裸足の人魚

やわら碧水

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第四部

第四章・一年の計は元旦にあり(その4)

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 潮音が流風と連れ立って神社への道を歩いている途中で、ふと流風が声をかけた。

「潮音ちゃんも今の学校で勉強ずいぶん頑張ってるみたいね。峰山さんから話は聞いてるわよ。それに去年は、文化祭の劇でジュリエットの役までやったしね」

 流風にまでこのように言われると、潮音は照れくさそうな顔をした。

「いやそれは…赤点取らないように頑張っただけだから。峰山さんみたいに一流大学入るために勉強してるのとはわけが違うよ」

「どっちにしたって勉強頑張るのには変りないよ」

 気恥ずかしそうに話す潮音を前にしても、流風の表情はあくまでも明るかった。

「それにこないだのクリスマスイブの発表会で、峰山さんはくるみ割り人形のクララの役をやっていたけど、すごくうまかったじゃん。私もあれを見たときはマジで感動したよ。潮音ちゃんもわき役でもいいから出たら良かったのに」

「私だって…高校卒業するまでには峰山さんと一緒に舞台に立ちたいんだ。あの峰山さんの演技を見てて、自分だって負けてはいられないと思ったから…」

「だったらそれを目標に頑張ればいいじゃない。簡単じゃないかもしれないけど。私は…今年一年は受験勉強で大変な年になりそうだからね」

 潮音は流風の話を聞いているうちに、今年もいろいろな意味で前途多難な年になりそうだと思って、いささか気が重くなった。

 そうしているうちに潮音たちが神社の鳥居の前まで来ると、社殿に続く石畳の参道には初詣の客たちが行列を作っていた。参道にも新年を祝う飾りつけがなされ、それが新春のすっきりと晴れわたった青空にひときわ映えて見えた。参道の両側では、露店が連なって香ばしいにおいを上げていた。

 潮音たちが列の最後尾に並ぼうとすると、そこで潮音に声をかける者がいた。潮音がもしやと思って声のした方を振向くと、その声の主は思った通り紫だった。

 しかしそこで、潮音は紫の姿に思わず息をのんだ。紫もきちんと薄紫色を基調とした着物を着こなして、髪もその着物に合うように結っていた。そしてそのそばに控えていた紫の双子の妹の萌葱と浅葱も、かわいらしい柄の着物を身にまとっていた。

 萌葱と浅葱は潮音の着物姿を見るなり、元気な声をあげた。

「藤坂さんの着物、すごくきれい」

 萌葱と浅葱も、日ごろのバレエのレッスンを通して、潮音にすっかりなついてしまったようだった。ニコニコしながら潮音にまとわりつこうとする萌葱と浅葱を、紫がたしなめた。

「萌葱と浅葱ももうちょっとおとなしくしてなさい。今年は六年生になるんでしょ」

 しかしそこで、潮音は紫の着物姿に目を向けていた。

「紫こそその着物きれいじゃん。それに萌葱と浅葱だって着物着てるとかわいいよ」

 潮音に着物を褒められると萌葱と浅葱はニコニコしたが、紫は自らの着物の袖の辺りに目をやりながらややため息混じりに答えた。

「せっかくのお正月だから、お母さんがこれ着てけってさ。以前からパーティーとかで着物着ることもあったけど」

 潮音は紫のようなお嬢様もそれはそれでいろいろ大変なことがあるのだなと思いながらも、紫が着物をきちんと着こなして姿勢良く立っている辺りはさすがだと思った。

「私だってこうやって着物着てるとはいえ、まだまだ初心者だからね。着物に慣れている紫にはかなわないよ」

「潮音はもっと自分に自信持った方がいいよ。でも潮音、今日はどうして着物で来たの?」

「いや…この着物は昔うちの家系のお嬢様が着てた着物だからさ」

 紫も潮音が女の子になったいきさつを以前に聞かされていただけに、あらためて潮音の薄紅色の着物を見返した。

「潮音がこうやってこの着物を着てるってことは、やはりあのお嬢様のことを大切に思ってるってことよね。やっぱり潮音って優しいんだね」

「私はむしろ、あのお嬢様から勇気をもらえたような気がするんだ。彼女の分まで自分が強く生きなきゃいけないってね」

「そういう律儀で強情なところが潮音らしいよね」

 その紫の言葉には、そばで話を聞いていた綾乃や流風までもが笑顔を浮べた。しかし潮音は、そろそろ浩三が来る時間になると気をもんでいた。

 ちょうどそのとき、潮音を呼びとめる声がした。その明るい声の主は優菜だった。潮音がどきりとして声のした方を向き直してみると、あらためて驚かずにはいられなかった。そこに並んで立っていたのは優菜と玲花、そして浩三その人だった。

「あけましておめでとう、潮音。今年もよろしゅうな」

 優菜はいつもより多少おしゃれな感じの私服姿で、相変らず元気な口調で話していたが、潮音が浩三の方に目を向けると、思わず目を細めずにはいられなかった。浩三は中学生のときと比べても、体つきはよりがっしりとたくましくなっており、日ごろの厳しい練習や筋トレで身体を鍛え上げたことがほんの少し見るだけでもよく伝わってきた。顔つきもより引き締まって精悍になっており、それが短くさっぱりと刈りそろえた髪とよく似合っていた。眼光の鋭さだけを見ても、浩三は潮音と一緒に水泳部に所属していた中学生のときと比べて大きく成長し変貌したことは明らかだった。

 潮音は浩三の姿を目の当りにして、軽々しく声をかけることすらできなかった。潮音は玲花や浩三と一緒に過ごした中学生のときの生活がはるか遠くに過ぎ去ってしまったことを、あらためてひしひしと感じ取っていた。

 しかし玲花と浩三の側も、眼前にいる薄紅色の着物をしっかりと着こなして髪も整然と結った可憐な少女が、潮音だということにしばらく気がつかないようだった。ようやくその少女の正体が潮音だということに気がつくと、玲花と浩三は二人そろって驚愕のあまり口をあんぐりと開けてしまった。

「これが藤坂君? こんなにかわいくなるなんて信じられへんわ」

 玲花は思わず口から言葉を漏らしていたが、浩三は黙ったまま潮音の姿を直視しようとすらしなかった。浩三にとって、今の潮音の姿が中学生のとき、一緒に水泳部で練習に明け暮れていた潮音と同一人物だとはどうしても受け止められないようだった。潮音自身、浩三の気持ちだって痛いくらいわかるだけに、浩三に対してどのような言葉をかけるべきかすらわからずに、そのままその場に立ちすくんでいた。

 しばらくしてその重苦しい沈黙を破るかのように、優菜が声をあげた。

「潮音も何か言うたらええのに。せっかくいつも練習で忙しい椎名君がこのお正月にわざわざ潮音に会ってくれたんやから」

 それでも黙ったままの潮音を見て、優菜はじれったそうにしてますます語調を強めていた。

「潮音、そりゃ椎名君を見て戸惑っとるのはわかるで。あたしの目から見ても、椎名君は中学におった頃とは全然違って、よりかっこよく…たくましくなっとると思うもの。でもそれは潮音かて一緒やろ。どっちもお互いの今の姿を受け入れへんかったら何も始まらへんやん」

 そして優菜は浩三を向き直すと、さらに言葉を継いだ。

「椎名君、潮音は今こそこんなかっこしとるけど、今の自分を受け入れられるようになるまでにはだいぶ悩んだり困ったりしたこともあったんやで。その潮音が勇気を出して今日椎名君に会いに来たんやから、椎名君もそれにこたえてやるのが大切やないかな」

 その優菜の臆することない態度には、潮音も内心でそこまで世話を焼いてくれなくてもと思っていた。

 しかし優菜が話しているうちに、浩三の潮音を見る目は、最初の戸惑ったような視線とは明らかに異なっていた。浩三は気恥ずかしそうな表情をしながら、潮音を向き直してぼそりと口を開いた。

「藤坂…めっちゃかわいいなったな」

 その浩三の反応には、その場に居合わせた一同が皆呆気に取られていた。特に潮音は、浩三からとろけるような眼差しを向けられて、目を白黒させるしかなかった。

「バ、バカ、お前…。お前には尾上さんがいるだろ。尾上さんはお前のためにわざわざマネージャーになって尽くしてくれたじゃないか」

 赤面しながら動揺の色を浮べてしどろもどろの口調で話す潮音を、みんなは呆れたような顔で見守っていた。特に玲花は、潮音からいきなりこのようなことを言われて困ったような表情をしていた。

 そこで場の混乱を落ち着かせようと口を開いたのは紫だった。

「ここで立ち話ばかりしててもしょうがないから、さっさと神社でお参りを済ませましょ。話したいことがあるなら、後で好きな人どうしでゆっくりやればいいじゃない」

 そこで潮音はなんとかして気持ちを落ち着かせると、他のみんなと一緒に石畳の参道に並ぶことにして、行列の最後尾についた。潮音はこのような場でも、率先して行動して場を落ち着かせることができる紫のリーダーシップはさすがだと感心したが、その一面でこの調子では今年も紫には頭が上がらないことになりそうだという気後れも感じていた。
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