余寒

二色燕𠀋

文字の大きさ
5 / 16

5

しおりを挟む
 …不思議なものだ。

 夕飯を終えた柊造は、先日の大久保殺害の際に犯人が持っていた“斬奸状”なるものの写しを文机で眺めてはぼんやりと思う。

 その斬奸状には、岩倉いわくら具視ともみが率いた使節団から三人、岩倉具視本人と先日病死をした木戸きど孝允たかよし、伊藤博文、大隈おおくま重信しげのぶらが上がり、更には日朝修好条約の件で井上と共に動いた黒田くろだ清隆きよたかも記されている。
 狭い政府であれば、仕事を共にする機会はある、にしても名前が上がった者達は皆、井上馨と密接な関わりがある。だが、井上馨の名前はない。

 大久保暗殺の犯人、自首した6名から見れば井上は罪人ではないと言うことだ。そんな事実に気が重いような気もしてしまう。これは何故、よりによって井上がいないときに起こったのだろう。

 …考えすぎかもしれないが。

 …少し前に、敗戦で共に戦った上官の謹慎が解けたと聞いた。それは、伊藤が耳打ちのように伝えてきたことだった。
 斬奸状にいた“黒田清隆”がその上官を拾い、旧蝦夷えぞの地の測量などを任せているそうだ。

 黒田と共に活動した井上、ではなく何故伊藤がその話を自分にしたのかは定かではないが、その上官は自分の初めの上司になった男だった。
 居心地も悪く、自分はそれよりも遥かに上の地位にいる。

 アリシアが自分の膝元で静かで穏やかに寝ていることに目が行く。
 穏やかに眠るアリシアの髪は、鋤いていると絡まってしまいそうな柔らかい毛質だった。

 軍の時代を思い出す。ある日に地元の藩が同盟を結んだというのは、江戸の名家の、師範などをやっているような、そんな男だったらしい。

 その男は海軍訓練を習得していた。船に詳しい。しかし詳しいとは言っても、実践など、江戸幕府には経験がなかった。
 
 木戸、伊藤、井上と黒田、大久保。
 同郷など捨てたようなもの。

 海軍訓練をゼロから始めたような同盟国は、何度も船を沈ませたし、その上官は自身が思うほど慕われた男だったか、それは疑問だった。

 最終的に柊造は戦争で、「島田しまだ」という男の下に就いた。今頃、島田は謹慎の生活を強いられているのだと思う。
 柊造はそのきっかけで異国の銃器の使い方を学んだのだ。

 初めの上司だった男があっさり白旗を掲げた瞬間に柊造はただ、「終わった」とだけ、思った。
 勝ち越しても勝ち越し得た物を取られていき、結果「籠城だった」とはっきり見せつけられたとき、そうか、と思ったのだ。

 いや、本当はもう少し前からわかっていたはずだったような、気がする。いつからか、それは将軍が自分達を見捨てた瞬間からだったような、そんな気もする。

 …あの戦争をここまで掘り下げて思い出すとは、珍しい。たった、一人の話で。

 今日は感傷的なのかもしれないと考えると、「西郷さいごう隆盛たかもりの戦死」ばかりが書類から目に入るのだから、今日はやはり、仕事にもならないと書類を閉じる。

 黒田はこの戦争で退陣へ追い込まれるかもしれない。元々酒乱等、評判もよくないのだし。
 黒田は何を伝えようと井上ポストである自分へこの書類を寄越したのか。

 自分は、いまの処遇で井上の進退について、誰かの退路について述べることはしない。ただ受け流し井上に渡せばいい。

 少し疲れたなと、自分も休眠しようかと考える。
 考えすぎている自分の状況に、まるですがるかのようにアリシアがふと目を開けて「ちち、」と、寝惚けて言っては撫でていた手を掴むので座りっぱなしになってしまった。

「…起こしたか」
「…お疲れですか」
「いま寝ようと思っていたよ」

 そのままでまた目を閉じるアリシアに「参ったな」と聞こえもしない呟きが漏れる。
 どうも、アリシアの額は汗ばんでいると柊造は気が付いた。そんな時にはまた、あの時代へ思考は飛んでしまいそうなのだが、関係がない。この子供の歳を考えれば英国公使館焼き討ちなど、記憶にすら残らない事件だっただろう。

 どうやっていま自分がここにいるのか、多分誰も把握していない。聞かないのだ。
 この子供にしても同じ。特に自分は聞かないことにしている。だけど、アリシアは今何を考えるかというのを想像すると、この子供は明るい性格だと、時を忘れそうにもなる。

 手を離せなくなった体制に、仕方ないなと柊造はその場で慎重に雑魚寝をすることにした。
 側で寝れば不思議だ、記憶の寒さは過去の物で、アリシアは仄かに暖かい。
 ここに少しの暖かい事情が、いまはある。それが現状の自分かと、柊造は眠りについた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...