紫陽花

二色燕𠀋

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For Someone

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 それからは主に進路の話や成績の話をした。特に異常はなく話は進む。

「進路かぁ…」
「ちなみに、お父様は…?」
「まぁ、小夜の気持ちを聞いて、話し合うことがまずは最優先でしょうね」
「…もしもお金とかの心配がありましたら、小夜さんの成績でしたらAOでも行けるでしょうし、最悪ダメでも奨学金とかありますからね」
「まぁ、そうですね。
小夜は?」
「うーん」
「まぁね…大学は正直ね、金掛かるだけのような気がしちゃうんだけども、まぁ、将来就職楽だよ、大卒ってだけで。行って遊んでたっていいっていうか高校の半分くらいしか授業ないからね」
「え、そうなの?」
「いやまぁ場所によるよ?相当頭良すぎる変態みたいなところに行ったらもう寝る間も惜しんで勉強だけどさ。ね、先生」
「いやー、ちょっと語弊がありすぎる気がしますけど…」
「でも、まぁ資格とかは断然取れる。まぁそれだけ時間があればね、そりゃぁ取れるよね。
 例えば先生だってそうだし。高校教師ならすぐだよすぐ。だって俺持ってるもん」
「え、そうなの」
「あれだってすぐ取れるし。職に困りそうなやつはわりと取ってたよ」
「それあんまり先生の前で言うのは…」
「あっ」
「いえ、大丈夫です。僕はちゃんとやった方のタイプなので」
「え、勿体ないね先生!」
「いや、まぁ教師になりたかったんですよ…」

 目が泳いでる。多分嘘だろうな。

「まあだから行っといたら?遊んでても将来安泰だよ」
「なんかそれを聞くと微妙…」
「逆に専門や短大に行くくらいなら下手な大学でも4大の方がいいからね。全然就職幅違うよ。まったく同じ名前の同じ級の資格を持ってても給料とか全然違うんだから。とくに専門職いくと格差がハンパないよ。学校で名前負けしちゃうんだよ」
「そーゆーもんなのか…」
「まぁ職種にもよるけどね。逆にITとかなら実務経験だったりするしね」
「うーん」
「まぁあとは何を学びたいか。何をしたいか。それに尽きる。
 俺は行きたくなんてなかったよ。今何も大学の勉強も高校の勉強も生きてないし」
「…うん」
「まぁでも成績はいいんだってさ。ゆっくり考えたら?」
「ちなみに、お兄さんは、何を…?」

 やはり、荏田先生は凄く興味があったらしい。気になっていたのが目に見えてわかる。

「あぁ、飲食店で接客?というか…」
「あぁ…まぁ、似合いそうですね」
「うーん、なんて言うかバーテンダーやってます」
「お、あー!」

 どうやら先生が思っていたよりは、まともな職業だったらしい。

「それはそれは…お兄さん、おモテになるでしょう…」
「いえ、別に」
「またまたぁー」

 荏田先生、完全に砕けてしまっている。

「まぁ、そんなわけですので、もう少し考えさせます。ウチは、やりたいことを自由にやって欲しいので。
 お話は、そんな感じですか?」
「まぁ…はい。あの…。
やっぱりさ、今朝の話…」
「えっ」
「なんですか?」
「実は…」
「先生っ!」
「やっぱり君の今後のためにね」

 荏田先生は、みっちゃんにチラシを渡した。
 みっちゃんはチラシを見て、荏田先生を見つめた。

「これが…今朝黒板に貼ってあって、さらに生徒たちの机の中に入っていて…他のクラスにもあったようで。
 私のデスクと学年主任のデスクの上にもありました」
「はぁ…。犯人は?」
「すみません、わかりません」
「…小夜、心当たりは?」
「ない」
「変わったことも?」
「うん」
「…どうする?」
「え?」
「…先生から見て、小夜はどうなんですか?」
「いや、別に…。
 クラスでもみんなと仲良いし、何も、なんて言うか…嫌がらせを受けるような子ではないんです」
「小夜、」
「はい」
「小夜はどうなの?」

 こうなれば最早、隠し事は出来ないな。

「うーん。
 最初は悔しかったけどさ。今日一日図書室で過ごして、この前のみっちゃんに言われたこと思い出したし、先輩にも、お兄さんの言う通りだって言われてさ。
 私もなんか、正直どうでもよくなった。別に私は私だもん。だから気にしてない」
「そっか。ならこの話は終わるはずなんだ本当なら。
 どうして、俺に内緒にしようとしてたの?」
「みっちゃんが…なんか悩んじゃったら嫌だなって」
「そっか」

 少し悲しそうだった。

「そりゃぁ…悩むよ…。でも、それで内緒にされた方がちょっとショック。情けないよ」
「ごめん」
「いや、なんで俺が悩むと思う?
 小夜、もしも俺と小夜が今回さ、逆の立場だったらどう?悩むだろ?」
「…考える」
「うん。
 俺だって考えるよ。でもなんで?
 俺はね、お前の未来も大切だ。でも今あっての未来で、幸せなんだよ小夜。
 俺はお前に、嫌な我慢はさせたくないよ、そんなの嫌だよ。好きに、楽しく、時に悲しいこともあるけどなにより、本当に幸せになって欲しい。
 俺も真里もおっさんも、大人やまわりのやつはみんな結局、その手伝いしか出来ないんだ。
 俺が出来ることなんて本当に少ないけど、俺の人生をなげうってでもいい、お前に出来ることをしたいんだよ」
「みっちゃん…」
「言いたいこと、わかった?」
「…はい」
「あとはさ、小夜が大丈夫でも、クラスの他の子はどうかな?何を思うかな?心配かもしれない、嫌かもしれない。
 でもそれは、もう起こっちゃったことだから小夜にはどうにも出来ない。あとは小夜の信頼次第だ。
 あとは先生に任せるしかないね」

 そう言ってみっちゃんは荏田先生を見た。

「ね、先生。
 ウチの子がちゃんと勉強して、最低限でもいいから過ごせるようにしてくださいね」
「はい」
「俺からは以上です。小夜は?」
「大丈夫」
「じゃ、行こっか。
 では、仕事もありますんで、失礼します」

 みっちゃんが立ち上がったので私も立ち上がって、荏田先生に一度頭を下げて二人で教室を出た。

 出た瞬間にみっちゃんは「あー、マジキツいわ」と、ネクタイを緩めながら言った。確かに、普段はもっと柔らかそうなネクタイをしている。

「みっちゃん、やっぱ似合わないね」
「うーん。俺もそんな気がしてきた。先生も完全にナメてたよね。あれちょっと二人がシメたのもわかるわ」
「うーん、そうなんだ」
「まぁ生徒には好かれるんだろうね、あの軽さ。ただね、大人にはやっちゃダメだよね」

 みっちゃんと一緒に学校を出る。なんだか新鮮だった。

「ねぇねぇみっちゃん」
「ん?」
「私も、みっちゃんと同じ気持ちだよ」
「…ん?」
「さっき私に言ったこと。私も、みっちゃんもマリちゃんも柏原さんも幸せだったらいいなって、そう思うんだ」

 少し風が吹いた。

 校舎を出てふと振り返る。見えた外廊下を何人かの先生が慌ただしく走って行くのが見えた。

 これも、きっと日常。

「なんか騒がしいね」
「うん…」
「小夜」

 ふとみっちゃんを見ると、手を差し出してくれていた。

 久しぶりに手を繋いで歩いた。なんだか、小さい頃を思い出す。

「今、みっちゃん、幸せだといいな」
「ん?なんか言った?」

 小さな呟きは外の音に拐われてしまう。でも、それでもいいや。

「なんでもないよ!」
「あそう」

 なんだか嬉しい。

 伝わらなくても、伝わっても。誰かに対する思いはすべて、私の芯にある。これは、折れることのない、たった一本の言葉の芯なんだと、この、初夏の日常に気が付いたのだった。
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