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ユニコーン令嬢は彼しか愛せない 6

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 ニコラシカはそれからも何度かジェンユーと逢瀬を続けていた。

 いつも会うのは繁華街の大通り。
 噴水の綺麗な広場で待ち合わせて、ジェンユーの案内とエスコートのままに街を散策したりカフェでお茶をしたりという長閑で平和なデートを繰り返した。

 三回目のデートの時、ジェンユーは手を繋いでくれた。

 五回目のデートではベンチで隣に座ってずっと手を重ねながら取り留めもない話をした。
 どちらの時もニコラシカは心臓がうるさいくらいに高鳴って、ずっとドキドキして、もちろんその夜は眠れなくなった。

「それじゃ、……ニチカちゃん、また会ってくれる?」

 いつも、帰り際のバス停に着くと、ジェンユーは眉を寄せて寂しげに微笑みそう聞いた。

 掠れ気味の低い声が、そっと耳を撫でて心に触れるようで、その切なげな響きにニコラシカはいつも名残惜しさに苦しくなった。

「もちろんです!」

 ニコラシカがそう答えれば、ジェンユーは嬉しそうに微笑んで「じゃあまた連絡するよ」と言ってニコラシカをバスに促すのだ。

 そうしてバスが見えなくなるまでずっと佇み見送ってくれている。

 ニコラシカはデートの前はただただ楽しみで緊張して浮ついて、帰りは切なくて寂しくて胸が締め付けられるのだった。

 六回目のデートの日。
 公園のベンチに隣同士座って他愛もない話をしていたニコラシカは意を決して言った。

「あ、の、……あの、……じ、ジェンユー様。ま、また、あの、良かったら、わ、私の、ツノ……」

 撫でてくれませんか。
 と、最後の方はすっかり上擦って声が掠れ、言葉になったかも怪しかった。

「え……」

 ジェンユーは驚いたように短く声を漏らすと、薄い緋色の目を細めてニコラシカの金の瞳を覗き込み、少しいたずらっぽい顔で笑った。

「いいの?」

 ニコラシカは、何かとんでもなく大胆な、はしたないお願いをしたのではないかと思いながらも、顔を真っ赤にしてコクコクと頷くしかできなかった。

 ジェンユーの手が伸びて来る。
 ニコラシカはぎゅっと目を瞑り、身を固くして。

「っん……!」

 ジェンユーの指が、ニコラシカの額のツノをツゥと撫でていく。
 滑らかなツノの表面を、指の腹で確かめるようにゆっくりと。
 それから尖った先端に指を添え、全体を包み込むように手のひらが覆った。

 ニコラシカの体は、ふわふわした心地に包まれて固くなった体もほろほろと解けていく。
 ジェンユーの手がツノを撫でるたび、ニコラシカの体から力が抜け、そのまま傾く体は彼の肩に寄りかかる。

「……ニチカちゃん」
「!!あ、きゃあ!ご、ごめんなさい!私っ」

 慌てて身を起こすニコラシカに、ジェンユーは変わらず微笑んで。

「いいよ。ツノ、撫でられるの好きなんだね。……ニチカちゃん、次は、学校が休みの日に会えない?……もっと、君と長い時間を過ごしたいな」

 ジェンユーの言葉が、すっかり蕩けきったニコラシカの鼓膜を震わせ、心に深く沁み込んでいく。
 ニコラシカは、ドキドキと高鳴る鼓動のままに、コクンと頷いていた。

「わ、私も……こ、こんなの、はしたないって思われるかもしれないけれど、私も……もっと、ジェンユー様と一緒に過ごしたい!」
「ホント?嬉しいよニチカちゃん。それじゃあ次の日曜日、一時にいつもの場所でいい?」
「は、はい……」

 その後どんな話をしてどんなやり取りをしたのか、ニコラシカはずっとぽやぽやと夢見心地で何も覚えていなかった。

 きっといつものようにバス停まで送ってもらい、名残惜しげにお別れしたのだろう。
 ニコラシカはバスの中でも、お風呂の中でも、寝る時でも、ふとした時にツノに触れた。
 ジェンユーの大きな手、長い指が、優しくツノを撫でていったその感触を、確かめるように。

ーー

 約束の日、ニコラシカは随分早く目が覚めてしまった。
 そわそわと落ち着かず、舞い上がって浮ついている自覚もあった。
 洗面台の鏡の前に立てばそこに映る顔は紅潮して赤い。
 寝癖で跳ねてうねる虹色の髪を整え、ツノにまた触れてみる。ジェンユーにそうされて以来、すっかりクセになってしまったその仕草。

「どうしよ。はしたないって、やっぱり思われない?……でも、でもでも!もっと長く一緒にって、それって、それって……!」

 ぽぽぽっとますます顔が熱くなる。

「き、キス、とか……!?」

 キャアキャアとひとりで照れて盛り上がり、そうこうしているうちに時間は案外経っていくのだった。


 約束の時間、いつもの場所。
 かなり早々と着いてしまったニコラシカは、そわそわと落ち着かなげに、虹色の髪を指先でくるくると弄びながらジェンユーの到来を待ち侘びていた。

 その肩をトンと叩く感覚。
 パッと花開く笑みで振り返ると。

「ヤァ君可愛いね、もしかして待ちぼうけ?すっぽかされ系?ならオレらと遊ぼーよぉ」

 そこには待ち人とは似ても似つかぬ軽薄そうな男たちがニヤニヤ笑って立っていた。
 ニコラシカはあからさまにガッカリした顔をする。

「結構です。少し早く着きすぎてしまっただけなので」

 ピシャリと拒絶を示し、顔を背けた。
 ツノは微かにピリピリと痺れるような痛みを伝えてきたが、そのくらいは人間ならば仕方のないことと流していられる程度。

 しかし、にべもないニコラシカの態度に、男たちは少しばかりカチンと来たらしかった。

「ちょっとちょっと~冷たすぎんじゃね~?」
「お高く止まってんじゃねーぞぉ、どうせ待ちぼうけだろぉ?」
「ビッチのくせにもったいてけやがってよぉ」

 男の一人がニコラシカの肩を強く掴む。
 ビリッとツノに障る痛みが強まった。ニコラシカの顔が堪えるように歪む。

「やめて、離して……!放っておいて!」

 ニコラシカは強い力でその手を振り払った。コーン族は女といえどそこらの人間の男に力で負けるほどが弱くはないのだ。

「このアマっ……!」

 しかし、その態度は男たちをますますイキリ立たせ、怒りに奮わせた。

 パリッ。
 ツノが強く警告するように痛みをニコラシカに伝える。

「っ……」

 その痛みに、ニコラシカは一瞬目眩を起こした。
 怒りに震える男の拳がニコラシカに向かって飛んでくるのが、霞む視界の端に映る。
 殴られる、と思わず竦んだその時だった。

「やめな」

 ガシ、と横から伸びた手が男の拳を止めた。

「テメェ邪魔すん……!っあ、あ、アンタは……!」
「……ナンパしくじったからって、いちいち女殴ってちゃあモテんぜ。……なぁ、わかるよな?ボウズども」
「ひっ、……す、すみませんでしたぁ!」

 あれほどまでにいきり立っていた男たちは、突然怯え慌てたように逃げて行く。

 ピリピリとしたツノの痛みに耐えてニコラシカが薄目を開けると、青錆色が視界に映る。

「遅くなってゴメン、大丈夫……?」

 それはやや掠れ気味の低いいつもの声。
 ニコラシカの耳を優しく撫でてするりと心の奥深いところまで沁み渡るような優しい響き。
 ツノの痛みも和らぎ、引いていく。

「じ、ジェンユー様……。はい、私、平気です……また、助けてもらっちゃって」

 ピリピリした痛みが引いていく代わりに、トクトクと鼓動が早まっていく。
 痛みに霞んでいた視界は、今はぽぅっと惚けて彼以外の世界が全て霞んでいった。

「そんなこと。俺が遅れたせいで変なのに絡まれたんだし。……ギリギリ間に合ってよかった。……ん、今日も可愛いね」
「ふぇっ!?」

 セントエートルユマン女学院の生徒は、いかなる時も学生としての自覚を持ち、外出時は制服着用のこと。という決まりがある。

 その為せっかくの一日かけたデートであっても、結局は大したお洒落もできず、もしやガッカリさせてしまうのではと思っていたのだ。

 それなのにしれっと言われた可愛いねの一言に、ニコラシカは驚き、喜びに満たされ、すっかり惚けてしまった。

「それじゃ、……行こうか」

 ジェンユーが手を差し出す。ニコラシカはぽぅっとしたまま手を重ねた。
 そのまま、どこをどう歩いたのか、ずっとふわふわしてよくわからないまま気付けばソファにちょこんと座っていたのだった。


ーー

「はい、お茶どうぞ」

 コトン。
 天然木を切り出したらしい艶やかなローテーブルに、芳醇で甘い香りを放つお茶の湯呑みが置かれた。

 その音でニコラシカはハッとした。
 慌てて辺りを見渡すと、どことなく見覚えのある部屋の中。

 隣にジェンユーが座り、ふかふかの皮張りのソファが沈む感触をお尻の下に感じる。

 肩が触れそうなほどの近さで腰を下ろしたジェンユーに、ニコラシカの意識はまたふわふわと浮ついていく。

「緊張してる?……ニチカちゃん」

 ジェンユーの大きな手が、ニコラシカのギュウとスカートの裾を掴んで握り締められた手の甲に重ねられた。
 少し固くて、細長い指が、ニコラシカの手を包み込む。

「ぁ、……!」

 言うまでもなくニコラシカは緊張していた。今までにないほど。
 心臓はずっとうるさく痛いくらいに激しく打ち付け、喉が詰まってうまく言葉も出てこない。

 ジェンユーの薄い緋色の瞳が、そんなニコラシカの顔を覗き込んで来る。彼の瞳には、真っ赤な顔をしたニコラシカが映っていた。

(近い。心臓の音、聞こえちゃう。恥ずかしいっ)

 ニコラシカは恥ずかしさに耐えきれず、ギュッとキツく目を閉じた。

「……ニチカちゃん。……そんな顔、見せたらダメだろ」

 微か、笑い含みの掠れた声。
 ジェンユーの細長い指先が、ニコラシカの唇をふにっとつつき、触れて撫でていく。

「っ!!」

 思わず見開いたニコラシカの金色の瞳が、ジェンユーを映す。

「つい、可愛いからさ。……お茶、飲む?……それとも、……もう一度、目、閉じる?」

 その声は、ゆらゆらと妖しく揺れて、ニコラシカの鼓膜を震わせる。その奥の頭蓋を撫でて、理性や恥じらいをも溶かしていくようだった。

 ニコラシカはコクンと頷いて、そっと目を閉じた。
 ふ、と笑ったような吐息が耳を擽る。

 指先が、もう一度ニコラシカの唇を触れ、撫でていく。
 形をなぞり、確かめるようなその指に、ニコラシカの顔は熱く火照って真っ赤に染まっていった。

 心臓はドクドクと痛いほどに激しく鼓動する。
 ほんの微かに、ツノがピリピリするような気もしたが、きっと気のせいだと思った。

「ニチカ……」

 ジェンユーの声が耳のすぐそばで、掠れ気味に名を囁く。
 微かなツノのピリピリも、その声を聴くとすっかり消えて溶けていった。

「じ、ジェンユー様……」

 代わりに、ニコラシカの心に満ちていく幸福感。
 じわじわと沁み込み、注がれ、胸の中いっぱいになっては溢れていく。

「ニチカ、可愛いね……ずっと、君を、求めていた……」

 掠れ気味の低い声が、ニコラシカの耳を侵していく。
 唇から離れた手が、ツノに触れた。

「ぁっ……!」

 ぴくん、とニコラシカの体が微かに震える。
 ざら、とツノの表面を撫でていく手。
 ニコラシカの体からゆるゆると力が抜けていく。

「ニチカ、ニコラシカ。君が、俺の、救いになる……ずっと探していた、会えて嬉しいよ。ニチカ」
「じ、ジェンユー様っ……」

 ニコラシカの心を、ありったけの多幸感が満たしていく。

(あぁ、こんなにこんなに求められて……もう、私、この方に全てを捧げる!)

 ニコラシカの心が強くそう感じる。
 ビリ、と、また微かにツノが痺れるような痛みを発したのは、果たしてどういう意味があったのか。

「ニチカ。目を、開けちゃダメだよ……」

 ジェンユーの声がニコラシカを惑わせていく。
 それでも尚。
 ピリ、ピリピリとツノが痺れた。
 まるで、何かを警告しているように。

 その痺れは、確かな痛みと共に、ニコラシカに僅かばかりの不安と焦燥、そして疑念を生じさせる。

「っあ、……なに、どう、して……」

 痛い。
 堪えきれず、薄らと目を開いたニコラシカの瞳に。
 今まさに彼女のツノに刃物を突き立てんとするジェンユーの姿が映った。

 ニコラシカは信じられないというように目を見開く。
 ビリッと走る鋭い痛みに。

「っえ、……や、やぁっ……!」

 思わずドンっとジェンユーの体を押し退ける。

「うわっ!?」

 パキン、と、何かが砕けるような、折れたような音が微か。
 ドサッとジェンユーの体が床に落ち、カランとナイフが転がっていった。

「な、なんで……」

 ニコラシカは混乱していた。

 なぜ?何が起こったのか?優しくて誠実であんなにも真摯に自分を求め愛してくれていたはずのジェンユーが、自分のツノにナイフを突き立てようとしていた。

 彼からは、悪意や邪心など少しも感じなかったはずだ。
 彼の言葉に嘘はひとつもなかったはずだ。

 なのになぜ?

 ニコラシカはただただ困惑し、現実を受け入れることを心が拒む。

「……チ、やっぱり、茶は飲ませておくべきだったか」

 ジェンユーが舌打ちと共にナイフを拾って身を起こした。
 その声には、優しい響きなど微塵もなく。

「ジェンユー様……どうして?どういうことなの?」

 ニコラシカはまだ信じられない、信じたくないという気持ちで、縋るようにジェンユーを見つめた。

 ピリピリとツノが痛む。
 それはそのまま、心の痛みにも思えた。

「どうもこうも。……」

 ジェンユーの緋色の瞳がニコラシカを見た。
 不意に、その表情が痛ましげに歪む。

「嗚呼!すまないニチカちゃん。実は俺には、ずっと不治の病に苦しんでいる母が居て、コーン族のツノにはあらゆる病を癒す万能の力があると聞いて……、……いや、許されることじゃないな、こんなこと」

 ニコラシカの目がまた大きく見開かれる。
 ピリ、とツノが痺れる。
 顔を顰めて、痛みに堪え。

「そう、だったの。それなら、そう、言ってくれれば。……貴方の、お母様のためなら、私……」

 ズキ、とまた頭が痛む。
 ツノが何かを強く警告している。
 それを、ニコラシカは気付かないふりをした。
 信じたくなかったのだ。

「許してくれるのかい、ニチカちゃん」

 ジェンユーの声が、ツノの警告を打ち消すように沁み込む。

「貴方のことが、好きだから……だから、この一度きり、許します。どうか、お母様を、治してあげて」

 好きな人の役に立てるなら嬉しい、とニコラシカは微笑んだ。

 ズキズキと、痛みは強くなっていく。
 ピリピリとツノが微かな電流を帯びるように痺れも強くなっていく。
 ジェンユーは。

「嗚呼、すまない。ありがとう、ニチカちゃん。……君のこと、騙したみたいになってゴメン。本当に、君のこと……」

 ニコラシカは、どうにか微笑みを維持したまま、しかし、最後まで聞かずに踵を返すとタッと駆け出していた。
 さよならも言わず、言えず、ジェンユーの前から走り去って行った。

 ニコラシカは、とにかく走った。
 どこをどう走ったのかもわからないままずっと。
 足が動かなくなるまで走り続けた。
 ズキズキピリピリした痛みはずっとあった。
 ポロポロと涙が溢れて止まらなかった。

「わぁぁあん!!」

 そうして誰も居ない森の中で、ニコラシカは声を上げて泣いたのだった。
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