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欲動
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自宅に着いたのはまだ21時台、恐らく3マンライブの主催バンドが終わるか終わらないかの頃合いだった。
あの女は再び観戦に戻ったのだろうか。
先程、スマホから声以外の音はしなかったし帰宅したと聞きはしたのだが、明かりが漏れるリビングの扉の硝子に「本当なんだな」と実感した。
風呂場からじゃぶじゃぶと音がしていた。案外、帰って間もないのかもしれない。
「ただいま」
リビングに彼は見当たらなかった。
ただ、すぐ側の寝室から「おかえり」と聞こえる。
やはり今、帰ってきたのだろう。すでにコンタクトではなかったが。
同居人はスーツの上着に消臭剤を降り掛けていた。
ギターケースの外ポケットから“例のアレ”を取り出し、「はい」と相手も見ずに翳す。ギターをスタンドに立て掛けた。
しかし、なかなか受け取らないなと相手を見ればモゾモゾ、シャツの手元のボタンを外している。
眼鏡には確実に“それ”が映っている。
光の加減で茶髪が少し、淡く見えた。
「客席でミキさんって人から貰った」
「そゆことね」
ボタンを外し終え“それ”を受け取った同居人は「どんな人」と尋ねてくる。
「女の人。多分…クライシスのファンではないかな、観てなかったし。俺も初めて見た顔だから、もしかすると主催のバックスの客…なのかなぁ…?」
「手慣れた感じだった?」
「かもしれないけど…。一応サブカルっぽい格好、水色ショートの。でもわからないな、単純に売人が入り込んでたのかも」
「なるほど。やっぱり鼻声だな」
「…臭いを嗅いだ瞬間、鳥肌が立ちました」
「覚醒剤系かぁ」
「相手の連絡先、交換しときましたよ」
「SNS?」
「はい」
彼が心底楽しそうに笑う心理はいまいちピンとこない。
彼はいつでも状況を楽しむのみだ、これも別に正義感なんかではない。ただの、仕事。
彼はふと、頬に触れてきた。
機嫌も良さそうに「流石だねぇ、探知くん」と面白がる。
「…よくあることですから」
「バンド野郎ってよく言うよねぇ、酒と女と薬って」
「…それ、どっちかって言うとヤクザ屋さんだと思いますけど」
「はは、じゃあ今日はその女とも何もなく、江崎さんにもまだなんだ?」
恐らく、こちらの行動をわかっていて言ってきているのだ。
「江崎さんには明日とか、話したいってメールしました」
「SNSか…IP開示請求しなきゃな…でも、江崎さんの出方も見たいなぁ。風呂先入って良い?」
ポリ袋をつまんで眺めそう言う男に「どうぞ」と素っ気なく返す。
張り込みか何かはわからないが、どうやら最近、同居人は残業が続いているようだ。
「それともたまには一緒に入る?」
「…残業だったんでしょ」
「まぁね。おかげで火薬臭くて」
特に掘り下げもしない空気。
ポイっとポリ袋を返してくる彼にとっては、本当のところ後回しにしたいほど興味もない話題だったのかもしれないし、ただ単に今、大きな案件があるのかもしれない。
彼、平良誠一は厚労省で期待の若手役員をやっている。
所謂、麻薬取締官だ。慧はこれに飼われている。
誠一が風呂に消えたので、改めて入手したタバコを眺め、写真に残す。
着信履歴から江崎の名前を探し、メールに添付し送信履歴を削除した。
別に、削除しようがしまいがあまり意味もないのだとは知っているけれど、何故か、こういうことは後ろめたい、いや、気持ちが悪くてそうしてしまう。
帰宅途中に呼び掛けたせいもあってか、「どこで手に入れた?」とすぐに返信が来た。
この画面の向こう側が職場なのだとしたら、江崎は今頃即、部下達にスマホを見せ「どこのかわかるか?」等とやっているのだろう。
自宅ならば自分のように、こうしてリビングで無表情に…もし女がいるならば相手には見えないように身を翻しながら送信ボタンを押したかもしれない。
…自宅だとわかるだろうに、次の返信では「平良には?」だなんて返ってくる。
誠一の態度よりは意味が含まれる気がする、けれども簡素な文面。
この瞬間の駆け引きが一番緊張する。一歩間違えば死ぬのではないかという程に。
ただ、今の手の震えは演奏のせいの手首への負荷だと思うことにした。
何て言ってる?
特に何も
まぁわかった
互いに感情は読めないけれど、「待ってる」という一文が入って来るだけで、何故か印象すら錯覚しそう。
別に、自分を待っているわけではないはずだけれど。
出会った日に、俺は君を守らないとね、と言った誠一の一言よりも真実を感じるような気がしてしまう。
彼らの一言一言にそれ以上の意味があるわけではないかもしれなくても、最初に声を掛けてきたのが江崎だったからかもしれない。
寝室、レフトギターとスーツが掛かっているのをぼんやり眺める。
…どちらかと言えば、誠一にしても江崎にしても、結局自分を介して互いにしか意味を見出だしていないのだけど。
どちらだったか、その方が良いんだと言っていた。確かにその通りだと思う。
自分も随分と飼い慣らされているな。
あの女は再び観戦に戻ったのだろうか。
先程、スマホから声以外の音はしなかったし帰宅したと聞きはしたのだが、明かりが漏れるリビングの扉の硝子に「本当なんだな」と実感した。
風呂場からじゃぶじゃぶと音がしていた。案外、帰って間もないのかもしれない。
「ただいま」
リビングに彼は見当たらなかった。
ただ、すぐ側の寝室から「おかえり」と聞こえる。
やはり今、帰ってきたのだろう。すでにコンタクトではなかったが。
同居人はスーツの上着に消臭剤を降り掛けていた。
ギターケースの外ポケットから“例のアレ”を取り出し、「はい」と相手も見ずに翳す。ギターをスタンドに立て掛けた。
しかし、なかなか受け取らないなと相手を見ればモゾモゾ、シャツの手元のボタンを外している。
眼鏡には確実に“それ”が映っている。
光の加減で茶髪が少し、淡く見えた。
「客席でミキさんって人から貰った」
「そゆことね」
ボタンを外し終え“それ”を受け取った同居人は「どんな人」と尋ねてくる。
「女の人。多分…クライシスのファンではないかな、観てなかったし。俺も初めて見た顔だから、もしかすると主催のバックスの客…なのかなぁ…?」
「手慣れた感じだった?」
「かもしれないけど…。一応サブカルっぽい格好、水色ショートの。でもわからないな、単純に売人が入り込んでたのかも」
「なるほど。やっぱり鼻声だな」
「…臭いを嗅いだ瞬間、鳥肌が立ちました」
「覚醒剤系かぁ」
「相手の連絡先、交換しときましたよ」
「SNS?」
「はい」
彼が心底楽しそうに笑う心理はいまいちピンとこない。
彼はいつでも状況を楽しむのみだ、これも別に正義感なんかではない。ただの、仕事。
彼はふと、頬に触れてきた。
機嫌も良さそうに「流石だねぇ、探知くん」と面白がる。
「…よくあることですから」
「バンド野郎ってよく言うよねぇ、酒と女と薬って」
「…それ、どっちかって言うとヤクザ屋さんだと思いますけど」
「はは、じゃあ今日はその女とも何もなく、江崎さんにもまだなんだ?」
恐らく、こちらの行動をわかっていて言ってきているのだ。
「江崎さんには明日とか、話したいってメールしました」
「SNSか…IP開示請求しなきゃな…でも、江崎さんの出方も見たいなぁ。風呂先入って良い?」
ポリ袋をつまんで眺めそう言う男に「どうぞ」と素っ気なく返す。
張り込みか何かはわからないが、どうやら最近、同居人は残業が続いているようだ。
「それともたまには一緒に入る?」
「…残業だったんでしょ」
「まぁね。おかげで火薬臭くて」
特に掘り下げもしない空気。
ポイっとポリ袋を返してくる彼にとっては、本当のところ後回しにしたいほど興味もない話題だったのかもしれないし、ただ単に今、大きな案件があるのかもしれない。
彼、平良誠一は厚労省で期待の若手役員をやっている。
所謂、麻薬取締官だ。慧はこれに飼われている。
誠一が風呂に消えたので、改めて入手したタバコを眺め、写真に残す。
着信履歴から江崎の名前を探し、メールに添付し送信履歴を削除した。
別に、削除しようがしまいがあまり意味もないのだとは知っているけれど、何故か、こういうことは後ろめたい、いや、気持ちが悪くてそうしてしまう。
帰宅途中に呼び掛けたせいもあってか、「どこで手に入れた?」とすぐに返信が来た。
この画面の向こう側が職場なのだとしたら、江崎は今頃即、部下達にスマホを見せ「どこのかわかるか?」等とやっているのだろう。
自宅ならば自分のように、こうしてリビングで無表情に…もし女がいるならば相手には見えないように身を翻しながら送信ボタンを押したかもしれない。
…自宅だとわかるだろうに、次の返信では「平良には?」だなんて返ってくる。
誠一の態度よりは意味が含まれる気がする、けれども簡素な文面。
この瞬間の駆け引きが一番緊張する。一歩間違えば死ぬのではないかという程に。
ただ、今の手の震えは演奏のせいの手首への負荷だと思うことにした。
何て言ってる?
特に何も
まぁわかった
互いに感情は読めないけれど、「待ってる」という一文が入って来るだけで、何故か印象すら錯覚しそう。
別に、自分を待っているわけではないはずだけれど。
出会った日に、俺は君を守らないとね、と言った誠一の一言よりも真実を感じるような気がしてしまう。
彼らの一言一言にそれ以上の意味があるわけではないかもしれなくても、最初に声を掛けてきたのが江崎だったからかもしれない。
寝室、レフトギターとスーツが掛かっているのをぼんやり眺める。
…どちらかと言えば、誠一にしても江崎にしても、結局自分を介して互いにしか意味を見出だしていないのだけど。
どちらだったか、その方が良いんだと言っていた。確かにその通りだと思う。
自分も随分と飼い慣らされているな。
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