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「メイドの沙汰も時給次第」
メイドの沙汰も時給次第(6)
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わたしは生まれつき髪が茶色がかって明るく、まつ毛もパッチリと長くて濃い。顔立ちや体つきは派手めに見えるのに、中身は妙に落ち着いていてギャップがあるとよく言われる。性格については家庭の環境上、兄の分までしっかりしないといけなかったというのもあるけれど。
そんなわたしが、状況も忘れて興奮してしまっていた。
『ガランドアー軍国記』――戦乱の世の中で、皮肉な運命に翻弄されながらも、智勇を尽くして足掻きながら生きようとする者たちの群像劇。
レーベルの中ではちょっと地味でハード寄りな作風だけど、根強いファンを持つシリーズだ。
ただのよくあるファンタジー小説、暇つぶしの娯楽でしかないという人もいる。
だけどわたしにとってその作品は――両親の突然の事故で、高校受験も、その先の人生も、どこを向いて歩いていけばいいのかわからなくなっていたわたしにとって、確かに心の支えになっていたんだ。
――その作者と、まさかこんな形で出会えるなんて。
「若年層にも多少は売れていると聞いていたが……おかげで予定よりも早くメイドを雇うためのこの屋敷を構えることができたよ」
そして、その作者が、まさかこんなメイドマニアだったなんて。
だがわたしの中で、「悪い人ではなさそうだけど残念な変態のイケメン」という評価は、あっさりと手のひらを返されつつあった。
メイドについてあれほど偏執的なこだわりを見せる人だ。きっとものすごく緻密な構想と計算に基づいて執筆しているんだろう。だからあんな素晴らしい作品に……。
「まぁ、メイドについて思索する片手間に、なんとなく適当に書いているだけだがね。メイドとその主人の関係性を描いた大長編は何度持ち込んでもボツにされ、あんなものが売れるのだから、世の中はわからんものだ」
「…………」
「ちなみに、いったいあの作品のどこがそんなにいいのかね」
「どこと言われても、たくさんあるんですが……最新刊の、これまで家族を顧みることがなかった伯爵が、憎むべき仇敵の娘を養女に迎えるくだりは感動しました」
8巻の第七章です――と言いたいところだけど、さすがにキモいのでやめた。まだすぐには信じきれないので、少し試してみたかったという面もある。
「クドリフ卿か。妙なところだけ人間臭くて、古く無意味なしがらみに縛られた、実にくだらない男だよ」
「そこがいいんじゃないですか……」
適当に書いてると言ったけど、やっぱりこの人は『ガランドーア軍国記』の作者だ。作品や登場人物についてこういう皮肉っぽい物言いをするのも、後書きやインタビューなどでおなじみだった。
でも、そうなると……。
あまり考えたくない真実が浮かびあがってくる。
「あの、六堂先生……」
「…………」
「……ご主人様」
「何かね」
「その8巻から、かれこれ1年以上新刊が出ていないんですけど」
六堂先生は、「やれやれ、世間知らずの小娘が」とでも言いたげに、ため息をついた。
「これだけの家を建てるというのは、いろいろと面倒なのだよ。諸々の書類手続きやら、建築家との打ち合わせやらね。ついでに電話回線やネット環境もしばらくなかったし……そう言えば引っ越しの件も担当編集にはまだ伝えていなかったな」
やっぱりこのメイド道楽のせいか――!
わたしは頭に付けたホワイトブリムをむしり取って床に叩きつけたくなった。
……だが、待てよ?
わたしが先生のかわりに身の回りの家事をこなして、仕事に集中できる環境を作ってあげれば、それだけ早く新刊が出るということなのでは……。
ただでさえ破格の時給なのに、おまけに憧れの作家の大好きなシリーズに貢献できるなんて、夢みたいな話じゃない?
わたしは先生のところへ駆け寄っていた。
「先生……いえ、ご主人様! わたし、お掃除もお洗濯も、お食事の準備も、何でもやりますから……!」
ついつい、手にハタキを持っていたことさえ忘れてしまっていたらしい。勢い込んでそう言った表紙に、わたしの手からハタキはするりと抜け落ちて、広いホールに軽い音を響かせて床に転がってしまった。
スカートのわたしより一瞬早く、六堂先生が身を屈めてそれを拾おうとする。
……こういうところはたぶん、先生もまだ“ご主人様”になりきれていないんだろう。
距離は先生のほうが少し遠かったけれど、ほぼ同時に、お互いの手がハタキの上で触れ合った。
わたしは反射的に手を引っ込め、拳を握りこんで隠そうとした。
「すみませんっ。……わたし、手の皮膚が薄くて、家で洗い物とかしてるとすぐ指先がガサガサになっちゃって」
きっと、こんな立派なお屋敷の、先生の理想の可愛いメイドは、こんな荒れた手はしていないんだろう。
六堂先生は黙ったままハタキを拾い上げ、ごく自然にわたしの手を取ると、ハタキを握らせた。
そして、わたしの手に触れたまま、当たり前のようにこう言った。
「――家族思いで働き者の、美しい手だよ」
「…………!!」
自分でも予想もしていなかったことに、涙がこぼれそうになった。
それを見られたくなくて、わたしは急いで下を向いた。
いやいやいやいや。
……いくらなんでも、ちょろすぎるでしょ、わたし。
だめだってば、こんなの。
そりゃあずっと憧れてた作家先生で、美形だけど、初対面で、メイドに並々ならぬ執着を見せ、そのためにまず理想のご主人様になろうとし、お屋敷まで建ててしまうような変人で、なのに少しばかり優しい言葉をかけられたぐらいで、手を握られたぐらいで、細くて華奢に見えるけどやっぱり手は男の人らしく大きくて、触れられたところが熱くて。
家族以外から認められて、褒めてもらえることが、こんなに嬉しいなんて。
小説や漫画なんかではよく、恋に落ちる瞬間のことを「雷に打たれたよう」なんて表現する。
実際に雷に打たれたことがある人より、恋に落ちたことがある人のほうがずっと多いはずなのに、どうしてそんな言い方をするんだろう――
それは、天災みたいに望まなくてもある日突然降ってきてしまうからだと、わたしは今日初めて理解した。
だからわたしの心の中は目下、緊急災害対策本部の設置で大忙しだ。
一度大きくまばたきをして涙をこらえ、わたしは笑顔を作って顔を上げる。
自分では、もうちょっと冷めた性格のつもりでいたし、実際そうなんだろうと思う。それでも胸の中を乱反射して跳ね回っているこの感情のことはひとまず置いておいて、やるべきことをしなくちゃ。
わたしは六堂鏡哉先生のただのファンで、ご主人様に雇われたメイド。それだけだ。
立場をわきまえなくては。
「何でもやりますから、先生は執筆に専念してください。お仕事部屋はどちらですか? あとで珈琲でもお持ちして……あ、それとも紅茶のほうが……」
すると六堂先生は、なぜか呆れ果てたような顔になり、こう言った。
「私が見ていないところでメイドの仕事をして何の意味がある! 本末転倒じゃないか! 立場をわきまえたまえ!」
……ええええええ……。
――それから、屋敷の中を一通り案内してもらった気がするが、正直あまり頭に入らなかった。
次に来たときに、もういちどちゃんとおぼえよう……。
気づけば外はすっかり暗くなり、わたしは再び更衣室で帰り支度をする。
メイド服のエプロンをほどき、そしてワンピースを……。
先生のこだわりなのか、背中の部分はファスナーでもホックでもなく、小さなくるみボタンとホールで留めるようになっていて、着るときも苦労したのだが、脱ぐのはもっと大変だ。わたしはあまり身体が柔軟ではない。
部屋の隅のほうを向いていた姿見をこちらに向けて、横目で確認しながら、せいいっぱい腕を後ろに回して荒れた指先でボタンの位置をまさぐる。上から4つボタンを外し、最後の5つ目に手をかけたときだった。
「そうそう、本日の分については特別に日当を――」
ガチャリと音がして、扉が開き、六堂先生が入ってきた。
部屋の奥の姿見に背中を映していたわたしは、ちょうど脱ぎかけで大きくはだけた胸元を扉のほうに向けていたことになる。
「…………っ!?」
そんなアニメや漫画みたいな、と思われるかもしれないが、サイズがちょっと合わなくて脱ぎにくいワンピースや、生活面を考慮していない館の造りや、女性の身支度がどれぐらいかかるものなのかわかっていない世間離れした小説家だとかの条件が重なると、意外と起こるものなのだ。
アニメや漫画と違うのは、そういうときに「きゃー」とかいう可愛らしい悲鳴は決して出ないということ。
わたしの右手は反射的に動いて、ここに来る前に咲と練習したとおりに、太もものホルスターからガンマンよろしく引き抜いたスタンガンを相手の胸元に当て、スイッチを押していた。結果はともかくとして、やはり訓練は大切だ。
こうしてメイドのわたしと、人気小説家にしてご主人様である六堂先生の奇妙な恋物語は始まったのだった。
まるで雷に打たれたように。
そんなわたしが、状況も忘れて興奮してしまっていた。
『ガランドアー軍国記』――戦乱の世の中で、皮肉な運命に翻弄されながらも、智勇を尽くして足掻きながら生きようとする者たちの群像劇。
レーベルの中ではちょっと地味でハード寄りな作風だけど、根強いファンを持つシリーズだ。
ただのよくあるファンタジー小説、暇つぶしの娯楽でしかないという人もいる。
だけどわたしにとってその作品は――両親の突然の事故で、高校受験も、その先の人生も、どこを向いて歩いていけばいいのかわからなくなっていたわたしにとって、確かに心の支えになっていたんだ。
――その作者と、まさかこんな形で出会えるなんて。
「若年層にも多少は売れていると聞いていたが……おかげで予定よりも早くメイドを雇うためのこの屋敷を構えることができたよ」
そして、その作者が、まさかこんなメイドマニアだったなんて。
だがわたしの中で、「悪い人ではなさそうだけど残念な変態のイケメン」という評価は、あっさりと手のひらを返されつつあった。
メイドについてあれほど偏執的なこだわりを見せる人だ。きっとものすごく緻密な構想と計算に基づいて執筆しているんだろう。だからあんな素晴らしい作品に……。
「まぁ、メイドについて思索する片手間に、なんとなく適当に書いているだけだがね。メイドとその主人の関係性を描いた大長編は何度持ち込んでもボツにされ、あんなものが売れるのだから、世の中はわからんものだ」
「…………」
「ちなみに、いったいあの作品のどこがそんなにいいのかね」
「どこと言われても、たくさんあるんですが……最新刊の、これまで家族を顧みることがなかった伯爵が、憎むべき仇敵の娘を養女に迎えるくだりは感動しました」
8巻の第七章です――と言いたいところだけど、さすがにキモいのでやめた。まだすぐには信じきれないので、少し試してみたかったという面もある。
「クドリフ卿か。妙なところだけ人間臭くて、古く無意味なしがらみに縛られた、実にくだらない男だよ」
「そこがいいんじゃないですか……」
適当に書いてると言ったけど、やっぱりこの人は『ガランドーア軍国記』の作者だ。作品や登場人物についてこういう皮肉っぽい物言いをするのも、後書きやインタビューなどでおなじみだった。
でも、そうなると……。
あまり考えたくない真実が浮かびあがってくる。
「あの、六堂先生……」
「…………」
「……ご主人様」
「何かね」
「その8巻から、かれこれ1年以上新刊が出ていないんですけど」
六堂先生は、「やれやれ、世間知らずの小娘が」とでも言いたげに、ため息をついた。
「これだけの家を建てるというのは、いろいろと面倒なのだよ。諸々の書類手続きやら、建築家との打ち合わせやらね。ついでに電話回線やネット環境もしばらくなかったし……そう言えば引っ越しの件も担当編集にはまだ伝えていなかったな」
やっぱりこのメイド道楽のせいか――!
わたしは頭に付けたホワイトブリムをむしり取って床に叩きつけたくなった。
……だが、待てよ?
わたしが先生のかわりに身の回りの家事をこなして、仕事に集中できる環境を作ってあげれば、それだけ早く新刊が出るということなのでは……。
ただでさえ破格の時給なのに、おまけに憧れの作家の大好きなシリーズに貢献できるなんて、夢みたいな話じゃない?
わたしは先生のところへ駆け寄っていた。
「先生……いえ、ご主人様! わたし、お掃除もお洗濯も、お食事の準備も、何でもやりますから……!」
ついつい、手にハタキを持っていたことさえ忘れてしまっていたらしい。勢い込んでそう言った表紙に、わたしの手からハタキはするりと抜け落ちて、広いホールに軽い音を響かせて床に転がってしまった。
スカートのわたしより一瞬早く、六堂先生が身を屈めてそれを拾おうとする。
……こういうところはたぶん、先生もまだ“ご主人様”になりきれていないんだろう。
距離は先生のほうが少し遠かったけれど、ほぼ同時に、お互いの手がハタキの上で触れ合った。
わたしは反射的に手を引っ込め、拳を握りこんで隠そうとした。
「すみませんっ。……わたし、手の皮膚が薄くて、家で洗い物とかしてるとすぐ指先がガサガサになっちゃって」
きっと、こんな立派なお屋敷の、先生の理想の可愛いメイドは、こんな荒れた手はしていないんだろう。
六堂先生は黙ったままハタキを拾い上げ、ごく自然にわたしの手を取ると、ハタキを握らせた。
そして、わたしの手に触れたまま、当たり前のようにこう言った。
「――家族思いで働き者の、美しい手だよ」
「…………!!」
自分でも予想もしていなかったことに、涙がこぼれそうになった。
それを見られたくなくて、わたしは急いで下を向いた。
いやいやいやいや。
……いくらなんでも、ちょろすぎるでしょ、わたし。
だめだってば、こんなの。
そりゃあずっと憧れてた作家先生で、美形だけど、初対面で、メイドに並々ならぬ執着を見せ、そのためにまず理想のご主人様になろうとし、お屋敷まで建ててしまうような変人で、なのに少しばかり優しい言葉をかけられたぐらいで、手を握られたぐらいで、細くて華奢に見えるけどやっぱり手は男の人らしく大きくて、触れられたところが熱くて。
家族以外から認められて、褒めてもらえることが、こんなに嬉しいなんて。
小説や漫画なんかではよく、恋に落ちる瞬間のことを「雷に打たれたよう」なんて表現する。
実際に雷に打たれたことがある人より、恋に落ちたことがある人のほうがずっと多いはずなのに、どうしてそんな言い方をするんだろう――
それは、天災みたいに望まなくてもある日突然降ってきてしまうからだと、わたしは今日初めて理解した。
だからわたしの心の中は目下、緊急災害対策本部の設置で大忙しだ。
一度大きくまばたきをして涙をこらえ、わたしは笑顔を作って顔を上げる。
自分では、もうちょっと冷めた性格のつもりでいたし、実際そうなんだろうと思う。それでも胸の中を乱反射して跳ね回っているこの感情のことはひとまず置いておいて、やるべきことをしなくちゃ。
わたしは六堂鏡哉先生のただのファンで、ご主人様に雇われたメイド。それだけだ。
立場をわきまえなくては。
「何でもやりますから、先生は執筆に専念してください。お仕事部屋はどちらですか? あとで珈琲でもお持ちして……あ、それとも紅茶のほうが……」
すると六堂先生は、なぜか呆れ果てたような顔になり、こう言った。
「私が見ていないところでメイドの仕事をして何の意味がある! 本末転倒じゃないか! 立場をわきまえたまえ!」
……ええええええ……。
――それから、屋敷の中を一通り案内してもらった気がするが、正直あまり頭に入らなかった。
次に来たときに、もういちどちゃんとおぼえよう……。
気づけば外はすっかり暗くなり、わたしは再び更衣室で帰り支度をする。
メイド服のエプロンをほどき、そしてワンピースを……。
先生のこだわりなのか、背中の部分はファスナーでもホックでもなく、小さなくるみボタンとホールで留めるようになっていて、着るときも苦労したのだが、脱ぐのはもっと大変だ。わたしはあまり身体が柔軟ではない。
部屋の隅のほうを向いていた姿見をこちらに向けて、横目で確認しながら、せいいっぱい腕を後ろに回して荒れた指先でボタンの位置をまさぐる。上から4つボタンを外し、最後の5つ目に手をかけたときだった。
「そうそう、本日の分については特別に日当を――」
ガチャリと音がして、扉が開き、六堂先生が入ってきた。
部屋の奥の姿見に背中を映していたわたしは、ちょうど脱ぎかけで大きくはだけた胸元を扉のほうに向けていたことになる。
「…………っ!?」
そんなアニメや漫画みたいな、と思われるかもしれないが、サイズがちょっと合わなくて脱ぎにくいワンピースや、生活面を考慮していない館の造りや、女性の身支度がどれぐらいかかるものなのかわかっていない世間離れした小説家だとかの条件が重なると、意外と起こるものなのだ。
アニメや漫画と違うのは、そういうときに「きゃー」とかいう可愛らしい悲鳴は決して出ないということ。
わたしの右手は反射的に動いて、ここに来る前に咲と練習したとおりに、太もものホルスターからガンマンよろしく引き抜いたスタンガンを相手の胸元に当て、スイッチを押していた。結果はともかくとして、やはり訓練は大切だ。
こうしてメイドのわたしと、人気小説家にしてご主人様である六堂先生の奇妙な恋物語は始まったのだった。
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