『残魂微光』

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前編『絆魂光(はんこんこう)』

第四話『緋涙・後編』

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 駆け寄ろうとしたが、巨体の気配に踏みとどまる。視線を向けると、霧の奥で何かがうごめいていた。黒い鱗に覆われた異形の存在。大蛇――いや、ただの蛇じゃない。人の手で作られたような骨格をしていた。
 子供の頃、よく見かけた蛇の玩具のようだが、サイズが異常だった。しかも、瘴気を放ちながら、ゆっくりと動いている。そこで、水星ははっとした。
 大蛇は身をくねらせ、水星の真下でかろうじて立っている焔尽ごと呑み込もうとしている。彼の体からは血が滲み、口元も真っ赤に染まっていた。
 そこに行く間に何度も吐血したのだろう。足元は震え、今にも崩れそうだった。それでも、彼は水星を見ていた。その目が何かを訴え、血に染まった唇が震え、来るなと言わんばかりに鋭く光った。
「……あいつッ!」
 水星は奥歯を噛み、剣に水の魔気を込めた。青い霧が刃を包み、瘴気を切り裂く。
「退けろ!」
 焔尽が転がるように避け、水星の剣が霧を両断した。黒い鱗の大蛇が咆哮し、瓦を砕く。
 焔尽が膝をつく姿に、水星の胸が一瞬締め付けられた。
「今は休め」と短く告げ、剣を構え直す。
 大蛇の赤い目が二人を狙うように光り、湿った鱗が夜を這う。大蛇が屋根を擦るたび、石と瓦を砕く音が響き、湿った鱗が絡みつく。
「はっ!」
 水星は魔気を扱い、水が溢れて蛇を氷のように拘束した。焔尽も習うように、炎が氷の隙間を縫うように絡む。赤い火花が青い氷とぶつかって光を散らした。大蛇が雄叫びを上げ、空へ逃げようとしたが、飛べずに巨体を大地に打ち付けた。
 しかし、炎は一瞬消えかかる。
「焔尽……?」
 振り返り、焔尽の膝が瓦礫に沈むのを見た瞬間、水星の胸を鋭い痛みが貫いた。
 ――なんでだ。なんでいつもお前がこんな目に……!
 血に染まった唇、脂汗に濡れた額。その全てが水星の心に突き刺さり、息を詰まらせた。
「俺が、もっと早くお前を見つけていれば……!」
 悔しさが喉を締め上げ、剣を握る手に力がこもる。
 焔尽が血を吐きながらも、魔気を継続して放とうとする。その目に宿る決意に、水星は吼えた――
「魔気が持たねぇだろ、早く陣を解け」
 焔尽は過呼吸を繰り返しながら首を振る。
「死にたいのか!? いいから解けッ!」
 その声は怒りに震えていたが、奥底には焔尽を失う恐怖が渦巻いていた。
 水星の怒声に焔尽は魔気の発動をやめた。いや、水星の魔気をまとった右手が、彼の魔気を操る手を掴み、相殺させたのだった。
 途端、大蛇が水を得たように、動き出す。水星は焔尽を抱き直し、大地を蹴った。先ほど二人が居た場所は蛇の大口が丸呑みした。瓦礫を丸呑みし、大蛇はまた動き出す。
「ハァッ!」
 剣に魔気を込め大蛇を横に払う。大蛇が劈くような悲鳴を上げた。首と胴体が切断され、黒い魔気が吹く。その影響で、レンガの道に大きな穴が開き、川と下水道の水が合わさって地盤が崩れた。
「やったか……」
 水星は溢れた水を操り、その上に乗る。水は水星の足となり、宙を自由に進めた。そして、二度と離さないと言わんばかりに、焔尽を抱きしめた。
 水星は気が付く。黒い霧が再び浮かび上がり、赤い目が二人を捉えたことに。突然、動き出した蛇の頭が波にぶつかり、水星は足場を失う。蛇の頭は霧散するように消えた。
 水星は舌打ちし、散った水を寄せようとしたが、黒い霧が阻む。落下し、焔尽だけでも、大蛇と瘴気から逃がそうと力を込めた。結界の外ならば、まだ安全だ。
 だが、「嫌だ」と掠れたはっきりした声が聞こえた。
「お前――」
 ――少しでも、喋れたのか。
 焔尽が水星にしがみつき、炎の魔気が弾けて黒い霧を弾いた。同時に大量の吐血をし、水星が焔尽を抱く腕を強め、水を操ろうと手を伸ばす。
「水星坊ちゃん!」
 帳の声が頭上から響き、水の紐が腕に巻き付いて下降が止まった。帳の水の魔気だろう。少しずつ引っ張られ、水星は水を操って崩れる地盤を凍らせた。
「今、俺は上の下水を固定しています! このままだと、街に被害が!」
「わかった。帳、俺は大丈夫だ。作業を続けてくれ」
 帳の魔気が離れていく。氷の橋が裂け目の上に展開し、瓦礫の落下を防ぐ。水星は焔尽を抱えたまま橋を駆け抜けた。
「くそっ……あの大蛇は何が狙いなんだ。いや、火の國は何が狙いで、あの宝珠を放った?」
 肩で焔尽が微かに呻き、魔気を使い果たした体は蝋のように軽い。その軽さに水星は恐怖を感じた。背後で大蛇の残骸が断末魔のように蠢き、黒い霧が噴き出して空間を歪ませる。
「水星! 早く、あれを封じろ!」
 帳の疲れ切った声が瓦屋根の向こうから聞こえた。彼は傷だらけの体を起こし、破損して水が滴る瓦礫の凍結にあたっていた。
「上の時間を稼げ! その間に封陣を完成させる!」
 水星は叫び、剣を手に黒霧の源へ進んだ。血と焦げた土の匂いが混ざる中、眼差しは静かに燃えていた。
 腕の中の存在を強く抱いた。
「逃げるなら、せめて俺に頼れ。こんな傷……一人で抱えるなよ、焔尽」
 小さく告げ、地を蹴る。水が剣にまとわりつき、黒霧を裂いた。牙をむいた闇の中心に、水の一閃が奔る。
 詠唱を終えると、手のひらから蒼い光が溢れた。水のように滑らかで、鋼のように鋭い意志。
「封鎖、蒼環の儀!」
 空気が震え、大蛇の咆哮が響く。七重の水輪が空中に展開し、魔法陣を形成して大蛇を締め上げる。
 鱗が軋む音が響き、爆発的な魔気が噴き出す。それは、刃のように水星を狙った。
 はっとしたが、遅かった。
 ――避けれない!
 痛みを覚悟していたが、腕の中に居たぬくもりが動く。
「――みなせっ!」
 焔尽が悲痛な声をあげ、水星の腕から逃れた。彼は自らの炎の魔気を盾にして水星の前に立ちはだかる。
 ズン、と鈍い衝撃音に水星は目を見開いた。彼の火の魔気が瘴気を押しとどめたが、衝撃で氷の橋に叩きつけられて血だるまになって、転がった。
「焔尽……! なんで、いつも人を庇う!?」
 叫び、彼のもとへ駆け寄る。呼吸はあり、水星は唇を噛み締めた。致命的な傷に魔気を込め、凍らせて止血した。そして、立ち上がる。
 大蛇の封印はまだ終わっておらず、魔気の残滓が水星を狙う。邪蛇の大口が、水星と焔尽を狙っていた。横目で虫の息の焔尽を見つめた。避ければ、自分は助かる。
 しかし、ここで避ければ焔尽が殺される。受け止めるしかない――。
 水星は意を決し、目前の大蛇を焼き尽くすように睨みつけた。背後で虫の息の焔尽が息づく限り、退くことは許されない。
 剣を両手で握り、青い魔気が刃に渦巻いた。水の國の意志を宿すように、刀身が蒼く輝き、夜を裂く光を放つ。
 痛みを覚悟し、水星は深呼吸をした。
 氷の橋が震え、瓦礫が舞う中、水星は剣を振り上げ、巨体の中心を貫いた。  
「ぐっ」
 一方で裂ける音。同時に、左目に焼けるような痛み。蛇の牙だ。視界が赤く染まる。
 背後で焔尽が息をしているのを確認し、心が安らいだ。片目で大蛇を睨み、剣を勢いよく振り払った。
 ――ここで、退くわけにはいかない!
「蒼刃、水断!」
 蛇の胴体と尻尾が真っ二つに裂け、瘴気となって消滅していく。
 カラカラと音が響き、部品ごとに崩壊していった。まるで、玩具が壊れたように崩壊していった。
「ははは……終わった」
 水星は剣を地面に突き立て膝をつくと、ようやく左目の痛みに気づいた。怪我を押さえ、よろめきながら焔尽に目を向けた。ただ彼を守りたかった。それだけだ。封印の水輪が最後の輝きを放ち、瘴気は光の中に沈んだ。
「はぁ……はぁ」
 静寂が戻り、剣を握り左目から血を流す水星だけが膝をついていた。焔尽が辛うじて目を開け、視線を動かして意志を伝えようとする。顔を歪めた水星がその痛々しい様子に気づき、息を呑んだ。水星が焔尽を抱き上げる。焔尽の唇が震え、掠れた声で呟く。
「無事か?」
 彼の瞳が水星の顔を映した途端、涙がぼろぼろと零れ落ちていた。
「お前……」
「左目……ごめん……。町を……宝玉の瘴気から、守りたかった……俺がいるから、お前が危険に、なる」
 水星の目が揺れ、焔尽を強く抱きしめる。
「馬鹿野郎、一人で抱えるな……!」
 ――焔尽。お前は、いつもそうやって、自分のことなんか後回しにして。
 血まみれの彼の指がわずかに動いた。
「……俺が、お前を守るから……今度こそ……!」
 ぽたぽたと垂れる血。水星は一度焔尽を降ろすと、自分の袖を破き止血する。水星の言葉に、焔尽は安心させるように笑うが、表情は苦痛で溢れていた。笑うことすら辛いのだろう。それに胸が痛み、彼の手を取った。
「疲れただろ。やっと、お前を見つけた……ずっと探してた」
 水星は無言で泣きそうな彼の顔を軽く撫で、安心させるために微笑みかけた。しかし、その笑顔は痛々しさを隠しきれなかった。左目から血の涙が流れ、彼が震える手で水星の頬に伸ばす。彼の体は限界だったのだろう。目を閉じ、気を失った。
「焔尽」
 水星は名を呟き、血に濡れた左手を彼の頬に当てた。瞳は決意を宿し、静かに彼を見つめる。血の涙が頬を伝い、夜風に冷たく揺れた。
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