52 / 74
7.月夜の波紋
7
しおりを挟む「どうしてここに?」
「葵様には助けていただきましたから」
月明かりの下、澄が白い顔にうっすらと笑みを浮かべる。そうして、まだ茫然としている葵のことを池の淵へと上げてくれた。
「葵様が邸宅を出る直前にまた亀の侵入があり、もしやと思い追いかけてきたのです。なぜか池の亀が暴走をしたようで……危ういところでした。舟から落ちて、あのまま池の底に沈めば、葵様の身体は泡に溶けてしまっていたかもしれません……」
陸には上がれない澄が、池の水面から顔をのぞかせて話をする。
その内容に、葵はぞくっと背筋を震わせた。
「そのために少しずつ身体を慣らしていたのではないの? 御蔭は三日もあれば大丈夫だと……」
「それは、舟で現世と幽世を安全に移動した場合の話です。あのように道を途中で遮られて別の道へと引き摺られると、人の葵様の身体はどうなっていたかわかりません」
「そんな……」
濡れた髪をかきあげる葵の肌の熱が冷えていく。
「けれど、こうして現世に戻られたのでもう大丈夫です。身体が完全に凍えてしまう前にお帰りください」
澄が、小さいけれどはっきりとした口調で話す。
いつもおどおどと怯えてばかりの澄の瞳が、まっすぐに葵を見上げてきた。
澄の様子は、あきらかにいつもと違う。
澄は青嶺神社の白雪が送り込んだ間者だ。
今まで見せてきた萎縮した態度は、葵を油断させるための演技だったのだろうか。
さっきの亀の暴走だって、もしかしたら白雪の指示かもしれない。
だとしたら、澄が葵を助けた意図がわからないが。油断させたその先に、べつの企みがあるのだろうか。
ドドッと不安に胸が騒ぎ、母のお守りを入れた着物の袂を手のひらで押さえる。
「わたしをこのまま帰してくれるの?」
葵の問いかけに、澄が不思議そうに首をかしげた。
「もちろんですよ」
「澄。あなた、ほんとうは青嶺神社の白雪様に仕えているのでしょう」
疑いのまなざしを向ける葵に、澄はわずかに瞳を曇らせた。
「ご存知だったのですね。それで、私を疑われているのですよね」
「そういうわけではないけれど……」
できれば、葵だって澄を疑いたくはない。
初めて会ったときから、池の鯉たちの中でもっとも気になる存在だからだ。
けれど……この前も、今も、葵が池の中で呼吸が苦しくなったときは、かならず澄がいる。
「いいえ、疑われても仕方ありません。けれど、これだけは信じていただけますか?」
口ごもった葵を、澄が自信なさそうにじっと見つめてくる。闇夜に似た澄の漆黒の瞳は、葵を陥れようとしているようには見えない。
葵が小さく頷くと、澄がほっとしたように目尻を下げた。
「葵様が花飾りを挿しなおしてくださったこと、水菓子をこぼした私を庇おうとしてくださったこと、とても嬉しかったです。だから、私は葵様が泡に溶けてしまうのは嫌でした」
そう言い終えるや否や、澄がはっとしたように背後を振り返った。
葵がつられて見ると、池の水面の何ヶ所かで、ぽわっ、ぽわっと波紋ができている。
それが不規則に生まれては消えるのを見て、澄が少し慌てたように葵のほうに向き直った。
「葵様、そろそろ風も冷たくなってまいります。早くご帰宅を……」
「え、ええ」
澄にせき立てられて、濡れた着物を引き摺りながら一歩進む。
じゃりっと、草履が砂の音を鳴らしたとき。
「申しわけございません、葵様……」
ふと、澄の声が聞こえたような気がした。ゆっくりと振り向くと、そこにはもう澄の姿はない。
池の中に戻ってしまったのだろうか。
池の水面には、ぽわっ、ぽわっと、まだいくつも不規則な波紋ができていている。
月明かりに照らされて消えていく波紋は幻想的に目に映る反面、不穏でもあって。
葵はなぜか、胸に小さな漣がたつような心地がした。
10
あなたにおすすめの小説
🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。
設楽理沙
ライト文芸
2026.1.4 73話見直した際、瑛士の台詞《本音/懺悔》を加筆しました。😇
☘ 累計ポイント/ 200万pt 超えました。ありがとうございます。
―― 備忘録 ――
第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。 最高 57,392 pt
〃 24h/pt-1位ではじまり2位で終了。 最高 89,034 pt
◇ ◇ ◇ ◇
紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる
素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。
隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が
始まる。
苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・
消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように
大きな声で泣いた。
泣きながらも、よろけながらも、気がつけば
大地をしっかりと踏みしめていた。
そう、立ち止まってなんていられない。
☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★
2025.4.19☑~
診察室の午後<菜の花の丘編>その1
スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。
そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。
「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。
時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。
多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。
この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。
※医学描写と他もすべて架空です。
処刑された王女、時間を巻き戻して復讐を誓う
遊鷹太
ファンタジー
断頭台で首を刎ねられた王女セリーヌは、女神の加護により処刑の一年前へと時間を巻き戻された。信じていた者たちに裏切られ、民衆に石を投げられた記憶を胸に、彼女は証拠を集め、法を武器に、陰謀の網を逆手に取る。復讐か、赦しか——その選択が、リオネール王国の未来を決める。
これは、王弟の陰謀で処刑された王女が、一年前へと時間を巻き戻され、証拠と同盟と知略で玉座と尊厳を奪還する復讐と再生の物語です。彼女は二度と誰も失わないために、正義を手続きとして示し、赦すか裁くかの決断を自らの手で下します。舞台は剣と魔法の王国リオネール。法と証拠、裁判と契約が逆転の核となり、感情と理性の葛藤を経て、王女は新たな国の夜明けへと歩を進めます。
押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました
cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。
そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。
双子の妹、澪に縁談を押し付ける。
両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。
「はじめまして」
そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。
なんてカッコイイ人なの……。
戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。
「澪、キミを探していたんだ」
「キミ以外はいらない」
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
後宮なりきり夫婦録
石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」
「はあ……?」
雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。
あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。
空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。
かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。
影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。
サイトより転載になります。
烏の王と宵の花嫁
水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。
唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。
その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。
ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。
死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。
※初出2024年7月
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる