『狂人には恋の味が解らない』 -A madman doesn't understand love-

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2.Born to sin.

第十八話

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 アレクセイはその次の日からこき使われていた。
 暴れる患者を押さえつける役だったり、船の上に届いた支援物資を運ぶ役、様々な場面で呼ばれた。
 呼ばれる度にユリウスの元を離れなくてはいけなくなり、ユリウスを気にするアレクセイを見たメアリが笑う。
 むっとするアレクセイだったが、「薬代をタダにしてあげるし、小瓶の薬をたくさんあげる」と言われれば、頷くしかなかった。

「にしても、本当に彼女? 彼? 好きなんだねぇ」
「本当は婚約の約束をしてました」
「なんだい。病気が理由で逃げられたのかい」
「それは……」

 きっと、そうなのだろうとアレクセイは思っている。答えないアレクセイにメアリは彼の背中を強く叩いた。

「相当、あんたの事を好きだったんだろうさ」

 応えないアレクセイにメアリはふっと微笑んで、耳打ちをした。

「元気になったら、たっぴり叱ってやんな」
「はい」

 アレクセイはやっと笑う。
 それから、少しずつユリウスの様子は変わっていった。ぼさぼさだった髪の毛は前と変わらずになり、長くなっていた髪はメアリが整えてくれた。
 服も似たようなものを新調し、暖かいタートルネックのものを選んだりもした。
 起きる時間も増え、じっとベッドの中で過ごしながら、アレクセイを見つめることが増えた。
 しかし、声を出すことができないのか、喋ることは一度もなかった。

「あんた、そろそろ普通のご飯やパンも食べれるんじゃないのかい」

 メアリが話しかければ、ユリウスは瞬きした。

「ユリウスさん、メアリさんです。壊魔病を治せるお医者さんですよ」

 アレクセイが耳打ちしてやれば、彼は驚いたようにアレクセイを見つめる。アレクセイはそれが酷く嬉しかった。

「自己紹介してなかったね。私はメアリ。まあ、暫く療養しな。私が怪我人治療のためにナンブールに寄港しててよかったね。あんたを追いかけて、内戦中のグスタンに来るなんて、かっこいい彼氏じゃないかい」

 ユリウスは目を見開いて、みるみるうちに頬を染め上げていった。アレクセイはくすくすと笑う。

「なんだい。見かけによらず初心なんだね」
「ユリウスさん、元気になってから俺と婚約しましょう。約束覚えてますよね」

 ユリウスの頬を片手で抑えて、アレクセイは彼が逃げられないようにと、彼の視界に映り込む。
 真っ赤な顔のまま、彼は固まっていた。

「早急過ぎるんじゃないのかい」

 メアリが呆れたように言う。アレクセイはそうですねと呟き、ユリウスの頬にキスを落とした。
 彼はぱくぱくと口を開き、そのまま、布団に潜り込んでしまった。耳まで真っ赤になった彼を見て、アレクセイは久しぶりに心から笑った。






 内戦明けのグスタン国は急速に変わっていった。
 怪我人だらけのナンブールはいつしか賑わいを増していき、人々の活気が戻っていく。
 高かった物価も少しずつ落ち着きを取り戻していき、壊れていた棟も修理されたり、港にも漁船が溢れるようになる。
 しかし、戦争の傷跡もまだ根強く残り、買い物にでかければ、片足や腕ない男性の姿はちらほらと見かける。食料品は高いまま。
 アレクセイはメアリの船に戻り、食材を固定テーブルの上に置いた。

「戻りました」

 メアリはちょうど起きているユリウスの状態を見ていた。
 ベッド周りに青い花びらが散らばっており、まだ彼が完治していないことを伝えていた。
 ユリウスの視線がこちらに向き、アレクセイはそれだけで嬉しくなった。

「ユリウスさん、見てください。飴玉」
「また買ってきたのかい。まあ、市場の人は喜ぶだろうけど」

 呆れたと言わんばかりにメアリはアレクセイを見ている。
 ユリウスのベッド横にあるナイトテーブルには乗り切らないぐらいの飴玉の瓶が置いてある。

「近所の子供たちにもあげてるので、大丈夫ですよ」
「いつの間にそんなご近所と仲良くなったんだい?」
「治療の手伝いをしたら、ですかね」

 いつものように袋を開けて彼の口に飴玉を入れてあげた。すると、驚いたように目を開ける彼。これだけでアレクセイは満足した。

「パチパチと口の中で弾けて面白いでしょう。ユリウスさんの好きなラズベリー味です」

 何か話そうと口を開いたユリウスだったが、それは言葉になることはなかった。彼が驚いて喉を抑えている。その様子を見ていたメアリが言う。

「壊魔病の原因となっている花が悪さをしているのさ。全ての芽が抜け切ったら、普通に話せるようになる。今は無理する時じゃない」
「そういえば、そろそろ薬の時間ですね。ユリウスさん、飲めますか?」

 アレクセイが取り出した薬を躊躇いもなく飲むユリウス。まだ体制を保てないため、アレクセイが支える形で彼自身で飲めるようにはなった。
 薬を飲み終わり、彼は咳き込む。アレクセイが優しく背中を撫でてやれば、彼の赤い瞳がじっとアレクセイを見つめる。咳は止まっていた。

「気分は大丈夫ですか? この後、少しリハビリしましょうか」
「その髪色は目立つから、ちゃんと変装していくんだよ」
「やっぱり、噂になりますかね」
「もし、その子を狙う人たちがいるとして、普通に歩いていると知ったら、きっと狙ってくるだろう」

 そうですね、とアレクセイは頷いた。恐らく、ユリウスの失踪はアルター国でも話題になっているだろう。実際、アレクセイがギルドで情報を掴んだ際に、極秘にしてくれと魔法の契約書と共にお金を差し出したのも事実だ。

「変装……」

 ユリウスの怪訝そうな目がアレクセイを見つめる。

「あ、いや……ちょっとどんなものが良いか考えていたんです」
「ちょうどよいのがあるよ」
「え?」

 メアリが服を渡してきた。きょとんとするユリウス。

「本当は患者用にって残っていた服を買ったんだが、ちょっと可愛すぎてね。まあ、あんたなら大丈夫だろ」
「これは……ユリウスさん。これを着ましょう」

 アレクセイが広げた服。それは長めの灰色ニット服だった。すこしゆったりめの黒いズボンと頭をすっぽりと隠す黒い帽子。そして、黒色のフード付きのコートだ。
 すると、ユリウスがフード付きのコートを指さした。何か言いたそうな彼に無理やり着せた。抵抗されたが、病人がアレクセイに勝てる筈もなく。嫌々着た彼は今にでも怒り出しそうだった。
 ただ、アレクセイからすれば、無表情で昏々と眠り続けていた彼が怒る姿がとても嬉しかった。

「ほら、可愛い」

 ユリウスがアレクセイを軽く蹴った。黒い帽子とフードを被せた。どこぞのアリアが持ってきた白いパジャマも斬新だったが、こちらもとアレクセイは思う。

「猫耳パーカーと縁がありますね?」

 そう伝えれば、また蹴られた。今度は強かった。
 つい、笑いが零れてしまう。目の前のユリウスは目を大きく見開いて、アレクセイをじっと見つめている。その口が言葉を紡ぐことはないが、それだけでアレクセイは嬉しかった。

「さあ、行きましょうか。まあ、最初は俺が抱いて歩きますから」

 そう言って彼を抱き上げた。抵抗はない。この間抱き上げた時よりも体重は増えていた。その事にアレクセイは酷く安堵する。白い髪は帽子とフードですっぽり隠れて見えない。赤い瞳だけが探るようにアレクセイを見ている。
 アレクセイはユリウスを抱いて街を歩いた。とは言っても、そんなに街の奥までは行く事はできない。
 青い空は散歩日和だなと思いながら、アレクセイは腕のぬくもりに安心していた。
 港町を歩きながら、アレクセイは彼の瞳が海を眺めている事に気が付いた。

「覚えていますか。この街を」

 彼の視線がやっと海から離れてアレクセイを見た。

「少し進んだ先に塩田があります。そして、生活下水や工場下水。貴方が去って暫くしてから、海苔を作っていた方が海苔の色が濃くなったと喜んでいました」

 彼が驚いた表情でアレクセイを見つめている。

「貴方がこの街をここまで大きくしたんです。貴方は壊すだけじゃなかったんです。それなのに、まだ貴方は俺から逃げようと思いますか?」

 ここはアレクセイの故郷だった。
 ここで彼と出会った。ここで、彼に恋した。

「昨日、逃げようとしていたでしょう。俺がわざと音をたてたからできなかったんでしょうが」
「なぜ、それを?」

 彼は驚いたように喉を抑えた。やっぱりとアレクセイは笑った。

「やっと喋れましたね。でも、怒りません。俺は貴方の騎士ですし、貴方が俺から逃げるというのなら、俺は追い掛け回すだけです」

 彼は何も言わなかった。

「貴方はグスタン国の人々を陥れたと罪悪感を感じているんでしょうが……俺からしたら、貴方は俺を救ってくれた人なんです。この街を見て、まだ貴方は俺から逃げますか?」
「それは……」
「賢い貴方なら、きっとメアリとの会話も聞いていたんでしょう。幼い頃に貴方が種を食べてしまった事で壊魔病になってしまったこと。そして、貴方を狙っている人が、まだいるかもしれないってこと。俺に迷惑をかけるかもしれないって思ってますか?」

 ユリウスは何も言わなかった。アレクセイも何も言わない。少しの後、アレクセイは言う。

「答えはまだ聞きません。もう一度言いますが、逃げるなら追いかけるまでです。さあ、戻りましょうか。でも、この街をたくさん見てください。貴方が作った塩田も遠くに見えます」

 アレクセイは腕の中の主を見た。彼は茫然としている。やがて、彼の視線が不安そうにアレクセイを見た。アレクセイは小さく笑う。

「俺は貴方を守るだけです。遠くに行くなら、果てまで追いかけてお守りします」


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