天獄

二色燕𠀋

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天獄

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「疑っても裏切ってもメリットデメリットがないからですよ」

 ポカンとしたまま、しかしどうも、瞳孔が開きまるでふらっと脱け殻のように言った慧にあれ、と、再びタバコを落としそうになった。

「……は?」
「あんたはどうなんですか」

 実は、それってシンプルなものなんだなと…無の境地に近くなりそうだったが…。

「…ちょっと待って、うん、危ねぇどっか行きそうになった。え、メリットデメリットってなんだ?それ」
「…利点と」
「あーそうじゃないそうじゃない。
 え、そう来たかうーん…俺もか?それ」
「はい」

 …何この感じ。

「…じゃあ聞き方を変えよう。俺を信用するメリット、デメリットは…?」
「死ぬか死なないかですよ」

 え、ちょっと待っておかしいこいつと思う反面、あぁそうだな、そうだわ、こいつ…あぁ、そうだわ、とストンと落ちた。

「一番平和じゃないですか」
「……は?」

 ギリっと噛む。
 何も知らないでよく言いやがるな、こいつは。

「…どこがだよ、」

 思ったよりも、低い声が出た。
 ズバッと、心に傷を付けられたような気がした。

「…パンクだなぁ話しが通じねぇ…お前ホント複雑…なんなんだその倫理観は。生き死にから教育かぁ?」
「ヤクザ屋が言うの?」
「流石にヤクザでも言ったわ。平和なヤツはいいよなホント、憎たらしいわここまで来ると」
「そうやって」
「慧」

 …それは、シンプル克つ、

「はっきり言う、お前はこれでお払い箱だ、もう俺の前から消えろ。わかったな?」

笑顔でのしつけた。

「…なんで」
「金もやる。安心しろお前を殺すこともない、そんな手を使ってパクられちゃ困るからな。わかったら犬はお家に帰んな」
「ヤだ、」
「さっきから意味わかんねぇよ、あぁ!?」

 俺ってそういうヤツなの。悪いけど。

「…新さん、」
「いーから帰んな。多摩、50…300万ほど用意しろ。どうだ、もっといるなら」
「えっ、と…」
「いーから早くしろよ面倒臭ぇな見てわかんだろ朝から機嫌も悪ぃんだ、金庫に入ってっから」
「いらない」

 んっとに…いちいちなんなんだよ。

「俺が金握らす意味わかんねぇのかこのバカは。金やるから知らぬ存ぜぬで」
「……ごめんね、そっか。
 じゃあ、銃ある?死のうと思う」

 …空気が変わった。
 慧は一見ずっと脱け殻だ、なのにたった一言で、一気にピンと糸が張る。

「……はぁ?」

 不覚にも、声が震えた。
 慧は寂しそうに「俺のせいだね」と畳み掛けてくる。

「…意味わかんねぇけど」
「…じゃあ…、死にたい、どの道ずっとそうだった。神様も助けてくれないし、早く死にたい。こんなの生きててもしょうがないし、殺して?ねぇ、埋めちゃえばいいじゃん、新さん」

 暫し見つめ合ったその目は酷く…澄んでいてただ、俺はこいつを裏切ったんだと、頭のどこかでそう言った。

「…あぁ、そう」

 多摩を見てただ手を出せば、少し戸惑っているし「会長、」と部下たちが一気に殺気立つ。

 それを一瞥し多摩に手で催促すると、様子を伺うようにかたっと、手にオートマチックが置かれた。

「ほら、」

 受け取った慧はまじまじと…まるでおもちゃを見るように眺めるのだから、少し肩透かしを食らう気分。

 …こいつ、多分いまネジ2本くらい飛んじゃってるんだろう、単純に。

「あーあーはいはい、どうせ使い方も」

 慧はカチャッと、無機質にスライドを引いた。
 呆気に取られていた部下たちがカシャッと銃に手を掛けた音が、微かに鳴る。

 それでも至ってマイペースに、ハンマーを摘まんだりなんだりして上げようとしている慧の様に流石にヒヤッとし、「バカかお前は!」とついつい取り上げてしまった。

「…俺、マトリの犬だったんだよ?教わった」

 頭を抱えたくなる。

「…んっとに碌でもねぇな…。
 あのな、お前バカなのか?お前だけじゃねぇぞ300万は。んなんじゃ、じゃあいま工事中のトビもいるし日光あたりはどうだ?冬には綺麗な雪景色だ」
「へぇ、東京湾じゃないんだ」
「東京湾でも良いけどな、俺がヤクザになってから見たことない。じゃぁ、ご家族はどんなところが」
「……殺してくれるの?」

 慧はまるで、ポカンとそう言った。

「……は?」
「…孤立した母親だけだよ。多分まだ福島ふくしまか…長野ながので、死んだ祖父母の家にしれっと住んでるか。どっちにしろ碌でもないから新さんがやらないなら自分でやる、波瀬さんからなんか、ちょろまかしてもいいや。どこか、知らないところで」
「何言ってんだ、おい、」

 どうも、慧の瞳孔は断固として動かない。

「本気だよ。誰だってよかったけど…甘やかされてたね、このっ……ヤクザの癖にっ!」

 徐々に声を上げてそう言った。
 まるで狂気…いや、これはもう、情緒不安定だ。

 パッと慧が動く、ただそれだけで緊張感が場に走っている、それは一切たゆまない。

 どんどん絞められていく空気の中、慧は感情的な態度でギターケースをその場に置く、舎弟の指がいまにも吊りそうだというのもわかる。
 慧はギターのペグをくるくる回し、慣れた手付きで一本を引っこ抜いた。

「…な、」

 なんだ、何が起きる?と頭が追い付かないまま、慧は引っこ抜いた弦をくるくると首に巻き、一度ぎゅっと両手で引っ張った。

 つい立ち上がった江崎をハッキリと睨み付けたまま、慧はその手を一度離し、もう一本、もう一本、と追加で弦を引っこ抜く。
 それを足して首に巻いた瞬間「会長!」と多摩が叫んではっと我に返った。

 慧は弦を引っ張りながらもはぁ、はぁ、と力足らずに手を震わせている。

 …そうか。
 全部を背負った爆弾はお前だったか、慧。
 そうだったな、そういえば。

 「おい」と呼べばそれでも睨みながら「…ぅ撃てばぁ?」と、歯をキリキリと…苦しそう、泣きそうになっていた。
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