天獄

二色燕𠀋

文字の大きさ
上 下
37 / 48
天獄

3

しおりを挟む
 多分、そろそろ事は動いただろう。誠一は、例の店に入った。

 下北沢の都市開発は、随分前から警戒の視野に入っている。

 若者の街と知られるここはしかし、自治体やその他大人が占めている。
 非常に奇妙で…カオスな街並みだと、昔から思っていた。

 雑多な街、ごちゃごちゃしていて足を踏み入れられない。趣味も何も、勉強以外にない抑圧された青春には、程遠い場所でしかなかった。

 青春、そんなものはいつの間にか過ぎていて、羨望もなかったその街を素直に「良いな」と一言で片付けた男がいる。

 初めて、眩しく感じたその場所は、暗い客席だった。

 ここに来るといつも思い出す。始まりみたいなものを。自分が、随分根暗だと思い知らされた瞬間だった。

 たった、それだけ。
 だけど、確かに自分は素直ではない。 
 
 重い腰を上げるように、地下の店へ入り込んだ。
 外はそれなりに晴れている、しかし、階段のせいだろうか、「Open」の扉の向こうは電気が点いているが暗く感じられる。

 ある程度、自分は正義というものに飼い慣らされていた。スカスカの文章をそれなりの重さで提出してきている。

 ただ、答え待ちなだけで。

 改めて、案外気が短い人間だったなと、何故か足を踏み入れたいま、まるで全てが終わったような心境に至ったことに驚いた。

 そんなわけがない。まだ。
 あと、一歩ある。

 ぼんやりと、タバコを吸う青年がこちらに気付き「あ、」と言った。
 若者の割には随分…死んだ目をしていると感じられた。

「いらっしゃいませ~」

 やる気もない雰囲気。

 …アクセサリー屋と聞いたがなるほど、何かを精製しようとしても不可能じゃないな。
 独特の匂いというのも感じられないし、これじゃ弱い。

 向かいのカウンターに座ると、波瀬は灰皿を出してきた。
 店を見る限り、展示してある商品は少ないが、金属加工もやっているらしい、恐らく自作だ。
 -CH3。しかし、これは暴論だな。だったらさっさと、こうして別の物を売った方がいい。

「どうも」

 タバコを出して火を点ける。
 波瀬は向かい側で「ご依頼ですか」と、無愛想に聞いてきた。

「サンプルはこのショーケースと…パンフも一応作ってあるけど、お客さんあんま飾り気ないね、寝不足じゃないですか?」

 そう言って少し、こちらを眺めてくる。

 …あぁ、なるほど。得体が知れないと判断したのか。

 「ま、ゆっくり」と、奥に引っ込もうとしたので「波瀬亮太」と名前を呼んだ。

 いきなり明け透けにフルネームで呼ばれたせいもあるだろうし、得体を計りかねたせいかもしれない。
 波瀬はふっと、睨むように振り向いた。

「…なんです?いきなり」
「最近残業続きでな」

 一度受理された慧の処方箋をひらっとショーケースに置いた。
 じっと見た波瀬は固まったが、しかしふっと笑って「あぁ、そう」と言った。

「一回貰ってるもんみたいっすけどね。へぇ、随分と泥臭い人が来たもんだ」

 わかってる口調だな。
 まぁ、そりゃそうか。

 やり取りも面倒だしと、あっさり手帳を見せれば「マトリさん、ね」と彼は動揺すらしなかった。

「ホントに来たんだな」
「そうだな。せめて店の看板にわかりやすく薬局だと記して欲しいな。
 最も、ここの購買履歴は0だったが。そういうの、脱税って言うんだぞ」
「まぁ、確かにあんま広がんないんすよね。お陰で密売にはならないようだけど。まさか単身で来るって、危ないっすよ」
「外に仲間がいるもんなんだよ。それだから落ちるんだ。お国さんは結構厳重だったろ?」
「まぁそうっすね。よく受かりましたね嘘でしょ、人員少ないのに大変だ」
「それで、話を聞くか?」
「ホントはいま暇じゃないんですが、まぁいいっすよ」
「メチルフェニデート」

 波瀬は壁に凭れ腕を組みながら「あーね」と言った。

「捕まります?」
「さぁ?所持なら取り敢えずいまは取り上げておこうかなと」
「なるほど。そうですね。立ち入り段階じゃないってことだ。
 あんた見た目クールそうだけど、結構激情タイプなんすね」
「人情派と広めて欲しい。仕事じゃ随分皮肉な愛称がついてるんで」
「……なるほど?ん?」
「買ってやるよ、俺が」

 それを聞いた波瀬はまたピタッと固まったが、しかし、「…はははは、」と笑い始めた。

「…博打に出ましたね。なるほど…慧は個飼いです?それとも、知らない?」
「どっちでもないな」
「……あぁ、そう来るんだ。ふーん、随分なアドレナリンジャンキーだなと思ったんだけどな。そっかそっか、ドSな彼氏はあんたか。腹黒いんだか人情派なんだか、わかりませんね」
「そうか?」
「そんな古典的と言うか、なんだろうな、子供っぽく来られると謝るしかないな、すんませんね、腕の件は」
「…腕?」

 じっと固まりポロっと「あれ、誤爆した?」と波瀬が砕ける。

「……流石に色々立て込むと判断能力もなくなるな…キメるかな、リタリン」
「注意力欠乏には正しいな。それなら取り上げるのは難」
「…どゆこと?あんたが彼氏じゃないの?」
「興味あるのか?」
「…んー、やっぱいいや、はいそうですなんて言われたら、この場であんたを殺しそうな気がするし。流石に捕まりたくないからなぁ」
「充分現状でも縄掛けられるぞ」
「まぁそうねぇ…確かに、それならお宅に飼われた方が良い気がするが、俺以上のバカは初めて見たな」
しおりを挟む

処理中です...