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序 一段目
傘屋娘の段 一
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流は裏長屋の、権平と襖一枚隔てた作業部屋で寝起きをすることになった。
商人街では雑踏も様々だが、質屋は特に、靴の音でどのような客が来たのかが、わかる。
例えば流の父だ。立っていたのみだが音でわかった。流と同じく、流行りの雪駄を履いていた。
本来なら雪駄という物は重心を前にして底を擦るように歩く。それが粋だと言われているが、恐らくあの場では忍び足のつもりだったのだろう。
が、雪駄、という物で却って居場所がわかりやすくなっていることに気付かない程には切迫し、履き慣れている癖を感じた。遊び人だったのだろう、と、ここまでは考察が出来る。
質屋にはよくいる類の客だが、あの時の違和感は女と、扁平足のような、そう、まだ履き慣れない子供もいたことだ。
そんな流行りの物と知らない子供は当たり前に底全体を摺る、しかしそれほど体重が掛かっていないと。
子供が上等な姿で訪れる、そんなものは上流階級に嫁ぐ娘がやることだと、相場が決まっている。
流石に初めてかもしれない事案だったが、一家で質屋に訪れるというのは最早この街に用事もなく、金を持って飛ぶつもりなのだと察することは容易だった。
傘屋の娘が、流の時と似たような出で立ちでやって来たことがあった。
その娘は流の場合とは少し異なり、1人で傘を持ってきた。始めから口減らしの丁稚奉公と聞かされてやってきたのだ。
まだ、10程の娘だったと思う。
「近々また、子供が来るんだよ」
佐助の顔は苦いものだった。
どうやら店主の真庭は、分別も危うい子供は使いやすいと、流の件で味を占めたらしい。
聞いた流は修繕していた米櫃から手を離し、「サイホウさん」と、笑顔を向けてきた。
「お人形用の、小さな着物を作ってくれませんか?」
「……とは?」
「私より小さい女の子なら、きっと、喜んでくれる…かな?」
作りかけの、形を成していない子消し状態の樫をふと手にし、「もう少し、人型にしてみて──」と、流は何か考えを巡らせているようだった。
その表情は、優しく邪気が無いものだった。
しかし、流自身も通ってきた道だ。
少し寂しそうに見えたのはてっきり「同じ境遇の子が仲間になる」というものなのだろうと、その時の権平には楽観して映っていた。
その頃には流は、始めからここにいたかのように当たり前な様子で工芸品の模様のなどを権平に教わる程熱心に、質草を治していた。
そして流はその子供の話を聞いてから、昼間は質草、夜は人形を掘り始めるようになった。
権平も権平で、傘や木工細工とは違う、もう少し手間のないものだからこそ気軽に、布の切れ端で人形の服を作ったものだ。
質屋が取り扱うには幅広いことをしていたと、今なら思う。
もしかすると流には、妹が出来たような心境であったのかもしれない。
娘が来る日には珍しく、流は番台で出迎えようと待っていたようだ。
その喧騒は奥にまで響いていた。真庭が娘を出迎えたのは勿論権平にも聞こえたし、例え聞こえなくてもわかっていた。
流がすぐに、人形を手にしたまま俯き作業場に帰ってくることまでも。
「私も、ああでした」
言わずとも察する権平はただただ、微かに震える流を落ち着かせようと背を擦り「茶でも飲むか?」と訪ねたが、流は「その子に…」と小さな声で呟くように言う。
流は気弱で、作業ばかりで外に出ないせいかはわからないが、身体も弱い方だった。その背はまだ小さくも感じた。
権平が茶を取りに店の方まで行くと、番台の傍には見慣れぬ、立派な「質 真庭」と書かれた天蓋が置かれていた。
恐らくその丁稚の少女が持参したものだろう、少女の手には梅の柄の傘、背には傘の骨組を幾つか背負っている。
少女は、それこそここへ来た時の流よりか、着物もそれなりで口減らしというような見た目でないし、なるほど、まるで嫁入り前のような小綺麗さだった。
しかし、真庭にも佐助にも嫁はいる。
真っ青な顔の少女と佐助。佐助は少女の背を擦りただただ「よろしく」と権平に頼んできた。
きっと通常ならば顔立ちは小顔で目も大きく、成長すれば恐らく、別嬪と言われるかもしれない。
「いくつか番傘をと、店主が言ってたよ」
そう言って佐助は茶の一式と、和紙を渡してきた。
少女と共に茶を抱え作業場に戻ると、彼女はまだ声も出ず。流はやはり察した顔で「流です」と名乗る。彼女はハッと彼を見た。
「花です」
三者それ以上語ることもなく茶を飲んだ。
昨日、そういえば流はこの、少女と同じように真っ青な顔で寝込んでいたが、今は震えを抑え込み、背筋を伸ばして花を眺めている。
その表情に何かを含んでいるのは、権平だからわかった。今の事情も、彼女のことも把握をしている。
「その傘は貴女が?」
「…はい、」
俯きがちな少女へ、流はぎこちなく手を伸ばし「是非、拝見したいです」と穏やかに促す。
権平は佐助から渡された和紙を眺めた。
店主からの注文か、店の番傘3本と何人かの歌舞伎役者の名前、こちらは恐らく天蓋だろう。
確かに、早速店に飾られていた天蓋はとても立派なものだった。
ここがまだ呉服屋だった頃。権平の父も傘屋に絹の天蓋を発注していた。
権平の父は主に奥、今は真庭の部屋となった場所でひたすら着物を作っていた。まだ、天蓋を置けるほどに金があった頃の話しだ。
客に、「へぇ、立派なもんですね」と言われた母は誇らしげだったと思い出す。
商人街では雑踏も様々だが、質屋は特に、靴の音でどのような客が来たのかが、わかる。
例えば流の父だ。立っていたのみだが音でわかった。流と同じく、流行りの雪駄を履いていた。
本来なら雪駄という物は重心を前にして底を擦るように歩く。それが粋だと言われているが、恐らくあの場では忍び足のつもりだったのだろう。
が、雪駄、という物で却って居場所がわかりやすくなっていることに気付かない程には切迫し、履き慣れている癖を感じた。遊び人だったのだろう、と、ここまでは考察が出来る。
質屋にはよくいる類の客だが、あの時の違和感は女と、扁平足のような、そう、まだ履き慣れない子供もいたことだ。
そんな流行りの物と知らない子供は当たり前に底全体を摺る、しかしそれほど体重が掛かっていないと。
子供が上等な姿で訪れる、そんなものは上流階級に嫁ぐ娘がやることだと、相場が決まっている。
流石に初めてかもしれない事案だったが、一家で質屋に訪れるというのは最早この街に用事もなく、金を持って飛ぶつもりなのだと察することは容易だった。
傘屋の娘が、流の時と似たような出で立ちでやって来たことがあった。
その娘は流の場合とは少し異なり、1人で傘を持ってきた。始めから口減らしの丁稚奉公と聞かされてやってきたのだ。
まだ、10程の娘だったと思う。
「近々また、子供が来るんだよ」
佐助の顔は苦いものだった。
どうやら店主の真庭は、分別も危うい子供は使いやすいと、流の件で味を占めたらしい。
聞いた流は修繕していた米櫃から手を離し、「サイホウさん」と、笑顔を向けてきた。
「お人形用の、小さな着物を作ってくれませんか?」
「……とは?」
「私より小さい女の子なら、きっと、喜んでくれる…かな?」
作りかけの、形を成していない子消し状態の樫をふと手にし、「もう少し、人型にしてみて──」と、流は何か考えを巡らせているようだった。
その表情は、優しく邪気が無いものだった。
しかし、流自身も通ってきた道だ。
少し寂しそうに見えたのはてっきり「同じ境遇の子が仲間になる」というものなのだろうと、その時の権平には楽観して映っていた。
その頃には流は、始めからここにいたかのように当たり前な様子で工芸品の模様のなどを権平に教わる程熱心に、質草を治していた。
そして流はその子供の話を聞いてから、昼間は質草、夜は人形を掘り始めるようになった。
権平も権平で、傘や木工細工とは違う、もう少し手間のないものだからこそ気軽に、布の切れ端で人形の服を作ったものだ。
質屋が取り扱うには幅広いことをしていたと、今なら思う。
もしかすると流には、妹が出来たような心境であったのかもしれない。
娘が来る日には珍しく、流は番台で出迎えようと待っていたようだ。
その喧騒は奥にまで響いていた。真庭が娘を出迎えたのは勿論権平にも聞こえたし、例え聞こえなくてもわかっていた。
流がすぐに、人形を手にしたまま俯き作業場に帰ってくることまでも。
「私も、ああでした」
言わずとも察する権平はただただ、微かに震える流を落ち着かせようと背を擦り「茶でも飲むか?」と訪ねたが、流は「その子に…」と小さな声で呟くように言う。
流は気弱で、作業ばかりで外に出ないせいかはわからないが、身体も弱い方だった。その背はまだ小さくも感じた。
権平が茶を取りに店の方まで行くと、番台の傍には見慣れぬ、立派な「質 真庭」と書かれた天蓋が置かれていた。
恐らくその丁稚の少女が持参したものだろう、少女の手には梅の柄の傘、背には傘の骨組を幾つか背負っている。
少女は、それこそここへ来た時の流よりか、着物もそれなりで口減らしというような見た目でないし、なるほど、まるで嫁入り前のような小綺麗さだった。
しかし、真庭にも佐助にも嫁はいる。
真っ青な顔の少女と佐助。佐助は少女の背を擦りただただ「よろしく」と権平に頼んできた。
きっと通常ならば顔立ちは小顔で目も大きく、成長すれば恐らく、別嬪と言われるかもしれない。
「いくつか番傘をと、店主が言ってたよ」
そう言って佐助は茶の一式と、和紙を渡してきた。
少女と共に茶を抱え作業場に戻ると、彼女はまだ声も出ず。流はやはり察した顔で「流です」と名乗る。彼女はハッと彼を見た。
「花です」
三者それ以上語ることもなく茶を飲んだ。
昨日、そういえば流はこの、少女と同じように真っ青な顔で寝込んでいたが、今は震えを抑え込み、背筋を伸ばして花を眺めている。
その表情に何かを含んでいるのは、権平だからわかった。今の事情も、彼女のことも把握をしている。
「その傘は貴女が?」
「…はい、」
俯きがちな少女へ、流はぎこちなく手を伸ばし「是非、拝見したいです」と穏やかに促す。
権平は佐助から渡された和紙を眺めた。
店主からの注文か、店の番傘3本と何人かの歌舞伎役者の名前、こちらは恐らく天蓋だろう。
確かに、早速店に飾られていた天蓋はとても立派なものだった。
ここがまだ呉服屋だった頃。権平の父も傘屋に絹の天蓋を発注していた。
権平の父は主に奥、今は真庭の部屋となった場所でひたすら着物を作っていた。まだ、天蓋を置けるほどに金があった頃の話しだ。
客に、「へぇ、立派なもんですね」と言われた母は誇らしげだったと思い出す。
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