離縁の雨が降りやめば

碧月あめり

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5.墨色の鯉

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「すみません、橘さん。蓮華様も、大変失礼いたしました」

 朱色の着物の女性へと変化した鯉が、落ち着きなく頭をさげる。

「それで、なにがあったの?」
「はい。少し澄の力が必要な事態になりまして。何度追いやっても邸宅に亀の侵入があるので、いくらか真鯉を守衛に見せたいのです」

 早口な説明の意味が葵にはよくわからない。だが、蓮華と橘は朱色の鯉の話に眉をひそめた。

「それは困ったわね。あの方たちは、邸宅の結界となる藻までも食い散らしてしまうもの。澄、ここはいいから行ってあげなさい」

 蓮華が困り顔でそう言うと、澄が「はい」と頷き、黒の鯉の姿になった。

 澄が和室の外へと泳いでいくと、朱色の着物の女性も鯉の姿に戻る。そうして、澄を誘導するように去ろうとしたとき。

 葵は、ふいに息苦しさを感じて胸を押さえた。

 それまでずっと、陸にいるときと同じように呼吸ができていたはずなのに。

 コポポ……と、肺に水が侵入してくるような息苦しさがある。

 助けを求めるように着物の袂に手をあてた葵は、そこに母の御守りがないことに気が付いた。

「御守り……」

 あれを澄にあずけたままだ。

 御守りが手元にない不安が、葵をさらに苦しくさせた。

 コポポ、ゴボゴボ……

 さっきよりも多量の水が体に入ってくるようで、胸を掻きむしりたくなるほどに呼吸が苦しい。

「葵様……?」

 水中で溺れるようにがむしゃらに腕を動かして、着物の帯を結ぼうとしている橘を振り払う。

 急に重たくなった身体を必死に動かしていると、黒の鯉が水中を一直線に飛ぶように戻ってきた。

「葵様、御守りを……」

 黒の鯉が口にくわえているのは、紫色の御守り袋。葵がそれをひったくるように手にとると、ゴボゴボッと肺から水が出ていくような感覚がして、息苦しさがすーっと消えた。けれど、異変に反応した心臓がまだドクドクと激しく脈打っている。

(今のはいったいなんだったの……)

 紫の御守りをぎゅっと握りしめて胸にあてると、黒の鯉がつぶらな瞳で葵をじっと見つめてきた。

「申し訳ありません、葵様……」

 聞こえてきたのは、葵の耳にようやく届くほど小さな澄の声。

 今の息苦しさは、澄のせいだったのだろうか。

 仲良くなりたいと思っていただけに、葵が心に受けたショックは大きい。

 無言で澄を見つめ返すと、鯉の姿の彼女の目が怯えたように揺れた。

「澄、早くしてちょうだい」

 葵と澄が見つめあっていると、朱色の鯉が尾鰭を振って回りながら澄を呼ぶ。

 澄は葵に小さく礼をするように頭を下げると、くるっと身を翻した。そうして、朱色の鯉と二匹で尾鰭をゆらめかせながら去っていく。
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