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5.墨色の鯉
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しおりを挟む「試しに着てみていただけますか?」
蓮華が空色の着物を衣桁からはずして、葵に試着を勧めてくる。それに片腕だけをとおして見せたとき、
「蓮華様、失礼いたします」
和室の外から声がした。
「ああ、きっと橘ね。着替えるのを手伝ってもらいましょう。橘は池の中でいちばん着付けが上手なのよ。入ってきてちょうだい」
蓮華が声をかけると、部屋の戸が開いて橘が入ってきた。
細かな泡をたてて近づいてくる橘のそばには、黒い着物の澄が隠れるように控えている。
「あら、澄も一緒なのね」
驚いたようにまばたきする蓮華に、澄が小さく背中を丸めて頭を下げた。
「失礼いたします……あの」
「試着される着物の数が多いかと思いまして澄も連れて来たのですが。よかったでしょうか」
萎縮しながらもなにか話そうとしていた澄だったが、前に出てきた橘が彼女の言葉を遮ってしまう。
「もちろんよ」
蓮華がにこやかに笑みを返すが、葵は橘の背後で一歩後ずさってしまった澄のことがなんだか気になってしまった。
光沢のある黒い烏貝のような着物に身を包んだ澄の身体は、他の鯉と比べると頼りなく細い。
それに、蓮華はともかく橘は、澄に対してどこか邪険な態度をとっているような気もする。
葵が澄を気にしてしまうのは、真っ黒な彼女が他の鯉たちから疎外されているのではと感じるからかもしれない。
気配が少し似ているのだ。
龍神の花嫁として、外の世界とも母とも引き離されて孤独を感じていた昔の葵に。
澄の様子を目で追っていると、橘が近付いてきた。
「それでは葵様、よろしくお願いいたします。そちらの着物から試されますか?」
葵が片腕をとおした水色の着物に触れながら、橘がにこやかに話しかけてくる。
明るく感じの良い橘の笑顔に、葵は少し面食らった。
ここへ来る前に廊下ですれ違ったとき、冷たいまなざしを向けられたと思ったのは気のせいだったのだろうか。
やわらかく目尻を下げた橘のまなざしからは、少しの冷たさも感じない。
戸惑い気味に橘に笑みを返すと、葵はまだ澄のことを気にしながら小さく頷いた。
「ありがとう。では、これをお願いします」
「かしこまりました」
恭しく葵に頭を下げると、橘が部屋にいつくも置いてある衣装箪笥の前を右往左往して、襦袢や帯など必要なものを集めてくる。
てきぱきと動く橘に合わせてできる小さな泡が、ポコポコと浮かんで上のほうで弾ける。
「澄、ぼんやり見ていないで葵様のお着替えを手伝って」
葵が浮かんでは弾ける泡をぼんやり見ていると、橘が一重の目をやや尖らせながら澄を振り返った。
強い口調で指示された澄が、「は、はい……!」と慌てて葵に近付いてくる。
「し、失礼いたします……」
葵の着物は質素な普段着で自分で脱ぎ着できるのだが、橘に怯えた様子の澄を見ると手伝いを断るのも可哀想だ。
葵は橘と澄にすべてを委ねることにして、着物の衿元から紫の御守り袋を引き抜いた。
それを右手に握りしめて着物の袖を広げるように両腕を開くと、気付いた橘が首をかしげた。
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