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三章 僕は彼女に知らせたい
64 春休み
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前期試験の最低点は、法学のレポートの六十点だ。僕は憲法改正すべきと主張した。後で先生が護憲派だと知り、戦略のミスを痛感する。
かといって、試験対策でポリシーを変えるのはカッコ悪い。
僕は、世界中の国で憲法がよく改正されている事例を列挙して、レポートをまとめた。
後期試験が終わった。問題の法学は、前と同じように僕の最低点となった。ただし今回は八十点。
他の科目は九十点、物理実験では百点を取った。
これで情報工学科へ進めるのは確実となった。
大学の春休みは長い。僕はピアノレッスンを再開した。高校までレッスンを受けていた先生から、マンション近くのピアノ教室を紹介してもらう。
それとバイトを始めた。プログラミング教室の講師だ。小学校でプログラムが必修となり、要望があるらしい。
いずれ起業するにしても、経験を積んでおきたい。
篠崎あいらは、春休みもバイトや実家の手伝いで忙しい。僕の実家にも顔を出し、母のピアノレッスンを受け、庭の草取りを進んで行っている。
「マーちゃん、あいらちゃんに逃げられないよう、がんばるのよ」と母はうるさい。
「卒業したらうちの会社に来てもらうか。あいらさんならどの部署でも大丈夫だ」と、父も余計なことを言う。
彼女が両親に気に入られているのはいいことだ。
だからといって「ドレスと打掛、どっちが好きかしら?」と彼女に結婚情報誌を見せるのはやめて欲しい。彼女が「私、そういうの全然考えてないんで」と困ってるじゃないか。
実家からマンションへ戻る電車で、僕は彼女を気遣うフリをする。
「母さんが暴走してごめん。言っておくよ。学生なのに結婚なんて考えられないって」
あいらが身を寄せてきた。
「私、お父さんとお母さんが優しくしてくれて、ハル君と今、一緒にいられて、それだけでお腹いっぱいだよ」
ごめん。あいら、僕は当分の間、君を離すつもりはない。でも永遠ではないんだ。僕の隣で白いドレスか着物を着るのは、君ではない。
「それでね、お願いなんだけど」
小さな彼女が上目遣いで見つめている。結婚以外の願いなら叶えてあげよう。
「夜、友達と出かけていいかな?」
電車がガタンと揺れた。
友達? 宗太とは会ってないんだよな? それとも、他の男か?
「イッサとユイがね、試験終わったし、カラオケ行こうって。遅くなるけど」
なんだ、いつもの友達か。僕は彼女を束縛する小さい男ではない。
「行ってきなよ。でも」
電車が停止するため減速を始めた。
「女の子が夜歩くと危ないから、帰り、迎えに行くよ」
あいらが出かけたカラオケボックスは、マンションの最寄り駅の前にある。深夜零時。店のフロントで彼女たちを待つ。
しばらくすると、よく知っている三人の女子大生が出てきた。男の影はない。本当に女友達とのカラオケだったのか。
いや、僕は何も気にしていない。彼女が外で誰と会おうが、好きにすればいい。
「うわ! 三好君、時間ぴったりに来たよ」
背が高い女子、深瀬さんに驚かれた。
「あ、ハル君、ありがとう」
あいらが駆け寄ってきた。
「三好君、あいらを大事にしてあげてね」
ロングヘアの女子、松浦さんに睨まれた。
「ユイ、大丈夫だよ」
僕は愛想良く「また、あいらを誘ってやってよ」と手を振りロビーを出た。
彼女とよく歩いている二人の女子大生。工業大学では、珍しい女子たち。ようやくどちらが「イッサ」でどちらが「ユイ」か、判別できるようになった。
暗い住宅地で、あいらが頭をコツンと腕に当ててきた。
「ハル君が迎えにきてくれたのに、嬉しくないなんて、私、最低だよね」
「な、なんで?」
僕は、あいらが、本当にカラオケに行ったのか、女ではなく男と会っているのか確認するために迎えにきたわけではない。純粋に心配しただけだ。
「イッサもユイもかわいいよね」
「そうか?」
ここで頷いてはいけない。それぐらいはわかる。
「ドラマであるよね。友達に彼氏紹介したら、そっちが仲良くなるの」
なんだ、そういうことか。
夜道で彼女をギュッと抱きしめた。
そんなこと言うな。かわいいことを言うな。
本当に好きになってしまうじゃないか。
春休みの午後、部屋でブックスキャナをしまっていたら、あいらが入ってきた。マグカップを手にして。キリマンジャロの香りが漂ってくる。
「片付け? ハル君マメだよね。はい、少し休んだら」
彼女からコーヒーを受け取り、一口味わった。
「サンキュ。そうだ。あいら、これ使う?」
僕は畳んだブックスキャナを見せた。
「これ、家で本のコピーができるんだよね。ハル君が使わないなら、私、使っちゃおうかな」
「二年用の新しいテキストのため、スペース空けないとね」
新しい学年になったら、要らないものは捨てよう。でも、あいらはまだまだ必要だ。
「二年かあ。私、ハル君のお陰で二年生になれるよ」
彼女も無事に、単位を落とさず二年になれた。
前期と同じように、科学史で90点を取れたと喜んでいた。前のテーマを深掘りし、古代中国の星座についてレポートを書いたらしい。
が、僕と彼女は来年から別の道を進む。
「意外だったな。あいらが数学科とは」
試験期間中、彼女に志望学科を何度か聞いたが、教えてくれなかった。
「だって実験もプログラムも好きじゃないし、私の成績で行けるの、数学科ぐらいだもん」
「じゃあ、数学は好きなんだ」
「うーん、どうかなあ?」
あいらは床に座り込んで、首をかしげた。
数学科は人気がない。留年さえしなければ入れる。
しかし、ガチの数学勢は人種が違う。うちの大学の中でも変人が多い。変人軍団の中で、消去法で数学を選んだあいらが、やっていけるんだろうか。
「私、数学もあまりできないんだよね」
知ってる。彼女の微分積分、線形代数、数学演習、いずれも70点だ。
「でもさあ、数学って小説に似てない?」
数学と小説が? 確か「不思議の国のアリス」の著者は数学者だし、数学をテーマにした小説もある。
「物理ではどんなすごい法則を考えても、観測して確かめないと認められないでしょ?」
珍しくあいらが、リケジョっぽい発言をしている。
「テレパシー送って、テレポーテーションして、過去や未来にジャンプして、何度も生まれ変わって……そんな世界、現実には無理でも、数式で表すことはできそうじゃない?」
物理は実証が伴わなければ意味がない。が、数学は系として矛盾がなければ、どんな宇宙も記述できる。
「嘘の世界を描けるところが、小説みたいでしょ?」
「うん。でもテレバシーは、実現してるよ」
「ハル君の好きなBMIね。あ、私の考え、まさか読んでないよね?」
あいらがあわてて頭を押さえる。
僕は、君の考えには興味ないけど、その仕草はメチャクチャかわいい。
「あいらはね、僕と変態プレイしたいって考えてる!」
言葉と同時に彼女の体を床に押し付けた。
「や、やだ! 私、そんなこと考えてない」
口ではそういうが、いつも胸を触っているうちに、抱きついてくるんだ。
「もう! 片付けしなくていいの? あ、ああ」
彼女がエロい息をもらしたとき。
チャリーン!
あいらのスマホに邪魔された。
「ごめん、なんか来た」
ガハッとあいらは跳ね起きて、トレーナーのポケットからスマホを取り出す。
「あ……」
通知を確認したとたん、あいらの顔がさっと青ざめた。
「どうした? お母さんに何かあったのか?」
彼女が唇を震わせている。
「怒らないでね……宗太君からLINEが来たの……」
宗太だと! なんでいい時にアイツは邪魔する! あいらの口からヤツの名前が出てくるだけで、吐き気がする!
「アイツとまだそんなことしてたのか!」
「離して! たまに話すだけだよ! 私からは送らないようにしてる!」
落ち着け。落ち着くんだ。
彼女が宗太や他の男とLINEしようがもっとすごいことをしようが、僕には関係ない。僕はそんなことでは煩わされない。
「悪かった。宗太はいいヤツだ。あいらの好きにしな。ヤツはなんだって?」
笑顔で彼女の言葉を待った。拳に力が入る。
「宗太君、留年だって」
かといって、試験対策でポリシーを変えるのはカッコ悪い。
僕は、世界中の国で憲法がよく改正されている事例を列挙して、レポートをまとめた。
後期試験が終わった。問題の法学は、前と同じように僕の最低点となった。ただし今回は八十点。
他の科目は九十点、物理実験では百点を取った。
これで情報工学科へ進めるのは確実となった。
大学の春休みは長い。僕はピアノレッスンを再開した。高校までレッスンを受けていた先生から、マンション近くのピアノ教室を紹介してもらう。
それとバイトを始めた。プログラミング教室の講師だ。小学校でプログラムが必修となり、要望があるらしい。
いずれ起業するにしても、経験を積んでおきたい。
篠崎あいらは、春休みもバイトや実家の手伝いで忙しい。僕の実家にも顔を出し、母のピアノレッスンを受け、庭の草取りを進んで行っている。
「マーちゃん、あいらちゃんに逃げられないよう、がんばるのよ」と母はうるさい。
「卒業したらうちの会社に来てもらうか。あいらさんならどの部署でも大丈夫だ」と、父も余計なことを言う。
彼女が両親に気に入られているのはいいことだ。
だからといって「ドレスと打掛、どっちが好きかしら?」と彼女に結婚情報誌を見せるのはやめて欲しい。彼女が「私、そういうの全然考えてないんで」と困ってるじゃないか。
実家からマンションへ戻る電車で、僕は彼女を気遣うフリをする。
「母さんが暴走してごめん。言っておくよ。学生なのに結婚なんて考えられないって」
あいらが身を寄せてきた。
「私、お父さんとお母さんが優しくしてくれて、ハル君と今、一緒にいられて、それだけでお腹いっぱいだよ」
ごめん。あいら、僕は当分の間、君を離すつもりはない。でも永遠ではないんだ。僕の隣で白いドレスか着物を着るのは、君ではない。
「それでね、お願いなんだけど」
小さな彼女が上目遣いで見つめている。結婚以外の願いなら叶えてあげよう。
「夜、友達と出かけていいかな?」
電車がガタンと揺れた。
友達? 宗太とは会ってないんだよな? それとも、他の男か?
「イッサとユイがね、試験終わったし、カラオケ行こうって。遅くなるけど」
なんだ、いつもの友達か。僕は彼女を束縛する小さい男ではない。
「行ってきなよ。でも」
電車が停止するため減速を始めた。
「女の子が夜歩くと危ないから、帰り、迎えに行くよ」
あいらが出かけたカラオケボックスは、マンションの最寄り駅の前にある。深夜零時。店のフロントで彼女たちを待つ。
しばらくすると、よく知っている三人の女子大生が出てきた。男の影はない。本当に女友達とのカラオケだったのか。
いや、僕は何も気にしていない。彼女が外で誰と会おうが、好きにすればいい。
「うわ! 三好君、時間ぴったりに来たよ」
背が高い女子、深瀬さんに驚かれた。
「あ、ハル君、ありがとう」
あいらが駆け寄ってきた。
「三好君、あいらを大事にしてあげてね」
ロングヘアの女子、松浦さんに睨まれた。
「ユイ、大丈夫だよ」
僕は愛想良く「また、あいらを誘ってやってよ」と手を振りロビーを出た。
彼女とよく歩いている二人の女子大生。工業大学では、珍しい女子たち。ようやくどちらが「イッサ」でどちらが「ユイ」か、判別できるようになった。
暗い住宅地で、あいらが頭をコツンと腕に当ててきた。
「ハル君が迎えにきてくれたのに、嬉しくないなんて、私、最低だよね」
「な、なんで?」
僕は、あいらが、本当にカラオケに行ったのか、女ではなく男と会っているのか確認するために迎えにきたわけではない。純粋に心配しただけだ。
「イッサもユイもかわいいよね」
「そうか?」
ここで頷いてはいけない。それぐらいはわかる。
「ドラマであるよね。友達に彼氏紹介したら、そっちが仲良くなるの」
なんだ、そういうことか。
夜道で彼女をギュッと抱きしめた。
そんなこと言うな。かわいいことを言うな。
本当に好きになってしまうじゃないか。
春休みの午後、部屋でブックスキャナをしまっていたら、あいらが入ってきた。マグカップを手にして。キリマンジャロの香りが漂ってくる。
「片付け? ハル君マメだよね。はい、少し休んだら」
彼女からコーヒーを受け取り、一口味わった。
「サンキュ。そうだ。あいら、これ使う?」
僕は畳んだブックスキャナを見せた。
「これ、家で本のコピーができるんだよね。ハル君が使わないなら、私、使っちゃおうかな」
「二年用の新しいテキストのため、スペース空けないとね」
新しい学年になったら、要らないものは捨てよう。でも、あいらはまだまだ必要だ。
「二年かあ。私、ハル君のお陰で二年生になれるよ」
彼女も無事に、単位を落とさず二年になれた。
前期と同じように、科学史で90点を取れたと喜んでいた。前のテーマを深掘りし、古代中国の星座についてレポートを書いたらしい。
が、僕と彼女は来年から別の道を進む。
「意外だったな。あいらが数学科とは」
試験期間中、彼女に志望学科を何度か聞いたが、教えてくれなかった。
「だって実験もプログラムも好きじゃないし、私の成績で行けるの、数学科ぐらいだもん」
「じゃあ、数学は好きなんだ」
「うーん、どうかなあ?」
あいらは床に座り込んで、首をかしげた。
数学科は人気がない。留年さえしなければ入れる。
しかし、ガチの数学勢は人種が違う。うちの大学の中でも変人が多い。変人軍団の中で、消去法で数学を選んだあいらが、やっていけるんだろうか。
「私、数学もあまりできないんだよね」
知ってる。彼女の微分積分、線形代数、数学演習、いずれも70点だ。
「でもさあ、数学って小説に似てない?」
数学と小説が? 確か「不思議の国のアリス」の著者は数学者だし、数学をテーマにした小説もある。
「物理ではどんなすごい法則を考えても、観測して確かめないと認められないでしょ?」
珍しくあいらが、リケジョっぽい発言をしている。
「テレパシー送って、テレポーテーションして、過去や未来にジャンプして、何度も生まれ変わって……そんな世界、現実には無理でも、数式で表すことはできそうじゃない?」
物理は実証が伴わなければ意味がない。が、数学は系として矛盾がなければ、どんな宇宙も記述できる。
「嘘の世界を描けるところが、小説みたいでしょ?」
「うん。でもテレバシーは、実現してるよ」
「ハル君の好きなBMIね。あ、私の考え、まさか読んでないよね?」
あいらがあわてて頭を押さえる。
僕は、君の考えには興味ないけど、その仕草はメチャクチャかわいい。
「あいらはね、僕と変態プレイしたいって考えてる!」
言葉と同時に彼女の体を床に押し付けた。
「や、やだ! 私、そんなこと考えてない」
口ではそういうが、いつも胸を触っているうちに、抱きついてくるんだ。
「もう! 片付けしなくていいの? あ、ああ」
彼女がエロい息をもらしたとき。
チャリーン!
あいらのスマホに邪魔された。
「ごめん、なんか来た」
ガハッとあいらは跳ね起きて、トレーナーのポケットからスマホを取り出す。
「あ……」
通知を確認したとたん、あいらの顔がさっと青ざめた。
「どうした? お母さんに何かあったのか?」
彼女が唇を震わせている。
「怒らないでね……宗太君からLINEが来たの……」
宗太だと! なんでいい時にアイツは邪魔する! あいらの口からヤツの名前が出てくるだけで、吐き気がする!
「アイツとまだそんなことしてたのか!」
「離して! たまに話すだけだよ! 私からは送らないようにしてる!」
落ち着け。落ち着くんだ。
彼女が宗太や他の男とLINEしようがもっとすごいことをしようが、僕には関係ない。僕はそんなことでは煩わされない。
「悪かった。宗太はいいヤツだ。あいらの好きにしな。ヤツはなんだって?」
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