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3.長雨のあと
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神主とマキノの姿が見えなくなると、葵はようやくほっとした。
「ここを出て行けと言われたときはどうなることかと思ったわ」
「私が来るのが少し遅れたせいで、葵に心配をかけてしまいましたね。すみません」
わずかに右眉を下げながら、御蔭が申し訳なさそうな声を出す。どこか弱気で優しい声は、ついさっき神主と対峙したときの御蔭の様子とはまるで違っている。その変化がおかしくて、葵はふふっとおもわず笑ってしまった。
「いいえ。でもやっぱり、ほんとうの御蔭の力には驚いてしまうわ。だって、これまでわたしが見てきた御蔭とまるで別人なんだもの」
「別人、ですか……?」
無自覚なのか、問い返してくる御蔭はきょとんとした顔をしている。そのことが、葵にはまた可笑しかった。
「だって、わたしが知っている御蔭は池の鯉にしか興味がない様子だったし。何事にも我関せずで、すごくのんびりしていたでしょう」
「ほんとうの私はあまり好きではありませんか」
葵の言葉に、御蔭が少し瞳を翳らせながらそう訊ねてくる。御蔭の表情はなぜかとても不安そうだが、神様でも不安を覚えることがあるのだろうか。
「いいえ。わたしは御蔭の全部が大好きよ」
不思議に思いつつ答えると、御蔭がふっとやわらかく微笑みかけてきた。
「葵」
春のそよ風のようなあたたかくやさしい声に呼ばれたかと思うと、腕をひかれて、御蔭の膝の上に正面から抱き上げられる。そのまま腰から引き寄せられて、おたがいの鼻先がぶつかり合うくらいに葵と御蔭の距離が近づいた。
「お、おろしてください……」
驚いた葵がとっさに胸を押すと、御蔭のクツリと笑う声が耳に届く。
「なぜ? 昔はよく、あなたのほうから私の膝にのってきていましたよ」
揶揄われているようにも思える御蔭の言葉に、葵は顔を赤くして目を伏せた。
「それは、うんと子どもの頃の話でしょう」
まだ、葵の目線の位置が御蔭よりもうんと低かった幼い頃。葵はときどき、池のそばにしゃがんで鯉にエサを投げる御蔭の膝に乗っていた。
世話係であるキヨやマキノに甘えることができない葵に、そういうことを許してくれたのは御蔭だけだった。
それだけでなく、「太鼓橋の上から池の鯉が見てみたい」と御蔭に抱っこをせがんだこともある。
いつからかはずかしくてそんなことはしなくなったが、小さな葵にとって、自分の体を丸ごと包んでくれる御蔭の腕のなかは、この世界でいちばん安心できる場所だった。御蔭に抱きしめてもらうと、淋しさが消えてほっとした。
けれど今はどうだろう。御蔭の腕のなかがあたたかいことには変わりないが、あのときと違って心臓が暴れてどこかへ逃げだしてしまいそうだ。
「わたしはもう小さな子どもではないので……」
場を取り仕切るように小さく咳払いすると、御蔭が目を細めてクスリと笑った。
「そうですね。あの頃もあどけなくかわいらしかったですが、今はとても綺麗になりました。あなたが無遠慮に膝に乗ってこなくなったときは、成長が嬉しい反面少し淋しくもなりましたが……今思えばやはり、淋しいのほうが勝っていたのかもしれません」
そう言いながら、御蔭が葵の髪にそっと手を伸ばす。
大切なものを扱うようにやさしく撫でられて、葵の胸は甘い痛みにきゅっと痺れた。
堂々とした態度で力を使う神様然とした御蔭も知らなかったが、こんなふうに甘くやさしく葵に触れる御蔭も知らない。だから、反応に困って戸惑ってしまう。
「ここを出て行けと言われたときはどうなることかと思ったわ」
「私が来るのが少し遅れたせいで、葵に心配をかけてしまいましたね。すみません」
わずかに右眉を下げながら、御蔭が申し訳なさそうな声を出す。どこか弱気で優しい声は、ついさっき神主と対峙したときの御蔭の様子とはまるで違っている。その変化がおかしくて、葵はふふっとおもわず笑ってしまった。
「いいえ。でもやっぱり、ほんとうの御蔭の力には驚いてしまうわ。だって、これまでわたしが見てきた御蔭とまるで別人なんだもの」
「別人、ですか……?」
無自覚なのか、問い返してくる御蔭はきょとんとした顔をしている。そのことが、葵にはまた可笑しかった。
「だって、わたしが知っている御蔭は池の鯉にしか興味がない様子だったし。何事にも我関せずで、すごくのんびりしていたでしょう」
「ほんとうの私はあまり好きではありませんか」
葵の言葉に、御蔭が少し瞳を翳らせながらそう訊ねてくる。御蔭の表情はなぜかとても不安そうだが、神様でも不安を覚えることがあるのだろうか。
「いいえ。わたしは御蔭の全部が大好きよ」
不思議に思いつつ答えると、御蔭がふっとやわらかく微笑みかけてきた。
「葵」
春のそよ風のようなあたたかくやさしい声に呼ばれたかと思うと、腕をひかれて、御蔭の膝の上に正面から抱き上げられる。そのまま腰から引き寄せられて、おたがいの鼻先がぶつかり合うくらいに葵と御蔭の距離が近づいた。
「お、おろしてください……」
驚いた葵がとっさに胸を押すと、御蔭のクツリと笑う声が耳に届く。
「なぜ? 昔はよく、あなたのほうから私の膝にのってきていましたよ」
揶揄われているようにも思える御蔭の言葉に、葵は顔を赤くして目を伏せた。
「それは、うんと子どもの頃の話でしょう」
まだ、葵の目線の位置が御蔭よりもうんと低かった幼い頃。葵はときどき、池のそばにしゃがんで鯉にエサを投げる御蔭の膝に乗っていた。
世話係であるキヨやマキノに甘えることができない葵に、そういうことを許してくれたのは御蔭だけだった。
それだけでなく、「太鼓橋の上から池の鯉が見てみたい」と御蔭に抱っこをせがんだこともある。
いつからかはずかしくてそんなことはしなくなったが、小さな葵にとって、自分の体を丸ごと包んでくれる御蔭の腕のなかは、この世界でいちばん安心できる場所だった。御蔭に抱きしめてもらうと、淋しさが消えてほっとした。
けれど今はどうだろう。御蔭の腕のなかがあたたかいことには変わりないが、あのときと違って心臓が暴れてどこかへ逃げだしてしまいそうだ。
「わたしはもう小さな子どもではないので……」
場を取り仕切るように小さく咳払いすると、御蔭が目を細めてクスリと笑った。
「そうですね。あの頃もあどけなくかわいらしかったですが、今はとても綺麗になりました。あなたが無遠慮に膝に乗ってこなくなったときは、成長が嬉しい反面少し淋しくもなりましたが……今思えばやはり、淋しいのほうが勝っていたのかもしれません」
そう言いながら、御蔭が葵の髪にそっと手を伸ばす。
大切なものを扱うようにやさしく撫でられて、葵の胸は甘い痛みにきゅっと痺れた。
堂々とした態度で力を使う神様然とした御蔭も知らなかったが、こんなふうに甘くやさしく葵に触れる御蔭も知らない。だから、反応に困って戸惑ってしまう。
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