名無しスズメと猫目尼僧

めけめけ

文字の大きさ
7 / 20
第1章 スズメの上京

第7話 小田原の御前

しおりを挟む
「小田原の御前様、お迎えに上がりました」
 夕刻、人でごった返す東京駅に一人の尼僧が降り立った。
「有働様にお仕えしております、榊と申します」
 老紳士は帽子をとり恭しく挨拶をした。真っ白な手袋は、きれいな白髪とあいまってそのまま老紳士の清潔さを表しているようだ。

「わざわざのお出迎え、痛み入ります」
 尼僧は網代笠を右手でやや持ち上げ、感謝の気持ちを表すと胸元で手を合わせた。

 紫色の袈裟の襟元からすっと伸びた白い首。
 すっと尖ったあご、口元は薄いピンク色でやや厚め艶のある唇。
 鼻はすっとしていて印象に残らない。
 あごのラインからまるで美しい造形物のような耳。
 そして大きな目が、網代笠から見え隠れしている。

「お車を用意してございます。どうぞ、こちらへ」
 尼僧を迎え入れたのは、お屋敷に努めているだろう身なりのきっちりした老紳士であった。
 尼僧は老紳士に従い、車へと向かった。
「東京ではもう、自動車は珍しい物ではなくたって来たようですね」
 東京駅の前には、老紳士がのりつけてきた自動車の他にも送迎の為に何台も駅前を往来していた。
「はい、ここ数年でかなり増えてございます。アメリカで作られた部品を国内で組み立てるようになってから、飛躍的に普及しているようでございます。さぁ、どうぞ、こちらに」
 老紳士は後部座席のドアを開けて乗車するように促す。

 尼僧は網代笠の紐をほどき、笠を手にして車に乗り込む。
「では、お屋敷までご案内いたします。少々揺れますのでご注意を」

 尼僧を載せた自動車は路面電車の往来する道路を走るため、線路を縦断するたびに路面の凹凸が本革性の硬いシートに直接伝わってくる。
 老紳士は揺れが激しくならないように、速度を調整しながら小田原から来た客人を目的地へと載せて行った。

 東京駅の巨大なコンクリートのビル群を抜け、やや、落ち着いた趣になった外の風景を眺めながら、尼僧は老紳士に話しかけた。
「こちらに来るたびに、風景が少しずつ変わってまいりますね。古きものは朽ち、新しきものは古びていく。街も人も変わらぬということなのでしょうね」
 老紳士は頭上のルームミラーをときどき見やりながら答える。
「はい、あの震災から8年、東京は生まれ変わりました。焼け野原となった町の中で、雨風をしのぐにも物足りないような小屋で今日明日をどう食いつなぐか、身を寄せながら暮らしていた日々はもう、遠い昔のようでございます」
「良いことのはずなのに、どこかこの生活に不安を覚えてしまう。そんな空気が今の東京には流れているようにお見受けします」
「左様でございますか。私はこうして伊藤様の御屋敷に努めさせて頂き、日々、何事も滞りないように過ごすことで精いっぱいでございますれば、そのような不安に駆られずにいられることに感謝しなければなりません。ありがたいことでございます」

 車は東京から神田を通過し、本郷に入っていた。
「八卦堂こそ、飛び火で焼け落ちてしまいましたが、この辺りは震災の際、火災からは免れたので古い建物がまた多く残っております。この先の小石川後楽園には、焼け出されたたくさんの人々が非難してきました。もうそんなことも遠い昔のように思えてしまうほど、東京は姿を変えて行きますが、私などはまだまだ、あのときの記憶が昨日のことのように思い出されます。同じ場所で同じ時間を過ごしても、見る者の目によって、世界の有様は違って見えると申しますか、いえいえ、それを嘆いているわけではございません」

 尼僧は老紳士の話に耳を傾けながら、外の景色を眺めている。モダンな建物が立ち並ぶ東京駅周辺と今、車が走っている場所は時間の流れが違うのかもしれないと思えるほどに、街の色合いが変わっていく。
「おっしゃられること、良くわかります。時間と言うのは一見して万物平等に流れているように見えて、そうではないと私には思えます。生まれたばかりの乳飲み子、野を駆け回る童、やがて元服を迎え、成人となる男児と、年ごろになる娘、巡り合い、人としての営みを雨の日も風の日も、良き日も繰り返しながら、また子を産み、育て、老いていく。伴侶を失い、残された余生を送り、土に帰るまでの間、果たして同じような時間の進み方をするものでしょうか。この世に生まれた誰一人として、そのように思ったことはないのだろうと、私は思うのでございます」

 老紳士と尼僧を載せた車の中の時間はどこよりもゆったりと流れているかのように思えたが、車は大通りから狭い路地に入り、一気に時間の経過が加速したような感覚を尼僧は楽しんでいた。
「少し前までは、この辺りの桜もなかなかのものでございましたが、そう都合よく、こちらの思うとおりにならないのが、また時の流れという物なのでございましょう。ただ、何度見ても飽きることのない、めぐる季節という物は、誠に美しい物であると、最近思うようになりましたのは、やはり歳のせいでございましょうか。ああ……そろそろお屋敷に付きます」

 老紳士は、ゆっくりとブレーキを踏みこみ、落ち着いた佇まいの屋敷の間に車を止めた。
 2階建ての木造の建物は日本的な家屋であるが、洋風の門構え、低く積まれた石の壁が屋敷全体を囲っているが、人を寄せ付けないような冷たさは感じず、どっしりとした安定感があり、和と洋が融合した佇まいになっている。庭に植えられた椿にはまだ少し花を残しており、柿の木は若葉が芽吹いている。

 老紳士は、無駄のない、静かな動きで車から降り、後部座席のドアを開ける。それはおそらく、毎日何度も何度も繰り返された動きではあるのだろうが、自動車という物が街中を走るようになったのは、それほど昔のことではない。老紳士は彼なりに時代の流れに向きあい、順応してきたのだろう。
「小田原の御前様、ご案内いたします」

 尼僧は老紳士に促された車から降りると礼を述べ、老紳士に案内されて門をくぐった。

 "みゃーおぅ"

 どこからか、猫の鳴き声が聞こえてくる。辺りを見回すと椿の影から一匹の猫が姿を現す。
「まぁ、可愛らしい事、飼い猫ではなさそうですわね」
「はい、飼い猫ではございませんが、よく見る猫です。この辺りに住み着いた野良猫でございます」
 顎の下からお腹と前足の毛は白く、それ以外は黒い毛で覆われている。とても愛嬌のある顔つきの猫である。ややしばらく尼僧の顔を眺めると、猫は塀の外へ出て、小走りに去って行ってしまった。

「参りましょう、小田原の御前様、有働様がお待ちでございます」
 尼僧が帝都大学名誉教授の有働忠孝の屋敷に訪れるのは、3年ぶりのことであった。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

処理中です...