離縁の雨が降りやめば

碧月あめり

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1.龍神の花嫁

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 空を見飽きた葵が少し散歩にでも行こうかと腰をあげると、

「葵様。失礼いたします」

 後ろの襖が開いて、世話係のシノが部屋に入ってきた。

 シノは、半年ほど前に竜堂家から送られてきた若い世話係だ。

 もともと、世話係は葵の生家から来たキヨとマキノのふたりだった。ふたりとも三つの頃から葵の身の回りの世話をしてくれている。

 高齢で穏やかな性格のキヨと口数は多くないが仕事は完璧にこなすマキノとの距離感が葵にはちょうど心地よかった。

 ところが、半年前にキヨが病気をして世話係を続けられなくなり、まだ若いシノが代わりにやってきた。それも、竜堂の本家から。

 新入りのシノは、龍神の花嫁と接するための決まり事をきちんと教えられていないらしい。必要な会話以外はしてこなかったキヨやマキノと違って、シノは必要なことも不要なこともよくしゃべる。

 明るい性格でおしゃべりなシノは、所作も仕事も大雑把で、葵には少しうるさかった。

「葵様。章太郎しょうたろう様からお着物が送られてまいりました。離縁の雨が降りやんだ朝、葵様を迎える日にこれを着てほしいとのことですよ。ご覧になってみてください」

 部屋に入ってきたシノが、持っていた着物を畳の上に広げる。

「まあ、華やかで素敵ですよ。ね、葵様」

 蝶と洋花の模様が入った空色の着物。葵の目に、それは質素な家の和室の上で随分と派手で異質に見えた。

「そうね。しまっておいて」

 葵が着物を遠目にちらっとだけ見て顔をそらすと、

「あまりお気に召しませんでしたか?」

 シノが残念そうに聞いてきた。

「そういうわけではないけれど……離縁の雨が降って止むまで、わたしは龍神様の花嫁としての役割を果たさなければいけないから」
「そうはおっしゃいましても葵様。十六のお誕生日まであと三日ですよ。ここを出る準備だって、ちゃんと進めておかねばいけません。葵様の人生はまだこれからなのですから、離縁したあとのことを少しくらい考えたって、龍神様はお叱りにはならないと思います」
「……そうね」 

 気のない声で答える葵に、シノが小さく肩をすくめてみせる。

 付き合いの浅いシノのことを、葵はいまいち信用できていなかった。それに、ここに来る前にシノが仕えていたのが竜堂家の章太郎であるということも、葵が彼女を信用しきれない要因になっている。

 竜堂 章太郎は葵のハトコで、竜堂の本家の三男。最近、帝都軍の大尉に昇級したと聞く。

 龍神と離縁したあと、葵は章太郎のところに嫁がされることが既に竜堂家本家の当主によって決められていた。

 長男や次男ではなく三男の章太郎のもとに嫁がされるのは、上のふたりが既婚であり、世間知らずのワケありを家に入れることを嫌がったからだ。

 葵と十ほど年の離れている三男の章太郎にも、既に正妻はいる。

 本家の当主が子息の誰かに葵を嫁がせると決めたとき、初めは章太郎も難色を示していたらしい。

 そんな章太郎の気が変わったのは、半年ほど前のことだ。

 竜堂家の本家の人間は、年に一度、一族を代表して美雲神社に参拝することが義務付けられている。

 半年前の参拝の際に、葵は竜堂家の当主とともに美雲神社にやってきた章太郎に挨拶をさせられた。

 通常であれば、龍神の花嫁が俗世の人間に会うことは許されない。

 だが、龍神との離縁のときが迫っているにも関わらず、章太郎が葵を妻に受け入れることを渋っていたため、当主が強引に章太郎と葵を対面させた。

 葵は、昨今、美雲神社に送られた花嫁の中でも特に見た目が美しかった。

 一目会えば、章太郎は葵を気にいるはず。当主には、そういう算段があったのだろう。

 その後、章太郎と葵の婚姻が決まった。

 葵は次代の龍神の花嫁を産むための側女として、章太郎に娶られるのだ。

 シノがキヨの代わりの葵の世話係としてやってきたのは、章太郎との婚姻が正式に決まった直後のこと。

 そんな状況だったから、葵にはシノが章太郎によって送り込まれてきた内通者のように思えてしまってならない。

 葵が離縁後の夫となる章太郎と顔を合わせたのは、ただ一度きり。少し言葉を交わしたが、葵は彼のことをあまり好きになれそうになかった。

 十も歳が離れているということもあるが、葵のことを品定めるように見てきた章太郎のねっとりしたまなざしに、不快感を覚えたのだ。

 三つの頃に龍神の花嫁となった葵は、結婚は家が決めることで、個人の好き嫌いでどうにかなるものではないことはもちろんよくわかっている。

 けれど、章太郎のところに嫁いだあとのことを考えれば気が重い。

 章太郎に嫁ぎ直すくらいなら、本当に存在するかもわからない、ひとつ目の龍神様の妻のままでいたほうが幾分もマシだと思うのだ。

「少し庭を散歩してきます」

 葵は座っていた縁側から腰をあげると、ため息を吐きながら民家の外に出た。
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