契約メイドは女子高生

「屋敷の外は危険がいっぱい」

屋敷の外は危険がいっぱい（２）

　話は昨夜にさかのぼる。
　古典的ラブコメのヒロインよろしく“ご主人様”に電撃を食らわせた後の出来事だ。

　糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちる六堂先生。一瞬固まってしまってから、わたしは慌てて駆け寄る。
　学校で何かの訓練のときに習った通り、心拍と呼吸を確かめ、ほっと胸をなでおろす。

　それからわたしは服装を整え、応接間のソファから薄手のクッションを１枚持ってきた。
　先生の身体は、わたしひとりではとても運べそうになかったので仕方がない。
　正座した膝の上にクッションを置き、さらにそこに先生の頭を持ち上げて寝かせる。

　膝枕というやつ。これまでしたことがないので、これが正しいやり方なのかどうかわからないけど。
　咲には「膝枕向きの太ももだ」とからかわれたことがあったし、寝心地はそんなに悪くないのではないかと思われる。
　咄嗟のこととは言え、気絶させてしまったことの埋め合わせぐらいはしたい。

　長身の男性の頭部を、この角度から見下ろすのはなんだか新鮮だ。ズレた銀縁眼鏡を直してあげながらそんなことを思う。
　恋した預言者の首を抱くサロメも、こんな感覚だったのかな。

　……そんな物騒なことを考えていると、わたしの膝の上で先生が顔をしかめつつ、よろよろと身を起こした。
　良かった、元気そうだ。

「あの、大丈夫ですか？」

「ん？　ああ、問題ないが……」

　まだ状況が完全に呑み込めていないらしい先生に向かって、わたしは正座したまま深々と頭を下げた。

「本当にごめんなさい。わたし、びっくりしちゃって、つい……」

「ああ、いや、私も配慮が足りなかった。一度着たメイド服をわざわざ脱いで着替える必要性をすっかり失念していたのだ。メイドとなったからには、ずっとそのままの姿だという気になっていた」

　……なんだその呪われた装備は。

「結果として、紳士らしからぬ振る舞いとなってしまった。こちらこそ許してくれたまえ。これでは引っ叩かれても仕方がな……いや、投げ飛ばされ……ん……？」

　どうやら、自分の身に何が起こったのか、はっきり認識できていないようだった。
　さすがに女子高生メイドがスタンガンを仕込んでいたとは想像できないんだろう。

　首をひねっていた六堂先生だったが、ふとわたしの頭に着いたホワイトブリムに目をとめた。

「そう言えば、着替えている途中だったのでは？」

　今のわたしは、再びメイド衣装をちゃんと着込んでいる。

「このほうが、その、起きた時に元気になってもらえるかな、と思ったので」

「……なるほど、いい判断だ」

　六堂先生は少しよろめきながら立ち上がり――そしてごく自然にわたしに向かって手を差し伸べ、そのまま手を引いて立たせてくれる。

　――『家族思いで働き者の、美しい手だよ』。
　
　手が触れただけで、さっきのことを思い出してしまって、胸の鼓動の拍子が急に変わった気がした。

「そうそう、さっき渡そうとしたのだが、正式な契約は次の土曜からということで、今日のところはこれだけ受け取ってくれたまえ」
　そう言って先生は、細長い白封筒を差し出す。どんなふうに受け取るのが正解なのだろうと思いつつ、とりあえず両手で受け取って裏を返すと、『\10,000』という数字がインクで書かれていた。

　また違うリズムで心臓の鼓動がおかしくなる。

「こ、こんなに頂いていいんですか」

「君がメイドとして振る舞っていた時間には、それだけの価値があると判断した。胸を張って受け取りたまえ」

　涙が出るほどありがたいし、とても嬉しいけど、同時にちょっと申し訳ないような、複雑な気分になる。
　わたしは胸元で封筒を握りしめたまま、先生に向かって言った。

「でしたら――もう少しちゃんとお仕事をしたいので、土曜日に掃除機とか調理器具とか、家事に必要な道具を買いに行っていいでしょうか？」

「…………」

「……いいでしょうか、ご主人様」

「かまわないが……掃除機か……うーむ」

「キッチンはオール電化だし、洗濯機もウォシュレットもあったじゃないですか。掃除機だって、メイドには似合うと思いますよ」

「いや、私とてそのへんはわかっている。現代の家電を使うなというわけではないのだが……」

　なんだか煮え切らない先生の態度に、わたしはホールを掃除しようとしたときのことを思い出した
　そう言えば、あそこには……。

「電源コンセントが、ない……？」

　それで微妙に違和感があったのだ。エアコンは目立たないよう天井に巧妙に埋め込まれていたけど、足元には普通の家庭なら必ずあるはずの、見慣れたあの四角いパネルが、あの一階の広間にはどこにもなかった。

「エアコンや灯りの電気は別の所から引いてあるが……あそこで電化製品を使うという想定をしていなかったのでね」

「……延長コードをたくさん買ってきますね」

「やめてくれ！　それじゃご主人様ではなく、なんだかマッドサイエンティストぽい屋敷になってしまうじゃないか！」

「とにかく、二階用としてだけでも掃除機は必要です」

　わたしはスクール鞄から手帳を取り出し、必要そうなものをリストに書き出す。
　それを見ているうちに、六堂先生はなんだか満足げにうなずき始めた。

「やはり君は優秀だ。要点を的確に押さえてくれる。主人の命でお使いに行くメイド……実に良いじゃないか」

「――あの、念のため確認しておきますけど」

　嫌な予感がしたので、わたしは即座に釘を刺す。

「このメイドの格好で街中へ出ろとか言いませんよね？」

「……は？　何故だね？　勤務中に制服を着用するのは当然だろう」

　冗談ではない。
　正直、メイド姿にもだんだん馴染んできてしまった自分がいるが、あくまでこのお屋敷の中で、ご主人様である彼と二人きりだからだ。
　この格好のまま外に出るなど正気の沙汰ではない。社会的に死ぬ。

　わたしの社会生命を守るため、良い方法はないだろうか。

　――閃いた。

「でもご主人様。その場合、ご主人様は屋敷で帰りを待っているものでは？」

「む。確かに……主人がメイドと連れ立って買い物など、普通はありえないな」

　六堂先生は、細い顎に手を当て、考え込んだ。

「だがそれでは、私はメイドの買い物姿を見ることが出来ない……くっ、なんというジレンマだ……！」

　先生は、心底悔しそうにそう言った。
　どうせなら小説の続きを書くのにそれぐらい悩んでくれないかなぁ……。

「まったく、なんということだ……。メイドとして買い物に行ってくれるのであれば、むろん特別手当を出すこともやぶさかではないのだが……」

　特別手当ボーナス……。
　手にした封筒を通して、その言葉の甘美な響きが、わたしの中に浸透し、広がっていく。

　――そして、今この昼休みの教室で。
　わたしは姿勢を正して、目の前にいる親友にあらたまって話しかけた。

「……それでね、咲。ちょっと相談があるんだけど」