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「メイドの沙汰も時給次第」
メイドの沙汰も時給次第(3)
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制服姿で自転車を漕ぎ、私は募集にあった住所までやってきた。狭い市内でも聞き慣れない番地名だったけど、そこは住宅地や商店街から少し離れた雑木林の中。途中までは自然公園的な扱いなのか多少の整備がされていたが、地図アプリが示すあたりまで来ると、もはやそれもない。
不安が高まるのを感じつつ、そばにあった木の脇に自転車を停めると、それまで木々が重なってちょうど見えなかったそれが目に飛び込んできた。
林の中にポッカリ開けた空間に――物語の中からそっくり持ち出してきたかのようなクラシックな洋館が、ひそやかに、しかし言いようのない存在感を放ちながら、そこにあった。
素朴で重厚な門構え。シックな黒茶のレンガ造りに、丸みを帯びた出窓や玄関アーチ。
狭い土地の中でいかに少しでも多く生活スペースを捻出するかという現代日本の建築事情などまるで意に介さない、上品で贅沢なそのたたずまい。
心なしか洋館の周囲にうっすらと霧がかかっているようにさえ感じられる。
しばらくポカンとしてその洋館を眺めてから、わたしはようやく当初の目的を思い出す。間違いなくここが求人先だ。
「見るからに怪しい」と思う一方で、「なるほど、こんなお屋敷ならメイドが働いてても不自然じゃないな」とも思う。
私の中の危険感知メーターも、左右どちらに振れていいやら困っているようだ。
「……よし」
意を決したわたしは屋敷に向けて、足元に散らばる落ち葉の上に一歩を踏み出した。
わたしはファンタジーものの小説や漫画が好きでよく読んでいたりするけれど、まるでその中のワンシーンみたいだな、と思いながら。
たとえば『ガランドーア軍国記』の主要人物のひとり、偏屈で人間嫌いの若き賢者シバの屋敷のイメージが、まさにこんな感じだ。
――肩から提げたスクール鞄にそっと手を添える。
学校を出るとき、「念のため、これ貸したげる」と、咲から黒くて四角い塊を渡された。スタンガンらしい。ファンタジーとは対照的なこのシロモノも、実物に触れるのは初めてだった。
エントランス前の低い石段を上がり、扉の前に立つ。
見たこともない高価そうな木材でできた分厚い扉に、竜をかたどった真鍮製のノッカーが、静かな輝きを放っている。
17年の人生で初めてノッカーを使って扉を叩き、しばし待つ。
「――入りたまえ」
扉越しに、くぐもった男性の声がした。遠くてよくわからないものの、想像していたより若々しい感じだ。
と言うか口調のほうが気になったけど、わたしは大きな扉をそっと押し開けた。
思ったより力はいらなかった。見た目は古めかしく作ってあるが、構造は最新式らしい。
「失礼します……」
ゆっくりと閉まる扉の隙間から差し込む夕日に照らし出された館の内装は、これまたイメージしていた通りで、「あぁ、こういうのアニメか何かで見たことある」と言いたくなるような光景が目の前にあった。
吹き抜けになった広間の正面には、絨毯敷きの大きな階段が二階へと続いている。
その階段のちょうど真ん中あたり、背の高い男性がゆっくりとわたしのほうへと降りてこようとしていた。
細身のジャケットにスラックス、そして白ベストの三つ揃い。立襟のシャツの首元に巻かれた幅広のタイ。この屋敷の内装の一部だと言われても違和感がない、“紳士”という概念を具現化したような存在がそこにいて、落ち着いた静かな声音でこう言った。
「ようこそ。私が、この屋敷の主人だ」
“紳士”が階段を降りてくる。
その口調も、ひとつひとつの動作も、まるで2.5次元の舞台を見ているようで――
銀縁の眼鏡をかけ、顎が細く尖った“彼”の端正な顔立ちがハッキリ見えてくるにつれ、いっそうその印象を加速させる。
……えっと。これ、夢かな。
頬をつねるかわりに、鞄ごしにスタンガンの重量を確かめた。
メイドを募集するのがいったいどんな人間か。お年寄りか、いやらしそうな中年男性か、その二択を想像していた。
ところがわたしの前にいるのは芝居がかった若いイケメンだ。
現実味がないのはともかくとして、これがもし妄想だとしたら、まるでわたしがそういう趣味みたいじゃない。
小説を読むのは好きだけど、自分をヒロインの立場におくような、そういう夢属性はわたしにはない。
「確か、サワラビ……早蕨有紗くんと言ったか」
あれこれ考えているうちに、彼はわたしのすぐ目の前に立っていた。
相手の背が高いので、少し見上げる格好になる。眼鏡のレンズごしに、やや切れ長の目がわたしに向けられる。
「……はい。メールさせていただいた早蕨です」
「ふむ。それが採用基準というわけではないが、異国風の響きがして良い名だ」
わたしはそこで思い出して、用意していた履歴書を鞄から取り出して手渡した。
「募集の文面について、市の担当者とずいぶん揉めたが……きちんと礼節をわきまえたお嬢さんが来てくれて良かった。まったく、私がいったいどれほど市民税を納めていると思っているんだ」
「あの、六堂さん……ですか?」
「ああ、私が六堂だ。では、さっそく着替えてもらおうか。メイドの制服はこちらで用意してある」
――来た、と思った。
このロケーションと相手の立ち居振る舞い。よく知らないけど、これがイメージプレイとかいうやつなのかな……。
「えっと、今日は面接というお話でしたよね……?」
「そうだが、まず形から入ったほうが、お互い話が早いだろう? できれば家事能力も見ておきたいところだし」
「あ……やっぱり家事能力もいる感じですか」
「当たり前だろう。君はメイドの仕事を何だと思っているんだ」
六堂氏は、言葉通りさも当然という様子でそう言って、向こうに見える廊下の奥を指さした。
「更衣室はそこに作ってある。私物もそこに置いておくといいだろう」
そう言って彼は、あらためて履歴書に目を通しはじめた。
不安が高まるのを感じつつ、そばにあった木の脇に自転車を停めると、それまで木々が重なってちょうど見えなかったそれが目に飛び込んできた。
林の中にポッカリ開けた空間に――物語の中からそっくり持ち出してきたかのようなクラシックな洋館が、ひそやかに、しかし言いようのない存在感を放ちながら、そこにあった。
素朴で重厚な門構え。シックな黒茶のレンガ造りに、丸みを帯びた出窓や玄関アーチ。
狭い土地の中でいかに少しでも多く生活スペースを捻出するかという現代日本の建築事情などまるで意に介さない、上品で贅沢なそのたたずまい。
心なしか洋館の周囲にうっすらと霧がかかっているようにさえ感じられる。
しばらくポカンとしてその洋館を眺めてから、わたしはようやく当初の目的を思い出す。間違いなくここが求人先だ。
「見るからに怪しい」と思う一方で、「なるほど、こんなお屋敷ならメイドが働いてても不自然じゃないな」とも思う。
私の中の危険感知メーターも、左右どちらに振れていいやら困っているようだ。
「……よし」
意を決したわたしは屋敷に向けて、足元に散らばる落ち葉の上に一歩を踏み出した。
わたしはファンタジーものの小説や漫画が好きでよく読んでいたりするけれど、まるでその中のワンシーンみたいだな、と思いながら。
たとえば『ガランドーア軍国記』の主要人物のひとり、偏屈で人間嫌いの若き賢者シバの屋敷のイメージが、まさにこんな感じだ。
――肩から提げたスクール鞄にそっと手を添える。
学校を出るとき、「念のため、これ貸したげる」と、咲から黒くて四角い塊を渡された。スタンガンらしい。ファンタジーとは対照的なこのシロモノも、実物に触れるのは初めてだった。
エントランス前の低い石段を上がり、扉の前に立つ。
見たこともない高価そうな木材でできた分厚い扉に、竜をかたどった真鍮製のノッカーが、静かな輝きを放っている。
17年の人生で初めてノッカーを使って扉を叩き、しばし待つ。
「――入りたまえ」
扉越しに、くぐもった男性の声がした。遠くてよくわからないものの、想像していたより若々しい感じだ。
と言うか口調のほうが気になったけど、わたしは大きな扉をそっと押し開けた。
思ったより力はいらなかった。見た目は古めかしく作ってあるが、構造は最新式らしい。
「失礼します……」
ゆっくりと閉まる扉の隙間から差し込む夕日に照らし出された館の内装は、これまたイメージしていた通りで、「あぁ、こういうのアニメか何かで見たことある」と言いたくなるような光景が目の前にあった。
吹き抜けになった広間の正面には、絨毯敷きの大きな階段が二階へと続いている。
その階段のちょうど真ん中あたり、背の高い男性がゆっくりとわたしのほうへと降りてこようとしていた。
細身のジャケットにスラックス、そして白ベストの三つ揃い。立襟のシャツの首元に巻かれた幅広のタイ。この屋敷の内装の一部だと言われても違和感がない、“紳士”という概念を具現化したような存在がそこにいて、落ち着いた静かな声音でこう言った。
「ようこそ。私が、この屋敷の主人だ」
“紳士”が階段を降りてくる。
その口調も、ひとつひとつの動作も、まるで2.5次元の舞台を見ているようで――
銀縁の眼鏡をかけ、顎が細く尖った“彼”の端正な顔立ちがハッキリ見えてくるにつれ、いっそうその印象を加速させる。
……えっと。これ、夢かな。
頬をつねるかわりに、鞄ごしにスタンガンの重量を確かめた。
メイドを募集するのがいったいどんな人間か。お年寄りか、いやらしそうな中年男性か、その二択を想像していた。
ところがわたしの前にいるのは芝居がかった若いイケメンだ。
現実味がないのはともかくとして、これがもし妄想だとしたら、まるでわたしがそういう趣味みたいじゃない。
小説を読むのは好きだけど、自分をヒロインの立場におくような、そういう夢属性はわたしにはない。
「確か、サワラビ……早蕨有紗くんと言ったか」
あれこれ考えているうちに、彼はわたしのすぐ目の前に立っていた。
相手の背が高いので、少し見上げる格好になる。眼鏡のレンズごしに、やや切れ長の目がわたしに向けられる。
「……はい。メールさせていただいた早蕨です」
「ふむ。それが採用基準というわけではないが、異国風の響きがして良い名だ」
わたしはそこで思い出して、用意していた履歴書を鞄から取り出して手渡した。
「募集の文面について、市の担当者とずいぶん揉めたが……きちんと礼節をわきまえたお嬢さんが来てくれて良かった。まったく、私がいったいどれほど市民税を納めていると思っているんだ」
「あの、六堂さん……ですか?」
「ああ、私が六堂だ。では、さっそく着替えてもらおうか。メイドの制服はこちらで用意してある」
――来た、と思った。
このロケーションと相手の立ち居振る舞い。よく知らないけど、これがイメージプレイとかいうやつなのかな……。
「えっと、今日は面接というお話でしたよね……?」
「そうだが、まず形から入ったほうが、お互い話が早いだろう? できれば家事能力も見ておきたいところだし」
「あ……やっぱり家事能力もいる感じですか」
「当たり前だろう。君はメイドの仕事を何だと思っているんだ」
六堂氏は、言葉通りさも当然という様子でそう言って、向こうに見える廊下の奥を指さした。
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