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酒場の閑居と情緒
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「あ、亀ちゃん」
と、あたしに気付いた依田がふと顔を上げて言うが、次には首をかしげ、「どしたの…?」と声を潜めた。
「あ、ごめん急に…」
「…まいいや。
雀三悪い、ちょっと出て来てもいい?」
「いや…。
兄さん、私が出ていきましょ。ありがとうございました。そろそろ穂咲兄さんも、いらっしゃいます」
「…悪いな。師匠、多分暇しとるさかいに」
「はい。いえ、私が勝手を頼んだので。では」
ジャクソンくんは依田に両手をついて頭を下げ、出て行こうとするのと共に、「どうぞ姉さん」と、中へ促してくれた。
しかし依田はふと皮肉そうに顔を歪め、「なにしてんの?」と、トゲのあるような口調で言ってきた。
「まぁまぁ兄さん」
「まぁ座れば?」
「ささ、どーぞどーぞ…」
去ろうとしていたジャクソンくん、なんだかピリッとした空気に仕方なし、とばかりにあたしを依田の前へ座らせ、自分は扉を背にして真ん中へ正座する。
「なんで来たの亀ちゃん」
「いや…」
言われてみれば。
わからん。
「…用がないなら迷惑なんだけど。大体どうしたのスタ錬。染みったれた顔してここに来てなんだい?まさか、辞めたとかくだらないこと」
「辞めた」
「はぁ?」
ジャクソンくんが目に見えてわたわたし始める。
「うん、辞めちゃった」
「…自信満々にほざくね湿気た面して。なによそれ」
最早不貞腐れてきた。
「ケンジとTOSHZOUが付き合うことになって解散しようとかほざいたから辞めてきた」
「えっ、」
予想外のあたしの返答に、今度は依田がどうやらわたわたし始めた。
「なっ、」
「私セクシャルヤバイやつらしいよ。んで、MINAが遅刻してきてよかったー、お前に言うわーって。
ケンジが実はゲイなのは知ってたんだけどフラれて、腹いせにTOSHZOUと昨日致したら付き合うことになったから解散しよって」
「ちょっ、亀ちゃん」
ちらっと依田がジャクソンくんを見る。なんとなくジャクソンくんが俯いたのは視界の端で見えたが気にしない。
「気付いたらここ来た」
「うん、うん、」
「あんたにはわかんないかもしんないけど」
「うん、うん?」
「あたしの気持ちなんて、やっぱわかってくんない」
バカみたい。
正座して握った膝の上で震える手がウザイ。なんだっていう、こんなとき。
「いや、亀ちゃん、」
「もういいごめん邪魔して。帰る」
「まぁまぁ…」
「確かに亀ちゃんの気持ちなんてわかるけどわかんねぇ」
「兄さん、ちょっと」
「甘ったれてないのはわかったよ、どうしようもないのもわかったよ、けどどうすんのそれでいいのかって」
「うるさい」
「は?」
「うるさいなぁ、わかってるよんなこと、けど、」
「けどもなんもないよね、じゃぁSM一本で食ってくんだな?好きでもねぇのに、くだらねぇだけ残して、ずるずると、気乗りのしねぇ情事みてぇな生活か、応援できない、なんも輝いてないそろそろ三十路の女、婚活でもして安定しろよ生温いな」
「言い過ぎだって、雀次兄…」
「うるさいうるさいうるさーい!」
思わず飛び掛かるように依田の胸ぐら?懐掴んで怒鳴ってしまった。背負ったベースが邪魔だ。壁に立て掛ける。
「お前に何が、わかるってんだクソ文楽ぅぅ!」
「うわ、ちょ、」
「侵害だなこのクソアマぁ!」
しかし依田は案外優しく自分の、三味線を弾く手を、胸ぐらを掴んでしまったあたしの震える手に制するように重ねてきた。目だけはいつも通り凛としていて、ただ口角は歪むように右だけ上がっていたのが、怖い。
「雀三、悪いんやけどお引き取りお願いしてくださいな」
「えっ、兄さん、」
「亀田さん、俺はなぁ、
あんたほど甘い気持ちで業界愛してるわけちゃうねんな、お宅と違うてこっち、職人やさかい、あんたの話、聞いてる暇なんてなぁ、」
「雀次、」
ふと、聞き覚えある、聞き取りやすい声がドアから聞こえて。
あたしを通してその人物を見た依田は、ふと微笑もうとした、それだけで人物は想定出来たが。
「先代鵜志師匠、亡くなったぞ」
その一言で。
「えっ、」
ジャクソンくんの声は変わり、「雀次兄さん、」と切迫した。
依田の顔はふと一瞬、驚きがあったように見えたが、ジャクソン君が切迫して振り返った頃には、「はぁ、」と、今まで依田と出会ってきて、あたしが見たことのないほどの無感情さでそう漏らした。
「雀次、」
そう言う穂咲兄さんすら、少し依田に厳しい目だが、少し哀愁も見え、震えるような唇で何かを言いたそうに、しかし睨むばかりで。
なんだ、これは。
「…雀次兄さん…、
お父上じゃないですか、あんた、」
「えっ、」
驚愕した。
そして。張りつめた空気の理由がわかった。
しかし依田は至極淡々と言う。
「そんなもの、とうの昔にいまへんわ」
そのあまりに冷たい視線で弟分に言う依田に、『鬼の雀次』を見た気がした。
「話はそれだけでっしゃろか」
「…じきに雀生師匠が来るだろう。多分、喪主の件やら、何やら…」
「師匠のお手を煩わせることもない。
雀三、悪いが遣いを頼まれとくれやす。ここへは籠っていると。そうさなぁ」
と、あたしに気付いた依田がふと顔を上げて言うが、次には首をかしげ、「どしたの…?」と声を潜めた。
「あ、ごめん急に…」
「…まいいや。
雀三悪い、ちょっと出て来てもいい?」
「いや…。
兄さん、私が出ていきましょ。ありがとうございました。そろそろ穂咲兄さんも、いらっしゃいます」
「…悪いな。師匠、多分暇しとるさかいに」
「はい。いえ、私が勝手を頼んだので。では」
ジャクソンくんは依田に両手をついて頭を下げ、出て行こうとするのと共に、「どうぞ姉さん」と、中へ促してくれた。
しかし依田はふと皮肉そうに顔を歪め、「なにしてんの?」と、トゲのあるような口調で言ってきた。
「まぁまぁ兄さん」
「まぁ座れば?」
「ささ、どーぞどーぞ…」
去ろうとしていたジャクソンくん、なんだかピリッとした空気に仕方なし、とばかりにあたしを依田の前へ座らせ、自分は扉を背にして真ん中へ正座する。
「なんで来たの亀ちゃん」
「いや…」
言われてみれば。
わからん。
「…用がないなら迷惑なんだけど。大体どうしたのスタ錬。染みったれた顔してここに来てなんだい?まさか、辞めたとかくだらないこと」
「辞めた」
「はぁ?」
ジャクソンくんが目に見えてわたわたし始める。
「うん、辞めちゃった」
「…自信満々にほざくね湿気た面して。なによそれ」
最早不貞腐れてきた。
「ケンジとTOSHZOUが付き合うことになって解散しようとかほざいたから辞めてきた」
「えっ、」
予想外のあたしの返答に、今度は依田がどうやらわたわたし始めた。
「なっ、」
「私セクシャルヤバイやつらしいよ。んで、MINAが遅刻してきてよかったー、お前に言うわーって。
ケンジが実はゲイなのは知ってたんだけどフラれて、腹いせにTOSHZOUと昨日致したら付き合うことになったから解散しよって」
「ちょっ、亀ちゃん」
ちらっと依田がジャクソンくんを見る。なんとなくジャクソンくんが俯いたのは視界の端で見えたが気にしない。
「気付いたらここ来た」
「うん、うん、」
「あんたにはわかんないかもしんないけど」
「うん、うん?」
「あたしの気持ちなんて、やっぱわかってくんない」
バカみたい。
正座して握った膝の上で震える手がウザイ。なんだっていう、こんなとき。
「いや、亀ちゃん、」
「もういいごめん邪魔して。帰る」
「まぁまぁ…」
「確かに亀ちゃんの気持ちなんてわかるけどわかんねぇ」
「兄さん、ちょっと」
「甘ったれてないのはわかったよ、どうしようもないのもわかったよ、けどどうすんのそれでいいのかって」
「うるさい」
「は?」
「うるさいなぁ、わかってるよんなこと、けど、」
「けどもなんもないよね、じゃぁSM一本で食ってくんだな?好きでもねぇのに、くだらねぇだけ残して、ずるずると、気乗りのしねぇ情事みてぇな生活か、応援できない、なんも輝いてないそろそろ三十路の女、婚活でもして安定しろよ生温いな」
「言い過ぎだって、雀次兄…」
「うるさいうるさいうるさーい!」
思わず飛び掛かるように依田の胸ぐら?懐掴んで怒鳴ってしまった。背負ったベースが邪魔だ。壁に立て掛ける。
「お前に何が、わかるってんだクソ文楽ぅぅ!」
「うわ、ちょ、」
「侵害だなこのクソアマぁ!」
しかし依田は案外優しく自分の、三味線を弾く手を、胸ぐらを掴んでしまったあたしの震える手に制するように重ねてきた。目だけはいつも通り凛としていて、ただ口角は歪むように右だけ上がっていたのが、怖い。
「雀三、悪いんやけどお引き取りお願いしてくださいな」
「えっ、兄さん、」
「亀田さん、俺はなぁ、
あんたほど甘い気持ちで業界愛してるわけちゃうねんな、お宅と違うてこっち、職人やさかい、あんたの話、聞いてる暇なんてなぁ、」
「雀次、」
ふと、聞き覚えある、聞き取りやすい声がドアから聞こえて。
あたしを通してその人物を見た依田は、ふと微笑もうとした、それだけで人物は想定出来たが。
「先代鵜志師匠、亡くなったぞ」
その一言で。
「えっ、」
ジャクソンくんの声は変わり、「雀次兄さん、」と切迫した。
依田の顔はふと一瞬、驚きがあったように見えたが、ジャクソン君が切迫して振り返った頃には、「はぁ、」と、今まで依田と出会ってきて、あたしが見たことのないほどの無感情さでそう漏らした。
「雀次、」
そう言う穂咲兄さんすら、少し依田に厳しい目だが、少し哀愁も見え、震えるような唇で何かを言いたそうに、しかし睨むばかりで。
なんだ、これは。
「…雀次兄さん…、
お父上じゃないですか、あんた、」
「えっ、」
驚愕した。
そして。張りつめた空気の理由がわかった。
しかし依田は至極淡々と言う。
「そんなもの、とうの昔にいまへんわ」
そのあまりに冷たい視線で弟分に言う依田に、『鬼の雀次』を見た気がした。
「話はそれだけでっしゃろか」
「…じきに雀生師匠が来るだろう。多分、喪主の件やら、何やら…」
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