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3章 アラサー女子、ふるさとの祭りに奔走する
3-6 真夜中の抱擁
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仕事の後、私は、月祭りの会合に参加し、大学側のブースについて伝えた。ミツハのブースを減らして大学側に回っただけなので、特に反論はない。
流斗君の提案したウェブカメラの設置について話したところ、予算がそれほどかからないなら、と、受け入れてくれるようだ。
地区の自治会や役場に諮ってもらえるとのこと。
「そのカメラとかは、こいつで操作するのか?」
荒本さんがスマホを指さす。
「専用のタブレットを貸してもらえます」
「そいつはありがたいね。そうだ。せっかくだから、そのタブレットとやらでお互いがどこにいるか、わかるようにはできないか? 便利だろ」
荒本さんが得意げに提案した。
スマホのアプリを使えばお互いの場所はわかるが、家族でもない人間同士でそのように設定するのは抵抗がある。
が、祭り限定のタブレットなら、抵抗は少ない。
「私もいいと思います。できるかどうか担当の先生に聞いてみますね」
先に、私は会合を去ろうとすると、実行委員長に声を掛けられた。
「やっぱ素芦の姫さんだねえ」
もうすぐ三十歳で姫というのは恥ずかしい。大体、素芦家には財産はなく、残ったのは独身のおばさんだけ。
周りの老人たちもうなずく。
「そうそう、殿様が亡くなって、那津美ちゃんも顔を出さなくなってから、会合も祭りの日もずーっと、雨か曇りだった」
「ああ、宮司様が毎年、亀石を祈祷しても、亀さまが泣いてるんだろうってね」
「だがなあ、那津美ちゃんが顔を出してから、最近、お月さん、よく見えるんだ」
「そう、今年の祭りこそ、お月さんを拝みたいもんだ」
どうやら私は晴れ女に認定されたようだ。
思い出してみると、確かに七年前までの祭りは、晴れてた気がする。少なくとも、月が昇る夜には晴れていた。
が、この数年、祭りの日は雨か曇りが多い。確かに月を見たことがない。祭りの日は、満月近くの日曜日と決まっているのに。
「それ、私のせいじゃないですよ。この数年の異常気象は、全国レベルですから」
もともと祭りの日は、晴れの季節に設定されている。なのに、この数年、豪雨が多い。
「じゃあ、今年こそ晴れるように、今からお月様に祈りの歌を捧げましょう」
うっかり調子に乗ってそんなことを言ったので、老人たちに歌をリクエストされた。
月祭りのクライマックスでは、昇ったばかりの満月にみんなで祈りの歌を捧げる。古くから宇関にいる人なら知ってる歌だ。
「姫さん、頼みますよ!」「ほら、まだお月さんいるうちに」
「わかりました。じゃあ、私は外で歌ってきます」
気恥ずかしくて集会所を後にした。
歌は嫌いではない。学校の合唱祭ではソロをやらせてもらった。素芦の娘という忖度のおかげかもしれないが。
が、私は普通に歌うより、祭りの時、月に向かって歌うのが好きだ。声がいつもよりよく出るような気がする。
より遠くに声を出そうとするからだろうか? それとも祭りの雰囲気に乗せられてだろうか。
集会場の前の砂利で、私は、昇ったばかりの満月を見上げる。
後を追った老人たちを意識しないように歌った。
亀さま、涙をしばし止めて
ウサギさまは月に昇り私たちを守ってくださるのだから
亀さまが悲しいと私たちも悲しみます
私たちがウサギさまに会えるよう、亀さま力をお貸しください
祈りの歌の旋律に適当な歌詞をつけて歌ってみた。
拍手の音が聞こえる。
「いや~姫様の歌は気持ちいいねえ」「ほらほら、雲がどんどん消えていくぞ」
老人たちが騒ぐ中、荒本さんが割って入った。
「委員のみなさんよ、まだまだ決めることあるでしょうよ」
荒本さんのひと睨みで老人たちは竦み、集会所に入っていった。
駐車場にいくところ、引き返した荒本さんが声を掛けてきた。
この前の彼の行動を思い起こし、身構える。
二度と触ってほしくないしキスなんてしてほしくない。
「那津美、この前は悪かった」
彼が頭をかき申し訳なさそうな顔を見せる。
「お子さんがいるのだから、自分の立場を考えた方が」
私はなおも警戒を緩めず、睨みつけた。
「わかったわかった。それにしても、お前の本気の歌、久しぶりだったな」
「いえいえ、本気の歌というわけでは……」
「はは、祭りの日も頼むよ。お前がちゃんと祭りに顔を出せば、ウサギさまも顔を出す」
冗談なのはわかっている。
「それとは別に頼みがあるんだ」
彼は私との距離をそれ以上縮めることはなく、手を合わせた。
「今度、大学に連れてってくれないか」
え? 大学?
意味が分からず首をかしげてると、荒本さんが続けた。
「これだけ広告を紹介してくれた先生方に挨拶したいんだ」
私はうなずいた。こういうところ、荒本さんはきっちりしている。
「ブース代表の先生方四人の研究室に回ることでいいでしょうか? 全員だと大変ですよね」
「悪いな」
そういって、私の肩をポンと叩く。
彼とミツハに財産を奪われたと思っていたが、素芦には大分前から財産はなかった。彼なりに私の借金を清算してくれたことは認めざるを得ない。
「大学か……あそこは那津美と二人でよく遊びに行ったな」
「そうね。お父さんの作った評判の悪い遊園地ね」
「まあ、そう言うなよ。親父さんの思い、知ってんだろ?」
「いいえ私、遊園地のこと、あまり覚えてないの。特に開園したころ」
遊園地ができる前の一年間、私が十歳になったころ。母がいなくなったころ。あまりに大きな変化だったのか、私は覚えていない。
父はことあるごとに、いなくなった母を悪しざまに罵っていた。だからなのか、私も母を嫌いになった。母のことはすっかり忘れ、嫌悪感だけは残っている。
「思い出さなくていい」
荒本さんが、私の髪をクシャクシャにかき回す。
この人の触りグセ、何とかしてほしい。
「女の先生もいるから、セクハラしないでくださいね」
「勝手に決めつけんな。俺は、そういう大学の偉い先生は苦手だよ」
「偉い先生でなければいいの?」
「悪かった悪かった」
幼なじみは私の頭から手を離し、一歩退いた。
夜の十時を過ぎた。祭りの打ち合わせはまだまだ終わらないだろう。
一足先に失礼した私は、自宅のアパートに戻り、二階への階段を上る。
ドアの前に若い男の人がしゃがみ込んでいた。私に気づいたその人が立ち上がった。
「遅かったね。仕事じゃないよね?」
「流斗君! ど、どしたの?」
「突然、来ちゃってごめんね」
祭りの会合から戻ったら、流斗君が家の前で待っていた。
今日彼は、彼への取材依頼に私のバイト更新がかかっていたことを知り、なぜかパートの海東さんに取材対応を依頼した。
彼はじっと私を睨みつけている。
「あの、どうしたの? 何か」
流斗君が一歩前に踏み出してきた。
「何で言ってくれなかった!」
叫びとともに、私の身が彼の両腕に捉えられた。
「ま、待って!」
息ができなくなるほど強く抱きしめられる。
「取材を受けないと那津美さんがバイト続けられないなんて、ひどいじゃないか!」
汗ばんだ男の人の腕の中で、私は目を閉じた。
「言ってくれたら、すぐあなたの言うとおりにしたよ」
互いの頬が触れ合う。
「それが嫌だったの」
流斗君は私の身体を少し離し、正面から見つめてきた。
「どういうこと?」
「取材を受けるのも断るのも、流斗君自身の考えで決めてほしかったの」
「僕が断って、バイトが続けられなくても?」
「バイトは探せば何とかなるもの」
再び強く抱きしめられる。
「わからなかったんだ。なぜ、出張前にあんなこと言ったのか」
「ごめんね。約束破って」
「約束はどうでもいいよ! それがあなたの仕事なんだ。でもさ」
流斗君の唇が私の頬に触れる。
「あの時、本当に楽しかったんだ。なのに車を運転してくれたのも、一緒にいるのも、全部、仕事のためなんだなと思ったら、何か悲しくなってさ」
彼が怒ったのは、私が約束を破ったからではない。
彼は純粋に友情を温めていたのに、私が友情を仕事に使おうとしたからだ。
ある意味、約束破りよりひどいこと。
気恥ずかしくなって、私は少し離れ、昼間の彼の行動について尋ねた。
「どうして海東さんを担当に指名したの?」
流斗君もそっぽを向く。
「今のところ、それぐらいしかできない」
ますますわからない。
「那津美さんにパワハラした奴らと働くのは嫌だからね。かといって取材を断ってあなたがいなくなるのはもっと嫌だから、関係なさそうな人にした」
再び私は流斗君の腕の中だ。
「私を担当から外したのは? 嫌われちゃったの?」
ぎゅっと彼の腕が私の背中を締め付ける。
「那津美さんと研究室にいたら、仕事にならない」
私も思わず彼の背中にしがみつく。
「渓流に行ったのは、ただ一緒にいたかったの。でもね、こうしていたら流斗君と離れたくなくて、だから……仕事の話して本当にごめんね」
「いいんだ。今まで連絡しなくてごめん! 僕は子ども過ぎた。僕は、あなたの仕事のためならなんでもするよ」
彼の顔が近づいてきた。そっと唇が重なった。
優しいキス。ただ触れ合わせるだけのキス。
ずっと目を閉じていて、この柔らかい温かさを感じていたい。
が、彼の唇が離れ、また近づいた時、我に返った。
大切なことを忘れていた。彼には彼女がいるのだ。
私は顔を背け一歩後ずさりして微笑んだ。
「これからも友だちでいてくれる?」
流斗君は何か困ったような表情を浮かべる。
「そうだね」
流斗君は慌ただしく、コンクリートの廊下に置いた大きなリュックをごそごそあさり、茶色い小さな紙袋を取り出した。
「これを渡したかった」
受け取ると、予想に反して重い。何か固くてゴツゴツしたものが入っている。
その粗末な紙袋を開けると、更に驚いた。
「きれい! うわあ、可愛い!」
小指の先ほどの大きさの青い玉をいくつもつなげたネックレスだ。
「もしかしてこれ、ラピスラズリ?」
彼が行った国の名産品の一つだ。
「望遠鏡のある砂漠の町の土産物屋で買った。学会のあった首都よりは安いらしいよ」
せっかく可愛いネックレスをお土産に買ってくれたんだから「安い」なんて言わなくていいのに。
でもうれしい。
彼が、いかにも女性ものらしいお土産を私に買ってくれたのがうれしい。
「ありがとう」
思わず抱き着いてしまった。友だちとしてのハグ。
すっかり昇った満月が輝いている。ウサギさまが私たちを見下ろしていた。
流斗君の提案したウェブカメラの設置について話したところ、予算がそれほどかからないなら、と、受け入れてくれるようだ。
地区の自治会や役場に諮ってもらえるとのこと。
「そのカメラとかは、こいつで操作するのか?」
荒本さんがスマホを指さす。
「専用のタブレットを貸してもらえます」
「そいつはありがたいね。そうだ。せっかくだから、そのタブレットとやらでお互いがどこにいるか、わかるようにはできないか? 便利だろ」
荒本さんが得意げに提案した。
スマホのアプリを使えばお互いの場所はわかるが、家族でもない人間同士でそのように設定するのは抵抗がある。
が、祭り限定のタブレットなら、抵抗は少ない。
「私もいいと思います。できるかどうか担当の先生に聞いてみますね」
先に、私は会合を去ろうとすると、実行委員長に声を掛けられた。
「やっぱ素芦の姫さんだねえ」
もうすぐ三十歳で姫というのは恥ずかしい。大体、素芦家には財産はなく、残ったのは独身のおばさんだけ。
周りの老人たちもうなずく。
「そうそう、殿様が亡くなって、那津美ちゃんも顔を出さなくなってから、会合も祭りの日もずーっと、雨か曇りだった」
「ああ、宮司様が毎年、亀石を祈祷しても、亀さまが泣いてるんだろうってね」
「だがなあ、那津美ちゃんが顔を出してから、最近、お月さん、よく見えるんだ」
「そう、今年の祭りこそ、お月さんを拝みたいもんだ」
どうやら私は晴れ女に認定されたようだ。
思い出してみると、確かに七年前までの祭りは、晴れてた気がする。少なくとも、月が昇る夜には晴れていた。
が、この数年、祭りの日は雨か曇りが多い。確かに月を見たことがない。祭りの日は、満月近くの日曜日と決まっているのに。
「それ、私のせいじゃないですよ。この数年の異常気象は、全国レベルですから」
もともと祭りの日は、晴れの季節に設定されている。なのに、この数年、豪雨が多い。
「じゃあ、今年こそ晴れるように、今からお月様に祈りの歌を捧げましょう」
うっかり調子に乗ってそんなことを言ったので、老人たちに歌をリクエストされた。
月祭りのクライマックスでは、昇ったばかりの満月にみんなで祈りの歌を捧げる。古くから宇関にいる人なら知ってる歌だ。
「姫さん、頼みますよ!」「ほら、まだお月さんいるうちに」
「わかりました。じゃあ、私は外で歌ってきます」
気恥ずかしくて集会所を後にした。
歌は嫌いではない。学校の合唱祭ではソロをやらせてもらった。素芦の娘という忖度のおかげかもしれないが。
が、私は普通に歌うより、祭りの時、月に向かって歌うのが好きだ。声がいつもよりよく出るような気がする。
より遠くに声を出そうとするからだろうか? それとも祭りの雰囲気に乗せられてだろうか。
集会場の前の砂利で、私は、昇ったばかりの満月を見上げる。
後を追った老人たちを意識しないように歌った。
亀さま、涙をしばし止めて
ウサギさまは月に昇り私たちを守ってくださるのだから
亀さまが悲しいと私たちも悲しみます
私たちがウサギさまに会えるよう、亀さま力をお貸しください
祈りの歌の旋律に適当な歌詞をつけて歌ってみた。
拍手の音が聞こえる。
「いや~姫様の歌は気持ちいいねえ」「ほらほら、雲がどんどん消えていくぞ」
老人たちが騒ぐ中、荒本さんが割って入った。
「委員のみなさんよ、まだまだ決めることあるでしょうよ」
荒本さんのひと睨みで老人たちは竦み、集会所に入っていった。
駐車場にいくところ、引き返した荒本さんが声を掛けてきた。
この前の彼の行動を思い起こし、身構える。
二度と触ってほしくないしキスなんてしてほしくない。
「那津美、この前は悪かった」
彼が頭をかき申し訳なさそうな顔を見せる。
「お子さんがいるのだから、自分の立場を考えた方が」
私はなおも警戒を緩めず、睨みつけた。
「わかったわかった。それにしても、お前の本気の歌、久しぶりだったな」
「いえいえ、本気の歌というわけでは……」
「はは、祭りの日も頼むよ。お前がちゃんと祭りに顔を出せば、ウサギさまも顔を出す」
冗談なのはわかっている。
「それとは別に頼みがあるんだ」
彼は私との距離をそれ以上縮めることはなく、手を合わせた。
「今度、大学に連れてってくれないか」
え? 大学?
意味が分からず首をかしげてると、荒本さんが続けた。
「これだけ広告を紹介してくれた先生方に挨拶したいんだ」
私はうなずいた。こういうところ、荒本さんはきっちりしている。
「ブース代表の先生方四人の研究室に回ることでいいでしょうか? 全員だと大変ですよね」
「悪いな」
そういって、私の肩をポンと叩く。
彼とミツハに財産を奪われたと思っていたが、素芦には大分前から財産はなかった。彼なりに私の借金を清算してくれたことは認めざるを得ない。
「大学か……あそこは那津美と二人でよく遊びに行ったな」
「そうね。お父さんの作った評判の悪い遊園地ね」
「まあ、そう言うなよ。親父さんの思い、知ってんだろ?」
「いいえ私、遊園地のこと、あまり覚えてないの。特に開園したころ」
遊園地ができる前の一年間、私が十歳になったころ。母がいなくなったころ。あまりに大きな変化だったのか、私は覚えていない。
父はことあるごとに、いなくなった母を悪しざまに罵っていた。だからなのか、私も母を嫌いになった。母のことはすっかり忘れ、嫌悪感だけは残っている。
「思い出さなくていい」
荒本さんが、私の髪をクシャクシャにかき回す。
この人の触りグセ、何とかしてほしい。
「女の先生もいるから、セクハラしないでくださいね」
「勝手に決めつけんな。俺は、そういう大学の偉い先生は苦手だよ」
「偉い先生でなければいいの?」
「悪かった悪かった」
幼なじみは私の頭から手を離し、一歩退いた。
夜の十時を過ぎた。祭りの打ち合わせはまだまだ終わらないだろう。
一足先に失礼した私は、自宅のアパートに戻り、二階への階段を上る。
ドアの前に若い男の人がしゃがみ込んでいた。私に気づいたその人が立ち上がった。
「遅かったね。仕事じゃないよね?」
「流斗君! ど、どしたの?」
「突然、来ちゃってごめんね」
祭りの会合から戻ったら、流斗君が家の前で待っていた。
今日彼は、彼への取材依頼に私のバイト更新がかかっていたことを知り、なぜかパートの海東さんに取材対応を依頼した。
彼はじっと私を睨みつけている。
「あの、どうしたの? 何か」
流斗君が一歩前に踏み出してきた。
「何で言ってくれなかった!」
叫びとともに、私の身が彼の両腕に捉えられた。
「ま、待って!」
息ができなくなるほど強く抱きしめられる。
「取材を受けないと那津美さんがバイト続けられないなんて、ひどいじゃないか!」
汗ばんだ男の人の腕の中で、私は目を閉じた。
「言ってくれたら、すぐあなたの言うとおりにしたよ」
互いの頬が触れ合う。
「それが嫌だったの」
流斗君は私の身体を少し離し、正面から見つめてきた。
「どういうこと?」
「取材を受けるのも断るのも、流斗君自身の考えで決めてほしかったの」
「僕が断って、バイトが続けられなくても?」
「バイトは探せば何とかなるもの」
再び強く抱きしめられる。
「わからなかったんだ。なぜ、出張前にあんなこと言ったのか」
「ごめんね。約束破って」
「約束はどうでもいいよ! それがあなたの仕事なんだ。でもさ」
流斗君の唇が私の頬に触れる。
「あの時、本当に楽しかったんだ。なのに車を運転してくれたのも、一緒にいるのも、全部、仕事のためなんだなと思ったら、何か悲しくなってさ」
彼が怒ったのは、私が約束を破ったからではない。
彼は純粋に友情を温めていたのに、私が友情を仕事に使おうとしたからだ。
ある意味、約束破りよりひどいこと。
気恥ずかしくなって、私は少し離れ、昼間の彼の行動について尋ねた。
「どうして海東さんを担当に指名したの?」
流斗君もそっぽを向く。
「今のところ、それぐらいしかできない」
ますますわからない。
「那津美さんにパワハラした奴らと働くのは嫌だからね。かといって取材を断ってあなたがいなくなるのはもっと嫌だから、関係なさそうな人にした」
再び私は流斗君の腕の中だ。
「私を担当から外したのは? 嫌われちゃったの?」
ぎゅっと彼の腕が私の背中を締め付ける。
「那津美さんと研究室にいたら、仕事にならない」
私も思わず彼の背中にしがみつく。
「渓流に行ったのは、ただ一緒にいたかったの。でもね、こうしていたら流斗君と離れたくなくて、だから……仕事の話して本当にごめんね」
「いいんだ。今まで連絡しなくてごめん! 僕は子ども過ぎた。僕は、あなたの仕事のためならなんでもするよ」
彼の顔が近づいてきた。そっと唇が重なった。
優しいキス。ただ触れ合わせるだけのキス。
ずっと目を閉じていて、この柔らかい温かさを感じていたい。
が、彼の唇が離れ、また近づいた時、我に返った。
大切なことを忘れていた。彼には彼女がいるのだ。
私は顔を背け一歩後ずさりして微笑んだ。
「これからも友だちでいてくれる?」
流斗君は何か困ったような表情を浮かべる。
「そうだね」
流斗君は慌ただしく、コンクリートの廊下に置いた大きなリュックをごそごそあさり、茶色い小さな紙袋を取り出した。
「これを渡したかった」
受け取ると、予想に反して重い。何か固くてゴツゴツしたものが入っている。
その粗末な紙袋を開けると、更に驚いた。
「きれい! うわあ、可愛い!」
小指の先ほどの大きさの青い玉をいくつもつなげたネックレスだ。
「もしかしてこれ、ラピスラズリ?」
彼が行った国の名産品の一つだ。
「望遠鏡のある砂漠の町の土産物屋で買った。学会のあった首都よりは安いらしいよ」
せっかく可愛いネックレスをお土産に買ってくれたんだから「安い」なんて言わなくていいのに。
でもうれしい。
彼が、いかにも女性ものらしいお土産を私に買ってくれたのがうれしい。
「ありがとう」
思わず抱き着いてしまった。友だちとしてのハグ。
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