んでくるが、躊躇うように、山男が吐き出した果物の種と皮の周りを飛んでいる。
「トワコ、後で切ってやるから」
 ツノゴはそう言ったが、トワコは山男の真似をして、果物に歯を立てた。しかし、トワコの小さな歯では、果物の案外丈夫な皮を食い破ることができなかった。
「トワコ、やめなさい」
 ガジガジと果物に歯を立てようとするトワコの手から、果物を取り上げながらツノゴは言った。果物が手から離れてもトワコは、カチリ、カチリ、と二回歯を鳴らした。
「口の中が、何だかイガイガする」
「ガジガジしていたから、産毛が口の中に入ったのじゃないか」
「そうじゃの。儂はどうでもないが、気になるなら、うがいせぇ。ここに酒がある」
「トワコ、水があるからこれで口をゆすぎなさい」
 トワコはツノゴから受け取った水でうがいをした。
「お雛、その浴衣の柄は何じゃ」
「ススキです」
「幽霊のようじゃの」
「古着屋で買ったの」
 トワコはニコニコとしている。ツノゴは膝の上で、トワコから取り上げた果物を転がしている。
 浴衣の値段を、山男は訊いた。
「その値段は安すぎる。それなら、曰く付きかもしれんなぁ」
「あなたは山で暮らしているから、近頃の物価を知らないのだろう」
 ツノゴが、無愛想に言った。
「それなら、高いのか」
「まぁ……良いものですよ」
 ツノゴは、曖昧な言い方をして、ニヤリと笑った。
「古着屋で買っても高いのなら、儂の女房に用意させよう……うん。その方がええ。女房の織った生地が、たくさんある」
「おじさん、奥さんがいるの」
「三人おる」
 山男は、胸を張って言った。
「一人は梅の木じゃ。月に向かって枝を伸ばし、青い炎のような花を咲かせるのじゃ」
「青い梅の花なんて、聞いたことがない」
 ツノゴが言った。少し、笑っているらしかった。
「おぬしらがこっちに来たときは、花は散ってしまったからのぅ……梅の木の妻は一晩しか咲くことができぬ」
 山男は、美しい妻のもっとも美しい姿を見ることが出来なかったツノゴとトワコを樽のような腹の底から気の毒がるように言った。
「花が咲かなくとも美しい妻じゃが、花が咲いていなくてはみっともないと言って、儂以外には会おうとせん……もう一人の妻は、湖の底におる。これも美しい妻じゃ。目がよく見えんが物語が好きで、儂が時々本を読んでやる」
「おじさん、本が読めるの」
「読める。読める。あまり人を馬鹿にするな」
 山男は、本当に驚いたように目を丸めているトワコに向かって、赤い歯茎を見せつけた。
「会いたいというなら、会わせてやろう」
「もう一人……最後の奥さんは?」
「機織りじゃ」
 山男は、自慢げに笑いながら言った。トンテンカラリ、と口先で言いながら、機織りの手つきをしてみせる。
「器量は十人並みじゃが、こうやって、美しい機を織るのじゃ。夢のように美しい機じゃ。糸が足りなくなると、儂に糸を紡いできてくれと言う。儂は高い山に登って、一番近くにある雲から、よいせ、よいせ、と糸を紡ぎ、それを機織りの妻が染めて織るのじゃ。妻の機織りの技量は有名で、火の神様の娘の婚礼衣装を頼まれたこともあるのじゃぞ」
 実は山男は、今日二人の元を訪ねてから、ずっとこの話がしたくてたまらなかったのである。この話をした山男は、そのときの、機織りの妻の喜びに輝きながら機織りをする横顔を思い出し、ガラガラと雷のような声で笑った。青白い蛾がその音に驚いたように、一斉に月に向かって飛び去った。キラキラと、月の粉のような淡い光だった。
「じゃあ、いつかトワコの婚礼衣装もその人に頼もうか」
 ツノゴが、不思議な深みのある声で言った。
「うむ、引き受けた」
 引き受けた、引き受けた、と山男は繰り返して、嬉しそうに頷いたら。
 トワコはじっと月を見上げていた。その、黒い目の中に、月に向かって消えていく淡い光が、キラキラと映っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

✿ 私は彼のことが好きなのに、彼は私なんかよりずっと若くてきれいでスタイルの良い女が好きらしい 

設楽理沙
ライト文芸
累計ポイント110万ポイント超えました。皆さま、ありがとうございます。❀ 結婚後、2か月足らずで夫の心変わりを知ることに。 結婚前から他の女性と付き合っていたんだって。 それならそうと、ちゃんと話してくれていれば、結婚なんて しなかった。 呆れた私はすぐに家を出て自立の道を探すことにした。 それなのに、私と別れたくないなんて信じられない 世迷言を言ってくる夫。 だめだめ、信用できないからね~。 さようなら。 *******.✿..✿.******* ◇|日比野滉星《ひびのこうせい》32才   会社員 ◇ 日比野ひまり 32才 ◇ 石田唯    29才          滉星の同僚 ◇新堂冬也    25才 ひまりの転職先の先輩(鉄道会社) 2025.4.11 完結 25649字 

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

処理中です...