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1.I want you to notice.

第十四話-1

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 ユリウスはノートを見て困っていた。
 自分が好きなものはなんだろうかと、これは好きだなと思ったものを単純に書いていった。それだけながら、きっと笑いながら誰にでも話していただろう。好きなものを自慢していたはずだった。
 けれども、ユリウスが書く項目には必ず一人存在している。

「ユリウスさん?」

 声をかけられ、ユリウスははっとした。
 慌てて青いノートを閉じて声の方を見る。そこにはアレクセイが不思議そうな顔をしていた。最近はベッドの上ばかりにいるせいか、脱走の心配はないと思っているのだろう。アレクセイが部屋に十分程いない時間も増えてきた。

「なんだよ」
「顔が……熱でも?」
「ばっ」

 尋ねて触るわけでもなく、そっと触れてくる手のひら。ぎゅうっとユリウスは目を瞑る。額に触れ、それが上に行く。ユリウスは恐る恐ると目を開けた。彼はユリウスの頭を優しく撫でていた。
 青い瞳がユリウスを覗き込んでいる。

「熱はなさそうですね」
「お、お前が驚かせるから!」
「いつも俺に悪戯をして驚かせているのはどちらでしょうか」

 こいつ、こいつ!
 しかし、ユリウスには反撃する言葉はなかった。勝ち誇った顔をされ、差し出された飴玉をころんと口の中に転がせられる。舌の上でとろりとしたものが広がっていく。じんわりとしていくそれ。でも、少しひりっとする。
 少し目を見開いて、目の前の男を見つめる。

「塩味?」
「正解です! やりましたね」

 アレクセイはまるで自分のことのように喜ぶ。子供みたいにはしゃぐ姿。ユリウスはもうすでにノートに書いていた。彼が子供のように喜ぶ姿が好きだった。

「そういや、教えてやった計算方法やれそうか?」
「ええ。ユリウスさんの教え方がよかったからですね。簡単にできましたよ。本日付けの個所まで入れておきました」
「そりゃよかった。俺の仕事少し手伝えよ。そうすりゃ、少しぐらい休んでやる」

 ユリウスは自分が不在の時にアレクセイが仕事できるように情報を共有していた。意外にもアレクセイの覚えが早く、仕事が捗っている。

「本当は覚えるのに時間がかかると思ったんだがなぁ」
「残念でした。できる子ですみませんね」と冗談っぽくアレクセイが笑う。

 本当に誤算だったとユリウスは思う。

「アルにも褒められただろ。帳簿つけるのうまいもんな。流石真面目くん」
「その読み方やめてくださいよ。近所の人にも真面目くんって呼ばれるようになったんですから」
「んふふ」

 ユリウスが笑えば、彼は諦めたように肩を下げる。ユリウスはそんな彼の顔にそっと顔を近づけた。そして、頬に触れるだけのキスを送る。

「なっ」

 アレクセイの真っ赤に染まる顔を眺めて、ユリウスはケラケラと笑った。言葉に詰まって何も言えないアレクセイ。口を開きかけた彼の唇にユリウスは人差し指を置いた。

「ばぁか」

 ふるふると震えたアレクセイは、「ユリウスさん!」と怒り出した。
 怒る顔も好きだ。自分のことしかみなくなるから。アレクセイが他の人と話している時にこっそり悪戯をすれば、彼の視線は自分だけになるから。
 そこまで考えたユリウスは、泥のような気持ちに嗤うしかなかった。


 季節は巡って秋になった。
 アレクセイが基本の剣術を教えてくれた。命を狙う剣筋を行えば、ユリウスが組んでいた魔術が発動して、ユリウスは動きを止める。その度に彼は苦笑していた。

 剣術は楽しい。彼の構えは誰かを守る構えだった。真剣なその姿勢。
 自分とは全く違う真逆の剣。ユリウスの剣が殺すための剣なら、彼はまさしく人を救うための剣だ。
 聖騎士として選ばれたことも頷けた。そして、再び打ち合う剣。楽しい。目の前のアレクセイも子供の様に目を輝かせていた。彼の瞳が好きだ。

「もらった!」とユリウスは足払いを入れた。
「うわっ!? それは卑怯です」

 転ぶアレクセイ。むっとした顔。そうやって、子供みたいにむくれる顔も好きだ。
 悪いと伝えれば、彼は呆れたように笑う。その笑う顔も好きだ。

 誰かに優しくしている姿も。
 たくさん食べる姿も。
 人に味を教えようと必死に飴玉を探して与えてくれる姿も。
 日常に無頓着な生活を送っていれば怒る姿も。
 きっと、嫌いだと思うのは彼が曇った顔を見せる時だ。

 気が付けば、目で追っていた。
 気が付けば、独占したくなった。

 悪戯をすれば怒るけれども、いつも傍に居てくれた。
 好きなことを綴る青いノートの後半。気が付けば、アレクセイのことばかりだった。

 自分でもそれが気持ち悪く思うぐらい、ぞっとするぐらいに。
 本当にアレクセイが好きだった。

 ――結果、ユリウスは自分自身に対して嗤っていた。


 こんなに後悔するなら、こんな感情なんて知らなければよかったと。










 夜中。アレクセイが熟睡している中、部屋にはアリアが居た。彼女はいつものメイド服を着ており、少し沈んだ顔でユリウスの前に居る。そして、ベッドに腰を下ろすユリウスへ小さなカバンを手渡した。

「本当にいいの?」
「ああ。もう限界だ。元々、アリアとマリアとは約束してただろ?」
「……貴方のことじゃない。アレクセイのことはいいの?」

 ユリウスは首を横に振る。しかし、言葉は続かなかった。

「帳簿、きちんと直したか?」
「うん。書類はもうアレクセイが全部作ったことになってる」
「なら良いさ。まあ、五月からやらせて十月か。五か月も帳簿を作っていれば上出来だ。あいつの覚えが良くてよかった。アリア、黙っていてくれよ」
「うん」

 少し戸惑ったように頷くアリア。

「睡眠薬はどれぐらいで切れる?」
「多分、朝には起きると思う。アレクセイはユリウス様が睡眠薬を飲ませるとは思っていない」
「だろうな。あいつ、俺のことを信じ切っていたからな。証言するときにユリウス様に睡眠薬を依頼されたと伝えろ。騎士団の連中の手紙には海を越えたと告げている。うまく、誤魔化してくれ」
「わかった」

 アリアから差し出された黒いファー付きのコートをユリウスは羽織った。いつものコートのはずが、着るのが億劫だった。
 ふと、肺に感じた違和感。激しい痛みと同時に咳き込み、口元を思わず手で抑えた。むせ返るような吐き気。それは激しさを増していき、やがてはゲホッと嫌な音をたてる。手のひらにはべったりと血が付着しており、ユリウスはすぐに生活魔法できれいさっぱり無くした。
 アリアはやはり沈んだ顔でユリウスの様子を眺めていた。

「やっぱり、アレクセイに話した方が……アレクセイはユリウス様が好きだった」
「良いんだよ、これで。あいつは意外ともてるから、すぐに婚約者は見つかる。子供を作れない体質の俺よりはマシだ。なんだったら、前あいつが告白されてた子もいたしな。オリバー家には悪いが。マリアは?」

 ユリウスはゆっくりと立ちあがる。

「マリアは今日の夜勤と話してる。足止めしてくれてる」
「そうかい。まあ、お前の結婚式が見れなかったのは心残りだ。アルと幸せにな」
「うん……」

 ぽんっとアリアの頭を撫で、窓際に向かって歩き出した。

「ユリウス様」
「なんだよ」
「その……」

 窓から外に出ようとしたユリウスにアリアは言葉を選ぶように、静かな声で言った。

「もし、ユリウス様の病気が治って、ここに戻ってこれたら……アレクセイと、その……きちんとお話ししてほしい」
「ばぁか、不治の病が治るかよ」
「でも! もしかしたら、団長セウスの妹みたいに治るかもしれない! もしかしたら、もしかしたら!」
「あれは魔力が結晶化するだけの病だ。魔力で細胞が壊死する俺のとは違う」

 ぐっと言葉に詰まるアリア。彼女の瞳からは涙がぼろぼろと零れ落ちていった。ユリウスは月夜に照らされた彼女の涙を指先で簡単に拭うと、「すまんな。お前らを拾った日に泣かせないって約束したのに」と肩を落とした。

「別に……私は幸せでしたから。私たちのことを魔物だと思っていた人たちから、救い出してくれたのは貴方だった。地獄みたいなところから、手を差し伸べてくれたのはユリウス様だけだった」
「そうかい。そう言ってくれたら……俺が生きていただけで、誰かが救われたって思える」
「わたし、わたしはなにもできてない」
「お前が元気そうに過ごしてくれるだけで俺は良いんだ。生まれ落ちたことに何の罪があるっていうんだ」

 ユリウスは嬉しそうに笑った。嗚咽をこらえて我慢するアリアから離れ、ユリウスは窓際に今度こそ向かった。

「貴方は自分が生まれた事を罪だと思っていますか?」
「知らねぇな」
「お元気で……ユリウス様」
「お前もな。アレクセイやアルのことを守ってやってくれ。マリアによろしくな」
「うん。必ず、戻ってきて」
「それは無理な約束だな。じゃあな」

 ユリウスは窓から飛び降り、月夜の中に溶けて行った。足音すらなかった。
 アリアはその場で蹲って、ただただ泣いていた。

 ――その日、ユリウス・イア・アリメストは失踪した。
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