離縁の雨が降りやめば

碧月あめり

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8.深紅の凶報

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「御蔭……?」

 不安に思いつつ、太鼓橋の真ん中まで進んで欄干の近くを手で探る。けれど、葵の手に触れるものはなく、声をかけても返答はない。

「そうだわ、舟が……」

 蓮の花が開けば、太鼓橋の下の池の淵に小舟がやってくる。

 橋の袂まで戻って池のほうに降りてみたが、迎えの舟はなかった。

 今日に限って、遅れているのかもしれない。しばらく待ってみたが池の水面は静かで、風に吹かれてときおり小さな漣ができるほかに動きはない。

(なぜ、蓮が咲いたのに舟が来ないの……)

 不安に堪えきれなくなった葵は、ざぶっと池の中に足を踏み入れた。

 やや碧みががった池の水が、草履を履いた素足に冷たい。一瞬で凍りついてしまいそうになり、足のつま先にぎゅっと力を入れる。

 少し水に慣れると、葵は着物が濡れるのも気にせず、二歩、三歩と池を進んだ。

 けれど、十歩もいかないところで泥濘ぬかるみに足をとられて動けなくなる。

「なぜ、迎えに来てくれないの……」

 少し先では、まだ黒の真鯉たちが太鼓橋を見上げてパクパクとに口を動かしている。

 餌を投げる者もいないのに、虚しくて無駄な行為だ。
 けれど、それは葵も同じこと。

 腰の下まで浸かったところで、葵は池の水面を見つめて、きゅっと唇を噛み締めた。

 気付かないうちに、葵がなにか御蔭との約束を違えるようなことをしてしまったのだろうか。

 御蔭と別れてからのことをひとつ、ひとつ、思い返してみてもわからない。

 水中では綺麗な透明の青色だった池の水は、地上からでは青緑に濁っていて中の様子もわからない。

 御空色の葵の瞳が翳り、透明な雫がぽとりと溢れる。池に落ちた雫は波紋となって、水面でゆっくりと広がっていった。

「葵様……! なぜそんなところに……大丈夫でございますか?」 

 絶望に沈む葵の耳に、ふいにマキノの声が届く。

「マキノ……?」

 ハッと振り向いた瞬間、泥濘で足が滑って、葵は背中からざぶんと池に落ちた。

 ゴボゴボッと耳元で鳴る水の音に抗って腕をばたつかせるが、着物の袖が邪魔しててうまく浮上できない。

「葵様……!」

 必死に叫びながら葵を引き上げてくれたのは、マキノだった。

「葵様……ご無事ですか?」

 マキノが心配そうに葵の顔を覗き込んでくる。

 さっきは御蔭のことを否定したマキノに腹が立ったが、やさしく声をかけられると泣きたくなった。

「ひとまず、池からあがりましょう」

 自分が濡れるのも構わず、マキノが葵を池の外へと引っ張り出してくれる。

「なぜ池の中に入られたのです?」
「舟の迎えが来ないから……」

 つぶやく葵の声に、マキノは怪訝そうに顔をしかめた。

「なにが来ないとおっしゃいましたか?」
「蓮が咲いたのに、御蔭のところに行けないの……ねえ、マキノ。何故だと思う? わたしが何かしてしまったせいなの?」
「葵様、どうか落ち着いてください」

 縋りつく葵を、マキノが憂えた目で見つめる。それから子どもにするように、トントンと葵のやさしく背中をたたいてくれた。

 マキノになだめられて、葵は少し冷静さを取り戻す。
 何もわかってくれていないと思ったマキノの手が、今はあたたかく頼もしかった。

「大丈夫ですよ。葵様は何も悪くありません」

 だが、葵がほっと息を吐いた次の瞬間。

「悪いのは、すべて、葵様に取り憑く物怪ですから」

 マキノが、ぞっとするような言葉を口にした。
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