大嫌いな雨と大嫌いな君の、隣。

碧月あめり

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1巻

1-2

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 もともと整っている佐尾くんの横顔が、いつにも増して輝きを放ってまぶしく見えた。

「西條さん、どっち行けばいい?」

 両腕で抱きかかえた子猫を胸に引き寄せながら、佐尾くんが振り向く。
 つい見惚みとれていた私は、あわてて彼から視線をはずすと、今歩いてきた方向を指差した。

「あ、えっと、こっち!」
「この道、まっすぐ?」

 小さくうなずくと、「了解」と笑って、佐尾くんが先に歩きはじめた。
 子猫をしっかりと胸に抱いて、その体がこれ以上濡れないように全力で守っている佐尾くん。
 だけど彼自身は頭からまともに雨を受けていて、明るい茶色の髪からは水がしたたっている。

「あの。ちょっと待って」

 小走りで追いかけて傘をかざすと、振り向いた佐尾くんがぽかんと口を開けた。
 佐尾くんがあまりに驚いた顔で見てくるから、私が間違ったことをしてしまったみたいでとまどう。
 とっさに身体が動いたけれど、よけいなお世話だったかな。

「あ、の……濡れるから」

 言いわけみたいに溢れた小さな声が、雨の音に紛れて消える。

「ありがとう、助かる」

 自信なくうつむきかけたとき、佐尾くんが、ぱっと笑いかけてきた。
 雲間から現れた太陽のような明るい笑顔。それが、否応なしに私の頬を熱くする。
 そこからは、なぜか佐尾くんの顔をまっすぐに見ることができなくなってしまって。
 私は佐尾くんと子猫が濡れないように傘を差すことだけに意識を集中させながら、動物病院までの道のりを歩いた。
 病院に着くとすぐ、トモくんが子猫を診てくれた。
 少し弱ってはいたものの、子猫の体に問題はなく、佐尾くんも私もほっとした。

「こいつのこと、よろしくお願いします。二週間以内に飼い主を見つけて必ず引き取りに来ます」

 トモくんと院長先生に約束して、子猫を動物病院に預ける。
 子猫との別れを惜しみながら病院の外に出たとき、佐尾くんが突然「あっ!」と叫んだ。

「俺、あいつを拾った段ボールの横に傘置いてきちゃった。早く病院行くことしか頭になくてすっかり忘れてた」

 頬を軽く引っかきながら、佐尾くんが苦笑いする。
 朝から降っていた雨はやむ気配がなく、いまだ降り続いている。
 少し考えてから、私は雨空を見つめて困り顔の佐尾くんに傘を差し出した。

「よかったら、どうぞ。傘置いてきたところまで」
「いいの?」
「途中まで同じ方向だから」
「ありがとう、すげー助かる」

 私の提案に、佐尾くんが一瞬にして笑顔になる。
 だけど、ふたりで空き地まで戻ってみると、段ボールの横に置いていたはずの傘がなくなっていた。
 風に飛ばされたのか、誰かに持っていかれたのか。
 そこに残っていたのは、雨に濡れてボロボロになった段ボール箱だけ。

「西條さん。悪いけど、ついでにもうちょっと先のコンビニまで入れてもらっていい?」

 そう言い終わると同時に、口元に手をあてた佐尾くんがクシュンとくしゃみする。
 動物病院で少し制服を乾かすことはできたけど、雨の中、傘も差さずに長時間外にいたのだ。きっと身体が冷えている。
 両腕を抱きしめて震えている佐尾くんを見て、「ノー」と言えるはずがなかった。
 雨の日は早く家に帰りたいのに。今日はいろいろと想定外のことばかりが起こる。

「お家、どこらへん?」
「え、家まで送ってくれるの?」

 ため息交じりにたずねると、佐尾くんがきらりと目を輝かせた。

「もし、通り道なら……」
「ありがとう。西條さんに会えてほんとよかった」

 にこっと全開の笑顔でそう言われて、左胸がドクンと鳴る。
 誰にでも好かれる人の笑顔の破壊力って、すごいな。
 意思とは関係なく頬が熱を帯びはじめるのがわかり、顔を見られたくなくて視線を落とす。

「それで、家は……?」

 そっけなくたずねると、佐尾くんがわずかに私のほうに肩を寄せてきた。

「この先まっすぐ行くとコンビニがあるじゃん? その角を曲がってしばらく行ったところ」

 進む方向を指で示してくる佐尾くんとの距離が近い。
 そういえば、佐尾くんは誰と話しているときもこんな感じだ。
 どちらかというと私はパーソナルスペースが広いから、詰められた距離にどぎまぎしてしまう。

「西條さんちはどっち方面?」

 緊張で息をするのもやっとな私に、佐尾くんが笑顔でたずねてきた。

「だ、だいたい同じ方向……い、行こう……」

 硬い声で答えると、ギクシャクとした動きで足を前に進める。

「傘、俺が持とうか?」
「いい……」

 傘の持ち手に手を伸ばしてくる佐尾くんの申し出を断ると、横髪で顔が隠れるように深くうつむく。
 全身で話しかけるなオーラを出す私に気をつかってくれたのか、佐尾くんはそこからなにも話しかけてこなくなった。
 コンビニの角を曲がってしばらく歩くと、ふいに佐尾くんが右斜め前に見えてきたマンションを指差す。

「俺の家、そこ」

 マンションのエントランスの前まで送り届けると、佐尾くんが濡れた前髪を無造作にかき上げながら、ふわっと笑った。

「ありがとう、西條さん」

 雨音に混じって届いた耳心地よく優しい声に、じわっと頬がほてった。

「どういたしまして。じゃあ……」

 とってつけたように頭をさげると、急いでUターンする。

「あ、ねえ、西條さんっ!」

 逃げるように立ち去ろうとすると、佐尾くんに呼び止められた。

「連絡先教えといてもらっていい?」

 ドキッとして振り向くと、佐尾くんがスマホを出しながらたずねてくる。

「え、なんで……?」

 つい警戒してあとずさったら、佐尾くんに笑われた。

「あいつの飼い主が見つかったら連絡したいから」
「え……? あ、そっか……」

 事務連絡用に、ってことね。
 そうでなければ、佐尾くんが私みたいな地味な子と連絡先交換なんてするはずない。
 私たちはおたがいにQRコードを読み取ると、ラインの交換をした。
 佐尾くんがラインのアイコンにしているのは、猫のイラストだった。バスケットボールを抱っこして丸まっている焦げ茶の猫で、さっき助けた子猫にどことなく似ている。
 自分のスマホに、クラスの人気者の男の子の名前があるのが不思議。
 ぼんやり眺めていると、ブブッとスマホが震えた。

《よろしく》

 佐尾くんが送ってきたのは、アイコンと同じテイストで描かれた猫のスタンプ。
 顔を上げると目が合って、佐尾くんが優しく微笑みかけてきた。

「じゃあ、また明日」
「え……、あ、うん……」

 うまく反応できずにいる私に手を振って、佐尾くんがエントランスのドアの向こうへと去っていく。その去り際まで、文句のつけようがないくらい爽やかだ。
 その日を境に、私と佐尾くんの関係は変化した。
『関わりのないクラスメート』から『友達未満のクラスメート』に。


    ◇◆◇◆


「ありがとう、西條さん。助かった!」

 今日も佐尾くんの住むマンションの前に着くと、彼が私に明るく笑いかけてきた。

「次の雨予報の日は、ちゃんと傘を持ってきてね」
「うん。でも、傘ないんだよね。あいつにあげちゃったから」

 私の傘からエントランスの軒先へと飛び跳ねるように移動した佐尾くんが、振り向きながら、いつもと同じセリフを笑顔で返してくる。

「そろそろ新しいものを買ったら? 気に入ったものがなかなか見つからないなら、とりあえずビニール傘を使うとか。いろいろ方法はあると思うんだけど……」
「そうだよなー。でも大丈夫。次までにはちゃんと用意しとくから」

 そう言って、佐尾くんが悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべる。
 佐尾くんが雨予報の日に傘を持ってこないのは、おそらく確信犯だ。

「もう、次からは入れないから」
「わかってる、わかってる」

 私の話を聞き流して軽く返事をする佐尾くんが、ほんとうにわかってくれているのかはかなり怪しい。

「じゃあ……」

 佐尾くんの身長に合わせて高い位置で持っていた傘を、私の身長に合う自然な位置までさげる。
 傘にさえぎられて佐尾くんの顔が見えなくなると、緊張がほぐれてほっとした。
 しとしとと降る雨の中を、自宅に向かって歩き出そうとしたとき、

「西條さん。あいつ、元気?」

 佐尾くんが唐突にたずねてきた。
 私との会話の中で彼が指す「あいつ」は、あの子のことしかありえない。
 高校二年生になってすぐの雨の日、私と佐尾くんがはじめて言葉を交わすきっかけを作った、あの子猫のことだ。

「元気だよ。この前会ってきた」
「へぇ、いいな。名前、決まったんだっけ?」
「ショコラにするって」
「あー、たしかに。なんか、チョコレートっぽい色してた」

 あの子の顔が思い浮かんだのか、佐尾くんが優しい目をしてクスッと笑う。
 トモくんの働く動物病院に子猫を預けてから二週間、佐尾くんは飼い主探しに奔走していた。
 私も知り合いにあたってみてほしいと頼まれたから、お父さんやお母さんにも相談をして猫の引き取り手を探してもらった。
 その中には子猫に興味を持ってくれた人はいたけど、引き取ってもらうまでにはいたらず……
 結局、約束の二週間が過ぎても子猫の飼い主は見つからなかった。
 落ちこむ佐尾くんと一緒に再び動物病院を訪れると、事情を知ったトモくんが子猫の里親になると申し出てくれた。
 病院で二週間お世話をしているうちに、子猫になつかれて離れがたくなっていたらしい。
 ショコラという名前も、トモくんがつけた。

「今度あいつに会ったら、写真撮って送ってよ」

 別れ際、笑って手を振る佐尾くんに社交辞令的にうなずく。

「じゃあ、また明日」

 手を振りながらエントランスの奥へと消える佐尾くんに、私も軽く手を振り返した。
 ひとりで入る傘はゆったりとしていて、佐尾くんとふたりのときよりずっと落ち着く。
 いつも教室の端でひとりで休み時間をやりすごしていることの多い私と、教室の中心で常にクラスメートに囲まれている佐尾くん。そんな私たちが、これまで学校で関わり合うことはなかった。
 それなのに、子猫を拾って以降、放課後に雨の降る日は必ず佐尾くんが話しかけてくる。
「傘がないから」と、私の傘で一緒に家に帰りたがる。
 明るくて目立つ佐尾くんは、うちのクラスの一軍男子で。私には、いつもキラキラまぶしく見える。
 そんな佐尾くんが私と相合い傘したって、ちっともつりあわない。
 誰もがきっとそう思っているはずなのに。
 わざわざ私なんかに声をかけてくる佐尾くんは、理解不能だ。
 湿気をはらんだ空気が、素肌にまとわりついてくる。小さく身震いすると、私は自宅に向かって歩を速めた。
 佐尾くんのことは無事に送り届けたし、あとはもう、一秒でも早く家に帰りたい。
 雨の日なんて、大嫌いだ。



    2.雨の月曜日


『来週月曜日は朝から一日雨。それ以降も雨の日が多くなる見込みです』

 五日前。夕方のニュースに出ているお天気キャスターのお姉さんが、淡々とした声でそう告げた。
 ついに今年も、気象庁が梅雨入りを発表したのだ。
 誤報の可能性はないかといくつも天気予報をチェックしたけど……
 毎朝見る番組の週間天気予報も、お父さんが見ている夜のニュースの合間の天気予報も、スマホのお天気アプリも、ウェブの天気予報も、月曜日は傘マーク。降水確率90%。
 そのあとも雨予報の日が多く、一年で一番憂鬱ゆううつな季節のはじまりに気分がえた。
 さらに面倒なことは重なるもので、雨の中最悪な気分で登校した月曜日は、日直にあたっていた。

「西條さーん、終わったー?」

 放課後。
 予報どおり降りやまない雨にため息を吐きながら教室で学級日誌を書いていると、ふいに間延びした、退屈そうな声が聞こえてきた。
 無心で日誌を書いていた私は、驚いてビクッとなる。
 教室に残っているのは、自分ひとりだけだと思っていたのだ。
 シャーペンを握る手を止めて顔を上げると、私の三つ前の席に佐尾くんが座っていた。
 椅子をまたぎ、背もたれにあずけた腕にあごをのせた佐尾くんは、上目づかいにじーっと私を観察している。

「な、なにか用?」
「うん。西條さんが日誌を書き終えるのを待ってた」

 にこっと笑った佐尾くんが、意味ありげに窓のほうに視線を向ける。
 視線の先を追うと、激しく降る雨が教室の窓ガラスにあたって、いくつもの筋になって流れていた。
 嫌な予感がした。それは、雨の日に限ってよくあたる。

「今日も途中まで入れていってくれない? 傘、持ってないんだよね」

 やっぱり……
 この前傘に入れてあげたときに、「今回限りだ」とあれほど念押ししたはずなのに。
 悪びれることなく笑いかけてくる佐尾くんに、心底呆れてしまう。

「この前が最後って言ったはずだけど」
「そうだっけ?」

 最初からとぼけるつもりだったのか、佐尾くんが白々しく首をかしげる。

「そう。次の雨までには傘を用意するように、って伝えたはずだよ」
「そういえば、そうだったかも」
「そうだったかもじゃないよ。仮に佐尾くんの傘がなかったとしても、家の人に傘を借りるとか、いくらでも方法はあるでしょう? それに、今日は朝から雨だったじゃない。学校に来るときはどうしたの?」

 強い口調で言うと、佐尾くんが困ったように肩をすくめた。
 今朝、登校してきたときの佐尾くんは雨に濡れていなかったはず。
 傘を持っていない人が、雨の中、濡れずに学校に来られるわけがない。
 疑いのまなざしを向けると、佐尾くんが小さく苦笑いした。

「俺、疑われてる?」
「だって、雨が降ってるのに傘を持ってこないなんて、どう考えてもおかしいじゃない。魔法でも使わない限り、濡れずに学校に来るなんてムリだよ」
「じゃあ、魔法使った」

 嘘つき、とばかりにその顔をジト目で見たら、佐尾くんが私をからかうみたいに口角を上げた。

「今朝は兄貴が大学に行くついでに車で送ってもらったんだ。うちのマンションの駐車場、屋内でつながってるから、車のときはうっかり傘を忘れちゃうんだよね。降りるときに傘がないことに気づいて困ってたら、偶然通りかかった友達が傘に入れてくれた。『バカだ』ってすげー笑われたけど」
「そう」
「あ。ちなみにそれ、男友達だから安心してね」

 佐尾くんが首を横に傾けながら、にこっと笑いかけてくる。
 雨に濡れていなかった理由はいちおうわかったけど「安心して」の意味がわからない。
 佐尾くんが誰の傘に入れてもらおうが、私にはまったく関係ない。そのはずなのに、彼の言葉を聞いて妙に安堵あんどしている自分がいた。
 私ってば、佐尾くんが今朝相合い傘をした相手が女の子じゃなかったことに、ほっとしてるの──?
 そんなまさか! ありえなさすぎる‼
 ふと浮かんだ考えをかき消すように、頭を激しく左右に揺さぶると、佐尾くんが不審そうに見つめてきた。

「西條さん、どうかした?」
「別に」
「そう? とにかくそういうわけで、今日も傘がないんだよね」
「それは残念だね」

 佐尾くんに素っ気ない声を返すと、書き終わった学級日誌とスクールバッグを持って立ち上がる。
 教卓に日誌を置いて教室を出ようとしたら、佐尾くんがガタガタと椅子の音を鳴らして、あわてて追いかけてきた。

「あ、ちょっと待って。待ってたのに置いてかないでよ」
「勝手に待ってただけでしょう。佐尾くんこそ、ついてこないでください」
「冷たいなー、西條さん。途中までは帰り道が一緒なんだから、傘に入れてってよ」
「私じゃなくて、今朝入れてもらったお友達に頼めばいいんじゃないの?」
「わかってないなー、西條さん。俺は、西條さんの傘に入れてもらいたいの」

 佐尾くんが私の前に回りこんで道をふさぐ。
 ふてくされたように唇をとがらせてこちらを見おろす彼は、私よりも断然背が高いのに、態度がまるで子どもみたいだ。
 どうして佐尾くんは、雨の日にこんなふうに私に絡んでくるのだろう。
「西條さんの傘に入りたい」と。しつこく主張してくる佐尾くんを見上げながら、ふと思う。
 ああ、もしかして。

「佐尾くん、私の傘が気に入ってるの? それなら、ひとつあげようか?」

 佐尾くんが雨の日に私に絡んでくる理由がずっとわからなかったけど……
 目的が文字どおり「私の傘」なのだとしたら、今までの彼の行動にも納得がいく。
 普段の雨の日に使う水色地の小花柄の傘も、念のために毎日スクールバッグに忍ばせている薄ピンクのストライプ柄の折りたたみ傘も、どちらもかわいすぎて佐尾くんには似合わない気がするけど。
 人の好みなんて、それぞれだよね。どっちを気に入ってるんだろう。
 真面目に考えていたら、佐尾くんが眉根を寄せて、ため息を吐いた。

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