『星の旅』

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『童話のような物①』

『泥棒とカラス』

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 夕方の商店街通り、烏も山に帰る時間。樹街路が紅葉に染まり、ひらひらと北風に煽られて、赤いじゅうたんを作り上げる。
 人気もまばらになってきたその地で、ヘタクソなギターの音がべんべんと繰り返される。
 そこに馬鹿みたいな叫ぶ声も追加され、へたくそなハーモニーが奏でられていた。
 町の百貨店売り場の前、ギターケースを汚い地べたに広げ、さあ、金を入れろと音が告げている。
 へたくそなハーモニーを奏でる男は二十歳超えだろうか。
 彼と同じ年ぐらいの男性たちはスーツに身を包み、バス通りで時計を気にしながら、バスを待っている。
 ただ、がむしゃらに男はへたくそな音を街中に響かせる。
 茶色のギターには大きな穴が開いており、おそらく、ギターらしい音はどこか違うのだろう。
 頭まで茶色くさせ、耳には赤いピアス。
 目立つ男の前で立ち止まる客は誰一人いない。
 男が音を止めても、拍手一つない。男は深いため息を一つついて、ギターを仕舞い始める。
 そんな時だった。
 男の頭上に小さな黒い影が差した。男は何事かと、顔をあげる。
 そこには珍しい一羽の白いカラスが物珍しそうに男を見ていた。
 男も珍しそうにカラスを見ていると、カラスが怪しく嗤った。
「馬鹿みたいな声と音が聞こえて来たと思えば、馬鹿みたいな男が弾いているなぁ」
 その一言で男は「え」と小さく言ってから、目を丸くさせた。
 白いカラスは、くつくつと笑って、赤い瞳をギターケースに向ける。
 そこには、入るべきお金すら入っていない。
 カラスは、さも可笑しそうにげらげらと笑った。
 怒りか、恥ずかしさか、男は顔を真っ赤にさせる。乱暴にギターをケースに入れて、カラスを再びキッと睨め付ける。
「カラスまで俺を馬鹿にするのか……今日は疲れているんだ。さて、帰るか」
 男の言葉にカラスは白い口をにやりとさせる。
 男は面白くなさそうに口を尖らせる。まるで、声を発しないカラスが男を馬鹿にしているように感じたからだ。
 彼はケースを背負い、商店街を歩き出す。カラスは男の後姿を赤い瞳でじっと見つめている。
 人の目がちらほらと男に向く。しかし、ほとんどが興味なさそうに過ぎていく。
 たくさんの人が行き交い、男を過ぎたり、越したり、男が人を過ぎたり、越したり。その繰り返しだ。
 と、男はふと足を止めて、人気ない店の前で立ち止まる。
 そこは白い壁と赤い屋根の店だった。もう閉店時間なのか、中に人はいない。
 その店は意外と広く、その中にはギターやヴァイオリン、ハープなどといった楽器が置かれている。
 キラキラと夕焼けで反射し、オレンジ色に輝く楽器たちは、買い手を待つかのように自らの輝きを保っている。
 男はそれら楽器に目もくれず、店の奥で一際輝くピアノを見つめていた。
 ピアノは真っ白で、金剛のように輝く。それは見る者全てを虜にするほどの輝きを男に魅せている。
 男が観賞をしていると、背後から、クククと笑う声が響く。何事かと振り返れば、そこには白いカラスまたがいた。
「気持ち悪いな……まだついて来るのか」
「まあ、そう言うな。お前のへたくそな音楽を聴いてやっているんだ」
 白いカラスはそう言って、商店街のベンチにぴょんと飛び乗った。男は不機嫌そうにカラスを見てから、頭を手でたたき始めた。
「ついに俺も馬鹿になったか……」
「元からあの馬鹿みたいな音楽を弾いているんだ。元々、馬鹿なのだろう?」
 そのカラスの一言に男はたたいていた手を止めた。
「んだと!?」
 男がムカッとして、拳を作り上げる。カラスは羽を広げて、頭上の電線へと飛び乗った。
 白い羽が一枚抜けて、男の前にフワリと落ちる。
 それはとても美しい羽だった。カラスは風の吹く方を見ながら、なだめるように優しい声で言う。
「まあまあ、落ち着いて聞け。俺はお前の音楽を聞いてやっているんだ。まあ、数少ないファンは大事にしろよ」
 カラスはそう言って楽しそうに笑う。男は少し冷静になって拳を戻す。
 奇妙な事が起きているものだ、と男は思った。
 きっと、この現象は疲れから来ているのだろうが、話を聞いてやろう。と、男は考える。
「んで、カラスさんは何で俺に話しかけたのかな?」
「感想を言ってやったのだ」
「わざわざ、へたくそって言いにか」
 性質の悪いカラスだ、と男は内心毒づく。
「まあ、そうだな。そのヘボいギターをどうにかしてほしい。大穴あいているんだ。修理でもしたらどうだ?」
「お金がないし、俺は元々ピアノ弾きだったんだ」
「ほう?」
 男が冷静になった事を感じ取ったカラスは白い翼を広げて、男の前まで降下して来た。赤い瞳は店内のピアノへと移される。
「だから、毎日あのピアノを見に来たのか」
「見てたのか」
「この町は俺のテリトリーだからな」
 カラスは偉そうに威張る。
 男は軽く相槌を打ち、目前の白いピアノへ視線を移す。
 値段は数字の零が六個に、頭には九。普通に考えても、男には払えない金額だった。
 大きく落胆する男を見て、カラスは鼻で笑う。
「ピアノ弾きなのに、ピアノを持っていないのか」
「小さい頃に持ってたけれど、売ったんだ」
「ふーん」
 素直な男にカラスは責めも得意な皮肉も言わずに、普通に頷いた。
 そう、男はピアノ弾きだった。幼稚園からピアノに触れ、小学から中学にかけて、彼の人生はピアノだけだった。
 しかし、父の会社が倒産。彼はピアノと共にした人生をやめ、親の借金と共にすることになる。
 男は子供のような瞳で白いピアノを見つめていた。
 カラスはそんな男の背中を見つめ、深いため息をつく。
「馬鹿だな」
 何度目かの馬鹿。
 男は怪訝そうにカラスを振り返った。
「ピアノが好きなのに、何でお前は何もしてない? 毎日毎日、朝から夕方まで誰も聞かない歌を奏でるじゃないか。お前は何をしたい?」
 カラスは呆れたように大きなため息をついた。
 男は何も言い返せなかった。
 バイトをして、親の借金返済を手伝う訳でもない。
 バイトをして、ギターを買いなおしたり、一番ほしいピアノを買うわけでもない。
 誰かに頼んで、ピアノを触らせてもらうわけでもない。
 一日中、誰も聞かない音楽を奏でているだけ。
 騒音を奏でているだけ。
「行動ぐらい起こしたらどうだ?」
「……たとえば?」
 男は枯れるような小さな声でカラスにたずねる。
 カラスは少し考えてから、「今すぐにでも弾きたいのなら、ピアノを盗むなんてどうだ?」と言った。
「犯罪だろ……」
「そうだな。犯罪だ」
 男とカラスはピアノへと視線を移す。きらきらと光る白いピアノ。オレンジ色の反射する光。まるで、おいでおいでと男を誘っているようだ。
「それに、あんなに大きい物はどうがんばったって盗めないよ」
 男は話すだけ無駄と考えたのだろう。
 カラスに背を向け、ゆっくりとした足取りで帰路へ付こうとする。
 背後からカラスがクククと笑った。
「そうやって、何時壊れるかもわからないギターを弾くのか? 誰も聞かない音をずっと。ピアノから逃げるのか? 何もしないで、逃げて逃げて……お前は馬鹿だなぁ。否、臆病者だ」
 男の足がぴたりと止まる。
 しかし、再びゆっくりと帰り道を歩き出す。
 カラスは見下げ果てるが、それ以上は何も言わなかった。

 その夜の商店街。
 一人の男が樹街路を走っていた。
 そして、一軒の白い壁と赤い屋根の店で足を止める。
 手にはひとつの道具。男は扉に近寄ると、手を起用に使う。
 男はシリンダー錠をいとも簡単に開け、道具をポケットにしまった。
 男は昼間の男だ。茶髪を汗でぬらし、背筋も冷や汗だらけ。
 そっと、あけた扉を閉め、男は店内をゆっくりと歩き出す。
 真っ暗ではなかった。蛍光灯の光が楽器などを薄暗く照らしている。
 男はゆっくりとした足取りでピアノまで向かう。
 近くで見れば見るほど、すばらしいピアノだった。
 恐る恐るとピアノの蓋を開き、変なところがないか、チェックしていく。
 白いピアノはどこまでもきれいだった。
 今度は盤を確認する。
 白と黒の旋律がどこまでも広がっているようだった。
 男はそっと椅子に腰をおろし、しばらくその原盤を見つめていた。
 ようやく、なしくずしにピアノのドに触れる。
 懐かしい聞きなれた音が響く。男の瞳からぽろりと光が落ちた。
 男はそこから、ゆっくりと手を動かしていく。
 最初はド、次はミ――音は途切れることを知らない。
 あふれるメロディが男の指を動かし続ける。
 ペダルを踏んで、指で奏でて、心は満たされていく。
 ぼろぼろのギターを弾くのとは大違い。
 ショパンの華麗なる大円舞曲、シューベルトのセレナード、モーツァルトのロンド。
 音はまだまだ奏でられる。瞳から零れ落ちていく涙はとどまることを知らない。
 男がピアノを引き続けて何時間か経った時だ。
 カタンと音が響き、警備員のような男が現れる。
 それはあっという間の逮捕劇だった。
 逃げようとした男は一瞬にして捕まった。
 楽器たちが哀れむように光り、男は警備員に連行されていく。
 男は連行される間、ピアノをじっと眺めていた。
 やがて、男の視界からピアノが消えたとき、男と警備員は夜の闇に消えていった。



 何度目かの秋。
 男はいつもと同じ日常を送っていた。
 穴の開いたギターを弾きなおし、相変わらず馬鹿な歌を奏でている。
 しかし、男の目は子供のようにきらきらと輝いていた。
 相変わらずの商店街と樹街路。男の頭上に黒い影が通る。男は頭上を見上げた。
 そこには一羽の白いカラスがいた。
「また馬鹿な歌を弾いているのか」
「お前、また来たのか」
「ふん、お前のファンだと言っただろう? 少しはマシな歌を弾けるようになったのだな」
「ありがた迷惑だ、こんちくしょう」
「フフ」
 カラスが小さく笑った。男も釣られて小さく笑う。
「俺さ、仕事始めたよ」
「ほーう?」
「新品ネコ脚グランドの白いピアノを買うんだ」
 男は商店街の遠くを見つめる。
 カラスもその視線の先を追うが、すぐに理解した。
 カラスはくつりと笑ってから、何か気が付いたように首をひねった。
「そういえば、お前の名は?」
「俺? 俺は――」
 男は名前を静かに語りだす。
 紡がれた言葉にカラスは満足そうに笑うのだ。
 そして、ギターケースの前に降り立つと、カラスはどこかで取ってきたのであろう桑の実一つ、ギターケースへ放り投げた。
 やがて、白いカラスは、夕焼け空の向こうへ消えていった。
 男は数年もその場所でカラスを待つが、カラスが男の前へやってくる事はなかった。
 十年後、男はぱたりとその商店街から消える。

 それと同時期、街外れにある一角から、決まった時間にピアノ音が奏でられる。
 その緑色の屋根の上で、白いカラスはピアノの音を聞いている。
 赤い瞳は子供のように輝いて、口元は満足したようにほくそ笑んでいた。


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