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第五部
第六章・広い世界に(その2)
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潮音たちがカフェテリアに向かおうとすると、美鈴はクラブハウスでシャワーを浴びて着替えを済ませてくると言ってその場を後にした。
「こんな汗臭いかっこでキャサリンの家族に会ったって恥ずかしいからな」
美鈴が去った後、エドワードを案内しながらみんなでカフェテリアに向かう途中で、潮音は紫にそっと耳打ちした。
「今日のキャサリンは本当に嬉しそうだね。久しぶりに家族に会えたんだものね」
「そりゃキャサリンだって、両親とずっと会えなくてさみしいと思うことはあるよ」
潮音はこれまで、高校で親元を離れて日本に留学したキャサリンの行動力には感服していたものの、そのキャサリンもやはりホームシックにかかることはあるのだなと感じていた。
しかしその間も、エドワードは補習や部活動で夏休み中にも登校した生徒たちの視線を一身に集めていた。日ごろ生徒たちと同年代の男子の姿などない女子校の校内を、金髪のあどけない少年が歩いているのだから、注目するなという方が無理だろう。みんなでカフェテリアに入ると、生徒たちの中にはキャサリンに声をかける者もいた。
「この子はキャサリンの弟なの? めっちゃかわいいじゃん」
そう言いながら生徒たちが歓声を上げて熱いまなざしを向けると、エドワードはますます当惑の色を見せた。潮音や紫も、それを見ながらやれやれと息をつくしかなかった。
カフェテリアの席の一角では、補習に出ていた寺島琴絵が文庫本を広げていた。はしゃいでいる生徒たちの様子にクールな視線を向けていた琴絵も、エドワードの姿には驚きの色を見せていた。
何とかしてキャサリンがエドワードを琴絵の隣の席につかせ、みんなもテーブルを囲んで椅子に腰を下すと、さっそく紫がキャサリンを向き直して口を開いた。
「私、キャサリンのお母さんってすごくしっかりした人なんだろうなって前から思ってたんだ。イギリスに行ってそこで現地の人と結婚して、仕事をしっかりやるだけじゃなくてキャサリンをこんなにちゃんと育ててるんだから」
紫が小百合に憧れている様子は、傍から見ても明らかだった。その紫ののぼせた様子には、キャサリンまでもが当惑したような顔をしていた。
「そんな…私やエドワードの前では普通のお母さんですよ」
ちょうどそのとき、美鈴も着替えを済ませてカフェテリアに現れた。美鈴も紫の話を聞くと、それに深く同意していた。
「ほんまやで。あたしかてキャサリンのお母さんってほんますごいと思うよ。イギリスで暮してるからといって、自分は日本人やってことを忘れてへんし。私もそのお母さんが日本に来るなんて思わへんかったわ。それにキャサリンのお父さんかて、ダンディでかっこええ人やん」
そこで紫もあらためてキャサリンの顔を見つめ直した。
「私、キャサリンのお母さんにはもっといろいろ話を聞かせてほしいな。イギリスの生活はどんな感じなのかとか、そこでどうやってキャサリンを育てたのかとか」
紫が小百合に対して興味津々な様子をしているのを見て、キャサリンは少々気づまりな表情をした。
「紫はやっぱり外国に行きたいのですか」
「まだわかんないけどね。でもこれから私だってもしかしたら外国で暮らすことになるかもしれないし、もっと世界を股にかけて活躍したいって気もあるんだ」
そこで美鈴はため息混じりに言った。
「ほんま紫の考えることはちゃうなあ。あたしなんか日本食とあったかいお風呂のないとこでは暮らせそうにあらへんわ」
琴絵も紫や美鈴の話の内容には、興味を示しているようだった。
「キャサリンのお父さんってロンドンの大学で日本文学の研究をしてるんでしょ? イギリスではどんな小説が読まれているのか、ぜひ話聞かせてほしいな」
そこでキャサリンも琴絵の話に答えた。
「父は小説だけでなく、日本の漫画も面白いと言ってくれるのですよ。今ではエドワードと一緒に日本の漫画を読むことだってあります」
みんなはキャサリンの話を聞いて、ロバートとエドワードが一緒に漫画を読んでいる光景を思い浮かべて思わず笑みを浮べていた。そこで琴絵は、さっそく身を乗り出してエドワードに尋ねた。
「イギリスではどんな漫画やアニメが流行ってるの?」
エドワードは恥ずかしそうな顔をしながらも、いくつかの漫画やアニメの名をあげた。それらは日本でも名が知られている人気の作品ばかりだったので、みんな驚きの表情を浮べたが、琴絵はそこから漫画について話を始めたので、エドワードはますます当惑していた。潮音は琴絵が、好きな本や漫画のことになると話が止まらなくなるのはいつものことだと思っていた。
そのようにしてみんなが話すのを聞きながら、潮音は心の中でモニカや流風のことを思い出していた。モニカもフィリピンで生れて潮音の祖父の敦義と結婚し、来日して日本語をマスターして流風を育てたものの、そこに至るまでの苦労はどれだけのものだっただろうかと潮音はあらためて考えていた。小百合といいモニカといい、自分には彼女たちのように自分の生き方を決めてそれに向けて突き進むだけの勇気があるだろうか、いやそもそもその「自分の生き方」というもの自体、口では弁護士になりたいとは言っているものの、これは本当に自分の本心なのだろうか、自分だってもしかしたら将来外国で暮らすことだってあるかもしれないと考えていると、心の中にはもつれた糸玉のように疑念ばかりが深まっていった。
そうしているうちに、理事長との面会を終えたロバートと小百合がカフェテリアに姿を現した。小百合は自分も通学していた頃はこのカフェテリアを利用していただけあって、辺りを懐かしそうに見回していた。キャサリンは両親の顔を見るなり嬉しそうにそのそばに駆け寄った。
「今夜は祖父母も一緒になって、みんなでホテルの中にある日本料理の店に行くことになっているのです」
そう話すときのキャサリンの顔は見るからに嬉しそうだった。潮音たちもキャサリンが家族と一緒に水入らずのひとときを過ごすところを想像して、思わず表情をほころばせていた。
そこで潮音はキャサリンに尋ねた。
「キャサリンの家族はいつまで日本にいるの?」
「学会は明後日とその次の日に東京であるので、私も一緒に新幹線で東京に行く予定です。そして両親が学会に出ている間に私とエドワードは東京を見て回ります。両親とエドワードは一週間くらい日本に滞在するので、その間にいろいろなところに行けたらいいなと思います」
「東京行くんか。ええなあ。そのかわり日本の夏は暑いから、くれぐれも暑さ対策は忘れんようにな」
キャサリンの話を聞いた美鈴は羨ましそうな顔をした。
そこでキャサリンの家族が学校を立ち去ろうとしたとき、紫が思い切って小百合を呼び止めた。
「あの…すみません」
紫のすがるような表情を見て、小百合はきょとんとしていた。それにもかかわらず、紫は一心に小百合に話しかけた。
「キャサリンのお母さんからは、イギリスの生活や、そこで暮らすにはどのようにすればいいかについて、もっと話を聞かせてほしいです。忙しいのはわかっていますが、もしよければイギリスに帰るまでの間にもっと話を聞かせて下さい」
小百合はしばらく黙ったまま、紫の顔をじっと見つめていた。潮音は紫が小百合を前にこれだけ思い切った行動に出たことに驚いたものの、紫の眼差しが真剣なのを見て、それに小百合がどう答えるかと固唾を飲んで見守った。
やがて小百合は、紫の顔を見つめ直すとあらためて深くうなづいた。
「…わかったわ。今日は夕方家族で食事に行くまで時間が空いているから、その間の時間は大丈夫かしら」
小百合の返事を聞いて、紫は一気に表情をほころばせた。潮音も紫の心中をすぐに見抜いた小百合の目も大したものだと思った。
「はい。今日はこれから午後は時間が空いています。私のために時間を割いて下さり、どうもありがとうございます」
そう言って紫は小百合に丁寧にお辞儀をした。潮音は今日はバレエの練習もないし、時間が空いていて良かったと思っていたところ、琴絵も積極的に名乗りをあげた。
「私もイギリスの話をもっと聞きたいです。私も一緒に来ていいですか」
「ええ、もちろんよ」
小百合は琴絵に対しても笑顔で答えた後で、潮音にも目を向けた。
「あなたはこの生徒会長の子の友達なの? ちょっと見たところ、あなたも何か言いたそうね。なんだったら私たちについてくる? 私も神戸に戻るのは久しぶりだから、いろいろ案内してくれないかしら」
潮音は小百合に言われて、思わず背筋を伸ばして「はい」と返事をしていた。潮音は小百合の勘の鋭さにあらためて驚いたが、小百合に対して尋ねたいことはいろいろあったものの、いざ小百合を前にするとそれをどのように整理して話すべきか、戸惑わずにはいられなかった。
「あたしは陸上部の練習で疲れたから遠慮しとくわ。みんなでちゃんと話聞くとええよ」
そう言って美鈴は、キャサリンの家族と共にカフェテリアを後にする紫と琴絵、潮音を見送った。
「こんな汗臭いかっこでキャサリンの家族に会ったって恥ずかしいからな」
美鈴が去った後、エドワードを案内しながらみんなでカフェテリアに向かう途中で、潮音は紫にそっと耳打ちした。
「今日のキャサリンは本当に嬉しそうだね。久しぶりに家族に会えたんだものね」
「そりゃキャサリンだって、両親とずっと会えなくてさみしいと思うことはあるよ」
潮音はこれまで、高校で親元を離れて日本に留学したキャサリンの行動力には感服していたものの、そのキャサリンもやはりホームシックにかかることはあるのだなと感じていた。
しかしその間も、エドワードは補習や部活動で夏休み中にも登校した生徒たちの視線を一身に集めていた。日ごろ生徒たちと同年代の男子の姿などない女子校の校内を、金髪のあどけない少年が歩いているのだから、注目するなという方が無理だろう。みんなでカフェテリアに入ると、生徒たちの中にはキャサリンに声をかける者もいた。
「この子はキャサリンの弟なの? めっちゃかわいいじゃん」
そう言いながら生徒たちが歓声を上げて熱いまなざしを向けると、エドワードはますます当惑の色を見せた。潮音や紫も、それを見ながらやれやれと息をつくしかなかった。
カフェテリアの席の一角では、補習に出ていた寺島琴絵が文庫本を広げていた。はしゃいでいる生徒たちの様子にクールな視線を向けていた琴絵も、エドワードの姿には驚きの色を見せていた。
何とかしてキャサリンがエドワードを琴絵の隣の席につかせ、みんなもテーブルを囲んで椅子に腰を下すと、さっそく紫がキャサリンを向き直して口を開いた。
「私、キャサリンのお母さんってすごくしっかりした人なんだろうなって前から思ってたんだ。イギリスに行ってそこで現地の人と結婚して、仕事をしっかりやるだけじゃなくてキャサリンをこんなにちゃんと育ててるんだから」
紫が小百合に憧れている様子は、傍から見ても明らかだった。その紫ののぼせた様子には、キャサリンまでもが当惑したような顔をしていた。
「そんな…私やエドワードの前では普通のお母さんですよ」
ちょうどそのとき、美鈴も着替えを済ませてカフェテリアに現れた。美鈴も紫の話を聞くと、それに深く同意していた。
「ほんまやで。あたしかてキャサリンのお母さんってほんますごいと思うよ。イギリスで暮してるからといって、自分は日本人やってことを忘れてへんし。私もそのお母さんが日本に来るなんて思わへんかったわ。それにキャサリンのお父さんかて、ダンディでかっこええ人やん」
そこで紫もあらためてキャサリンの顔を見つめ直した。
「私、キャサリンのお母さんにはもっといろいろ話を聞かせてほしいな。イギリスの生活はどんな感じなのかとか、そこでどうやってキャサリンを育てたのかとか」
紫が小百合に対して興味津々な様子をしているのを見て、キャサリンは少々気づまりな表情をした。
「紫はやっぱり外国に行きたいのですか」
「まだわかんないけどね。でもこれから私だってもしかしたら外国で暮らすことになるかもしれないし、もっと世界を股にかけて活躍したいって気もあるんだ」
そこで美鈴はため息混じりに言った。
「ほんま紫の考えることはちゃうなあ。あたしなんか日本食とあったかいお風呂のないとこでは暮らせそうにあらへんわ」
琴絵も紫や美鈴の話の内容には、興味を示しているようだった。
「キャサリンのお父さんってロンドンの大学で日本文学の研究をしてるんでしょ? イギリスではどんな小説が読まれているのか、ぜひ話聞かせてほしいな」
そこでキャサリンも琴絵の話に答えた。
「父は小説だけでなく、日本の漫画も面白いと言ってくれるのですよ。今ではエドワードと一緒に日本の漫画を読むことだってあります」
みんなはキャサリンの話を聞いて、ロバートとエドワードが一緒に漫画を読んでいる光景を思い浮かべて思わず笑みを浮べていた。そこで琴絵は、さっそく身を乗り出してエドワードに尋ねた。
「イギリスではどんな漫画やアニメが流行ってるの?」
エドワードは恥ずかしそうな顔をしながらも、いくつかの漫画やアニメの名をあげた。それらは日本でも名が知られている人気の作品ばかりだったので、みんな驚きの表情を浮べたが、琴絵はそこから漫画について話を始めたので、エドワードはますます当惑していた。潮音は琴絵が、好きな本や漫画のことになると話が止まらなくなるのはいつものことだと思っていた。
そのようにしてみんなが話すのを聞きながら、潮音は心の中でモニカや流風のことを思い出していた。モニカもフィリピンで生れて潮音の祖父の敦義と結婚し、来日して日本語をマスターして流風を育てたものの、そこに至るまでの苦労はどれだけのものだっただろうかと潮音はあらためて考えていた。小百合といいモニカといい、自分には彼女たちのように自分の生き方を決めてそれに向けて突き進むだけの勇気があるだろうか、いやそもそもその「自分の生き方」というもの自体、口では弁護士になりたいとは言っているものの、これは本当に自分の本心なのだろうか、自分だってもしかしたら将来外国で暮らすことだってあるかもしれないと考えていると、心の中にはもつれた糸玉のように疑念ばかりが深まっていった。
そうしているうちに、理事長との面会を終えたロバートと小百合がカフェテリアに姿を現した。小百合は自分も通学していた頃はこのカフェテリアを利用していただけあって、辺りを懐かしそうに見回していた。キャサリンは両親の顔を見るなり嬉しそうにそのそばに駆け寄った。
「今夜は祖父母も一緒になって、みんなでホテルの中にある日本料理の店に行くことになっているのです」
そう話すときのキャサリンの顔は見るからに嬉しそうだった。潮音たちもキャサリンが家族と一緒に水入らずのひとときを過ごすところを想像して、思わず表情をほころばせていた。
そこで潮音はキャサリンに尋ねた。
「キャサリンの家族はいつまで日本にいるの?」
「学会は明後日とその次の日に東京であるので、私も一緒に新幹線で東京に行く予定です。そして両親が学会に出ている間に私とエドワードは東京を見て回ります。両親とエドワードは一週間くらい日本に滞在するので、その間にいろいろなところに行けたらいいなと思います」
「東京行くんか。ええなあ。そのかわり日本の夏は暑いから、くれぐれも暑さ対策は忘れんようにな」
キャサリンの話を聞いた美鈴は羨ましそうな顔をした。
そこでキャサリンの家族が学校を立ち去ろうとしたとき、紫が思い切って小百合を呼び止めた。
「あの…すみません」
紫のすがるような表情を見て、小百合はきょとんとしていた。それにもかかわらず、紫は一心に小百合に話しかけた。
「キャサリンのお母さんからは、イギリスの生活や、そこで暮らすにはどのようにすればいいかについて、もっと話を聞かせてほしいです。忙しいのはわかっていますが、もしよければイギリスに帰るまでの間にもっと話を聞かせて下さい」
小百合はしばらく黙ったまま、紫の顔をじっと見つめていた。潮音は紫が小百合を前にこれだけ思い切った行動に出たことに驚いたものの、紫の眼差しが真剣なのを見て、それに小百合がどう答えるかと固唾を飲んで見守った。
やがて小百合は、紫の顔を見つめ直すとあらためて深くうなづいた。
「…わかったわ。今日は夕方家族で食事に行くまで時間が空いているから、その間の時間は大丈夫かしら」
小百合の返事を聞いて、紫は一気に表情をほころばせた。潮音も紫の心中をすぐに見抜いた小百合の目も大したものだと思った。
「はい。今日はこれから午後は時間が空いています。私のために時間を割いて下さり、どうもありがとうございます」
そう言って紫は小百合に丁寧にお辞儀をした。潮音は今日はバレエの練習もないし、時間が空いていて良かったと思っていたところ、琴絵も積極的に名乗りをあげた。
「私もイギリスの話をもっと聞きたいです。私も一緒に来ていいですか」
「ええ、もちろんよ」
小百合は琴絵に対しても笑顔で答えた後で、潮音にも目を向けた。
「あなたはこの生徒会長の子の友達なの? ちょっと見たところ、あなたも何か言いたそうね。なんだったら私たちについてくる? 私も神戸に戻るのは久しぶりだから、いろいろ案内してくれないかしら」
潮音は小百合に言われて、思わず背筋を伸ばして「はい」と返事をしていた。潮音は小百合の勘の鋭さにあらためて驚いたが、小百合に対して尋ねたいことはいろいろあったものの、いざ小百合を前にするとそれをどのように整理して話すべきか、戸惑わずにはいられなかった。
「あたしは陸上部の練習で疲れたから遠慮しとくわ。みんなでちゃんと話聞くとええよ」
そう言って美鈴は、キャサリンの家族と共にカフェテリアを後にする紫と琴絵、潮音を見送った。
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