裸足の人魚

やわら碧水

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第四部

第四章・一年の計は元旦にあり(その3)

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 外出の支度が整うと、潮音は足袋の上に薄紅色の草履をはいて家族と一緒に家を後にした。潮音は着物姿に草履をはいて歩くときの感触に戸惑って、いつしかいつもより小股でとぼとぼと歩くようになっていた。潮音が通りに出てからも、あでやかな着物を身にまとった潮音の姿は道を行く人の目を引きつけていたが、潮音はその視線を感じると気恥ずかしさのあまり目を伏せてしまった。

 そのような潮音の様子を見て、綾乃が思わず声を上げていた。

「潮音、もっと胸を張って顔を上げて、背筋をしゃんとして歩きな。せっかくのきれいな着物が台無しだよ。誰もあんたのことを変だなんて思ってないから」

 潮音はその言葉を聞いて、思い切って顔を上げた。潮音は心の中で、着物の持ち主だった昔の令嬢が、自分に勇気をくれるようにと一心に願っていた。

 潮音たちが敦義の屋敷に着いたときには、すでに正午近くになっていた。潮音が屋敷の玄関で呼鈴を押すと、着物で華やかに着飾ったモニカが潮音たちを出迎えた。モニカの陽気で快活な態度は相変らずだったが、そのモニカも潮音の着物姿に思わず見入っていた。

「潮音ちゃん…その着物めっちゃ似合っとるやん」

 実際にモニカは、潮音が中学校の卒業式の後で屋敷を訪れたときにも、潮音がその着物を着た姿を目にしていた。しかしそのときの潮音は、慣れない着物の着心地に対して明らかに動揺の色を浮べていて、身振りにもぎこちなさが目についた。

 しかし今の潮音は、そのときの潮音と比べても明らかに着物を自然に着こなしており、表情や身振りからも不安げな様子や戸惑いの色はすっかり薄らいで、しっかりと落ち着いた顔つきになっていた。その点だけを見ても、潮音が中学を卒業してからの一年足らずの間に、不安や苦悩を乗り越えて人間的に大きく成長した様子がありありと見てとれた。

 モニカはそのまま、両腕で潮音をしっかりと抱きとめていた。

「潮音ちゃんもずいぶんしっかりしたやん。去年はあんなに不安でおどおどしとったんがウソみたいやで」

 潮音は和服を着たモニカに抱かれながら、どこか気恥ずかしい思いをしていた。

 ちょうどその場に、落ち着いた柄の着物を身にまとった流風も姿を現した。流風も今の潮音の姿から、モニカと同じように感じているようだった。

「私は去年の一年間、潮音ちゃんがどんなに悩んだかわかってるよ。でもそれを乗り越えて潮音ちゃんは大きく成長したじゃない。…今の潮音ちゃんには、その着物けっこう似合ってるよ」

 しかし潮音は流風にまでそのように言われて、ますます照れくささを感じずにはいられなかった。

「そんな…自分は今でも迷ってばかりいるのに。将来だってどうすればいいかわかんなくて不安なんだ」

 潮音が表情を曇らせても、モニカの口調はあくまでも明るかった。

「まだ十六歳やったら、将来なんてわかんなくて当り前よ。潮音ちゃんも若いうちは大いに悩んで迷ったらええよ。そうしているうちに、自分の進む道かて見えてくるものやから。うちの流風かて来年は大学受験やけど、志望校や学部をどこにするかいろいろ迷うとるみたいやし」

 そしてモニカは潮音を落ち着かせると、潮音の家族を屋敷の奥の座敷に控えている敦義のところへと案内した。その間に則子は流風に声をかけた。

「流風ちゃんの着物もシックな色あいでかわいいわね」

「いえ、母がせっかくのお正月だし、来年は大学受験でお正月どころじゃないから着物着てみろって言うものだから…。母は日本の着物が好きで何着か持ってますけど」

 そのように話す流風も、どこか照れくさそうな顔をしていたが、潮音はやはり着物の着こなしという点では流風の方が一日の長があると感じて、内心で引け目を覚えていた。

 やがて潮音の一家が座敷に通されると、羽織袴をしっかりと着こなした敦義がその中央に控えていた。

 潮音は先年の十一月に敦義の屋敷を訪れたとき、敦義は自分が女になってしまったショックからまだ十分に抜けきっていなかったので、敦義に対面するのはいささか気が重かった。しかしそれでも潮音は現実から逃げ続けるわけにもいかないと思い直すと、しっかりと敦義に向き合った。

 敦義もやはり、潮音の着ているあでやかな着物の柄や色あいから目を離すことができないようだった。しかしそれだけでなく、敦義の目もやはり、潮音の顔つきも所作も一年前より、いやそれ以前の潮音が男の子だった頃と比べても、ずっと落ち着いてしっかりしていることをはっきり見抜いていた。

 しばしの沈黙の後で、敦義がおもむろに口を開いた。

「潮音、お前もだいぶ苦労したみたいだけど、その分だけだいぶしっかりするようになったな」

 その敦義の視線を感じて、潮音は身が引き締まるような思いがした。敦義は貿易商としていろいろな国を旅し、多くの人に会ってきたので、その人を見る目は確かだということを潮音も感じざるを得なかった。潮音もしっかりと敦義の顔を見据えながら、はっきりと口を開いた。

「おじいちゃんも私がこうなったのは自分のせいだなんて、そんな風に自分を責めるのはよしてよ。たしかに自分はこうなって戸惑ったところやつらかったこともあるけど、嬉しいとか悲しいとか思うのも、そして何かに向かって頑張るのも男も女もないってはっきりわかったから」

 そう話すときの潮音は、目尻を少し潤ませていた。敦義はそのような潮音の体をしっかりと抱きとめて声を上げていた。

「偉い…偉いぞ潮音。よくがんばったな。でも人生はこれからだからな。しっかりやるんだぞ」

 その潮音と敦義の姿には、その場に居合わせた皆にとっても胸に迫るものがあるようだった。潮音の家族やモニカ、流風も黙ったままじっと二人を見つめていた。

 しばらくして少し重苦しくなった空気を振り払おうとするかのように、モニカの元気な声がした。

「せっかくやからみんなで神社に初詣に行かへん?」

 そこで潮音は、夕方近くになって自分は浩三と会う約束をしていることをモニカに伝えた。それに対してもモニカは気にするそぶりもなく、いつもの陽気な口調で答えた。

「全然構わへんよ。むしろ潮音ちゃんと一緒に初詣に行こうという友達がおって嬉しいわ」

 そこで潮音は、浩三は潮音とは小学生のときからの友達で、中学校では一緒に水泳部で練習に明け暮れたこと、そしてスポーツ推薦で水泳の強豪校である南稜高校に進学し、現在は水泳の強化選手として厳しい練習に取り組んでいることをモニカに説明した。モニカは潮音の話を興味深げに聞いた後で、ご機嫌そうな顔で潮音に言った。

「ほんまに潮音ちゃんはモテるよね。こないだの秋祭りのときは尚洋に通ってる頭良さそうな男の子と一緒におったやん。でもあんまりみんなにええ顔しとると、後で厄介なことになるかもしれへんよ」

 そのモニカの言葉に、潮音はいやそうな顔をした。

「オレと椎名の関係は、そんなんじゃないんだ。オレは男とか女とか、色恋沙汰とか関係なしに、昔から友達として接してきたように椎名とつき合っていきたいから…」

 潮音のシリアスな表情を見て、モニカも済まなさそうな顔をした。

「すまんかったな。私もちょっと調子に乗りすぎたわ。でも潮音ちゃんは今迷っとるんやろ? 今この姿でその椎名君に会ったら、どんな顔するやろかって」

 潮音はモニカに対して、言葉を返すことができないまま軽くうなづいた。

「でもそれやったら気にせんでもええと思うよ。潮音ちゃんは女の子になって悩んだことやうまくいかへんことかてあったかもしれへんけど、むしろそのせいで自分自身としっかり向き合えるようになったんやろ? だったら大丈夫よ。椎名君かて潮音ちゃんのことわかってくれるはずやと思うよ」

 そのモニカの親身のこもった言葉を聞いて、潮音も心の中のためらいが少し解きほぐされたような気がした。

「ありがとう…モニカさん。モニカさんが話を聞いてくれたおかげで、少し気が楽になったような気がするよ」

「でももう少ししてからみんなで神社に初詣に行ったら、潮音ちゃんが神社で椎名君と会う予定にしとる時間になるやん」

 そのモニカの提案には、その場にいた全員が賛意を示したようだった。少しの間潮音は敦義の屋敷でくつろいだ後で、みんなと一緒に屋敷の玄関を後にして、古びた街並みを神社に向けて歩き出した。
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