契約メイドは女子高生

白川嘘一郎

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「メイドの沙汰も時給次第」

メイドの沙汰も時給次第(5)

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「――と、私ひとりで少々先走ってしまったな。これは失敬。今一歩、具体的に契約条件を詰めないことには、不安を抱くのも無理はない」

 わたしの表情を見て、何かを勘違いしたんだろう。六堂氏はそんなことを言い出した。

「君は学生だから……そうだな、平日の放課後に週二回と、あとは土日のどちらか一日ということでどうだろうか。働きぶりによっては翌月から昇給も検討しよう」

 ……何を言われるかと思ったら、意外と常識的な勤務シフトを提案してきた。

「さすがに産業革命当時の基準で働いてもらおうとは思っていない」

「そのへんの現実と理想との線引きがよくわからないんですが……」

 ともあれ、平日が3時間×2、土日が8時間として、最低でも週に4万2千円。
 この額で全てがすぐに解決するわけではないけど、当面わたしにできることとしては十分すぎる。

 さすがにちょっと面食らったけど、落ち着いて考えよう。雇い主がちょっと変わった人物というだけで、願ってもないほど割のいいバイトだということに変わりはない。
 だとしたらここは、少しでも気に入ってもらえるよう振る舞うべきだ。

「あの、それで今日は――」

「さしあたって、まず最初に重大なルールをひとつ決めておこう」

 六堂氏は、わたしをさえぎって、人差し指を立てて見せた。

「……私のことは、“ご主人様”と呼んでくれたまえ」

 そう言って彼は、立てた指先でクイッと眼鏡を押し上げた。
 まぁ、流れ的にそう来るんじゃないかとは思ってたけど……。

 わたしはスカートの腿のあたりをきゅっと握りしめる。時給3千円のためだ。
 『Hey, Siri』とか『オッケー、グーグル』みたいな、一種の決まり文句みたいなものだと思えばいい。あれも最初は相当恥ずかしいけど、慣れれば気にならなくなるらしいし。

「……ご主人……様。今日のところは何をすればいいですか?」

「…………」

「あの……?」

「……すまない。もう一度言ってもらえないだろうか」

 性能が悪いな、この音声認識はっ!

「ご主人様、今日は何をすればよろしいでしょうか」

 それを聞くと彼は、上着の胸ポケットから白いハンカチをさっと抜き取り、眼鏡の下で目頭を押さえだした。

「そ、そうだな。手始めにこのホールの掃除でもしてもらおうかな」

 彼は涙声でそう言った。
 ええぇ……そんな感極まるほどのことなの……。

 更衣室の隣が用具入れになっているというので開けてみたら、棚の上に羽根ハタキが一本だけ、ぽつんと置かれていた。
 下の段には銅製のバケツと雑巾。
 後でちゃんとハンディワイパーや掃除機を用意してもらおう。

 とりあえずハタキを手にして戻る。階段の手すりなど、いかにも埃がたまりがちな場所だが――

「あれ? そんなに汚れてない……?」

 独り言のようにそうつぶやくと、後ろで六堂氏が答えた。

「埃がうずたかく積もった洋館――それではメイド物ではなくホラーの舞台だ。せっかくのメイド服を初日から埃まみれにするのも忍びないので、日々こまめに自分で掃除をしていた」

 この人にとって、メイドの役割って何なんだろう……。

「ここに入居して2ヶ月ほどになるか。無駄に広い屋敷で骨が折れるが、最低限このぐらいはないと、メイドを雇う屋敷としてふさわしくないのでね」

 と言うか、二十代半ばぐらいにしか見えないけど、職業は何をしている人なのだろうか。お金持ちには違いなさそうだが。

 階段は掃除の必要がなさそうなので、わたしは次に広間の隅にある木製の戸棚に目をつけた。これまたアンティークらしく、重厚な存在感を放っている。

 ガラス戸の中にはよくわからない置物や洋酒のビン、外国語の辞典か何からしい革張りの分厚い書物などが並べられている。
 ここもすでに手入れが行き届いているので、わたしは軽く爪先立ちになって、上のほうから形だけハタキをかけることにした。

 ――背後からものすごく視線を感じる。いやらしい視線じゃないのはなんとなくわかるけど、非常にやりにくいし、恥ずかしい。
 メイド服を着て掃除をする。ただそれだけの行為なのに、あれだけメイドへの愛着を切々と語られたあとだと、意識してしまう。

「正直なところ、今どきの女子高生について偏見がなくもなかったが……」

 後ろから六堂氏がそう話しかけてくる。

「君は、所作のひとつひとつが実に丁寧だね。良いご両親に育てられたのだろうな」

 ハタキを持つ手が止まる。
 ……今のわたしに、その言葉は、ずるい。

「普段から家事は一通りやってますから……でも、家ではもっと雑ですよ。お仕事だからです」

 そう言って、わたしは戸棚の下のほうの段に目を向けた。
 普通のスカートだったら、床に膝をつくのは抵抗があるけど、メイド服は仕事着だと言うぐらいだから問題ないだろう。
 私は腰を屈めて、下段のガラス戸にも羽根ハタキをかけようとして――

「……え?」

 そこに並んでいたのは、この屋敷の中では少し浮いている、現代的な装丁のソフトカバーの単行本シリーズ。
 わたしの部屋の本棚にも同じように並んでいて、見間違えるはずもない背表紙に記されたタイトルと著者名。

 ――『ガランドーア軍国記 六堂鏡哉』。

 この屋敷を見て真っ先にこの小説を連想したのはたぶん、求人広告に書かれていたその姓が、愛読書の著者と同じだったからでもある。

 その瞬間、お金のこともメイドのことも頭から飛んで、わたしはバネ仕掛けで弾かれたように立ち上がり、六堂氏のほうを振り返った。

「六堂さんって、まさか……この本を書いた方と何かご関係が……!?」

 六堂氏は――
 いや、六堂は、事もなげに答えた。

「……ああ。私が、六堂鏡哉きょうやだが?」
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