フツリアイな相合傘

月ヶ瀬 杏

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6.雨の日は、

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 事故に遭ったその日は、視界が霞むくらいに激しい横殴りの雨が降っていた。

「お母さんと買い物に出かけた帰り道、バスを降りて歩いていたら、だんだんと雨脚が強くなってきたの。進行方向から風が吹いてて、私は濡れないように斜め前に傘を傾けてさしながら、お母さんと離れないように歩くのに必死で……」

 お母さんも荷物を持っていたし、激しい雨が降る中、私を連れて一刻も早く家に帰ろうと必死だったと思う。

 歩道を歩いていた私たちは、向こう側からこちら側に渡ってくる自転車にまで気を配る余裕がなかった。

 気付いたら、すぐそばで自転車のベルと車輪が濡れた道路を滑る音がして……。照らしてくる自転車のライトの光が、雨の中でさらに私の視界を眩ませた。

 いろんな衝撃や痛みを感じて頭がクラクラしていると思ったら、鼻の上から雨の水が伝って流れてくる。

 そばには、倒れた自転車と散らばった荷物。壊れた傘が3つ。

 一瞬前まで私の身体を覆うように倒れていたお母さんが、私の顔を見た途端に狂ったように名前を呼んで、血走った目で私の顔に触れる。

 私の顔を撫でるお母さんの手を濡らしているのは、赤い色の雨水。

 自分の手をそっと額にあてると、そこに鈍い痛みが走る。私の手を濡らすのは、ぬめっとした感触の濁った赤いもの。

 それが雨の水ではなく自分の血だと気付いた瞬間、額が叫びたくなるくらいの痛みに襲われた。

 私たちとぶつかったのは、視界が悪い雨の日に傘を差して自転車に乗り、車道を横切ってきた男のひと。

 庇ってくれたお母さんと一緒に転んだ私は、その衝撃で、壊れた傘で額に傷痕が残るケガをした。

「ケガをしてすぐの頃はね、今ほど傷痕のことを気にしてなかった。だけど小学校のときに、クラスの男の子に傷のことをからかわれたの。『気持ち悪い』って」

 それまでそんなこと考えたこともなかったのに。

 男の子がどこまで本気で口にしたのかわからないその言葉に、もう癒えたはずの額の傷が鈍く疼いた。

 それを面白がったクラスの子たち数人からも次第に傷のことをからかわれるようになって。

 私だけでなくお母さんもすごく気にするようになっていった。

『どうしてもっとうまく庇えなかったんだろう。女の子なのに』って。『額は絶対に出しちゃダメ。お母さんのせいなのに、酷いこと言われるから』って。

「そんなふうに言われるうちに、気付いたらうまく顔があげられなくなってた」

 自嘲気味に口元を歪めながら、前髪の下に隠れる額の傷を手のひらで庇う。

 もう痕しか残っていないというのに、前髪の上から触れると、まだ傷の痛みを覚えている手のひらが震える。

 きつく、きつく前髪の上から額を押さえていると、そうしている方の手首を佐尾くんがそっとつかんだ。

「俺さ、西條さんのこと可愛いなーとか綺麗だなーって思うし、おでこの傷のこと知ってもその思いは全然変わってないよ?」

 佐尾くんの言葉に驚きすぎて、手の震えが止まる。

「う、そだ……」

 この人は、なんて残酷で適当なデタラメを口にするんだろう。

 つかまれた手を解こうとすると、佐尾くんが慌てて私の手首を強い力で拘束する。

「嘘じゃないって。むしろ、小学生のときにからかってきた奴らのほうがおかしいだろ。西條さんが顔あげた瞬間、いつも俺がどれだけドキッとさせられてるか知ってる?」

 私の手首をつかんだままの佐尾くんがやけに真剣な眼差しを向けてくる。

 ただ大きく目を瞠って戸惑うばかりの私に、佐尾くんがなおも続けた。

「俺が雨の日が好きなのは、西條さんが顔を上げて、一瞬でもちゃんと俺のことを見てくれるからだよ。ちょっと困った顔をして、それでもちゃんと目を合わせてくれる、その瞬間を独り占めにしたいって思う」

 切なさを孕んだ、けれど強い佐尾くんの口調に圧倒されて声が出ない。

 そんなの、嘘だ。

 だって佐尾くんは、男女問わず好かれてて、彼のことが好きな女の子だってたくさんいる。

 それなのに、私なんかにこんなこと言って……。本気だったら、絶対どうかしてる。

 信じられない気持ちのほうが大きいのに、私の胸は呼吸するのが苦しいほどに高鳴っていた。

 表情を強張らせて動けずにいる私を見下ろして、佐尾くんが困ったように耳を掻く。

「え、っと……そろそろ何か反応してもらっていい? 一応今のとこまで全部、告白なんだけど」

 ジッと真っ直ぐな目で見つめられて、じわじわと顔が、身体が熱くなっていくのがわかる。

「あ、え、っと……」

 何か反応してと言われても、どうすれば……。

 しどろもどろになる私を見かねたらしい。佐尾くんが肩をすくめて、クスリと笑った。

「やっぱり、西條さんが俺の気持ち知っててくれたら、今はそれでいいや」

 ずっと手首に感じていた佐尾くんの温度がすっと離れる。その瞬間、ひどく淋しい気持ちになった。

「とりあえず、今日も傘いれてもらっていい?」

 にこりと笑いながら、佐尾くんが持っていた私のスクールバッグ差し出してくる。

 私はそれを受け取ると、無言でコクリと頷いた。

スクールバッグから折り畳み傘を取り出して開くと、隣に並ぶ佐尾くんが雨に濡れないように雨空に向かって腕を高く伸ばして翳す。

 遠慮がちに見上げたら、佐尾くんがとても優しい目をして私のことを見ていた。その眼差しが、さっきの彼の言葉を鮮明に思い出させる。

 きっと、気持ちを伝えるのにタイミングというのはとても大事で。佐尾くんの目を見つめ返しながら、そのタイミングは今なんだと思った。

 今を逃したら、私はきっと佐尾くんにうまく気持ちを伝えられなくなる。そう思ったら、傘を持つのとは反対の手が、佐尾くんの腕をぎゅっとつかんでいた。

「あの、ね……」

 緊張で急激に口が渇く。佐尾くんの腕をつかむ手に、必要以上の力がこもる。

「私、最近は雨の日が前ほど嫌いじゃない」

 ボソリとつぶやいた私を見下ろして、佐尾くんが少し考え込むように眉根を寄せる。

「それは、こんなふうに佐尾くんが話しかけてくれるからで……私は佐尾くんが……」

 眉根の緊張を解いた佐尾くんに、勢いよく抱きしめられて折りたたみ傘が手から落ちる。

 好き。

 その言葉は私と佐尾くんふたりだけの耳に届いて、雨の音とともに消えていった。
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