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「屋敷の外は危険がいっぱい」
屋敷の外は危険がいっぱい(3)
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土曜日の朝。兄と妹の朝食を簡単に用意してから、わたしは自転車で六堂先生の家にやってきた。
あらためて考えてみれば、休日に若い男性の一人暮らしの家を訪ねるなんて初体験ではあるんだけど……どう見ても世界観を間違えているこの屋敷の門の前に立つと、そんな甘酸っぱい感傷などどこかへ消し飛んでしまう。
今日のわたしは、オーバーサイズの白いスウェットパーカーをゆるっと着て、ジーンズを履いた格好だ。こう書くと地味で色気のない服装みたいだが、質素な生活を送る女子高生としては、せいいっぱいシルエットが可愛く見える組み合わせを選んだつもりだ。
もっともそれは女子高生の感覚で、六堂先生のような男の人が見て可愛いかどうかはわからないけど――
――いや、先生の場合はわかっているんだった。彼にとってはメイド服が至高なのだ。
大きな扉を押し開けると、ホールで六堂先生が待っていた。
私服姿の私に対し、先生は一瞬「こいつ、誰だったっけ」という顔をしたのを私は見逃さなかった。
わかっていたはずなのに、思っていたよりちょっと凹んでしまい、そんな自分自身に少し驚く。
「おはようございます、六堂先生」
「ああ、おはよう、有紗くん」
……名前はちゃんと記憶されているだけ、まだマシとしよう。
「さっそくだが、まずこれを渡しておこう」
先生はそう言って、綺麗に畳まれたメイド服をわたしに差し出した。
「手洗いで洗濯し、エプロンにはアイロンも掛けておいた。安心して着用してくれたまえ」
……それこそメイドの仕事なのでは……。
自分が着ていた服を、あのあと先生が手洗いしていたと思うと、袖を通すのもなんだかちょっと恥ずかしい。
更衣室でメイド服に着替えたあと、ふと思い当たってホワイトブリムをヘアピンでしっかりと固定し、わたしはあらためて六堂先生の前に出た。
「それでは、言いつけに従い、買い物に行ってまいります、ご主人様」
あえて丁寧にお辞儀をしてみせる。
そしてわたしは顔を上げ、先生に向かって念を押した。
「――そのかわり、メールでのお約束通り、わたしが帰ってくるまでちゃんと小説を書いていてくださいね」
ちょっとサービスしてあげたんだから、しっかり守ってもらわないとね。
先生からバッグを預かり、わたしは屋敷を出た。周囲に人影が見当たらないのを確認し、メイド服のすそを軽くたくし上げて、停めておいた自分の自転車にまたがる。
「……ふうっ」
スタート直前のレーサーのようにわたしは深く深呼吸すると、気合いを込めてペダルを漕ぎ出した。
目指すは少し離れたところにあるショッピングモール。 なるべく赤信号に引っかからないようにと祈る。
秋もそろそろ深まりつつある季節だけど、じんわりと汗ばむほどわたしは自転車を飛ばした。
ショッピングモールの駐輪場では、指定した通りに咲が待っていてくれた。
わたしの姿を見つけて、彼女はひらひらと手を振る。
「おはよー、有紗♪ それがお屋敷のメイド服? かわいーじゃん」
だから、女子の『かわいい』は信用しないって。
「わたしも、言われた通り、持ってる服の中でいちばんロリータっぽいの着てきたけど」
綺麗な白と薄い水色のセーラーワンピを着た咲は、そう言ってその場でくるりとターンしてみせた。その動きに少し遅れて、裾がふわりと軽やかに波打つ。上等な生地でないとならない動き。たぶんどこかのブランドの服なのだろう。
清楚なイメージのその服は、黒髪の咲にとてもよく似合っていて、本気で可愛い。……そのほうがいい。
この『メイド姿でお買い物ミッション』にあたって、わたしが講じた策は大きくふたつ。
ひとつめは咲の存在だ。ふたり並べば印象も緩和されるし、女子高生が友達とふざけて遊んでいるとしか思われないだろう。
咲のほうが普通に可愛くて目立つぶん、わたしは注目されにくくなるはず。
そしてもうひとつ。メイド服を着て買い物する姿を動画撮影して六堂先生に見せるかわりに、ちゃんと家で小説を書くことと、ついでに特別手当も約束してもらった。
我ながら完璧な計画だ。
完璧なはずだ。
……しかし、まだ中に入る前から、家族連れや若い男女が、チラチラとこちらを見ているのを感じる。
まぁ、見るよね。秋葉原でもない普通の街中にメイドがいたら、わたしだって二度見か三度見するよ。
つい顔を伏せ、立ち止まってしまうわたしの手を、咲が強引に引っ張った。
「それじゃ、さっそく始めましょ……有紗のメイドコスチューム羞恥プレイの撮影」
「……うすうすわかってたけどハッキリ言語化するのやめて?」
耳のあたりが赤くなるのを感じながら、わたしはモールの中に足を踏み入れた。
一階にはアパレル系のお店がたくさん入っていて、あちこちにある鏡に映るメイド姿の自分が、嫌でも目に入ってきてしまう。ショッピングモールって、こんなに鏡あったっけ。
土曜日なので当然、人は多い。隣では咲がスマホを取り出してこちらに向けている。
「いいねー有紗。背筋がピンと伸びてて歩き方も綺麗。プロのメイドだねー」
「バイトだってば」
――そう、これは仕事なのだ。
兄のバイトテロと違って、雇い主の指示だし、誰に迷惑を掛けるわけでもない。
何を恥ずかしがる必要があるのか。
「家電と生活雑貨のフロアは上だよねー。エスカレーター? エレベーター?」
密室でいやおうなしに近距離から見られることになるエレベーターと、逃げ場なく下り側の客の視線に晒されるエスカレーター。
どれを選ぶかと言われれば……階段一択である。
エレベーターやエスカレーターなんて上流階級の乗り物、メイドのわたしごときにはもったいないです。
「えー、階段で行くの? ……あっ、でも、そうやって裾をたくし上げるの、メイドっぽくてちょっといいかも」
「……咲はどうして階段の下から撮ってるのかな」
「ローアングルのほうが萌えるかなと思って」
……階段もトラップだった。
「でも、何度もここ来てるけど、階段って初めて使うかも。こんなふうになってたんだねー」
このへんの住民なら、このショッピングモールは休日のライフラインであり、アミューズメントであり、レジャー施設である。
わたしもこれまで数えきれないぐらい訪れている。
まさか、メイドとして買い物に来ることになるとは思わなかったけど。
――最後に家族そろって来たのはいつだったろう。
そう、フードコートで食べて帰ることになって、ハンバーガーとかラーメンとか、みんなバラバラに好きなものを頼んで。
わたしはダイエットのつもりで月見そばだけにしたのに、ついつい父のギョーザや母のナゲットをつまんじゃったりして。
「……動画、撮っとけばよかったな」
わたしは、階段の下にいる咲に聞こえないよう、小さくそうつぶやいた。
あらためて考えてみれば、休日に若い男性の一人暮らしの家を訪ねるなんて初体験ではあるんだけど……どう見ても世界観を間違えているこの屋敷の門の前に立つと、そんな甘酸っぱい感傷などどこかへ消し飛んでしまう。
今日のわたしは、オーバーサイズの白いスウェットパーカーをゆるっと着て、ジーンズを履いた格好だ。こう書くと地味で色気のない服装みたいだが、質素な生活を送る女子高生としては、せいいっぱいシルエットが可愛く見える組み合わせを選んだつもりだ。
もっともそれは女子高生の感覚で、六堂先生のような男の人が見て可愛いかどうかはわからないけど――
――いや、先生の場合はわかっているんだった。彼にとってはメイド服が至高なのだ。
大きな扉を押し開けると、ホールで六堂先生が待っていた。
私服姿の私に対し、先生は一瞬「こいつ、誰だったっけ」という顔をしたのを私は見逃さなかった。
わかっていたはずなのに、思っていたよりちょっと凹んでしまい、そんな自分自身に少し驚く。
「おはようございます、六堂先生」
「ああ、おはよう、有紗くん」
……名前はちゃんと記憶されているだけ、まだマシとしよう。
「さっそくだが、まずこれを渡しておこう」
先生はそう言って、綺麗に畳まれたメイド服をわたしに差し出した。
「手洗いで洗濯し、エプロンにはアイロンも掛けておいた。安心して着用してくれたまえ」
……それこそメイドの仕事なのでは……。
自分が着ていた服を、あのあと先生が手洗いしていたと思うと、袖を通すのもなんだかちょっと恥ずかしい。
更衣室でメイド服に着替えたあと、ふと思い当たってホワイトブリムをヘアピンでしっかりと固定し、わたしはあらためて六堂先生の前に出た。
「それでは、言いつけに従い、買い物に行ってまいります、ご主人様」
あえて丁寧にお辞儀をしてみせる。
そしてわたしは顔を上げ、先生に向かって念を押した。
「――そのかわり、メールでのお約束通り、わたしが帰ってくるまでちゃんと小説を書いていてくださいね」
ちょっとサービスしてあげたんだから、しっかり守ってもらわないとね。
先生からバッグを預かり、わたしは屋敷を出た。周囲に人影が見当たらないのを確認し、メイド服のすそを軽くたくし上げて、停めておいた自分の自転車にまたがる。
「……ふうっ」
スタート直前のレーサーのようにわたしは深く深呼吸すると、気合いを込めてペダルを漕ぎ出した。
目指すは少し離れたところにあるショッピングモール。 なるべく赤信号に引っかからないようにと祈る。
秋もそろそろ深まりつつある季節だけど、じんわりと汗ばむほどわたしは自転車を飛ばした。
ショッピングモールの駐輪場では、指定した通りに咲が待っていてくれた。
わたしの姿を見つけて、彼女はひらひらと手を振る。
「おはよー、有紗♪ それがお屋敷のメイド服? かわいーじゃん」
だから、女子の『かわいい』は信用しないって。
「わたしも、言われた通り、持ってる服の中でいちばんロリータっぽいの着てきたけど」
綺麗な白と薄い水色のセーラーワンピを着た咲は、そう言ってその場でくるりとターンしてみせた。その動きに少し遅れて、裾がふわりと軽やかに波打つ。上等な生地でないとならない動き。たぶんどこかのブランドの服なのだろう。
清楚なイメージのその服は、黒髪の咲にとてもよく似合っていて、本気で可愛い。……そのほうがいい。
この『メイド姿でお買い物ミッション』にあたって、わたしが講じた策は大きくふたつ。
ひとつめは咲の存在だ。ふたり並べば印象も緩和されるし、女子高生が友達とふざけて遊んでいるとしか思われないだろう。
咲のほうが普通に可愛くて目立つぶん、わたしは注目されにくくなるはず。
そしてもうひとつ。メイド服を着て買い物する姿を動画撮影して六堂先生に見せるかわりに、ちゃんと家で小説を書くことと、ついでに特別手当も約束してもらった。
我ながら完璧な計画だ。
完璧なはずだ。
……しかし、まだ中に入る前から、家族連れや若い男女が、チラチラとこちらを見ているのを感じる。
まぁ、見るよね。秋葉原でもない普通の街中にメイドがいたら、わたしだって二度見か三度見するよ。
つい顔を伏せ、立ち止まってしまうわたしの手を、咲が強引に引っ張った。
「それじゃ、さっそく始めましょ……有紗のメイドコスチューム羞恥プレイの撮影」
「……うすうすわかってたけどハッキリ言語化するのやめて?」
耳のあたりが赤くなるのを感じながら、わたしはモールの中に足を踏み入れた。
一階にはアパレル系のお店がたくさん入っていて、あちこちにある鏡に映るメイド姿の自分が、嫌でも目に入ってきてしまう。ショッピングモールって、こんなに鏡あったっけ。
土曜日なので当然、人は多い。隣では咲がスマホを取り出してこちらに向けている。
「いいねー有紗。背筋がピンと伸びてて歩き方も綺麗。プロのメイドだねー」
「バイトだってば」
――そう、これは仕事なのだ。
兄のバイトテロと違って、雇い主の指示だし、誰に迷惑を掛けるわけでもない。
何を恥ずかしがる必要があるのか。
「家電と生活雑貨のフロアは上だよねー。エスカレーター? エレベーター?」
密室でいやおうなしに近距離から見られることになるエレベーターと、逃げ場なく下り側の客の視線に晒されるエスカレーター。
どれを選ぶかと言われれば……階段一択である。
エレベーターやエスカレーターなんて上流階級の乗り物、メイドのわたしごときにはもったいないです。
「えー、階段で行くの? ……あっ、でも、そうやって裾をたくし上げるの、メイドっぽくてちょっといいかも」
「……咲はどうして階段の下から撮ってるのかな」
「ローアングルのほうが萌えるかなと思って」
……階段もトラップだった。
「でも、何度もここ来てるけど、階段って初めて使うかも。こんなふうになってたんだねー」
このへんの住民なら、このショッピングモールは休日のライフラインであり、アミューズメントであり、レジャー施設である。
わたしもこれまで数えきれないぐらい訪れている。
まさか、メイドとして買い物に来ることになるとは思わなかったけど。
――最後に家族そろって来たのはいつだったろう。
そう、フードコートで食べて帰ることになって、ハンバーガーとかラーメンとか、みんなバラバラに好きなものを頼んで。
わたしはダイエットのつもりで月見そばだけにしたのに、ついつい父のギョーザや母のナゲットをつまんじゃったりして。
「……動画、撮っとけばよかったな」
わたしは、階段の下にいる咲に聞こえないよう、小さくそうつぶやいた。
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