名前を持たない君へ

くるっ🐤ぽ

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狐の嫁入りの章

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 湿った額を手の甲で拭うと、目の中に汗が入って、痛かった。大きく息を吐いて、向日葵の花束を、両腕で抱え直した。力を込めて、歩き出す。
 目的の家の縁側に、少女がいた。盥の中に足をつけて、白い団扇で顔を仰いでいる。縦縞模様の着物を着て、幅の狭い帯を、楽そうに締めていた。髪を綺麗なおかっぱに切りそろえていて、浅黒い肌には、艶がある。近寄るまで、少女がシロツメクサであることに、気が付かなかった。シロツメクサは俺を見ると駆け出して、真面目な表情で俺の腰辺りに無言で掴みかかり、ぐい、と引っ張った。そういう仕草が、少し不自然に感じられるほど、背が伸びていた。シロツメクサの裸の足は、濡れていた。
 家の裏手から、クロが顔を出した。相変わらず青い顔色だが、病人じみた表情でもなく、鍬を肩にかけて携えている。
「お客さんですか」
 クロは、笑いながら言った。
「こんにちは」
 俺の腰辺りから、恥じらうように離れたシロツメクサは、小さな声で言った。俯き加減に、上目を使う表情だった。
「こんちは」
 俺も言った。ついでに、シロツメクサの手の中に、向日葵の花束を押し付けた。シロツメクサは、向日葵の煩いほどの黄色い花びらに接吻するかのように唇を寄せて、大きな蕊に頬ずりをするようだった。花の中に吸い込まれようとするかのようだった。
「良いものを持ってきてくれました」
「ありがとうございます」
 クロに続いて、シロツメクサが言った。弾んだ声でもなかった。
「シロ、足が汚れていますよ」
 クロはシロツメクサの背中を押して、縁側に座らせると、先ほどまでシロツメクサが足を浸していた盥の中に、自身の腰に引っかけていた手拭いをつけて、ザブザブといわせた。盥の中には、胡瓜や茄子もあった。冷やして、食べるつもりらしかった。
「シロの名前になった花が、あちこちに咲いていたぞ」
 俺は、シロツメクサの隣に座って、履物を脱ぎながら言った。シロツメクサは、受け取ったばかりの向日葵を、抱え方が分からないように、抱えていた。
「去年も咲いていました」
 手拭いを絞って、シロツメクサの足に当てながら、クロは言った。
「そういう季節です」
「今年も、シロの花は咲いたのだろうな」
 くねった大木の下に咲いていた、菫だった。
「咲きました」
 クロは、シロツメクサの足の、小さな指の間まで、手拭いで丁寧に拭った。その間、シロツメクサはじっと、クロに足を拭われることに一心になっているような表情をしていた。
「咲きました。咲きましたが、鹿に食べられてしまいました」
「へぇ、鹿も花を食うのか」
「食べるようです。残念でした」
「悲しかっただろうな」
「悲しかったです」
 シロツメクサに言うと、シロツメクサではなく、クロの方が、悲しかった、と答えた。
「来年も、咲いてくれるでしょうか」
「燕は、猫に襲われたり、鴉に悪戯されたり、酷い出来事をよく覚えていて、そういうことがあった場所では、二度と巣は作らないって、言うけれどな」
「そうですか。それでは、シロの花も、二度と同じ場所に咲いてくれないかもしれませんね」
 クロは、悲しかった、と言った割には、悲しくもなさそうに言った。シロツメクサは相変わらず、足を拭われることに一心な表情で、「シロの花」がなくなったことを悲しんでいるのか、切ながっているのか、何とも思っていないのか、分からなかった。俺の方は、また、新しい「シロの花」も咲くだろうと思われた。そのときは、「クロの花」も一緒に見つかるかもしれない。
 クロが少し丁寧過ぎるくらいに拭っていたシロツメクサの足から手を離すと、シロは裸の足をペタペタさせながら、家の奥に入っていった。楽に締めているように見えたが、帯の結び目は、丁寧に仕上がっているように見えた。クロは立ち上がって、ホッとしたように腰を伸ばした。そして、軽く笑った。

 花の色だけでなく、色が強く、訴えかけてくるような時期だった。
 向日葵は、来る途中に立ち寄った花屋で買った。様々な色彩の花が、それぞれ色の違う、無邪気な誇りを抱いて咲いていた。まだ、蕾の花もあった。向日葵の中でも特に大きく、訴えかけてくるようなものを一本選んだが、それだけだと見劣りするような気がして、とりあえず、良いと思われるものを後二本選んで、包んでもらった。だから、花束といっても、三本の向日葵だった。
 クロは、あまり形の良くない緑色の花生けに水を注いで、向日葵を三本、無造作に放り込んだ。
「家の中に、色が咲きました」
 クロは、言った。
 そういえば、この家には、明るい色彩がない。花生けの緑も、くすんでいる。座布団の色も黒ずんだ赤だった。クロとシロツメクサの着ている着物も、派手なものではない。向日葵の黄色が、じっと見ていると、きつく迫ってくるようだった。
「もっと、地味な花でも良かったか」
「いいえ、生き生きとして、良いです」
 クロは、笑って言った。それから、黄色い花びらの先を、指で、軽く摘まんだ。
「シロ」
 シロツメクサは、近くで縫物をしていた。手に持った針から伸びる赤い糸が、鮮やかに見えた。着物を縫い直しているらしかった。シロの着物にしては、大き過ぎる。クロの、夏物の着物かもしれなかった。しかし、着物の色は、灰色に近かった。同じ色の糸がないのか、クロに似て、単に、無頓着なのか。たまたま使いたかった色が、赤だったのか。
 呼ばれたシロツメクサは、着物を広げた膝の上に手を置いて、静かで幼げな顔をこちらに向けた。
「シロ、後で、向日葵の種を、畑の傍に植えましょう。鮮やかになります」
 シロツメクサは、軽く顔を伏せた。頷いたのか、そうでないのかよく分からない仕草だった。
「山の中にも、花はあるだろう」
「花はたくさんありますが、向日葵は見かけません」
 クロは、微笑に近い表情を浮かべながら言った。
「育ててみたいです」
 面倒なことだと思って、俺は何も答えなかった。何気なく、さっき荷物から取り出したはずの煙管を探すと、シロツメクサの傍に、無造作に横たわっていた。煙管、とシロツメクサに言いかけたが、何となく、止めにした。お茶請けに出された菓子を頬張ると、その欠けが、膝の上に落ちた。
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