猫と珈琲と死神

コネリー

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猫矢ノア③

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 最初の占いから数ヶ月後。
 すっかり有名人になっていたあの子は、そのきっかけとなったあたしの占いを紹介するために、インタビューを撮りに来たんだ。
 動画は勘弁してくれと言って最初は断ったんだけど、あの時のお礼にどうしても宣伝させて欲しいってしつこくてね。

 あの日、相当酔っ払っていたと思うんだけど、彼女はあたしが適当にでっち上げた『守護霊占い』を事細かに覚えていた。
 占いを始めたきっかけや、守護霊占いの仕組みなんかを、根掘り葉掘り聞かれて辟易したけど、何とか上手に誤魔化してその場を取り繕うことができた。



 その後、彼女の動画が公開されると、有名配信者の勧めという事であたしの元には大勢の客が押しかける事になった。
 ピーク時にはビルの外まで行列ができるほどの騒ぎで、メディアもこぞって取材しに来た。
 すっかりサロンの顔となっていた黒猫も、猫矢というあたしの名前と神秘的な占いにマッチしたせいか、客に可愛がられるようになってね。



 初めのうちはただの思いつきだった『守護霊占い』を披露し続けることに苦労したけれど、酔っ払い相手に鍛えた話術が功を奏して、皆が満足して帰っていった。
 元々占いの腕には自信があったし、結果を伝える手段として、ちょっとした演技を挟むだけだ。

 結局のところ、人間は信じたいものしか信じないんだ。
 相手をいかに気持ちよく帰らせるかという事に注力すれば、占いが当たっていようがいまいが、客にとっては関係ないらしい。
 大勢の客を相手するうちに、占いじゃなくて悩み相談みたいな依頼が中心になって、いつの間にやらスピリチュアルカウンセラーと名乗るようになった。



 そして、ひっきりなしに訪れる客を一人では捌き切れなくなって、ほとほと困り果てていた時にマネージャーを依頼したのが、仕事を辞めて暇そうにしていた東松だった、というわけさ。

 あたしが言うのも変だけど、あいつには商売の才能がある。
 まず、二、三時間待ちは当たり前だったあたしのカウンセリングを、予約制に変更してホームページを立ち上げた。
 そうすることで、一日に相手をする客の人数を調整する事ができるし、あたしの体力的にも精神的にも余裕が生まれた。

 さらに、一回の料金も数倍に値上げをした。
 最初は反対したけど、冷やかしまがいの輩を減らす事ができるし、リッチな客が増えるという東松の意見に、仕方なく従った。



 ホームページでの予約制が軌道に乗ると、次はオンラインサロンというものを始めた。
 週に一回、集まったコメントに返事をしながら小一時間、適当な話をするだけで何千人という会員が毎月金を落としていくんだ。

 つい先日の事だが「客はもう金持ちばかりなのだから、高級住宅街へ拠点を移した方がいい」という東松の勧めもあって、今のマンションへ引っ越した。
 雑居ビルに置いていく訳にもいかなかったので、黒猫も連れて来てやった。
 今では、しがない占い師をやっていた頃とは比べ物にならないほどに、裕福な生活を送っている。

 本当に、人生何が起こるか分からないもんだね。



 さてと、七時半までにはあと十分ほどある。
 あたしは使い慣れたポットでお湯を沸かし始めた。
 ドリッパーにフィルターをセットし、挽いておいたコーヒー粉を入れる。

 これといって趣味の無いあたしだけど、唯一コーヒーだけにはこだわりを持っている。
 さまざまな豆を取り寄せては、コーヒーミルで挽いて自分でハンドドリップするのだ。
 満足のいく味が出せたら、客に振る舞う事もあるのだが、これが意外と好評なのだ。

 コーヒー好きの客だったら、本業そっちのけでコーヒーの話で盛り上がる、なんてこともよくある。
 そんなことばっかりしてると、うるさいマネージャーに怒られるんだけどね。

 コーヒーの粉全体が濡れる程度にお湯をかけ、三十秒ほど蒸らす。
 そして、五回に分けてゆっくりとお湯を注ぎ、コーヒーを抽出していく。
 ドームのように膨らんだ粉からは芳ばしい香りが立ち上り、部屋全体へ広がっていく。
 この香りに包まれる瞬間が、あたしは大好きなんだ。



 ちょうどコーヒーを淹れ終えた頃、来客を伝える玄関のチャイムが鳴った。
 通常は、一階のエントランスからの呼び出し音が鳴るのだけど、いきなりが鳴ったので少々驚いたが、あたしは玄関へ向かった。





 ーードアの向こうに死神が立っている事など知らずに。





「はいはい、いらっしゃいませー」

 ドアの内側から解錠し、扉を開ける。
 部屋に満ちていたコーヒーの香りが外へ流れ出し、部屋の奥からは猫の鳴き声が響いた……







 数分後、お腹の上を流れる温かい液体に気づいて、あたしは目を覚ました。

「これは……? 血……?」

 手のひらにべっとりとまとわりつく赤い液体。
 いくら押さえてもその流れを止めることができない。
 だんだんと体が震えだして、ひどい寒気が襲ってくる。

 部屋の奥から、黒猫がじっとこちらを見つめている。
 ……ああ、愛想の無いやつだったけど、いざ別れるとなると寂しいね。
 今日のコーヒーは良い出来だった、あんたも匂いでわかっただろう?

 不思議と恐怖は無かった。
 人生なんてあっけないものだ。いつもそう考えていたからだろうか。
 間もなく、あたしの意識は再び途切れた。
 そして、もう二度と目覚める事はなかった。





 翌日、朝刊の一面にはセンセーショナルな見出しが躍った。

『人気霊能力者、自宅マンションで刺され死亡』
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