天獄

二色燕𠀋

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天獄

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「…左手、力足りなそうだけど」
「…撃てば?」
「話の通じねぇガキだな」

 はぁ、はぁ、と、何度も、何回も歯を食い縛り力を入れている。

 きっとそれじゃ…ただ苦しいだけで終わらない、わかっているだろうに。考えればどうしても、やはり感情は捨てられなかった。

「…エフェドリン」
「……は?」

 ゆったり、煙草に火を点ける。

「それ自体はシャブじゃねぇ、風邪薬だ。よかったな、この一件で知れたよ」
「は…?」
「まーぁ?それ自体は意味もねぇよ?どういう経緯だか知らねぇが、医療ミスか?国によっちゃぁ宗教的なあれで使う高尚なもんらしいぞ。
 どうだ、お前の死ぬ方法だ。どんな気持ちになる?」

 とまらない、その凶器は。
 ポカンとして見上げるその目はもう、綺麗な涙目だった。

「…いくらでもその辺にあるのに。誰も言わなかったんだろ。苦しいよな。知ってみて、どうだ?合法的に死んで良いぞ、お前」

 腹の底に声が溜まる。
 慧は一度顔を歪め「…くっだらな、」と吐き捨てた。

「俺もそう思う」

 煙草の火を消し、銃のハンマーをあげ、何も容赦なく慧の側へ発砲した。

 ビクッとした慧を襲うように押し倒す。
 見上げ、それでもまた弦を手にする泣き顔の慧に、もう止めることは出来なくなっていた。

 拳銃を床に捨て、ぐっと両手でその細い首を掴み、力を込める。
 慧が眉を寄せ、咳すらも出ない状態になった瞬間、「会長、やめてください!」と多摩が力強く腕を掴んでくるが、払い除ける、思ったよりも力が籠っていた。

「…止めんじゃねぇっ!」

 ただ、ただ両手に余るその生温さに汗を握る。
 …血の匂いが染み込んだ。
 あともう一歩。あともう一歩で骨でも折れるかもしれない。

 苦しみ、薄目を開けた慧の腕がぴくっと動いた、漸く抵抗するのかこの野郎はと思えば、その手が震えている。
 それが頬へ来て、何故か…苦しそうに笑い「ご……ね」と言うのだから…一瞬怯んでしまった。

 喉の動きで息が、浅瀬から深くなっていくのがわかる。こいつは、こいつはいま生きているのにと、油断が頭に流れ込んできた。

「…ず…っ…と、」
 
 …完全に油断した。
 手が痺れそう、力が、力なんてと、手が震えてくる。

「……傷、付けたっ、」

 ハッキリと涙腺が崩壊した慧ははぁはぁと、過剰に息を吸っている。
 けれども切れ切れに「母親…は、薬を、く、薬を、う……たっ、俺に、」と語り始めていた。

 完全に怯んだ江崎に変わり、また慧は弦に触れようとするが、「待て、最後に聞いてやるよ、」と…どうやらその手を包んでいた。

 はぁはぁ、はぁ、はぁ、と嗚咽も混じりながら息を戻すまでそのまま、「息をしろ、深めに、」と言っている自分が、一体何かわからない。

 少しずつ回復させ、少し疲れたようだ、慧はぐったりと諦めたように息をし、溢れた感情で江崎を見上げた。

「知らな……っぅままっ、神父…ぁんか、に、犯された、……っぁ、それを、母…はっ、……喜んだ。
 でも、苦しくて、眩し、ぉれはなんで、生まれ、きた、…こんなことのために、っぁとは…、でも何もない、死ぬだけなのかと思ったら、……っもう、…耐えられない、どこに、いるの?いていいの?
 …楽しいこと、……っ苦しいことを、汚してく、全部、ぜんぶ、傷付けて、それでも世界は………置いていくんだ、…誰のためにもなれない、っく、ごめんねぇ、こんな、……、でも、ぃ生きてるって……っ感じたかった……っ!苦しくて……もう、ただ、ただ死にたくてしょうがなくなる、助けて、欲しくて…!」

 熱くなり泣きながらまた辛うじて死のうとする慧に「そもそもっ、」と言葉を一度止める。

 息を、呑み込んだ。
 そんなことが、ずるずる足を、引き摺りやがる。

「そもそも、俺がお前を側に置いておきたくない、」
「……そうっ、」
「聞けよ。
 そんな気持ちで生きてるやつに、……俺が与えた全ても…染み込んでる、それが、死にたくなるほど悲しい、」

 もう、ダメだ、これ。 
 殺しちまえ、そんな怠惰。

 視界がぶれる。その水中の先にいるそれが酷く…どうしてこんなことになったんだ、こんなにも、こんなにも綺麗で痛々しい風景がただ、馬鹿馬鹿しくて溢れていく。

「ふざけんなよ、お前のせいじゃねぇんだっつの……っ、」

 あの日に見た慧はただ純粋そうに…輝いて歌っていた、眩しかった。
 そこから客席はどう見えるんだろう。暗い、こちら側は。そんなことを良い歳して考えた。
 非常にそれが…楽しいもんだな、なんて、考えた自分が。

 そんな闇が、そこにはすでに、あったんだ。

「どうして皆いちいち、捨てようとするんだろうなぁっ、」

 ぐっと、慧の胸に額を押し付けた。まるで、頭を抱えているようなその背はひくひくと波打っている。
 徐々にそれは嗚咽になり、ただ言葉を呑み込めずにいる。

 何が出来る、言えるというんだ。こんなにも悲しい現実に。

「どうして、どうして俺なんかがよかった、何が悪かったんだ慧、」
「…わかんない…、わかんないけど、悪くない、痛くて仕方ない、俺は、貴方といても…」
「俺は…死にたくねぇんだよっ、」
「…うん」
「お前にも、死なれたくない。……わがまま言うなよ、お前はっ」

 その熱さの中でただ震え、「…わかったぁっ、」と、慧は江崎のその背にしがみついた。

「…ごめんなさい…、ごめんなさい。
 貴方は、いつだって俺に……くれてたんだね」

 顔を上げた江崎の小さな黒子。

 俺はこの人を裏切ったのかと、慧はせめて、生温い涙を舐めてやるが、またそれは意味もなくなってしまった。

 温かい、互いに血塗れで…だからだろうか。

 いつの間にか立場は逆転していた。慧が江崎の背を撫でる。

 どうして、どうしてと、いままでずっと、飲み込めずつかえていた。

 血液が減り冷えた頭で少しまわりを見回す。彼の部下は戦意も喪失し、どうやら、息を何度か呑むような状態だった。
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