『残魂微光』

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前編『絆魂光(はんこんこう)』

第三話『緋涙・前編』

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 ぼぅ、と火が小さく爆ぜる音で水星は目を覚ました。どうやら、焔尽の傍らで眠ってしまっていたらしい。
 目覚めた水星は、ぬくもりを確かめようと手を伸ばした。しかし、そこで違和感を覚えた。傍にあった温もりは、すでにいなくなっていた。
「焔尽?」
 自分にかけられていた布団に気づき、水星は勢いよく立ち上がる。
 布の擦れる音が響き、水星が窓の扉を勢いよく開け放つ。崖上に建てられた屋敷から見下ろす崖下の町。瓦屋根の建物が連なり、水路には提灯を垂らした船が小川を進むのが見えた。
 星明かりもない空下で、瓦屋根や船の提灯が煌々と町を照らしている。でも、探し人の姿はどこにもない。瓦屋根の向こうにも、小舟の上にも。
「帳、居たら返事をしろ!」
 しかし、従者であるはずの帳の姿もなかった。
 血の滴りが点々と窓際まで続く。布団のぬくもりを確かめ、水星は舌打ちした。まだ、暖かい。
「怪我をしてるのに、無理やり動いたな……」
 用意周到なあいつが、血痕を残すなんて。急いで逃げたのか? それとも――。
 答えは焔尽にしかわからない。水星は床の血を指で拭い、窓際に駆け寄る。魔気を込めた指に息を吹きかけると、血が赤い霧に変わり、風に乗って街の外れへ吸い込まれた。
「街はずれか」
 剣を握り、振り返る。布団の赤い染みが目に入り、胸がざわついた。
「焔尽、お前がいなくなる時、いつも理由が……。絶対に捕まえてやる」
 そう吐き捨てると、窓枠を掴み、外へ飛び出した。
 目前に地上の景色が広がり、水星は水の國の水車に降り立つ。すぐに飛び、レンガの橋を渡る。やがては、瓦屋根へ着地した。そこにも血痕の跡が付着していて、血の主は町外れへと逃げているようだった。
 瓦屋根には刀傷が残り、踏みつけた跡がいくつもあった。血痕が瓦に点々と続き、まるで焔尽が残した道標のように水星を導く。彼は町の暗闇を切り裂くように駆けた。
 やがて町外れはもっと暗くなり、鉄と鉄がぶつかり合う音が響く。やっと、水星は立ち止まった。呼吸を整え、遠くから聞こえる方角を目指す。目の前に迫ったのは、白い髪を乱し、必死に刀を振る焔尽の姿だった。
「焔尽!」
 声を荒げると、彼の目が見開かれた。その瞬間、水星は彼と対峙していたのが帳だと気づいた。帳は隙をつき、焔尽の肩を掴む。
 でも、黙ってもいない焔尽だ。両足で帳の足を払い、二人はもつれるように瓦屋根から落ちた。
 その先は町外れの下水道に繋がる場所で、ここまで来れば人気がなく、水星は少し安心した。下に降りると、帳が焔尽から何かを奪うところだった。
「それは?」
 水星は倒れて動かない焔尽の傍に駆け寄り、彼の状態を確認する。呼吸は乱れ、一歩も動けなさそうだった。動けるようになったらすぐこれかと目を細め、すぐに帳を見た。
「洞窟にあった火の國の宝玉です。こいつで、あの変な妖を呼び寄せてたんです」
 彼は奪い取った宝玉を水星に見せる。手のひらほどの大きさの真っ黒な玉だ。宝玉から瘴気が漏れ、まるで生き物のように脈打っていた。
「こんなものを持ち出されたら、創者である偉い立場の雲霧坊ちゃんに見つかれば、いくら仲良し子好な俺でも、俺とこいつの首が飛ぶ」と彼は身振りしてみせた。
 水星は無言で焔尽の元へ歩き寄った。感情のない瞳が、昔と同じように水星をじっと見つめていた。
「焔尽……」
 額に手を当てれば、熱を帯びていた。すっかり痩せた体を眺め、切れた唇を指でなぞり、頬を撫でた。水星は彼がまだ生きていることに安心を覚えた。水星の手は流れる様に、するりと頭を撫でる。
 焔尽は離れた指に気が付き、何かを言おうと口を開く。しかし、それは言葉にならなかった。切羽詰まった表情に、水星は唇を噛み締めた。
「お前は自分を大事にしろ。話は後で聞く」
「はあ……しかし、火の國の宝玉を持ち出して、何をしようと――」
 宝玉から違和感を感じたのか、帳がはっとした表情をする。勢いよく、宝玉を手から離した。カンと床に落ちた瞬間、黒い霧が勢いよく空に伸びた。まるで、噴煙のようだった。
 漏れる瘴気が帳の剣に触れた瞬間、刃を黒く染める。空を目指す霧に、帳は水の障壁を貼り、水星や町を守るように機動を逸らす。
 水星は陣を切り、帳の結界とは別の方角に結界を貼った。廃屋数件を巻き込む大きな四角い箱のような結界が出来上がり、黒い霧が充満する。
「帳! 無事か!?」
「大丈夫ですが、視界が悪いです」
 彼の姿が黒い霧に包まれていく。
「どうやら、焔尽に救われたようです。宝玉から放たれたのは瘴気です。まるで、人工的に作られたような……」
 そして、姿は完全に黒い霧にかき消されていった。いつものひょうひょうとした声が響き、水星は「警戒を続けてくれ。焔尽を上に避難させてから戻る」と動けない焔尽を抱き上げ、瓦屋根の上へ移動した。
 見下ろした霧の中で大きなものが動いているのか、霧が揺れる。それに気が付いた水星は声を張り上げた。
「帳、何かいるぞ! 離れろ!」
「暗くて見えねぇや! 坊ちゃんこそ、気をつけてくだせぇ」
「待て、俺も今行く!」
 焔尽の体を下ろそうとしたその時、びくりと震えた。胸騒ぎが走る。振り返る前に、それは起きた。
 するり、と腕の中から重みが抜ける。指の間から零れる霧のように、焔尽の身体がすり抜けていった。
「焔尽……?」
 名を呼ぶ声が震えた。彼の目が水星を見た――焦点の合っていない瞳。それでも、一瞬だけ光が揺れる。迷い、ためらい、名残惜しさ。しかし、決意の色がそれを全て呑み込んだ。
 目を見開く水星。焔尽は屋根を蹴り、霧の向こうへと姿を消した。
「まっ……!」
 手を伸ばす間もなかった。水星の手が空を掴む。その彼の背は、戻る気などないように静かで冷たかった。
 叫びが濃霧に呑まれ、空しく響く。追いすがろうとする足は、次の瞬間、凍りついた。
 ――何かが、いる。
 鼻に突く腐臭、湿った地面が揺れた気がした。ざわ、と霧が揺れる。まるで息を潜めていた獣が身を起こすように。
「焔尽! 帳! 下がれ――!」
 叫んだ瞬間、「な、なんだこいつは!」と帳の鋭い悲鳴が響いた。霧を切り裂く衝撃音に、水星は気配を感じてさっと避ける。レンガ道や廃屋を砕く音。
 水星がいた場所は破壊されていた。ガラガラと崩れ落ちる家屋。その中から人よりも大きな赤い目玉がふたつ現れ、水星は目を見開いた。
「坊ちゃん! 焔尽を連れて逃げろ! こいつぁ!」
 帳が気づいた瞬間、黒い影が彼を薙ぎ払い、風が奔る。彼は吹き飛ばされ、屋根を滑りながら転がる。背中から落下し、瓦を砕き、やがて帳は動かなくなった。
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