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「屋敷の外は危険がいっぱい」
屋敷の外は危険がいっぱい(5)
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先生が呼んだタクシーの後部座席に、わたしと先生は並んで乗り込んだ。
こういう場合、マナー的には使用人は助手席に乗るべきらしいけど、馬車の時代はどうしていたのだろう。
そして今のわたしは、頭のホワイトブリムとエプロンを外してバッグに入れているので、見た目はただ地味なワンピースを着た女の子に見えなくもない。……考えてみたら、来るときもこうすればよかった。
隣で六堂先生があからさまに不服そうな顔をしていたが、わたしはちゃんと言いつけを果たしたのだから、移動中の今は勤務外だ。それに――
「――約束を破りましたね、先生」
「いや、その……」
そう、わたしは怒っているのだ。
何のためにわたしが恥ずかしい思いをしてメイド姿で買い物をしたと思っているのか。
わたしをかばってくれた姿に不覚にも少しときめいたりもしてしまったけど、この人がわたしをメイド姿で買い物に行かせたりしなければ、そもそも絡まれることもなかったのである。
「わたしがいない間、家で仕事に専念しているはずでは?」
「……やはりどうしても、メイドが買い物している様をこの目で確かめたくなってしまい……」
「だからわざわざ後を追って、こっそり観察してたんですか?」
「………………」
「それは“ご主人様”としてふさわしい行動でしょうか?」
「いえ……違います……私は駄目な主人です……」
先生はうなだれて力なく答えた。
……この人に言うことを聞かせるコツが少しわかった気がする。
言いたいことを言い終えて、ふぅと一息つくと、バッグの中でスマホが鳴動した。
『自転車、有紗んちに置いてきたよー。動画もあとで編集して送るね』』
咲からだった。チェーンロックのナンバーを送って、先に乗って帰ってもらったのだ。本当に咲にはいろいろ力になてもらって、頭が上がらない。
あ、り、が、と、う、とわたしは一文字ずつ入力する。
こういう言葉は、予測変換を使うと心がこもっていないようでどこかイヤだ。相手には伝わらないことだけど。
少し間を置いて、ポンと返信が返ってくる。
『“お泊まり”のアリバイが必要だったら、結伊ちゃんにうまく伝えとくから、いつでも言ってねv』
結伊は現在中学生のわたしの妹の名前。
わたしは、舌を出してアカンベーしている画像スタンプだけを送って返した。
この状況でどうやったらそんなムードになるのか、わたしのほうが教えてほしい。
わたしがそうやってスマホをいじっていると、タクシーの窓のほうに顔をそむけていた先生が、ポツリとつぶやくのが聞こえた。
「……私がいないところで、私のメイドが私以外の誰かの視線に晒されていると思うと、居ても立ってもいられなかったのだ」
――私のメイドが。
――私以外の誰かに。
ぼうっと顔中が赤くなるのを感じた。
胸から鼻の奥あたりを通って、その感情が思考にまで届く。
わたしはあわてて頭を左右に振ってそれを追い払う。
……先生の言葉が掛かっている先はあくまで『メイド』であって、『わたし』じゃない。
そこを勘違いしてしまったらもう――引き返せなくなる気がする。
わたしはメイド服の裾を、またぎゅっと握りしめた。
自転車では少しかかった距離も、車ならすぐだ。
タクシーを降りて玄関を開けようとすると、六堂先生が思い出したように言った。
「ああ、扉を開けるときは足元に気をつけてくれたまえ」
……? 知らない間に猫でも拾ったのかな。
屋敷の中に足を踏み入れると、ちょうど爪先にコツンとぶつかるものがあった。
かすかにモーター音を響かせる黒い円盤状の物体――いわゆるお掃除ロボットだ。
「数日前に注文してあったのだが、ちょうど君と入れ違いに届いてね」
確かにこれなら電源問題も解決できるし、無駄に広くて余計なものがないこの広間にはちょうどいいかもしれない。
……問題はそのコンパクトな黒いボディに、わたしのメイド服と同じような白いフリルの布切れが、まるでエプロンとカチューシャのようにくっつけられていることだ。
「紹介しよう。新たに加わったメイドロボの“サルサ”くんだ」
「ピッ。……ゴ主人サマ、オ掃除ヲ開始シマス」
「しゃべった!?」
「対人センサーで音声再生するユニットに、ネットにあった音声データを入れただけだがね。本体と同時に注文したらすぐに届いた。最近の世の中は便利になったものだ」
「……メイドと名が付けば何でもいいんですね」
この屋敷のメイドはわたしなのに……。
……いや、違う。わたしはアルバイトでやってるだけでメイドじゃない!
なんで機械に対して嫉妬してるんだろう、わたし。
くるりと向きを変え、奥へと消えていくお掃除ロボットを見送りながら、六堂先生は言った。
「有紗くんも、先輩メイドとして、よろしく指導してやってくれたまえ」
本当に、もう。
さっきのタクシーの中の言葉に、少しでも意識してしまったわたしの気持ちを返してほしい。
「わたしはロボットほど従順じゃないですし、メイドとしてはふさわしくないかもしれないですよ」
先生は、そんなわたしの気も知らず、うなずいて言った。
「厳密にメイドの条件を定義するなら、そもそも君が日本人である時点でふさわしくないということになる。大正浪漫属性は私にはないのでね。だが私は人種によって人を差別しない。人間など、どうせ皆等しく愚かで醜い存在であり、私にとって重要なのはメイドであるかそうでないか、それだけだ」
相変わらず凄いことを言うなぁ。
だが、先生の作風にもともと慣れているわたしは、さほど驚かない。
その皮肉で厭世的な物言いの下に、ちゃんと優しく温かいものが流れていることを、わたしはずっと感じてきているから。
そこでわたしは思い出して、エプロンを再び手早く結び、髪を指先で耳の後ろに払って、ホワイトブリムを付ける。
隣に立つ先生に流し目を向けて、少しだけ試すように聞いてみた。
「じゃあわたしも、先生にとっては愚かで醜い存在ですか?」
「……ん? だから君は、メイドじゃないか。自信を持ちたまえ」
「……そうですね。ご主人様」
ロボットの声真似をしてそう言ったつもりだったけど、その皮肉は六堂先生には伝わらなかったようだ。
いっそ本当にロボットになって、予測変換で機械的に『ご主人様』と言えるようになれば楽なんだろうけどな。
――ロボットならきっと、こんなふうにめんどくさく拗ねてみせたりしない。
こういう場合、マナー的には使用人は助手席に乗るべきらしいけど、馬車の時代はどうしていたのだろう。
そして今のわたしは、頭のホワイトブリムとエプロンを外してバッグに入れているので、見た目はただ地味なワンピースを着た女の子に見えなくもない。……考えてみたら、来るときもこうすればよかった。
隣で六堂先生があからさまに不服そうな顔をしていたが、わたしはちゃんと言いつけを果たしたのだから、移動中の今は勤務外だ。それに――
「――約束を破りましたね、先生」
「いや、その……」
そう、わたしは怒っているのだ。
何のためにわたしが恥ずかしい思いをしてメイド姿で買い物をしたと思っているのか。
わたしをかばってくれた姿に不覚にも少しときめいたりもしてしまったけど、この人がわたしをメイド姿で買い物に行かせたりしなければ、そもそも絡まれることもなかったのである。
「わたしがいない間、家で仕事に専念しているはずでは?」
「……やはりどうしても、メイドが買い物している様をこの目で確かめたくなってしまい……」
「だからわざわざ後を追って、こっそり観察してたんですか?」
「………………」
「それは“ご主人様”としてふさわしい行動でしょうか?」
「いえ……違います……私は駄目な主人です……」
先生はうなだれて力なく答えた。
……この人に言うことを聞かせるコツが少しわかった気がする。
言いたいことを言い終えて、ふぅと一息つくと、バッグの中でスマホが鳴動した。
『自転車、有紗んちに置いてきたよー。動画もあとで編集して送るね』』
咲からだった。チェーンロックのナンバーを送って、先に乗って帰ってもらったのだ。本当に咲にはいろいろ力になてもらって、頭が上がらない。
あ、り、が、と、う、とわたしは一文字ずつ入力する。
こういう言葉は、予測変換を使うと心がこもっていないようでどこかイヤだ。相手には伝わらないことだけど。
少し間を置いて、ポンと返信が返ってくる。
『“お泊まり”のアリバイが必要だったら、結伊ちゃんにうまく伝えとくから、いつでも言ってねv』
結伊は現在中学生のわたしの妹の名前。
わたしは、舌を出してアカンベーしている画像スタンプだけを送って返した。
この状況でどうやったらそんなムードになるのか、わたしのほうが教えてほしい。
わたしがそうやってスマホをいじっていると、タクシーの窓のほうに顔をそむけていた先生が、ポツリとつぶやくのが聞こえた。
「……私がいないところで、私のメイドが私以外の誰かの視線に晒されていると思うと、居ても立ってもいられなかったのだ」
――私のメイドが。
――私以外の誰かに。
ぼうっと顔中が赤くなるのを感じた。
胸から鼻の奥あたりを通って、その感情が思考にまで届く。
わたしはあわてて頭を左右に振ってそれを追い払う。
……先生の言葉が掛かっている先はあくまで『メイド』であって、『わたし』じゃない。
そこを勘違いしてしまったらもう――引き返せなくなる気がする。
わたしはメイド服の裾を、またぎゅっと握りしめた。
自転車では少しかかった距離も、車ならすぐだ。
タクシーを降りて玄関を開けようとすると、六堂先生が思い出したように言った。
「ああ、扉を開けるときは足元に気をつけてくれたまえ」
……? 知らない間に猫でも拾ったのかな。
屋敷の中に足を踏み入れると、ちょうど爪先にコツンとぶつかるものがあった。
かすかにモーター音を響かせる黒い円盤状の物体――いわゆるお掃除ロボットだ。
「数日前に注文してあったのだが、ちょうど君と入れ違いに届いてね」
確かにこれなら電源問題も解決できるし、無駄に広くて余計なものがないこの広間にはちょうどいいかもしれない。
……問題はそのコンパクトな黒いボディに、わたしのメイド服と同じような白いフリルの布切れが、まるでエプロンとカチューシャのようにくっつけられていることだ。
「紹介しよう。新たに加わったメイドロボの“サルサ”くんだ」
「ピッ。……ゴ主人サマ、オ掃除ヲ開始シマス」
「しゃべった!?」
「対人センサーで音声再生するユニットに、ネットにあった音声データを入れただけだがね。本体と同時に注文したらすぐに届いた。最近の世の中は便利になったものだ」
「……メイドと名が付けば何でもいいんですね」
この屋敷のメイドはわたしなのに……。
……いや、違う。わたしはアルバイトでやってるだけでメイドじゃない!
なんで機械に対して嫉妬してるんだろう、わたし。
くるりと向きを変え、奥へと消えていくお掃除ロボットを見送りながら、六堂先生は言った。
「有紗くんも、先輩メイドとして、よろしく指導してやってくれたまえ」
本当に、もう。
さっきのタクシーの中の言葉に、少しでも意識してしまったわたしの気持ちを返してほしい。
「わたしはロボットほど従順じゃないですし、メイドとしてはふさわしくないかもしれないですよ」
先生は、そんなわたしの気も知らず、うなずいて言った。
「厳密にメイドの条件を定義するなら、そもそも君が日本人である時点でふさわしくないということになる。大正浪漫属性は私にはないのでね。だが私は人種によって人を差別しない。人間など、どうせ皆等しく愚かで醜い存在であり、私にとって重要なのはメイドであるかそうでないか、それだけだ」
相変わらず凄いことを言うなぁ。
だが、先生の作風にもともと慣れているわたしは、さほど驚かない。
その皮肉で厭世的な物言いの下に、ちゃんと優しく温かいものが流れていることを、わたしはずっと感じてきているから。
そこでわたしは思い出して、エプロンを再び手早く結び、髪を指先で耳の後ろに払って、ホワイトブリムを付ける。
隣に立つ先生に流し目を向けて、少しだけ試すように聞いてみた。
「じゃあわたしも、先生にとっては愚かで醜い存在ですか?」
「……ん? だから君は、メイドじゃないか。自信を持ちたまえ」
「……そうですね。ご主人様」
ロボットの声真似をしてそう言ったつもりだったけど、その皮肉は六堂先生には伝わらなかったようだ。
いっそ本当にロボットになって、予測変換で機械的に『ご主人様』と言えるようになれば楽なんだろうけどな。
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