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「メイドの沙汰も時給次第」
メイドの沙汰も時給次第(4)
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示された先は、こじんまりとして窓のない殺風景な部屋だった。
『作ってある』という言い方がちょっと気になっていたけど、確かにこれでは物置か更衣室ぐらいしか使い道がないだろう。
入って右手の壁は一面クローゼットになっているようで、部屋の奥にはアンティークの姿見がぽつんと置かれている。
アコーディオン開きのクローゼットの扉に手をかけると、クリーニングされた衣類特有の匂いがかすかに香る。思い切って引き開けると、そこには白と黒のメイド服が何着も、ずらりと並んで吊るされていた。
なかなかにパンチの効いた光景だ。
……メイドのお仕事、か。
最初から高額を提示されていたら、どう見てもヤバいバイトだと思うところだけど、応相談ということは、多少はその――いかがわしい仕事だとしても、そのぶん手っ取り早く稼げるのではないか。
心配してくれた咲には悪いけれど、恥ずかしながらわたしは、金額と自分の貞操観念を秤にかけ、どの程度までならアリか冷静に計算して、覚悟を決めていた。
もちろん、その許容範囲を超えるようだったら、すぐさま回れ右して逃げ帰るつもりだ。
わたしはそっと手を伸ばし、ハンガーに155というタグが付けられたメイド服を取り出した。
よく見ると内履きの靴とソックスまでサイズごとに用意されている。
いちおう念のため、カメラの類が仕掛けられていないか部屋中をチェックする。
素人のわたしが気づけるようなものではないかもしれないが、仕方がない。
どっちにしたって、兄の炎上画像が広く報道されてしまったら、わたしの人生も終わるのだ。それに比べたら、着替えシーンぐらいどうってことない。プールや海でなら、下着姿と大差ない程度の布面積で人前に出てきたじゃないか。
わたしはなるべく部屋の隅っこに行くと、姿見を動かして自分のほうを向けて、さらにそこにハンガーごとメイド服を引っかける。
そして、手早く制服を脱いだ。
メイド服で覆い隠した姿見の隙間に自分の肌が映るのが見えて、少しドキッとする。
六堂氏はなかなかイケメン……と言うか、相当に浮世離れした美男子だったし、お金を払ってまで“そういうこと”をしたがるだろうか?
その疑問に答えるかのように、ふと咲の顔が思い浮かんだ。
「そんなふうに異性慣れしてるっぽい人が、いちばん危ないんだよ?」と、彼女なら言いそうだ。
まぁ、でも……生理的に嫌悪を感じるような相手よりは、そういう人のほうが、まだマシじゃない?
頭の中の咲にそう言い訳して、わたしはメイド服に手をかけた。
大型量販店のパーティーグッズ売り場にあるような、フリフリしてスカート丈の短いメイド服を想像していたけど、これは膝下まである黒いワンピースで、クラシカルなタイプだ。生地も縫製もしっかりしている。
――それを着た上から白いエプロンを巻いて、腰の後ろでリボン結び。ホワイトブリムを髪にあてがったところで、わたしは初めて鏡の中の自分の姿を見た。
「……意外と悪くないかも、この格好」
おへその下あたりに両手を添えて、軽くお辞儀をしてみたり。
これが普通にウェイトレスとしての制服とかだったら、テンション上がるのに。
でも仕方ない。バカな兄と、最低賃金が時給千円なのが悪いんだ。
鞄を置いてクローゼットを閉めようとして、わたしは咲に持たされたスタンガンのことを思い出した。
「本体が約150gで、角型電池が40g×2。ちょうど自販機のスリム缶ぐらいの重さね。だから、女の子でも手軽に持ち歩けるよ」
咲はそう言っていたが、問題なのは重量ではないと思う。
わたしは少し考えてから、スカートの片側をたくし上げて、右の太ももにホルスターのベルトを巻いた。
軽く歩いたり跳んだりしてみたが、スカートが長いおかげで意外と目立たず安定している。
ガンマンかスパイにでもなったような気分で、こんな状況だというのになんだか不思議と勇気が湧いてきた。
ありがとう、咲。
「あの、着替え……ました」
「うむ」
更衣室から出てきたわたしを見て、六堂氏は軽くうなずく。
「もう少し堂々としていたまえ。最近の若い娘には地味と映るかもしれないが、それは由緒ある正統なメイドの仕事着なんだ」
よこしまな目的なら、すぐにでも近くに寄って来られるのではないかと警戒していたが、六堂氏は逆に一歩引いて、わたしを上から下までじろじろと眺め回した。
さっきまで着ていた学校の制服より肌の露出は少ないのに、なんだかすごく恥ずかしい。
「……メイドとしては少々ふっくらしすぎな気がしていたが、案外しっくり来るものだな」
なんだか年頃の女子としては聞き捨てならないことを言われた気がする。
「確かに、胸回りはちょっとキツいですけど」
……いやいや、そんなところでムキになってどうする、わたし。
しかしなぜか六堂氏はそこに食いついてきた。
「そう、そこだ。露出の激しいミニスカートなどは論外だとして、巷で見かけるメイドの絵などを見て、何か違和感がないかな?」
「……そもそもメイドの絵をあまり見たりしないので……」
雇用主として高給を払ってくれるかもしれない相手だ。わたしはなるべく穏便に言葉を選んで答える。
が、六堂氏は特に気にする様子もなく続ける。
「メイド服とはすなわち仕事着だ。オートクチュールの令嬢ならいざ知らず、お仕着せのメイド服がぴったり身体のサイズに合ってるなどリアリティに欠けるだろう」
……そう言われても、この令和時代の日本におけるメイドの“リアル”とは……?
「えっと、よくわかりませんけど、これでいいんでしょうか……?」
「ああ、初日としては十分に及第だよ。学生服のときは気づかなかったが、君は立ち姿が実に凛としている。メイドの在り方をよく理解しているね」
メイドの在り方とは、いったい……?
言われ慣れていない褒められ方をされて、わたしの中でまた不安が頭をもたげてきた。
初対面の女の子を歯の浮くような言葉で褒めるのは、“そういう仕事”の常套手段じゃない?
……それなりの覚悟はしてきたんだ。はっきりさせるなら早いほうがいい。
それこそ、水着姿で海やプールに入るときのように。
冷たいのは最初の一瞬だけ。すぐに慣れて、それが当たり前になる。
わたしは思い切って口を開いた。
「……その、脱いだり……とかは……?」
覚悟はしていたつもりだったのに、口に出してみると、自分の言葉に頬が熱くなる。
六堂氏は一瞬沈黙したあと、怪訝そうな顔で聞き返した。
「せっかく着たものをなぜわざわざ脱ぐ必要がある?」
「……それじゃ、この格好で何か、写真を撮られたりとかするんでしょうか」
「写真……? 履歴書にはすでに貼ってあったが?」
お互いによくわからない表情をしながら、わたしと六堂氏はしばし見つめ合った。
「もしかして……わたしは、このメイド服を着て家事をすればいいんですか?」
「……先ほどから、君はいったい何のつもりで応募してきたんだ?」
「何って、その……」
「写真を撮るとしたら、君が私の写真を撮るのだ。主従とまでは言わないが、雇用関係をわきまえたまえ」
ちょっとよくわからない理屈だけど、わたしは安堵した。一気に緊張が解ける。
どうやらわたしや咲が危惧したようなことはなくて――このバイトは、ちょっと風変わりだけど割がいい家政婦バイトだったんだ。
わたしはきっと、当たりを引いたんだ。
うん。これまであんなに不幸続きだったんだもん。このぐらいの幸運があったっていい。
「すいません、ちょっと安心しました。失礼ですけど、てっきり六堂さんって、変なメイド趣味な方なのかと」
「――メイド趣味、だと?」
その言葉を聞いて、六堂氏の声のトーンが一変した。
ファンタジーの世界みたいなこの屋敷の中の空気が、その一瞬で変わった――そんなふうに肌で感じた。
「……まったく、嘆かわしい。昨今はメイドという職に対する誤った印象が世間に蔓延している」
大仰にため息をつくと、六堂氏は静かな、けれど有無を言わさぬ強い圧を放つ口調で話しはじめた。
「率直に言おう。私はメイドという存在に心の底からの憧憬と崇拝の念を抱いている。愛していると言ってもいい」
「え……」
いったん落ち着き始めていたわたしの中の危険度メーターの針が、また大きく振れだした。
「近年の萌えブームなどの影響では決してない。思春期に入るよりも前から、わたしは映画や物語に登場するメイドたちの姿に、言いようのない魅力を感じていた。かいがいしく主人に仕え、冷静かつ的確に仕事をこなしていく名もなき彼女たちの姿を、素晴らしく美しいと思った」
演劇のセリフのようにすらすらと、彼の語りは途切れることなく朗々と続いていく。
「そして子供心に誓ったのだ――大きくなったら自分も、メイドを雇って暮らすのだと!」
わたしは、そろそろと後ずさりを始めた。
そんなわたしに向かって、六堂氏はビシッと指を突き付けた
「だがしかし考えてもみたまえ、この現代日本の住宅事情と就職事情を。……狭いワンルームのアパートで、朝から深夜まで会社で働かされて疲れ切って帰宅する。そんな生活の中で仮にメイドを雇ったとして、はたしてそれはメイドと呼べるだろうか?」
そう言いながら六堂氏は、軽やかな足取りでなぜか再び階段を中ほどまで登り始めた。
そこでくるっと華麗にターンを決め、オペラさながらに片手を虚空に差し伸べて、ひときわ声の調子を強めて言う。
「否、断じて否! 理想のメイドを得るためには、まず自らが理想のご主人様とならねばなるまい!」
……あぁ、そうだったんだ。
わたしがこの屋敷に足を踏み入れたとき、六堂氏は今のように階段の中ほどに立っていた。
てっきり、二階から降りてきたところだと思っていた。
でも違う。わざわざあそこまで上って、それからまたわたしの前に降りてきたんだ。
――それが“ご主人様”としてふさわしい演出だから。
最初、二階にいたんだとしたら、玄関の外にいるわたしまで声が届くはずないもんね。
現実逃避気味にそんなことを考えているわたしの前で、六堂氏はメイドについての演説を続ける。メイドスピーチだ。
「メイド好きを公言してはばからない今の世の男どもには、その覚悟が欠けている! 立派なご主人様になるという覚悟が……! まったく嘆かわしい限りだ。私は十代の頃からその目的のためにただ黙々と努力を重ね続け――そしてようやく、メイドに似つかわしいこの館を建てることができた」
「え――」
さっき、『更衣室を作らせた』という言葉が少し引っかかっていたのだが、まさか。
「まさか、このお屋敷って、そのためだけに……」
「ああ。本当はちゃんと歴史のある古い屋敷を買い取りたかったが、今の時代では防火だの耐震だの基準がうるさくてね。知人の建築家に頼んで一からレトロ風の洋館を建ててもらった」
わたしが着ているこのメイド服が、急にズシリと重く感じた。何かの修行かな。
重い。メイドへの愛が予想とは違うベクトルで重すぎる。
そして六堂さんは、最初の時のようにゆっくりと階段を降りてきて、わたしと向き合った。
「……そして今日、メイドとして君が来てくれた。十年越しの私の夢が、今こうして叶ったのだ」
わたしを見つめる彼の瞳はとてもまっすぐで、純粋で、そこに宿る意志は本物だった。
本物のバカだ。
『作ってある』という言い方がちょっと気になっていたけど、確かにこれでは物置か更衣室ぐらいしか使い道がないだろう。
入って右手の壁は一面クローゼットになっているようで、部屋の奥にはアンティークの姿見がぽつんと置かれている。
アコーディオン開きのクローゼットの扉に手をかけると、クリーニングされた衣類特有の匂いがかすかに香る。思い切って引き開けると、そこには白と黒のメイド服が何着も、ずらりと並んで吊るされていた。
なかなかにパンチの効いた光景だ。
……メイドのお仕事、か。
最初から高額を提示されていたら、どう見てもヤバいバイトだと思うところだけど、応相談ということは、多少はその――いかがわしい仕事だとしても、そのぶん手っ取り早く稼げるのではないか。
心配してくれた咲には悪いけれど、恥ずかしながらわたしは、金額と自分の貞操観念を秤にかけ、どの程度までならアリか冷静に計算して、覚悟を決めていた。
もちろん、その許容範囲を超えるようだったら、すぐさま回れ右して逃げ帰るつもりだ。
わたしはそっと手を伸ばし、ハンガーに155というタグが付けられたメイド服を取り出した。
よく見ると内履きの靴とソックスまでサイズごとに用意されている。
いちおう念のため、カメラの類が仕掛けられていないか部屋中をチェックする。
素人のわたしが気づけるようなものではないかもしれないが、仕方がない。
どっちにしたって、兄の炎上画像が広く報道されてしまったら、わたしの人生も終わるのだ。それに比べたら、着替えシーンぐらいどうってことない。プールや海でなら、下着姿と大差ない程度の布面積で人前に出てきたじゃないか。
わたしはなるべく部屋の隅っこに行くと、姿見を動かして自分のほうを向けて、さらにそこにハンガーごとメイド服を引っかける。
そして、手早く制服を脱いだ。
メイド服で覆い隠した姿見の隙間に自分の肌が映るのが見えて、少しドキッとする。
六堂氏はなかなかイケメン……と言うか、相当に浮世離れした美男子だったし、お金を払ってまで“そういうこと”をしたがるだろうか?
その疑問に答えるかのように、ふと咲の顔が思い浮かんだ。
「そんなふうに異性慣れしてるっぽい人が、いちばん危ないんだよ?」と、彼女なら言いそうだ。
まぁ、でも……生理的に嫌悪を感じるような相手よりは、そういう人のほうが、まだマシじゃない?
頭の中の咲にそう言い訳して、わたしはメイド服に手をかけた。
大型量販店のパーティーグッズ売り場にあるような、フリフリしてスカート丈の短いメイド服を想像していたけど、これは膝下まである黒いワンピースで、クラシカルなタイプだ。生地も縫製もしっかりしている。
――それを着た上から白いエプロンを巻いて、腰の後ろでリボン結び。ホワイトブリムを髪にあてがったところで、わたしは初めて鏡の中の自分の姿を見た。
「……意外と悪くないかも、この格好」
おへその下あたりに両手を添えて、軽くお辞儀をしてみたり。
これが普通にウェイトレスとしての制服とかだったら、テンション上がるのに。
でも仕方ない。バカな兄と、最低賃金が時給千円なのが悪いんだ。
鞄を置いてクローゼットを閉めようとして、わたしは咲に持たされたスタンガンのことを思い出した。
「本体が約150gで、角型電池が40g×2。ちょうど自販機のスリム缶ぐらいの重さね。だから、女の子でも手軽に持ち歩けるよ」
咲はそう言っていたが、問題なのは重量ではないと思う。
わたしは少し考えてから、スカートの片側をたくし上げて、右の太ももにホルスターのベルトを巻いた。
軽く歩いたり跳んだりしてみたが、スカートが長いおかげで意外と目立たず安定している。
ガンマンかスパイにでもなったような気分で、こんな状況だというのになんだか不思議と勇気が湧いてきた。
ありがとう、咲。
「あの、着替え……ました」
「うむ」
更衣室から出てきたわたしを見て、六堂氏は軽くうなずく。
「もう少し堂々としていたまえ。最近の若い娘には地味と映るかもしれないが、それは由緒ある正統なメイドの仕事着なんだ」
よこしまな目的なら、すぐにでも近くに寄って来られるのではないかと警戒していたが、六堂氏は逆に一歩引いて、わたしを上から下までじろじろと眺め回した。
さっきまで着ていた学校の制服より肌の露出は少ないのに、なんだかすごく恥ずかしい。
「……メイドとしては少々ふっくらしすぎな気がしていたが、案外しっくり来るものだな」
なんだか年頃の女子としては聞き捨てならないことを言われた気がする。
「確かに、胸回りはちょっとキツいですけど」
……いやいや、そんなところでムキになってどうする、わたし。
しかしなぜか六堂氏はそこに食いついてきた。
「そう、そこだ。露出の激しいミニスカートなどは論外だとして、巷で見かけるメイドの絵などを見て、何か違和感がないかな?」
「……そもそもメイドの絵をあまり見たりしないので……」
雇用主として高給を払ってくれるかもしれない相手だ。わたしはなるべく穏便に言葉を選んで答える。
が、六堂氏は特に気にする様子もなく続ける。
「メイド服とはすなわち仕事着だ。オートクチュールの令嬢ならいざ知らず、お仕着せのメイド服がぴったり身体のサイズに合ってるなどリアリティに欠けるだろう」
……そう言われても、この令和時代の日本におけるメイドの“リアル”とは……?
「えっと、よくわかりませんけど、これでいいんでしょうか……?」
「ああ、初日としては十分に及第だよ。学生服のときは気づかなかったが、君は立ち姿が実に凛としている。メイドの在り方をよく理解しているね」
メイドの在り方とは、いったい……?
言われ慣れていない褒められ方をされて、わたしの中でまた不安が頭をもたげてきた。
初対面の女の子を歯の浮くような言葉で褒めるのは、“そういう仕事”の常套手段じゃない?
……それなりの覚悟はしてきたんだ。はっきりさせるなら早いほうがいい。
それこそ、水着姿で海やプールに入るときのように。
冷たいのは最初の一瞬だけ。すぐに慣れて、それが当たり前になる。
わたしは思い切って口を開いた。
「……その、脱いだり……とかは……?」
覚悟はしていたつもりだったのに、口に出してみると、自分の言葉に頬が熱くなる。
六堂氏は一瞬沈黙したあと、怪訝そうな顔で聞き返した。
「せっかく着たものをなぜわざわざ脱ぐ必要がある?」
「……それじゃ、この格好で何か、写真を撮られたりとかするんでしょうか」
「写真……? 履歴書にはすでに貼ってあったが?」
お互いによくわからない表情をしながら、わたしと六堂氏はしばし見つめ合った。
「もしかして……わたしは、このメイド服を着て家事をすればいいんですか?」
「……先ほどから、君はいったい何のつもりで応募してきたんだ?」
「何って、その……」
「写真を撮るとしたら、君が私の写真を撮るのだ。主従とまでは言わないが、雇用関係をわきまえたまえ」
ちょっとよくわからない理屈だけど、わたしは安堵した。一気に緊張が解ける。
どうやらわたしや咲が危惧したようなことはなくて――このバイトは、ちょっと風変わりだけど割がいい家政婦バイトだったんだ。
わたしはきっと、当たりを引いたんだ。
うん。これまであんなに不幸続きだったんだもん。このぐらいの幸運があったっていい。
「すいません、ちょっと安心しました。失礼ですけど、てっきり六堂さんって、変なメイド趣味な方なのかと」
「――メイド趣味、だと?」
その言葉を聞いて、六堂氏の声のトーンが一変した。
ファンタジーの世界みたいなこの屋敷の中の空気が、その一瞬で変わった――そんなふうに肌で感じた。
「……まったく、嘆かわしい。昨今はメイドという職に対する誤った印象が世間に蔓延している」
大仰にため息をつくと、六堂氏は静かな、けれど有無を言わさぬ強い圧を放つ口調で話しはじめた。
「率直に言おう。私はメイドという存在に心の底からの憧憬と崇拝の念を抱いている。愛していると言ってもいい」
「え……」
いったん落ち着き始めていたわたしの中の危険度メーターの針が、また大きく振れだした。
「近年の萌えブームなどの影響では決してない。思春期に入るよりも前から、わたしは映画や物語に登場するメイドたちの姿に、言いようのない魅力を感じていた。かいがいしく主人に仕え、冷静かつ的確に仕事をこなしていく名もなき彼女たちの姿を、素晴らしく美しいと思った」
演劇のセリフのようにすらすらと、彼の語りは途切れることなく朗々と続いていく。
「そして子供心に誓ったのだ――大きくなったら自分も、メイドを雇って暮らすのだと!」
わたしは、そろそろと後ずさりを始めた。
そんなわたしに向かって、六堂氏はビシッと指を突き付けた
「だがしかし考えてもみたまえ、この現代日本の住宅事情と就職事情を。……狭いワンルームのアパートで、朝から深夜まで会社で働かされて疲れ切って帰宅する。そんな生活の中で仮にメイドを雇ったとして、はたしてそれはメイドと呼べるだろうか?」
そう言いながら六堂氏は、軽やかな足取りでなぜか再び階段を中ほどまで登り始めた。
そこでくるっと華麗にターンを決め、オペラさながらに片手を虚空に差し伸べて、ひときわ声の調子を強めて言う。
「否、断じて否! 理想のメイドを得るためには、まず自らが理想のご主人様とならねばなるまい!」
……あぁ、そうだったんだ。
わたしがこの屋敷に足を踏み入れたとき、六堂氏は今のように階段の中ほどに立っていた。
てっきり、二階から降りてきたところだと思っていた。
でも違う。わざわざあそこまで上って、それからまたわたしの前に降りてきたんだ。
――それが“ご主人様”としてふさわしい演出だから。
最初、二階にいたんだとしたら、玄関の外にいるわたしまで声が届くはずないもんね。
現実逃避気味にそんなことを考えているわたしの前で、六堂氏はメイドについての演説を続ける。メイドスピーチだ。
「メイド好きを公言してはばからない今の世の男どもには、その覚悟が欠けている! 立派なご主人様になるという覚悟が……! まったく嘆かわしい限りだ。私は十代の頃からその目的のためにただ黙々と努力を重ね続け――そしてようやく、メイドに似つかわしいこの館を建てることができた」
「え――」
さっき、『更衣室を作らせた』という言葉が少し引っかかっていたのだが、まさか。
「まさか、このお屋敷って、そのためだけに……」
「ああ。本当はちゃんと歴史のある古い屋敷を買い取りたかったが、今の時代では防火だの耐震だの基準がうるさくてね。知人の建築家に頼んで一からレトロ風の洋館を建ててもらった」
わたしが着ているこのメイド服が、急にズシリと重く感じた。何かの修行かな。
重い。メイドへの愛が予想とは違うベクトルで重すぎる。
そして六堂さんは、最初の時のようにゆっくりと階段を降りてきて、わたしと向き合った。
「……そして今日、メイドとして君が来てくれた。十年越しの私の夢が、今こうして叶ったのだ」
わたしを見つめる彼の瞳はとてもまっすぐで、純粋で、そこに宿る意志は本物だった。
本物のバカだ。
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