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定時制も終業し現場検証やらの色々な面倒事を片付け、漸く一息吐いた頃。
ケータイ画面を見れば22時半過ぎ。そのまま着信が入り「はい、一之江です」と出れば、看護師はゆったりとしたわかりやすい口調で、昼間半殺しになった3人の親御さんが見え、帰宅したことを一之江に告げた。
「遅くまですみません。ありがとうございます」
顔も思い浮かばないような相手に対し、一応は自分のなかでの丁寧な応対をして電話を打ち切った。多分声は若くはない、女性だった。勤続どれくらいだろう。ずっとウチなら、対応としては微妙だったかもしれない。
「うぅっ…、」
ぼんやりと、浮かびそうになった見たくもない今は亡き相手を想いそうになったとき、意識の中に痛烈な微睡みの唸りが聞こえて、一之江はデスクから後ろを振り返る。
あれから寝たり起きたりを繰り返す少年が、空虚に、しかし苦しそうな呼吸で自分を見ていた。
仕方がない。今日は仕事を投げ出そう。
「ダメそうか」
答えない。わかってる。答えられないのだ。
立ち上がり、少し空いたベッドの端に腰掛け、少年を見守る。
ふと見上げて、それで息を荒げる彼の副作用は最早、仕方がない。自分がしでかしたものだ。
そもそもうつ伏せというか、こんな時横向きなのも感心しないな。
そう思って一之江は取り敢えず少年の身体を仰向けに倒す。その腕を弱々しいながらに軽く触れてきて何かを言いたそうに、ビー玉のような目で見つめる心理は、わかってやれるようなやれないような。
試しにそのまま膝枕をしてみれば、少し、苦しいながらも笑ったような気がして。
まぁいいかと、少年の腹に手を置き、「息吸えるか?」と訪ねれば、その手に自分の熱くなってしまった手を重ね、「よー、ちゃん、は?」と聞いてくるのだった。
「別に俺は」
「はぁ、だい、じょうぶ?」
なにを心配してるんだろうか。
「怠惰、」
聞こえていたのか。
「真樹、俺は」
「そんな顔、しないで」
その苦しそうな少年の笑顔に。
心臓を鷲掴みにされたような気がした。
それから、その空虚なまでの茶色い瞳に魅入っていれば、伸びてくる腕に目につく無数の傷がついた左手首。哀しいほどの微睡みがそこに見えるような気がして、自分はどうするべきかと一之江は戸惑いを覚えた。
ケロイド、その手が震えてぎこちなく、耳元から髪を撫でるそれはどうしようもなく胸が痛んだ。単純にそれを受け入れてやれるだけの度胸がないなと、一之江はその手を、しかし注意して取り、目を閉じて感慨。
わからない。わかってやれないんだ俺には。
「…うぜぇ」
大人のくせに。
微睡むように真樹が小さく「…うん」と言うのが居たたまれなくなりそうだ。
どうしたって昼間の傷心は一之江のそこにある。
一度目を開けたその彼の目に、やはり悲しみは感じ取れた。それがわかった瞬間、一之江を撫でた手首に痛みが走った。爪を、立てられたようで。
「…っ、」
だが真樹は暴力には慣れている。それを淡々と見つめるくらいに。引っ掻かれる感触が真新しい。
だけどこの手を引っ込めてはいけないような、そんな気がするのだけど。
「痛いよな」
一之江はそれだけ言って真樹から手を離し、立ち上がって棚からなにか、恐らくは救急箱を漁っているのが見えた。
酷く、哀しい。その背中。
「…よう、ちゃん?」
「…薬は飲んだか真樹」
「…はぃ、あの、」
「どうした」
やはり救急箱だった。振り返った一之江のその手は木箱のようなそれを手にしていて、今度はベッドに座って真樹の左手を取り、淡々と処理していく。
呼吸は痛みでより、熱い。
「っぁあ、はぁ、っ、はぁ、」
自分の手首に包帯を巻く一之江の手にも、自分の血がついているのが、生々しい。
思い出される、あの、新緑に赤と不自然な、あれは。
黒い、ビニールシート。
「ぁっ、は、うぅ、」
「真樹、深呼吸」
夕焼けに照らされたちゃぶ台に、無数のビールやらワンカップやらごちゃごちゃしていた。アンモニアの異臭がごった返して。
そして白かった、所々の鬱血と陥没しかけたような、あれが所謂、前頭葉。
でも、綺麗な肌。だけどどうしてか、いつも抱き締めてくれるあの柔らかみなんて感じなくて。
『てめえ、見やがったな』
背後が凄く、酒臭くて。それから首筋に、蛞蝓が通ったようなあの湿った悪寒とそれからの、暴力的な衝撃。見上げなくても切り替わった、天上。そして視界はポリエステルで息苦しくて、黒くなって。
あぁ、それから。
誰かが耳元で言う。
その寂寞から殺してやるよ、だからちゃんと死んでくれ。
身体の衝撃は、あれは。
「いやぁぁ!」
「落ち着いて」
「暗い、苦しっ、ご、ごめんなさい、殺して、もう、痛い、母さん、母さん…!」
「真樹、おい」
至極冷静に努めようと。身体を抱えるように泣き叫ぶ真樹に、ならば一層と、一之江はベットに乗りだし、馬乗りになって拘束。恐怖で硬直した隙に真樹の細い首に両手を掛けた。
「いっそ殺してやるよ、何度も、何度でも。
お前の悲痛を愛せないのはお前だけだ。楽になっちまえ。俺はお前を愛せるさ」
真樹が聞いたか聞いてないかわからない。
だが、少し抵抗するようにその手を、払い除けようとしてきたのを見て、一之江は力を加えるのをやめた。脱力して隣に寝転び、抱えるように抱き締めた。
「深呼吸、吸って、吐いて」
漸く声が届き始めた。小さく肩が指示通り動き始める。
しばらく続ければ、規則的な寝息のような呼吸が聞こえ、漸く一息吐いた。思わず背中を撫でる。
「はぁ…、」
疲れたが。
安心感が漸く胸を占めた。単によかった。
ケータイ画面を見れば22時半過ぎ。そのまま着信が入り「はい、一之江です」と出れば、看護師はゆったりとしたわかりやすい口調で、昼間半殺しになった3人の親御さんが見え、帰宅したことを一之江に告げた。
「遅くまですみません。ありがとうございます」
顔も思い浮かばないような相手に対し、一応は自分のなかでの丁寧な応対をして電話を打ち切った。多分声は若くはない、女性だった。勤続どれくらいだろう。ずっとウチなら、対応としては微妙だったかもしれない。
「うぅっ…、」
ぼんやりと、浮かびそうになった見たくもない今は亡き相手を想いそうになったとき、意識の中に痛烈な微睡みの唸りが聞こえて、一之江はデスクから後ろを振り返る。
あれから寝たり起きたりを繰り返す少年が、空虚に、しかし苦しそうな呼吸で自分を見ていた。
仕方がない。今日は仕事を投げ出そう。
「ダメそうか」
答えない。わかってる。答えられないのだ。
立ち上がり、少し空いたベッドの端に腰掛け、少年を見守る。
ふと見上げて、それで息を荒げる彼の副作用は最早、仕方がない。自分がしでかしたものだ。
そもそもうつ伏せというか、こんな時横向きなのも感心しないな。
そう思って一之江は取り敢えず少年の身体を仰向けに倒す。その腕を弱々しいながらに軽く触れてきて何かを言いたそうに、ビー玉のような目で見つめる心理は、わかってやれるようなやれないような。
試しにそのまま膝枕をしてみれば、少し、苦しいながらも笑ったような気がして。
まぁいいかと、少年の腹に手を置き、「息吸えるか?」と訪ねれば、その手に自分の熱くなってしまった手を重ね、「よー、ちゃん、は?」と聞いてくるのだった。
「別に俺は」
「はぁ、だい、じょうぶ?」
なにを心配してるんだろうか。
「怠惰、」
聞こえていたのか。
「真樹、俺は」
「そんな顔、しないで」
その苦しそうな少年の笑顔に。
心臓を鷲掴みにされたような気がした。
それから、その空虚なまでの茶色い瞳に魅入っていれば、伸びてくる腕に目につく無数の傷がついた左手首。哀しいほどの微睡みがそこに見えるような気がして、自分はどうするべきかと一之江は戸惑いを覚えた。
ケロイド、その手が震えてぎこちなく、耳元から髪を撫でるそれはどうしようもなく胸が痛んだ。単純にそれを受け入れてやれるだけの度胸がないなと、一之江はその手を、しかし注意して取り、目を閉じて感慨。
わからない。わかってやれないんだ俺には。
「…うぜぇ」
大人のくせに。
微睡むように真樹が小さく「…うん」と言うのが居たたまれなくなりそうだ。
どうしたって昼間の傷心は一之江のそこにある。
一度目を開けたその彼の目に、やはり悲しみは感じ取れた。それがわかった瞬間、一之江を撫でた手首に痛みが走った。爪を、立てられたようで。
「…っ、」
だが真樹は暴力には慣れている。それを淡々と見つめるくらいに。引っ掻かれる感触が真新しい。
だけどこの手を引っ込めてはいけないような、そんな気がするのだけど。
「痛いよな」
一之江はそれだけ言って真樹から手を離し、立ち上がって棚からなにか、恐らくは救急箱を漁っているのが見えた。
酷く、哀しい。その背中。
「…よう、ちゃん?」
「…薬は飲んだか真樹」
「…はぃ、あの、」
「どうした」
やはり救急箱だった。振り返った一之江のその手は木箱のようなそれを手にしていて、今度はベッドに座って真樹の左手を取り、淡々と処理していく。
呼吸は痛みでより、熱い。
「っぁあ、はぁ、っ、はぁ、」
自分の手首に包帯を巻く一之江の手にも、自分の血がついているのが、生々しい。
思い出される、あの、新緑に赤と不自然な、あれは。
黒い、ビニールシート。
「ぁっ、は、うぅ、」
「真樹、深呼吸」
夕焼けに照らされたちゃぶ台に、無数のビールやらワンカップやらごちゃごちゃしていた。アンモニアの異臭がごった返して。
そして白かった、所々の鬱血と陥没しかけたような、あれが所謂、前頭葉。
でも、綺麗な肌。だけどどうしてか、いつも抱き締めてくれるあの柔らかみなんて感じなくて。
『てめえ、見やがったな』
背後が凄く、酒臭くて。それから首筋に、蛞蝓が通ったようなあの湿った悪寒とそれからの、暴力的な衝撃。見上げなくても切り替わった、天上。そして視界はポリエステルで息苦しくて、黒くなって。
あぁ、それから。
誰かが耳元で言う。
その寂寞から殺してやるよ、だからちゃんと死んでくれ。
身体の衝撃は、あれは。
「いやぁぁ!」
「落ち着いて」
「暗い、苦しっ、ご、ごめんなさい、殺して、もう、痛い、母さん、母さん…!」
「真樹、おい」
至極冷静に努めようと。身体を抱えるように泣き叫ぶ真樹に、ならば一層と、一之江はベットに乗りだし、馬乗りになって拘束。恐怖で硬直した隙に真樹の細い首に両手を掛けた。
「いっそ殺してやるよ、何度も、何度でも。
お前の悲痛を愛せないのはお前だけだ。楽になっちまえ。俺はお前を愛せるさ」
真樹が聞いたか聞いてないかわからない。
だが、少し抵抗するようにその手を、払い除けようとしてきたのを見て、一之江は力を加えるのをやめた。脱力して隣に寝転び、抱えるように抱き締めた。
「深呼吸、吸って、吐いて」
漸く声が届き始めた。小さく肩が指示通り動き始める。
しばらく続ければ、規則的な寝息のような呼吸が聞こえ、漸く一息吐いた。思わず背中を撫でる。
「はぁ…、」
疲れたが。
安心感が漸く胸を占めた。単によかった。
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