『狂人には恋の味が解らない』 -A madman doesn't understand love-

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1.I want you to notice.

第十五話-0-

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 アレクセイはふと目を覚ました。何かに違和感を覚え、慌てて起き上がった。
 頭が酷く痛みながらも、違和感の正体を探すために周囲を見回す。しかし、見慣れたベッド、その毛布はアレクセイにかけられており、見慣れた人物の姿はなかった。

「ユリウスさん!?」
「もういません」

 淡々とした声にアレクセイははっとする。アリアがベッドに腰を下ろしていた。
 天井を仰いで、クマのある目でアレクセイを見つめていた。

「逃げました」
「は!?」
「貴方に全部仕事を押し付けて、あの人は遠くに行ったんです」
「どこに!?」

 アリアは首を横に振っただけだった。

「私にもわかりません。貴方なら、もしかしたらって思ってた。けど、やっぱりユリウス様は一枚上手だった」
「どういう……」

 頭を抑えるアレクセイ。彼は混乱しながらも、目の前のアリアへ向き直った。

「ユリウス様はもういない。私たちの前から消えたからっ」

 小さく怒鳴る様に言ったアリア。アレクセイは放心したように、そのままベッドの上に座った。そして、昨日ユリウスが珍しく「飲もうぜ」と注いできた領地のワインの瓶をぼんやりと眺めた。その横には薬の袋があり、アレクセイは小さく息をついた。

「まさか、俺の飲み物に睡眠薬を?」
「ユリウス様が貴方に飲ませた。貴方は気が付かなかったはず」

 アリアが淡々とした声で言う。アレクセイは回らない頭で目の前のアリアを見つめる。

「アリア、君はそれを知っていて?」
「最初は元々そういう約束だった。でも、ユリウス様が貴方と楽しそうに過ごすから……もしかしたら、貴方がユリウス様を変えるんじゃないかと思ってた。だから、ユリウス様がやめようって言うんじゃないかって期待してた」
「それは……」
「アレクセイのおかげでユリウス様は本当に変わっていった。私たちが何度言っても聞いてくれなかったのに、貴方が傍にいるだけで、きちんと暖かい恰好で眠ってくれるようになった。夜に眠って朝に起きる当たり前を過ごしてくれた。ご飯も食べてくれるようになった。そして、昨日の卵粥はおいしそうに食べてた。私、嬉しかった」
「それを知っていたのか」

 驚くアレクセイにアリアはこくりと頷いて涙を拭った。

「だって、私が味覚がわからないのなんて聞いたら、ユリウス様はもっと隠そうとするから。ユリウス様は私とマリアのことを小さな子供だと思っているから」

 小さく肩を震わせ、流れ出しそうな涙をこらえるアリア。その様子を見ていたアレクセイが茫然とする。

「相手に感情がないと思われないように、わざと大袈裟に振舞っていたのに、ユリウス様はそれもやめた。変な笑い方や言い方じゃなくて、本当に心から笑ってくれるようになった。だから、もしかしたらって思っていたの。アレクセイと一緒にいるユリウス様は本当に楽しそうで、失くしていたものを取り戻したんじゃないかって」
「アリア……」
「でも、ダメだった。アレクセイ、どうしよう……ユリウス様が死んじゃうかもしれない。私……あの必死な姿を見て、止めれなかった……止められなかった」

 ついにアリアは声を出さずに泣き出した。アレクセイはぐっと表情を引き締め、「すぐに捜索願いを届けましょう。まだきっと間に合うはずです」と立ち上がった。

「無理だよ……無理なんだよ」

 ひぐっと泣き出したアリアを慰めていれば、騒ぎに駆けつけた執事のアルが室内に入ってきた。彼はアレクセイに頭を下げた。
 どうやら、この計画について、アルは知らなかったらしい。
 アレクセイから情報を聞いたアルが事情を把握し、「ギルドに捜索願いを出します」と言って、アリアの肩を抱いて部屋を出ていった。彼の申請でギルドはすぐ動くだろう。
 一人領主の部屋に残ったアレクセイは行方の情報がないかと彼の私物を漁って探す。普段かかっているはずの黒いファー付のコートは見当たらなかった。ベッドの上にはアレクセイにかけられた毛布以外何もない。
 机を漁れば、アレクセイが作成した書類。彼の痕跡など何処にもなかった。丁寧に全てアレクセイの印鑑で修正されている。彼が使っていたペンはそのまま置かれていた。普段机の上に置いてあった剣もない。
 無くなったのはコートと剣だけ。後は必要最低限のものが部屋にあるだけだった。まるで、初めから彼という存在がなかったかのよう。
 まるで、これでは人生を棒に振った詐欺師ではないかとアレクセイは舌打ちをした。そして、机を力強く叩きつけた。物に当たるなよとユリウスの声が聞こえるわけもなく。
 しかし、パサリと音が響いた。アレクセイが不思議そうな顔をし、足元を見た。
 青いノートが落ちていた。机下にテープで固定して隠していましたと言わんばかりのそれ。

「これは……」

 ぺらっとめくれば、探し人の好きな項目リストがずらりと並ぶ。
 内容を見たアレクセイは驚いたまま立ち尽くしていた。まるで、それは子供の書いた日記帳のようなものだった。毎日少しずつ増える好きなもの。

 記されていたのは、日付と共に好きになったもの。後半になるにつれて、それは特殊染みていく。
 そして、最後の項目を見て、アレクセイは目を見開いた。それを理解すると同時に、アレクセイは目元を抑えて、「バカな人だ」とだけ呟いた。









 ――数ヶ月後。
 辺りは雪が吹き溢れていた。ホワイトアウト一歩手前の悪天候。真っ白な世界。
 アレクセイはぼろぼろのコートをなびかせながら、グスタン国の辺境地へやってきた。
 小さな家が数件並び、後は崩壊した建物が出迎えてくれた。ここには内戦で怪我を負った兵士たちを休める診療所があるらしい。
 ただ、教えてくれた人は行かない方がいいと辛そうな顔で伝えてきた。
 崩れかけたアスファルト。鉄筋がむき出しとなった建物。壊れそうな木の枝が屋根横にたてられ、雪止めとして固定されていた。
 アレクセイがここに来た理由は、若い白髪の男の噂を聞いたからだった。
 診療所というには頼りなく、スラムの子供奴隷市場のよう。それぐらい悪い印象を与える建物だった。そのせいか、嫌な予感がした。アレクセイを不安にさせる。

「失礼します」

 一つの布張りが張られた家の中に入って、思わず息を呑んだ。たくさんの患者がひしめき、足の踏み場所がなかった。足がない人、両腕がない人、黒いテープが張られて命がもうない人間。戦争被害者の小さな子供たちがうめく声。アレクセイは言葉を失くした。
 患者が溢れる中からよろよろと立ち上がったのは腰の曲がった老人だった。

「連絡をくれたのは……」
「俺です。赤い目を持った白髪の若い男性を探しています」

 震える唇。
 ここに居なかったら……とアレクセイは思う。正直、怖かった。自分の知らないところで、ずっと傍に居たいと思っていた人が死んでしまったのではないかと。

「それだったら、ここに」

 ああ、どこだったかと老人が横渡る人々を眺める。彼は何とか人を踏まないように移動し、奥へ入っていく。
 足の踏み場のない雑魚寝場。まるで、人間が織りなす戦争をテーマとした芸術品だった。生きているのか、死んでいるのかもわからない。真っ暗な中に人間たちが横たわる。
 医師が立ち止まる。その近くで見慣れたぼろぼろのファー付の黒いコートを見つけた。

「あ……」
「ここに来たときにはもう意識はなくてな。食事もとることができないから、弱っていく一方じゃった」
「ユリウスさん」

 小さな声で名前を呼ぶが、見慣れたコートは動かなかった。

「もうそろそろと思っていた時にお前さんから連絡がきた。看取ってくれる人がいてよかった」
「それは」
「壊魔病じゃよ。不治の病で知られておる。自分の魔力のせいで体が壊死していくそうだ。こいつは自分の魔力をなんとか制御して、損傷を抑制してたみたいじゃが……もう、それもままならないだろうな」

 老人が顔にかけていた布を取ろうとした。ぴくりとも動かない体。

「ここに居るよりは、お前さんが連れて行った方がいいと思う。もし、辛いようなら、ここに置いて行くといい。わしが看取っておこう」
「いえ……俺が連れて行きます。綺麗な景色を見せたい。あわよくば、彼を元気にしたい」
「そうか。なら、ナンブールに行くといい。戦時中に壊魔病が治った事例がある。噂だと、停泊している船医が治したらしいが」

 老人はそう答えた。アレクセイは小さく頷いた。老人が顔にかけられていた布を取る。
 アレクセイは考えていた。幼い頃、ずっと憧れていて焦がれていた白い髪の人を。

 ――彼はいつだって眩しかった。
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