うたかたに燃ゆ

二色燕𠀋

文字の大きさ
5 / 22
序 一段目

傘屋娘の段 一

しおりを挟む
 流は裏長屋の、権平と襖一枚隔てた作業部屋で寝起きをすることになった。

 商人街では雑踏も様々だが、質屋は特に、靴の音でどのような客が来たのかが、わかる。
 例えば流の父だ。立っていたのみだが音でわかった。流と同じく、流行りの雪駄を履いていた。

 本来なら雪駄という物は重心を前にして底を擦るように歩く。それが粋だと言われているが、恐らくあの場では忍び足のつもりだったのだろう。
 が、雪駄、という物で却って居場所がわかりやすくなっていることに気付かない程には切迫し、履き慣れている癖を感じた。遊び人だったのだろう、と、ここまでは考察が出来る。
 質屋にはよくいる類の客だが、あの時の違和感は女と、扁平足へんぺいそくのような、そう、まだ履き慣れない子供もいたことだ。
 そんな流行りの物と知らない子供は当たり前に底全体を摺る、しかしそれほど体重が掛かっていないと。

 子供が上等な姿で訪れる、そんなものは上流階級に嫁ぐ娘がやることだと、相場が決まっている。

 流石に初めてかもしれない事案だったが、一家で質屋に訪れるというのは最早この街に用事もなく、金を持って飛ぶつもりなのだと察することは容易だった。

 傘屋の娘が、流の時と似たような出で立ちでやって来たことがあった。

 その娘は流の場合とは少し異なり、1人で傘を持ってきた。始めから口減らしの丁稚奉公と聞かされてやってきたのだ。

 まだ、10程の娘だったと思う。

「近々また、子供が来るんだよ」

 佐助の顔は苦いものだった。
 どうやら店主の真庭は、分別も危うい子供は使いやすいと、流の件で味を占めたらしい。

 聞いた流は修繕していた米櫃こめびつから手を離し、「サイホウさん」と、笑顔を向けてきた。

「お人形用の、小さな着物を作ってくれませんか?」
「……とは?」
「私より小さい女の子なら、きっと、喜んでくれる…かな?」

 作りかけの、形を成していない子消し状態の樫をふと手にし、「もう少し、人型にしてみて──」と、流は何か考えを巡らせているようだった。

 その表情は、優しく邪気が無いものだった。

 しかし、流自身も通ってきた道だ。
 少し寂しそうに見えたのはてっきり「同じ境遇の子が仲間になる」というものなのだろうと、その時の権平には楽観して映っていた。

 その頃には流は、始めからここにいたかのように当たり前な様子で工芸品の模様のなどを権平に教わる程熱心に、質草を治していた。

 そして流はその子供の話を聞いてから、昼間は質草、夜は人形を掘り始めるようになった。
 権平も権平で、傘や木工細工とは違う、もう少し手間のないものだからこそ気軽に、布の切れ端で人形の服を作ったものだ。

 質屋が取り扱うには幅広いことをしていたと、今なら思う。

 もしかすると流には、妹が出来たような心境であったのかもしれない。
  娘が来る日には珍しく、流は番台で出迎えようと待っていたようだ。

 その喧騒は奥にまで響いていた。真庭が娘を出迎えたのは勿論権平にも聞こえたし、例え聞こえなくてもわかっていた。
 流がすぐに、人形を手にしたまま俯き作業場に帰ってくることまでも。

「私も、ああでした」

 言わずとも察する権平はただただ、微かに震える流を落ち着かせようと背を擦り「茶でも飲むか?」と訪ねたが、流は「その子に…」と小さな声で呟くように言う。

 流は気弱で、作業ばかりで外に出ないせいかはわからないが、身体も弱い方だった。その背はまだ小さくも感じた。

 権平が茶を取りに店の方まで行くと、番台の傍には見慣れぬ、立派な「質 真庭」と書かれた天蓋てんがいが置かれていた。
 恐らくその丁稚の少女が持参したものだろう、少女の手には梅の柄の傘、背には傘の骨組を幾つか背負っている。

 少女は、それこそここへ来た時の流よりか、着物もそれなりで口減らしというような見た目でないし、なるほど、まるで嫁入り前のような小綺麗さだった。

 しかし、真庭にも佐助にも嫁はいる。
 
 真っ青な顔の少女と佐助。佐助は少女の背を擦りただただ「よろしく」と権平に頼んできた。

 きっと通常ならば顔立ちは小顔で目も大きく、成長すれば恐らく、別嬪と言われるかもしれない。

「いくつか番傘をと、店主が言ってたよ」

 そう言って佐助は茶の一式と、和紙を渡してきた。
 少女と共に茶を抱え作業場に戻ると、彼女はまだ声も出ず。流はやはり察した顔で「流です」と名乗る。彼女はハッと彼を見た。

 「花です」

 三者それ以上語ることもなく茶を飲んだ。

 昨日、そういえば流はこの、少女と同じように真っ青な顔で寝込んでいたが、今は震えを抑え込み、背筋を伸ばして花を眺めている。
 その表情に何かを含んでいるのは、権平だからわかった。今の事情も、彼女のことも把握をしている。

「その傘は貴女が?」
「…はい、」

 俯きがちな少女へ、流はぎこちなく手を伸ばし「是非、拝見したいです」と穏やかに促す。

 権平は佐助から渡された和紙を眺めた。
 店主からの注文か、店の番傘3本と何人かの歌舞伎役者の名前、こちらは恐らく天蓋だろう。
 確かに、早速店に飾られていた天蓋はとても立派なものだった。

 ここがまだ呉服屋だった頃。権平の父も傘屋に絹の天蓋を発注していた。

 権平の父は主に奥、今は真庭の部屋となった場所でひたすら着物を作っていた。まだ、天蓋を置けるほどに金があった頃の話しだ。
 客に、「へぇ、立派なもんですね」と言われた母は誇らしげだったと思い出す。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【純愛百合】檸檬色に染まる泉【純愛GL】

里見 亮和
キャラ文芸
”世界で一番美しいと思ってしまった憧れの女性” 女子高生の私が、生まれてはじめて我を忘れて好きになったひと。 雑誌で見つけたたった一枚の写真しか手掛かりがないその女性が…… 手なんか届かくはずがなかった憧れの女性が…… いま……私の目の前ににいる。 奇跡的な出会いを果たしてしまった私の人生は、大きく動き出す……

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

処理中です...