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「薄紙一重の奇才と天才」
薄紙一重の奇才と天才(5)
しおりを挟む「恐るべき力を持った人類の宿敵たる魔王が、封印されるかわりに強制的にか弱い美少女に転生させられてしまう……この基本設定は良いと思う。女装・TS・バ美肉などの、昨今勢いを増している要素を取り込んでいる。しかもそれをヒロイン役に負わせるというのも挑戦的だ」
わたしもたまに小耳に挟んだことしかないようなワードが、六道先生の口からスラスラ出てきたので、ちょっと驚く。
「……まぁ、そこがこの『おませか』の特色であり、キモだからな」
少し気勢をそがれたような顔をして、鯖野さんは本から手を離しながら答えた。意外にも褒められてちょっと照れているのかもしれない。
「問題は、なぜ元魔王のヒロインの構成要素として“メイド”という属性を与えたかだ」
「はぁ? おいおい、どうしたんだ六道鏡哉。なぜってそりゃあ――」
「冷静に分析して、“メイド”という属性は、安直なラノベ的萌え潮流の中ですら、すでに擦られすぎて旬を逃した陳腐なコンテンツとなりつつある。……私としては二重の意味で腹立たしい話だがな」
六道先生は、鯖野さんの言葉を途中でさえぎり、話を続ける。
「売れ線を考えるならば――私の認識も最先端からは1,2歩遅れているだろうが――ヒロイン属性としてはギャルだの悪役令嬢だのを持ってきたほうがまだよかろう。それをせずメイドを選んだのは、ただのお前の個人的趣味でしかないということだ」
六道先生は、表紙に描かれた美少女のイラストを指さした。
「これは、世間の顔色を窺いながらも完全には迎合せず、かと言って己の嗜好も出し切れていない。実に中途半端なシロモノだ。読めたものではないな」
――『私の屋敷に来たまえ。本物のメイドというものを見せてやる』
話を聞いていると、流れで六道先生がそんなことを言い出さないかと、わたしは内心ハラハラしてしょうがなかった。
「なっ……なんだと……!」
対する鯖野さんはと言えば、椅子から立ち上がらんばかりの様子で、怒りに身を震わせている。
著者としてはやっぱり、自分の作品にはそれだけ思いれがあるのだろう。
褒められれば嬉しいし、けなされれば腹が立つ。
イヤな予感がしたので、わたしは席からできるだけ横にズレて無関係な他人を装おうとした。たぶん焼け石に水だけど。
「驚異的な力をほしいままにしていた魔王が、少女の姿にされ、ただの人間の下僕になりさがってしまう……しかもあまつさえ精神までもが少しずつ乙女心に浸食されていっている自分に気づく……その屈辱や葛藤を効果的に表現するにはギャルなんかじゃあダメで、主人にかしづくメイドであることに最大の意味が――」
そこで鯖野さんは何かに気づいたようにハッと言葉を止め、浮かせていた腰をよろよろと落とした。
「どうした? アップデートされたミニスカメイド服は、自由と革新の象徴ではなかったのか?」
「…………」
「わかっただろう、鯖野。お前のこの物語にふさわしいのは、まさに古典的なステレオタイプのメイド像だ。そうであってこそテーマを最大限に表現することができる。……なのにお前は、安直にも流行に合わせて信念を曲げた。くだらん世間体にとらわれ、己の魂の奥底にあるメイド愛を直視することから逃げたのだ……!」
鯖野さんは、うなだれたまま静かに六道先生の言葉を聞いていた。
……いや、そこまで落ち込むようなことなのかな?
申し訳ないけど、傍から見ているだけだとそう思ってしまう。
「そう……そうなんだよ……」
間がもたないのでわたしがスムージーのカップを口に運ぼうとしたところで、鯖野さんがポツリポツリと話しはじめた。
「そんなところまで読み込もうとしてくれるのは、あんたぐらいだ。あまり言いたかないが俺の小説は、作者がちょっと若くてシュッとした見た目の男だからって、分不相応にプッシュされてるだけ……。誰もテーマがどうとかなんて気にしちゃくれねぇ。俺はもっと、世の中の男子中高生に刺さるラノベを書きたいのに……」
そう語る鯖野さんの声音と表情は、とても真剣なものだった。
わたしには到底わからない世界での悩みがあるのだろう。
向かい合った年上の男性にそんな顔をされるというのも当然初めての経験で、どう反応していいのか困ったまま、わたしはストローをくわえたままただ黙っていた。
すると、鯖野さんは突然顔を上げて再び六道先生をにらんだ。
「……だがな、六道鏡哉。こっちだって言いたいことがある! そういうあんたはどうなんだ!?」
「私がどうしたと言うんだ」
服装にそぐわない老成した態度を崩さず、六道先生は平然と答えた。
「――俺は、あんたが某サイトに投稿した『当世メイド気質』を読んで衝撃を受け、小説家になろうと決意したんだ!!」
『当世メイド気質』……? わたしは少し驚いていた。
六道先生の作品は、出版されている『ガランドーア軍国記』のシリーズしか読んだことがない。ショッピングサイトなどの書籍ジャンルで検索して出てくるそれらがわたしの知る全てで、まさか過去に非商業でそんな作品を発表していたなんて、考えたこともなかった。
どんな話なんだろう。ファンとしてはすごく読んでみたいが、タイトルがタイトルだけにちょっと恐ろしくもある。
「メイド服の衣擦れの質感さえ伝わってくるようなあの細やかな描写、事務的な丁寧口調からほのかに垣間見える少女メイドの心情……! いずれこの人と肩を並べる作家となって、共にこの国のメイド文壇を支えていきたい――そう思っていたのに!!」
メイド文壇……。
メイド警察とかメイド異端審問とかに続いて、また聞いたことのないような概念が普通に出てきた。
「六道鏡哉、あんたはメイド文壇の第一人者となるべき作家だった! なのにその体たらくはなんだ! あんたの小説にこそ、最近メイドがちっとも出てこないじゃないか!」
「――そのことについては、私も慙愧に堪えない、忸怩たる気持ちだ」
鯖野さんの言葉からは、最初のようなトゲはなくなり、ただ純粋に失望と口惜しさが滲み出ていた。
対する六道先生は、口ではこう言っているものの、やはり落ち着いたものだ。
確か、メイドのことを書いてもボツにされると聞いたような気がするけど……。
「だが案ずるな、鯖野よ。今は臥薪嘗胆、雌伏の時だ」
「なに……? どういうことだよ?」
「現在手掛けている『ガランドーア』と、あと1つ2つ売れるシリーズを書けば、出版界での私の地位は確立されるだろう。そうなればもう、こちらのものだ。企画も通りやすくなり、私の好きなように書かせてくれる出版社も出てくるはずだ」
そう聞いて、鯖野さんの目が輝きだした。
「そ、そうか……! くくっ、それを聞いて安心したぜ。それでこそ六道鏡哉、俺の見込んだ作家だ!」
「ああ。わたしは中途半端はしない。どうせ妥協をするのなら、ひとつの妥協で最大の戦果を得てみせる」
何かが通じたようにうなずき合うふたり。
『ガランドーア軍国記』のファンであるわたしとしては、それを聞かされるとちょっとショックで複雑な気分なんだけど……。
ただの一読者だった頃なら、何も考えずにわがままな要求もできたと思う。
けれども、生身の先生個人と接してしまった今となっては、先生が書きたいものを書いちゃダメだなんて、とても言えない。
けっきょくどこまで行ってもわたしは、読者としてもひとりの人間としても、先生の生き方に影響を与えられるほどの存在じゃないのだろう。そう考えると、少し切なくなる……。
「――それに、現実にメイドを雇うという夢は実現したからな」
あぁっ!? わたしが感傷的になっている隙に、恐れていたことを六道先生がとうとう口走ってしまった……!!
「え……現実って、えっ……? まさか……」
鯖野さんが震える指で六道先生とわたしの顔を交互に指さす。
「ああ。彼女が、屋敷で雇っている私のメイドだ」
「……あっ、アルバイトですっ、家事手伝いの!!」
あわてて飲み込んだスムージーにむせそうになりながら、わたしはかろうじてそう言った。
――『私のメイド』。
あぁ、くそぅ。
そんな、宝物を見せびらかすみたいに自慢げにそんなことを言われたら。
胸がくすぐったいような、熱いような、ちょっとそんな気持ちになってしまう自分もいる。
あんぐりと口を開けていた鯖野さんは、力が抜けたように椅子にもたれかかり、天井を仰いだ。
「ははっ……まさか女子高生をリアルにメイドとして雇っているとは……。どんなラノベも勝てねぇぜ……俺が業界に屈した小説を必死で書いている間に、あんたはそんなに手の届かない遠くまで……」
力なくそうつぶやく鯖野さんを見て、わたしは少し冷静になった。
わたしは小説なんて書いたことないし、鯖野さんの本も読んだことはないけど、読者としての気持ちはわかるつもりだ。
鯖野さんの言葉の端々には、さっきから何だか引っかかるものがあった。
「あの、鯖野さん」
わたしは思い切って、鯖野さんにそう話しかけた。
「作者の容姿や人間性がまったく影響しないわけじゃないですけど……それでも、いくら作者が好きだからって、全く面白くもない本にお金を払うほど読者はバカじゃないですよ」
天井を向いていた鯖野さんの瞳がわたしを見る。
「六道先生が何と言ったって、あなたの本を面白いと思っている読者はたくさんいると思います」
「…………」
しばらく黙っていた鯖野さんは、テーブルに手をついて勢いよく立ち上がった。
「やれやれ……リアルJKの現役メイドさんに励まされたんじゃ、やる気を出さないわけには行かなくなっちまったなぁ!」
わたし、頑張ってわりといいこと言ったつもりなんだけど……そっちなんだ……。
まぁいいけど。
そして鯖野さんは、座ったままの六道さんのほうを向いて言った。
「今回の作品については、あんたの言う通りかもしれん。だが、メイド萌えはもっと広く自由であるべきという信念は変わらねぇ。――俺はこれからも、男子中高生が妄想するような燃えと萌えを追求していく。賞をもらいたいわけでも、女性にキャーキャー言われたいわけでもない。そいつが俺の小説だからだ」
そう言い残して足早に立ち去って行く鯖野さんを見送りつつ、六道先生はテーブルの上の『おませか』2巻を取り上げ、脇に抱えた。
……いや、なんか六道先生が勝ったみたいな感じになってるけど……。
ちゃんと新刊を出してファンサービスもして、次の創作意欲に燃えている鯖野さんのほうが立派なんじゃないかって気がするんだけどなぁ。
まぁ、先生も最近は別にサボっているわけではない。
『ガランドーア軍国記』が、好きにメイド小説を書くための足掛かりにすぎないという発言も、とりあえず忘れよう。真面目に執筆してくれさえすれば、それでいい。
「さて、有紗くん。業務前に無駄な時間を取らせてしまったね。我々も屋敷に戻るとしようか」
「はい、ごしゅ……」
一瞬にして、背中に変な汗が噴き出た
危うく、習慣で言いそうになってしまった。
こんな公共の場で、若い男性相手にその言葉を口にしたら、どう考えてもヤバい女子高生になってしまう。
やっぱりこのバイトは早めに卒業しなければ、わたしの人生に良くない影響を及ぼすのでは……。
文字通り暗雲が立ち込めはじめた窓の外の景色に目をやりつつ……今日もまた、メイドとしての仕事が始まる。
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