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断章 3
断章:元侍女の悲しみと、未来への光
ダクレール男爵の居城ムーアサイド。
城内には様々な施設が併設されている。
領の政を司る執務室。 商工ギルドの本拠地。 領兵の駐屯所。 沿岸警備隊の司令部。 各ギルドの出張所。 そして、屋敷としての機能。
屋敷として使用されている一角。 多数の部屋がある、その奥まった一部屋に、ハンナは留置かれていた。 彼女専属の者が、彼女の心労を診て、彼女が関わる一切の公務を停止し安静にするように手配したからであった。
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質素だが吟味された内装を持つハンナの部屋。 清潔に整えられているベッドの上で、天蓋を見詰めならがボンヤリとしていた。 あの日からもう三週間以上の時間は経った。 未だに続く悪夢は、彼女の体力を奪い、眠っても、起きても、記憶が彼女を苛んでいた。
幸いなことに、男達の手に掛かる前に、ルフーラに助け出された事は理解している。 直前で助けられたのだと、そう聞かされていた。 「王国の歌劇団」の大天幕から、” 自らの意思 ” で、出て娼館に来たことは、「闇」魔法に掛けられていたからであったと、そう説明されてもいた。
――― 娼館のベットの上で、目の前にルフーラが自分を求めて手を差し出した事…… それに応えようとした事…… 突然、魔法が解け、目の前の漢がルフーラでは無いと気が付き、恐怖に襲われた事…… 余りの恐ろしさに、気を失ってしまった事…… そして、目覚めた時、ルフーラが自分を胸に掻き抱いて居た事……
そのすべてを思い出し…… 恐ろしさと、助け出された時のルフーラの胸の中で感じた安堵…… 愛おしさ。 この方の側に居たいと想う気持ち…… 胸の中で震えていたけれども、感じていた幸せ ―――
そのすべてが、今彼女を苛んでいた。
どのシーンをとっても…… どんなに記憶を探っても…… そこにエスカリーナへの想いが無かったからだった。 唯一、覚えているのが、娼館のベッドの上で、男が自分に手を伸ばそうとした時、ちらりと視界にはいった、ボンヤリとした表情のエスカリーナだけだった。
その姿を確かに見た…… と、明確に自信が持てなかった。
もし、本当に見ていたのなら、エスカリーナを助けるべく、何らかの行動に移っている筈だったから…… だと、自分では思っている。 アレは…… 幻覚だったのだろうか…… とも。
あれから後、ルフーラは何度も見舞いに来てくれている。 そして、もう直ぐ彼の御親族がやって来て、引き合わせるとも告げられてもいる。
父親であるフランシス=ダクレール男爵も、母親であるエルサ=ダクレール男爵夫人も、この婚約には賛成してくれていた。 誠実で、有能な商会の代表であるルフーラならば、ハンナを大事にしてくれると、そう言われた。
其処はいい。 でも…… と、考えるハンナ。
ドワイアル大公閣下よりの書状が、思い出される。 エスカリーナ付きの侍女の任を解くと書かれていた。
” 君は、君だけの幸せを掴むべきだ。 姪はそう望んでいる。 姪の事は我等に任せよ。 長くエスカリーナに仕えてくれた事、あれの叔父として礼を言う ”
そう、書かれた、ガイスト=ランドルフ=ドワイアル大公閣下直筆の手紙。 きっと、エスカリーナ姫様が手配したものだと確信していた。
” 姫様は、私の手をお放しに成った。 私が私らしく居られるようにと…… ずっと、そう仰っていた。 でも…… でも…… なんで…… こんな事に…… ”
思い出すたびに、涙が溢れだす。 父親にエスカリーナの事を聴いても、” 行方を追っている ” としか、教えて貰えない。 ならば、自身が動こうとしても止められ、この部屋に押し込められてしまった。 悶々とした現状ならば、いっそ領内を隈なく捜し歩いた方が、よっぼどいいに決まっている。
そう訴えた。
が、答えは ” 否定 ” だった。 頑として自分の部屋から出る事は許して貰えなかった。 あの可愛らしい姫様が今も泣いていらっしゃるのではと思うと、心が張り裂けそうだった。 脳裏に浮かぶのは、何時も笑顔で見詰める、群青色の瞳と、風に揺れる、銀灰色の髪
表情は柔らかいのに、毅然とし、矜持に溢れるその面影……
そんなエスカリーナが拉致され、何処か判らない処に連れて行かれたと思うと、居ても経っても居られなかった。 しかし、彼女が連れ去られた先は、何処かもわからず。 その上、ハンナはモヤモヤとする記憶にも苛まれている……
特に最近の出来事に関しては、あやふやになってしまった。 ルフーラが自分を求めているのは判った。 それを、相談した事もあった。 エスカリーナは、背中を押してくれた。
” 御心の内にある、愛しい影は、誰なのでしょうか? その方は、ハンナさんをどう見ているのでしょうか? 単にハンナさんを取り巻いている色々な権能を見られているだけでしょうか? それとも、そんな物が無くなっても、素のハンナさんを見られているのでしょうか? 判断は、お任せいたします。 でも、わたくしは思うのです。 確かめて見られるのも、良いかと ”
その時のエスカリーナは、とても真剣な瞳で自分を見ていた事を思い出した。 あの瞳…… あの視線……
そして、自分の気持ちに気が付いた。
ルフーラを愛しているんだと。
星空の元、彼が愛を誓い、「拙の唯一になって下さい」 の言葉。
そして、左手の甲に落とすキス……
そして、誓いを受け入れた。
大公閣下よりの「専任侍女の解任」の手紙と、彼への想いに気が付き、彼の想いを受け入れた事…… その事によって、ハンナの心の中では「エスカリーナ姫様が一番」では、無くなってしまった。
” ……だから、あの時、私は、ルフーラに助けを求めてしまった。 護るべきエスカリーナ姫様を御座なりにして…… ”
後悔が、波のように押し寄せ、ハンナの心を打ち付けて来る。 涙が止まらない。 叫び出したくなる。 上掛けを顔に押し当て…… 必死に声を殺す。 こんな姿を、他の誰かに見られたら、それこそ、大事に成る。 その矜持だけが、彼女の声を口の中だけに留めていた。 かつて、ドワイアル大公家の庭で、ボブ爺さんの前で泣いた時の様に……
^^^^^
トントントン
扉がノックされる。 押し殺した泣き声を、どうにか抑え込み、勤めて冷静な声を出そうとしていた。 若干震えているが…… 判らないだろうと―――
「はい、なにか?」
「主治医様がお見えです」
「判りました。 入って貰って」
扉が開き、ハンナにと「特別に付けられた者」が、入って来る。 ハンナも、話に聞いていたが、とても有能な薬師―――。
安定した品質の薬やポーションを、冒険者ギルドをはじめ、沿岸警備隊、衛兵隊、そして、街の人達に供給する薬師。
治療院や、娼館、駐屯所、と云った所から、商家、果ては教会の孤児院にまで往診を行い、作り出す薬やポーションで、傷ついた人々を癒して歩く薬師。
想い人が乗る船が難破し、多数の病人が出た時に、死力を尽くし船員たちを死の淵から救い出した手腕。 ルフーラが、この領の誰にもまして、信を置き、敬愛し、そして、高く高く評価している薬師。
ハンナを助け出してくれた一団の中にも居り、ルフーラが娼館に突入する時に手助けし、ハンナが狂乱に落ち込むのを未然に防いだ薬師。
あの大爆発の後、隠された彼の国の泊地に赴き、戦闘を止め、傷ついた兵士達を敵味方関係なく治療していったという噂。
そんな聖人の様な所業を成した、小さな女性。
「ハンナ様、ご機嫌は如何ですか? ……また、泣いてらしたのですか?」
軽やかな声がハンナに問う。 黒髪に二房の紅い髪。 前髪は目を覆っているが、その奥には、魔力を大量に持つ者独特の黒い瞳。 魔術師のローブ。
入って来た、その薬師にハンナは応える。
「薬師リーナ様。 あなたには、お見通しなのですね」
「ええ、男爵様より、専従を仰せつかっておりますので。 ―――エスカリーナ様の事に御座いましょ?」
「…………」
「今も尚、男爵様、アレンティア侯爵様の手の者が、精一杯の手段を用いて、領内、近隣の領をお探しに成っておられますわ」
「……あれから、すでに三週間以上も経ちました。 一体どこに…… 薬師リーナ様。 何卒、私も探索に加わる事を、お許ししてください」
「成りません」
「なぜ…… ですか?」
「足手まといになるからです」
「えっ?」
「貴女はルフーラ様の御婚約者と成ります。 貴女が動くと、大勢の護衛が必要となります。 人員には限りが御座いますわ。 護衛に大勢の方を引き抜かれますと、捜索範囲を狭めなければ成りません。 だから、足手まといに成るです」
「…………くぅぅぅぅ」
「ハンナ様。 一つ忠告します。 想いはとても大切です。 が、個人の想いを貫けば、周囲の迷惑となるばかりでは無く、本当に必要な手すら、縛ってしまうかもしれません」
「………………」
「でも、他の方法がきっとあるのです。 それは、ハンナ様以外の人は絶対に出来ない事なのです」
「……な、なんなのでしょうか?」
「この話はご内密に…… 聞くところによると、エスカリーナ様はすでに国外に運ばれた可能性も御座います。 ええ、彼の国。 海洋国家 ベネディクト=ペンスラ連合王国と思われます。 又は、その友好国かもしれません」
「はっっ!! そ、そんな!!」
「ですから、ハンナ様に出来る事は、その諸外国でエスカリーナ様の消息を探す事ですわ」
「ど、どうやって! 判らないわ!! 今も、この屋敷の中で、わたくしの部屋の中に逼塞を強いられているのに!!!」
「……お忘れですか? 貴方の御婚約者様の事を。 「 檄 」を飛ばして貰えば宜しいのです。 エスカリーナを探せと。 ただ、エスカリーナ様を探すだけでなく、その周辺の情報も一緒に。 なぜ、彼女が攫われねばならなかったかも一緒に。 同時に手に入る諸外国の情報は、とても大切な情報です。 ハンナ様の御婚約者様と、共有なさいませ。 一人で考えるよりも、二人で…… その方が良き考えも浮かぶのでは? 私の言葉が何を意味するのかは、いずれ時が来れば判ります。 どうですか、ハンナ様以外の誰がこれを成せますでしょうか?」
ハンナは自分の目の前に居る、小さな薬師を見詰めた。 彼女の語る内容は、確かに…… 確かに、自分しか出来ない事。 そして、グズグズと泣き、捜索の足を引っ張る様な無様な有様より、よほどエスカリーナ姫様の足取りを追えると…… そう、確信した。
「薬師リーナ様…… あなたも、エスカリーナ様と面識がおありなのですね」
「ええ、あの群青色の瞳で、真っ直ぐに見た姿は、忘れる事はありますまい。 市井の方々と、どうやって接するか、何を成して、生きて行くのか。 …………そう云った事をお話した事があります」
「そ…… そうなのですね。 判りました。 私は、私の為すべきを成します。 あの方の隣に立ち、あの方の力になりつつ、姫様の情報を追います。 国外に拉致されたとしても、必ず見つけ出し、助け出します」
「良き目の光です。 情報は余すところなく、ルフーラ様と……」
「はい!」
「……もう、ベッドから出ても良いでしょう。 今後は、ルフーラ様とよくご相談になって、事を進めて下さい。 隠し事、嘘は、全てを壊し、関係を破壊します。 良いですね」
頷くハンナ。 泣きはらした瞳は、もう迷いが無かった。 自分が出来る事を見つけた瞳だった。 ルフーラによく相談し、自分が何をするべきなのか、何が成せるのかを、知りたいと思った。 それは、きっと、彼の役にも立つ事だと、そう思った。
ゆっくりと頭を下げて、薬師リーナは退室した。
その背中に、頭を下げ…… 自分の行く道を指示してくれた事に、感謝を捧げた。
^^^^^^^^^^^
少し時間をおいて、ルフーラが見舞いの為に、ハンナの部屋を訪れた。 少々戸惑い気味に、そして、とても真剣な目をしていた。 なにか、とても大事な事を言おうとしている様な、そんな雰囲気だった。
「ハンナ…… 折り入って話したい事がある」
「はい、ルフーラ様。 実は、わたくしも……」
「そ、そうか…… 拙の想いに応えてくれたハンナだ。 これ以上隠して置けないと思うのだ」
「えっ? なにか、御隠しになっていたのですか?」
「あぁ。 拙、自身の事だ。 ハンナは拙が、どんな男であっても、拙の「唯一」に、なってくれると言ったね」
「ええ、そうですわ。 ルフーラ様が、ルフーラ様であれば。 あの「星空の誓い」が、本物ならば、たとえ貴方が一介の商人であろうと、小舟の船長さんであろうと、海を縦横に駆け巡る人である事に違いは無いのですから」
「……海を縦横に駆け巡る人…… か…… そうだね。 そこは違いない。 実はね、拙は……」
ハンナ嬢の部屋から絹を裂くような悲鳴が響き、侍女、執事、そして、ダクレール男爵が、駆けつけのは、そう時間は経っていなかった。
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