手の届く存在

スカーレット

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本編

譲れない闘い

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「大輝、脇が甘い。舐めたらしょっぱいかもしれないけど」
「……味覚の話はいいんだよ!」

タコ坊主との邂逅から一週間が経っていた。
変わらず朋美の表情は暗い。
暗いまま、クリスマスは控えめに行われた。
あんなに明るかった朋美が、今や見る影もない。

そんな中、俺は春海に稽古をつけてもらっていた。
場所は春海の家の庭だ。
バトルにおける実力も、春海の方が俺より数段上なのは出会った頃からわかりきっていたし、タコ坊主に再戦を挑もうと言うならこれくらいはしておかないと万に一つの勝機もない、と俺は判断した。

今回、クリスマスはもう諦めた。
しかし年越しは笑って過ごしたい。
そのための稽古でもあるのだ。

俺の考えた作戦は至ってシンプルなものだ。
タコ坊主に再戦を挑むに当たり、俺が勝てたら俺の願いを無条件で承諾してもらう。という提案をする。
もちろん呑んでもらえない可能性もある。
そのときは別プランに移行する。
どんなものかって?
……行き当たりばったりに決まってるだろう。

「もしかしたら、どっちも出番こないかもしれない。その時は臨機応変にね」

そうなったらそうなった時考えたらいい。
今回に限っては、大事なのは過程ではなく結果だ。
タコ坊主ではなく、朋美に、俺と春海が朋美をどれだけ大事に想っているのか、ということを伝えること。
それが今回の作戦の趣旨だった。

「ほら、そこでそんなに大振りな攻撃はダメ」
「わわわっ!!」

俺の回し蹴りがいとも簡単に受け止められ、空いたわき腹にフックが入る。
今回の稽古は寸止めではなく、実際に当てるスタイルを取っている。
この方がより感覚も研ぎ澄まされるし、いざという時に体も動きやすいという春海の提案だった。

「ごほっ……」
「どうしたの?もう終わり?」
「ま、まだまだ……」
「そう来なくちゃ」

春海は楽しそうだ。
俺は当然実力差もあるのでそれどころではないのだが、楽しんでいる部分もあるのかもしれない。
態勢を立て直し、構える。
集中しろ……こいつに一撃あてるってだけでも相当大変だ。

「らあっ!」

右ストレート気味の正拳を打ち出す。
これはもちろんフェイントだ。
受け止めようと春海が手を出したところで引っ込め、そのまま横蹴りに移行。

これなら……!!
当たる、と言った手応えを確信した俺に、油断が生じる。
当然それを春海は見逃さなかった。
春海がニヤリと笑い、体ごと俺の側面に移動した。

そして。

「一回やってみたかったんだ」

体の捻り、足の踏ん張り、踏み込み、全てが完璧な掌底が俺の身体にめり込む。

「かはっ……」

衝撃に呼吸が止まる。
通背拳……だと……。

「おま……鉄拳チ○ミかよ……本格的すぎ……」
「ああ、知ってるんだ鉄拳チン○」
「そこを伏せるんじゃない!!作者に怒られるぞお前!……ごほっごほっ……」

つい勢いよくツッコミお入れてしまい、咳き込む。

「喋らないで。今動くのは危険だから」

本当にとんでもない使い手だ。
本当は馮宝宝フウホウホウって名前だったりしない?
俺、宝姉って呼んだ方がいい?


「何か……日に日にボロボロになってない?」

春海との稽古が始まって数日経ったある日、朋美が見かねたのか心配そうな顔をしていた。

「なぁに、男には戦わなきゃいけない時があるんだよ……こんなのは勲章だって」

嶋さんの名曲が頭に流れる。
しかし言葉とは裏腹に痛みは激しく、春海の稽古が半端でないことを物語っている。

「大輝、一体何してるわけ……?」
「へへ、内緒。ま、お前の為ではあるけどな」
「まさか……お父さんにまた挑むつもりなの?やめときなって!殺されちゃうよ!!」
「大丈夫だから、朋美は安心してていいよ」

そして更に時が経過する。
春海との稽古は熾烈を極めたが、その分だけ俺自身の実力も大分上がっているのを感じる。
もちろん春海に比べたら、そりゃまだまだだとは思う。

あいつは何というか、仙人クラスではないだろうか。
館長を以てしても、春海には敵わないのではないかと推測される。
春海の強さはあらゆる理屈を凌駕している。

上手く説明できないが、これが一番しっくりくる表現だった。
恐らく俺が一生かけて鍛錬を積んだとしても、あの領域には達することができないだろう。

「大分動き、良くなってるよ」

俺にスポーツドリンクを渡しながら春海が言う。
ほめられているはずなんだが、イマイチ本人がそれを実感できていない。

「ありがとよ。それでも実力差まだまだあるけどな」
「んー、それは仕方ない。それに大輝の敵は私じゃなくてタコ坊主でしょ?」
「まぁな。けど、目の前の壁が高いだけに、超えようって努力だけはしときたい」
「いい心がけだね。こないだまでとは別人ってくらい反応速度も上がってるし、勘も大分良くなってるね」
「俺に刻まれた傷の数々のおかげだな、そりゃ」

骨折こそしていないし、しない様に加減してくれてるのだろうが、それでも打撲は数え切れないほどにしている。
それらを増やさない様、重ねない様に避けたり受け流したりということにも注力してきた。
視野も少し広がった気がする。

「いよいよ、だね」
「ああ……ここまできたら、やるしかないな」

そして迎えた大晦日。
時刻は夕方五時過ぎ。
事前に朋美に予定を聞いて、家にいることは確認している。
春海は終わった後でくることになっている。

「よし」

朋美の住む団地の、八二三号室前。
呼吸を整えてインターホンを押す。
すると中からバタバタと音がした。

「どなた?」

小柄な女性が出てくる。
あれ、あのタコの嫁、こんな可愛いの?
世の中何か間違ってる!

「あ、えっと……朋美さんのクラスメートの、宇堂大輝と言います。突然すみませんが朋美さんは……」
「ああ、あなたが……ってことは、お父さんにも用事かな?私、朋美ちゃんのお母さんです。よろしくね」
「こ、これはご丁寧に、こちらこそよろしくお願いします」

可愛らしいというか、ほんわかした感じのお母さんだな。
ますますもってタコにはもったいない。

「小僧てめぇ!朋美だけじゃなく俺の嫁にまで色目使ってんのか!!」

出た。
昔のおっさんって、怒鳴れば良いと思ってるからめんどくさいよな。

「何処をどう見たらそう見えるのかわからないけど、そんなんじゃない。つーか話あんだけど。朋美にも」

何でだろう、この人を前にすると俺も自然と口が悪くなってしまう。
相手の態度を鏡映しにしちゃうの、悪い癖だなと思う。

「こないだの意趣返しか?いいだろう、少しはマシになってるみたいだしな。けどおめぇ、戦う前からボロボロじゃねーか、そんなんで戦えるのか?」
「こんなの、何の問題もねぇよ。何処でやるんだ?」
「きな、近くに空き地がある。年末だし、この時間じゃ誰もこねーだろ」

おっといけない、お母さんには一応断っておかなければ。
こんな可愛い人に心配かけるわけにはいかないからな。

「忙しい時期なのにすみません、旦那さんと娘さんお借りします」
「ええ、よろしくね」

この人はこれから何が起こるのか、大体予見してそうだ。
三人でエレベーターを使って降りる。
エレベーターの中では無言だった。

きっとこの人のことだから、俺の言いたいことなんか解ってるんだろう。
それでも、ここで引くわけにはいかない。

「さて、どうすんだ?いきなり始めるのか?話があるってんならそっち先でもいいぞ」

この男の態度は、大人の余裕ってやつだろうか。
一瞬はイラッとするが、抑えてタコ坊主を見据える。

「朋美を俺にくれ、って言ったら怒るか?」

俺はいきなり切り出す。
朋美がハッとする。
同時に顔が赤くなるのが見える。

「ちょっと、大輝……?」
「ははっ、ガキが何生意気言ってんだ。そもそもまだ結婚できる歳じゃねーだろ」
「それでも、俺は朋美を手放したくない。あんたは笑うかもしれないけど、この歳の、ガキの俺なりに真剣なつもりだ」
「……決意は変わらねぇ様だな」
「当然だろ」
「そうか……若いってのは、いいなぁ」

しみじみとタコ坊主が言う。

「だが、男なら欲しいものは拳で勝ち取りな。それが出来なきゃ、諦めてもらう。そもそも最初からそのつもりだったんだろ?」

何もかもお見通しってわけか。
タコ坊主が構える。
以前棒立ちだったのが、構えを取っている。
俺が多少なりとも成長したのを認めたということか。

「行くぞ!!!」

かけ声と共にタコ坊主に向かって全力疾走。
その距離二メートル強と言ったところか。
拳を振り上げ、パンチ打ちますよ、の動作を取る。

タコ坊主が腕を上げたのを確認して、咄嗟に報告を変える。
タコ坊主攻略の作戦の一つが速さでかき回すことだった。
一瞬でタコ坊主の側面に回り込んで、膝を叩き込む。

わき腹に入ったが、大したダメージにはなっていない様だ。
軽く息をついて俺に手招きをする。
それでも、以前のパンチよりは効いたのかもしれない。

「やる様になったじゃねぇか。それでも俺には勝てないと思うが」
「そうかい、そりゃ光栄だな」
「打ってこいよ。どんだけ成長したのか、見てやる」
「言われなくても!!」

どれだけ時間が経っただろうか。
おそらくそこまで長い時間ではないはずだ。
ただ拳が肉を、骨を、殴る音だけが交錯していた。

お互いの拳が、お互いの顔を捉える。
体重の差もあり俺が吹っ飛び、倒れた。
善戦はしたつもりだったが、届かなかったか。

「もういい、よくわかった。頑張ったじゃねぇか、大輝よぅ。もう起きてくるな、寝てろ」

多少の痛みはあるのだろう。
顔を少し歪めながらタコ坊主が笑う。
初めて名前呼ばれたか、そういえば。

「くっそ、化け物だな本当……」
「お前と俺とじゃ、くぐった修羅場の数が違い過ぎるんだよ」
「大輝……」

朋美は俺に縋り付いて泣いていた。
こんなとこでも朋美を泣かせてしまった。
作戦失敗かな……。

「大輝、もういいよ……もういいから……」
「おい大輝。おめぇ、本当に朋美に惚れてんのか?」
「当たり前だろ……惚れてもない女にここまでするとか正気じゃねぇよ」

もう殴りかかる気力も体力もない。
かろうじて受け答えが出来ていることが、奇跡と言える。

「朋美に対して本気だってことを伝えるにゃ、これしか思いつかなかったんだよ。ここまで無様に負けることは想定してなかったけどな……」
「そうか……俺はな、大輝よ。お前のこと、少し見直したよ。根性あるし、肝も据わってると思う。朋美のことを任せるなら、お前しかいねぇってさえ思う。だからな」
「お父さん……?」
「朋美をここに置いて、ってわけには悪いがいかねぇ。まだ朋美は子どもだしな。だから、お前朋美を迎えにこい。絶対。そしたら、朋美はお前にやるよ」
「えっ……?」
「何だよ、不満か?認めてやるって言ってんだ」

正直、想定外だった。
朋美に、ここまで俺はお前を想っているぞ、って伝わればそれで満足のつもりの作戦だった。
それが予想を遥かに上回る結果になった。

「お前ほど根性ある男なら、渡しても惜しくはねぇよ。だから、必ずこいよ」

そう言うとタコ坊主は俺に向こうの住所が書かれた紙を手渡した。
もしかしてこのおっさん、俺に最初からこれ渡そうとしてたのか?

「大人になったお前が、朋美を迎えにくるまで、朋美の虫除けは俺がしてやる。来なかったら、ぶっ殺すぞ」

笑顔で恐ろしいことを言うタコ坊主。
この人なら本気でやりかねない。

「わかった、必ず行くよ。そのときまで、朋美のことは頼む」
「言われるまでもねぇ。それとそこの嬢ちゃん。もう出てきていいぞ。朋美、年越しは三人でするんだろ?早く支度してこい」

がっはっは!と笑いながらタコ坊主は団地に消えて行った。
春海はいつからか潜んでいたみたいだが、それにもタコ坊主は気付いていたということか。

「あー、ありゃ相手が悪いね。私でも少し苦戦するかも」

タコ坊主を見送って一言、春海が言う。
そんな相手に挑んでたとか、チートでも使わなきゃ勝てる訳がない。

「お前が苦戦とか……」
「だってさっきの、大輝に合わせてくれてたよ」
「やっぱそうなのか……」
「それがわかっただけでも成長だよ。大輝、お疲れ様」
「バカだよ本当……何でここまでするの……?」
「言ったろ、俺は春海も朋美も大事なんだ。離したくない。例え一時期離れることになろうとも、俺はまた必ずお前を迎えに行くからな」
「うん……うん……!」

ほぼ号泣と言った様子で、朋美が涙を流す。
何はともあれ、これで一段落できるってことになるのだろうか。

「ほら、そろそろ支度しようぜ。年越しソバに間に合わなくなっちまうから」

春海に肩を借り、ゆっくり立ち上がって荷物を拾う。

「春海は何かトンボ返りみたいになって悪いな」
「気にしないで。噂のタコ坊主見れて満足したから」
「タコ坊主って……お父さんのこと?ぷっ……おっかしい!」

朋美が心底おかしいと言った笑い方をした。
久し振りに朋美の笑顔を、見た気がする。

「今度言ってみよう」
「あ、ちなみにタコ坊主って最初に言ったの大輝だから」
「あ、裏切り者!余計なこと言うなよ!殺されたらどーすんだ!!」
「大丈夫だよ。武骨に見えて、認めてる人には寛大だから。あそこまで気に入られた人、多分今までそんなにいないんじゃないかな」
「へ、へぇ……」

こんあになってまで頑張った甲斐、少しはあったってことかな。
得たものの大きさを考えたら、この程度の傷は大したことないよな。
朋美が一旦荷物を取りに行っている間、俺と春海は一階のエントランスで朋美を待つ。

「カッコ悪いけど、カッコ良かったよ、大輝」
「いやぁ、ありゃどう贔屓目に見ても無様だろ」

春海に手当てをされながらの会話。
こいつ本当に何でもできるな。

「失いかけて、やっと朋美に本気になれた?」
「そもそも浮気のつもりないけどな……浮気禁止だし」
「二人に本気、なんて本当ジゴロだよね」
「ジゴロってお前……本当は何歳なの?」
「私も、二人に本気だけどね。きっと朋美もそう」
「ああ、わかってる」

「お待たせ……本当に痛そう……あとで沢山慰めてあげるからね」

朋美が心配そうに言う。
慰められたら興奮して余計痛んだりしませんかね……。

「そうだね、私も沢山慰めてあげる、大輝タラシ
「屈辱のルビありがとう!!」

こうして俺たちは年の最後の日を、春海宅で迎えることとなった。
最後だけは作戦通り、笑って過ごせそうだ。
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