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月夜
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「だってなぁ、おかしぃとおもーない?アイコふって何!?ふざけてるよね!」
夕暮れ時の最中、郊外の、人通りもまばらな街並み。飲み屋もなく。
しかし住宅街というわけでもない、言うならば“国境の長いトンネルを抜けると雪国であった”の一説が彷彿とする景色だった。
だからと言ってトンネルがあるわけでも雪国でもない東京の地方の、木が普通よりも繁った見映えの、店や建物が少ない鬱蒼とした道の矢先。
場所は行きずりの書店。風景に相応しい年期の入った頑丈な木造の奥行と味のある佇まい。
立て掛け式の看板には達筆なのか雑なのかわからぬ字で「ナミカワ書店」と書かれている。どうやら、個人経営のこじんまりとした本屋のようである。その店から、この“鬱蒼”には似つかわしくないような姦しい声が木々に吸収されていく。
「だかぁ、あたしゃ言ったったよ、んなもん吸うくらいなら葉巻買っとけアパレルクソ野郎ってなぁ!」
きっちりと整えられた、本屋にしては埃もないような店内、しかし棚は古い。
そんな店内の真ん中に設置された、おそらく客が本でも読むためであろう、その和風な店内に似つかわしくない洋風の白いテーブルの上に、乱雑に置かれたシェイクスピアと四分の一ほど減ったのが見受けられる「黒龍」の一升瓶と取っ手が猫の尻尾になったマグカップ。
座る、オレンジ色のエプロンをつけた地味な色の服を来た20代前半くらいの、肩下カールの明るく茶色い髪の泥酔した女。
彼女の前の番台には、店主である20代前半の黒髪の色白な青年が頬杖をつきながら怠そうに着流しの裾を気にしていた。
実際彼の心理はとても怠い。何せ昼から、幼馴染みである泥酔気味のこの女、桐野さつきの相手をしているのだから。
しかしその話は延々繰り返された話題の中で初登場だ。あいこふとは果たしてなんだろうかと、青年は手元の用語採集カードに書き留めようとして、目についた灰皿に驚愕した。物凄い量のセブンスターが消費されている。
これはマズい。明日腹を壊す。一日精々5本、執筆中にしか吸わない。それをなんだこの量は。軽く倍はある。これはマズい。セブンスターから黒龍にシフトしなければ明日腹を壊す、絶対に。
そんな中、18時を知らせる“夕焼けこやけ”が辺りに流れた。
チャンスだ、店の看板をしまおう。ここで一旦さつきと青年の会話は途切れる。
「あぁ、もぉそんな時間?」
「さつき、あのさ」
「あいあい、看板ねー。あー、これでやっと飲めるなぁ蛍ちゃん」
「うん、待ってて」
番台から立ち上がり蛍はクロックスを突っ掛けた。それにさつきが大爆笑している。いい加減慣れて欲しい。というかそのシェイクスピア五巻は果たして買うのだろうか。
寒さが少し目立ってきた季節の変わり目。若草色の羽織と紺色の着流し。少し夏っぽいかもと、ぼんやり思いもしたがまぁ、いいか。
外に出てすぐ、人影に気が付いた。真っ直ぐここへ歩いてくる、見慣れた長身。
こんな時間に迷いもなくここへ向かってくる人物は限られてくる。
蛍は、一瞬で人物を判断しつい、気付かないフリをして看板に視線をわざと落とした。
看板をしまい、シャッターを閉めようとした時、
「待った待った、待ってよ蛍ちゃぁん!」
相手が漸く情けない声を掛ける。そして早歩きになった足音。
蛍はうざったそうに顔をあげ、「お前か」と相手に言い捨てた。
改めて顔を上げ相手をじっくり見ると、黒スーツに水色シャツの白ネクタイ。
なんという胡散臭さ。
その長身で、少しだけ肩幅ががっしりとし、精悍な顔立ちの男。怠った無精髭のせいか、火垂ると前回会ったときよりも三歳くらいは老けたように思える。
会ったのは少し前のはずだがなんだその様変わり様は。
もともと粗野で面倒臭がりな男だが、今のお前はなんだ、チンピラかよと蛍は内心で相手にツッコむ。
男は蛍の目の前までやって来ると大袈裟に曲げた両膝に手を付き、呼吸を整えるフリをしている。そうやって男が背を屈めて漸く、蛍は男の身長を越した。
「閉店時間なんです、営業はお断りしています」
「冷ぇな、違ぇよ」
「何どうしたの」
「てかお前どうしたよその足元は」
こんな蛍の微妙な差に気付くのは、この男だけだろう。ずばり、クロックスなのだ。前にこいつと会った時は、ちゃちいなんかよくわからないゴム草履だったのだが。
「破けた」
「だからさ、」
「あっ、」
そんな他愛のない話をすれば、半飼い猫の状態の薄汚れた白猫のかぐやがふらっと現れ、ちらっと蛍を見上げて真横までやって来てはすらっと清ますように、店の中に入っていく。
「久しぶりに来たなぁ」
薄らと、微かに笑ってかぐやを見つめる蛍は儚げ。それに魅入るように、男がしばらくぼーと眺めてしまっていると、ふいに自分に向けられた蛍の笑みに一瞬反応が遅れてしまった。
夕暮れ時の最中、郊外の、人通りもまばらな街並み。飲み屋もなく。
しかし住宅街というわけでもない、言うならば“国境の長いトンネルを抜けると雪国であった”の一説が彷彿とする景色だった。
だからと言ってトンネルがあるわけでも雪国でもない東京の地方の、木が普通よりも繁った見映えの、店や建物が少ない鬱蒼とした道の矢先。
場所は行きずりの書店。風景に相応しい年期の入った頑丈な木造の奥行と味のある佇まい。
立て掛け式の看板には達筆なのか雑なのかわからぬ字で「ナミカワ書店」と書かれている。どうやら、個人経営のこじんまりとした本屋のようである。その店から、この“鬱蒼”には似つかわしくないような姦しい声が木々に吸収されていく。
「だかぁ、あたしゃ言ったったよ、んなもん吸うくらいなら葉巻買っとけアパレルクソ野郎ってなぁ!」
きっちりと整えられた、本屋にしては埃もないような店内、しかし棚は古い。
そんな店内の真ん中に設置された、おそらく客が本でも読むためであろう、その和風な店内に似つかわしくない洋風の白いテーブルの上に、乱雑に置かれたシェイクスピアと四分の一ほど減ったのが見受けられる「黒龍」の一升瓶と取っ手が猫の尻尾になったマグカップ。
座る、オレンジ色のエプロンをつけた地味な色の服を来た20代前半くらいの、肩下カールの明るく茶色い髪の泥酔した女。
彼女の前の番台には、店主である20代前半の黒髪の色白な青年が頬杖をつきながら怠そうに着流しの裾を気にしていた。
実際彼の心理はとても怠い。何せ昼から、幼馴染みである泥酔気味のこの女、桐野さつきの相手をしているのだから。
しかしその話は延々繰り返された話題の中で初登場だ。あいこふとは果たしてなんだろうかと、青年は手元の用語採集カードに書き留めようとして、目についた灰皿に驚愕した。物凄い量のセブンスターが消費されている。
これはマズい。明日腹を壊す。一日精々5本、執筆中にしか吸わない。それをなんだこの量は。軽く倍はある。これはマズい。セブンスターから黒龍にシフトしなければ明日腹を壊す、絶対に。
そんな中、18時を知らせる“夕焼けこやけ”が辺りに流れた。
チャンスだ、店の看板をしまおう。ここで一旦さつきと青年の会話は途切れる。
「あぁ、もぉそんな時間?」
「さつき、あのさ」
「あいあい、看板ねー。あー、これでやっと飲めるなぁ蛍ちゃん」
「うん、待ってて」
番台から立ち上がり蛍はクロックスを突っ掛けた。それにさつきが大爆笑している。いい加減慣れて欲しい。というかそのシェイクスピア五巻は果たして買うのだろうか。
寒さが少し目立ってきた季節の変わり目。若草色の羽織と紺色の着流し。少し夏っぽいかもと、ぼんやり思いもしたがまぁ、いいか。
外に出てすぐ、人影に気が付いた。真っ直ぐここへ歩いてくる、見慣れた長身。
こんな時間に迷いもなくここへ向かってくる人物は限られてくる。
蛍は、一瞬で人物を判断しつい、気付かないフリをして看板に視線をわざと落とした。
看板をしまい、シャッターを閉めようとした時、
「待った待った、待ってよ蛍ちゃぁん!」
相手が漸く情けない声を掛ける。そして早歩きになった足音。
蛍はうざったそうに顔をあげ、「お前か」と相手に言い捨てた。
改めて顔を上げ相手をじっくり見ると、黒スーツに水色シャツの白ネクタイ。
なんという胡散臭さ。
その長身で、少しだけ肩幅ががっしりとし、精悍な顔立ちの男。怠った無精髭のせいか、火垂ると前回会ったときよりも三歳くらいは老けたように思える。
会ったのは少し前のはずだがなんだその様変わり様は。
もともと粗野で面倒臭がりな男だが、今のお前はなんだ、チンピラかよと蛍は内心で相手にツッコむ。
男は蛍の目の前までやって来ると大袈裟に曲げた両膝に手を付き、呼吸を整えるフリをしている。そうやって男が背を屈めて漸く、蛍は男の身長を越した。
「閉店時間なんです、営業はお断りしています」
「冷ぇな、違ぇよ」
「何どうしたの」
「てかお前どうしたよその足元は」
こんな蛍の微妙な差に気付くのは、この男だけだろう。ずばり、クロックスなのだ。前にこいつと会った時は、ちゃちいなんかよくわからないゴム草履だったのだが。
「破けた」
「だからさ、」
「あっ、」
そんな他愛のない話をすれば、半飼い猫の状態の薄汚れた白猫のかぐやがふらっと現れ、ちらっと蛍を見上げて真横までやって来てはすらっと清ますように、店の中に入っていく。
「久しぶりに来たなぁ」
薄らと、微かに笑ってかぐやを見つめる蛍は儚げ。それに魅入るように、男がしばらくぼーと眺めてしまっていると、ふいに自分に向けられた蛍の笑みに一瞬反応が遅れてしまった。
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