ポラリスの箱舟

二色燕𠀋

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シリウスに黄昏【企画外伝】

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 灯油ストーブがパチパチと音を立てていた。深夜よりも遥かに、寒さが増したような気がする研究室。
 自分が張り付くようにいる付近以外の窓には水滴が貼り付いていた。

寒いなぁ。
 
 腰が痛む。自然と屈んだ腰をぽんぽんと叩き、雨川は少し開けた窓から、外へ向けた望遠鏡を覗き込む。

 12月22日、まだ薄暗い早朝の南東。水星と木星はじりじりと接近している。その瞬間を捉えるため、雨川は南側に位置したこの研究室には6日から毎日朝方、張り込んでいるのだ。

 二つの星の観測自体は長期、6~24日まで出来るとしても、一番の接近は今日しかない。

 望遠鏡の先につけたCCDカメラのレンズを開けたまま1時間はこうしている。6時30分。いい頃合いかもしれない。

 星はいつでも動いている、それは当たり前だし、水星と木星接近なんて、冬あたりにはよくあることかもしれない。

 だけど、こうして研究以外だったとしても毎度ワクワクしてしまう。火星と木星だってそう。月と土星だって、そう。何年観測をしても同じものはない。

 そろそろ本格的にシャッターを切ろうと、腰を叩いていた手を掛けたときだった。

 こんこん、とドアから音がして、びくりと振り向いた。

「やぁ雨川くん」

 確かに慣れた登場だった、取れかけた寝癖のようなパーマ(というよりは癖っ毛だろう)で長身の男を確認する。にやけ面での登場だ。開けた扉に裏拳こんこんをしたようだ。

「…はぁ?」

 これには慣れたのだが、今日は何故来たのか、時間も早いし意味不明。だからこそ面食らった。

「はぁって…おはようでしょ?」
「…何用ですか南沢さん」

 ろくでもない男が来た、覚めた対応で雨川は南沢をあしらうことにしてまたレンズを覗き込んだ。

「…こんな時間に何用なの雨川くんは」
「天体観測です、いい感じなんで喋らないで頂けますか」

 答えないで南沢はストーブの前を占領した。この研究室は凍っている。雨川くん、君は寒くないのかと背中を眺めてみたが、何か弄った瞬間に鳴るぱしゃぱしゃに気が知れなかった。

「…暇なんじゃないかと思ったんだけど」

 というかそれ、望遠鏡じゃないのねどうやら。

 カメラの連射に任せた雨川がコートのポケットから今度は双眼鏡を出して空を眺めているようだ。夢中なんだろうと雨川の背中でも感じ取れる。

 暇ではないらしい。

 雨川の息遣いまで聞こえそうだ。髪を一度耳に掛けたその癖、少し青ざめたような、いや、赤らんだ横顔に、寒いだろうけど…と南沢の震えそうな言葉も尻尾を巻いた。
 自分が吐く息は白く雲のようだ。

 ふと、雨川が双眼鏡から目を離してしまい、カメラのぱしゃぱしゃスイッチを切り画像を眺め始めた。
 キラキラした子供のような目、期待した微笑に南沢は漸く「撮れたの?」と訪ねて立ち上がる。

「撮れましたね、がっちり」
「ふぅん」

 どれ?とカメラを覗き込んでやろうと顔を近付けても珍しく雨川は怒らずに「この辺ですね」と写真を見せてくれた。

「おぉ、なんとなくこれ、環がある気がする?もしかして木星とか?」

 ズームのせいか少しはそう、欠伸の涙が溢れない、くらいのピントかもしれないが、環のような、取り巻くなにか綿のようなものを纏った光と、それより小さい光とがあった。

「そう、それが木星」

 一枚、二枚と捲られるのだけど。

「…その連写は一枚目と二枚目の差がわからないねぇ」
「駒送りみたいな感じで…」

 次、次、と見せられる。
 さっぱりわからない。

「うーん…?」
「じゃあこの辺から」

 遡って、飛んでしまってはいるが確かに、あぁなるほどこの光は近付いているのかと、「近付いてる?」と南沢は確認を取った。

「そう、こっちが水星」
「水、金、地、火、木…え、そんなことあるの?」
「ありますよ」
「凄い、」

 意味を噛み締める。

「え、凄いね、マジで?」
「実際にはこう…各々距離がなんでしょう…。
 太陽からの距離がね、縮まったわけではないのですが、自転、好転の関係で地球からはそう見える、という感じです」
「あー、水、木、地、だとかになったわけではないってことね。流石に俺でもわかるよ雨川くん」

 あ、そうですか?と顔を見た瞬間に漸く「近っ!」と反応を見せる雨川が可愛いもんだなと、にやけそうになった南沢だが、「あ、ごめん」と素直に謝ることにした。

「そりゃそうじゃないの雨川くん」
「いや寒気がした」
「じゃぁ暖まろうよ暖房あるし」
「てゆうか何用ですか南沢さん」

 南沢がストーブへ促すように雨川の腰に手を回すが、カメラを持っているくせに「触んな変態」と肘打ちをされそうになり一歩引く。

 あまりの寒さに雨川は潔癖症を忘れ去ったらしい、しかし床にはつかずに座って暖を取り始める。

「いや、最近見ないから。てか診察来てないし」
「…よくここにいると嗅ぎ付けましたね。しかもこんな時間に。研究明けですか?」
「いまから俺の研究室に君を連れ去ろうと」
「言い方がなんかムカつくんで嫌です」

 こちらを見もしない。写真を確認しながらも無意識に腰を叩く雨川に「君、もしかして女の子の日なの?」と訪ねれば、盛大にドン引いた顔で見上げられてしまった。

 それも堪らない。

「…聞きますか普通」
「だって最近会ってないじゃない」
「これがあるんで」

 雨川はカメラを片手で降るように南沢に見せる。
 「またまた言い訳を~」と、待っていた口上に「は?」と塩対応をしてやる。
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