狂い咲く花、散る木犀

伊藤納豆

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2章 寄り添い

34話 こっち向いて、琉生くん!

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―――
「ばあちゃん、おれ……みんなとなかよくしたいのに、できないの……サッカーも、野球も、ルールわかんなくてね…それでねっ…」

幼い晴柊が今にでも零しそうな涙をその大きな目に溜め、Tシャツの裾をぎゅっと握りながら、台所で夕飯の準備をする祖母に後ろから話しかけた。晴柊の祖母が包丁から手を離しそっとまな板に置くと、いつもの優しい笑顔を浮かびながら、晴柊に近寄りしゃがんで視線を合わせた。


「晴柊はその子らと仲良くしたいんだろう?晴柊が「みんなと仲良くしたい」っていう気持ちを、その子らに直接伝えんと。したら、やり方知らんでも入れてくれるさ。怖がらんと、直接お話ししてみいや。晴柊なら大丈夫。」


晴柊の目元をを伝う涙を拭ってくれるその手が温かく、幼い晴柊に勇気をくれた。

―――

遊馬に突っぱねられてから次の日、今日の世話役は天童だった。天童は、晴柊にとって従兄のお兄さんのような感覚でとても話しやすく頼りやすい人であった。琳太郎はいつもタバコの匂いをさせ時々晴柊の前でもタバコを吸っていたが、それに対し天童は琳太郎を上回るヘビースモーカーの様で、常にと言っていいほどタバコを吸っているのではないか、というくらいの頻度だ。晴柊はタバコの煙が苦手なわけではないので特に何も思わなかったが、琳太郎は自分の家にタバコの匂いが残ることを嫌がっている様だった。


「天童さん、天童さん、お願いがあって。」

「おう、なんだ?」


晴柊は天童にあるものを買ってほしいとお願いした。天童はなんでそんなものを、と思ったものだったが、晴柊の真剣な眼差しに了承した。晴柊は天童の返事を聞くと嬉しそうに笑顔を浮かべてまるでそれを待ち遠しいとでも言うように上機嫌でテレビを見始めたのだった。



あれから数日が経過した。晴柊はリビングに大量の本を並べて、その本を天童に買ってもらった日から毎日読みふけっていた。大きな図鑑のようなものがたくさんあり、晴柊はそのうちの一冊を膝に乗せるようにしてソファで見ていた。


「なぁ、ハルちゃん。何でこんなの見てるの~?」


今日の当番である榊が、テーブルに積まれた本のうちの1冊を手に取りぱらぱらと捲った。


西洋美術作品集
印象派作家・作品一覧
フィンセント・ファン・ゴッホの一生


などなど、晴柊の目の前には絵画に関する美術集がずらりと積まれていた。


「お勉強だよ。仲良くなるための。」

「仲良くなるのに勉強~?つか誰と~?」

「あ、ねえねえ、トラ君。次の当番って誰?」

「えーっと夕方くらいから琉生が来るよ。………ああ、へぇ~そういうこと?」


榊が何かを悟ると、ソファで熱心に本を眺める晴柊の横にドカッと座った。


「ハルちゃんってさぁ、変だよね。そこまでしてお友達になりたいって人いないよ、中々。ましてや俺らみたいなやつさあ。」

「昔ばあちゃんが、仲良くしたいなら自分が仲良くしたいってことを伝えなきゃダメって教えてくれた。だから、まずは琉生君の好きな物知った方が伝えやすいかなって。それに、俺にとってはトラ君も遊馬さんも数少ない関わってくれてる人間だから、仲良くしたいじゃん。誰かにとっては悪い人でも、俺にとってみんなは良い人だもん。」


晴柊が隣に座る榊を見て楽しそうに笑った。あんなに突っぱねられて嫌悪感を示されていたのに、めげない晴柊に榊は少し驚いた。


友達になるためではなく、晴柊の見張りと世話役として組長に命令されただけの自分達に、晴柊は本当の友達かのように接してくる。そして、ヤクザであり反社会的存在である自分達に良い人だと言った。自分が何をされたのか覚えてないのかと思ったが、そんなはずはない。だとするとこの少年は、榊が引くほどお人好しなのである。


今の今まで、自分達の存在を含めたくさんの人にとんだ仕打ちを受け続けてきたのに、なんて擦れていないのだろう。まるで祖母と暮らしていた3年間で時が止まったように、晴柊がそのまま成長したことに驚いていた。榊は、琳太郎が執着する理由もなんとなくわかってきたのだった。


夕方が近くなると、これを見ていたことを遊馬本人にバレるのは恥ずかしいと、晴柊は大量の本を寝室のベッドの中に隠した。


「健気だねぇ。」


その様子を榊がニコニコしながら眺めていた。少しして遊馬がやってくると、榊は「頑張ってね~」と手をひらひらさせ退出していった。晴柊はどう切り出そうとソワソワしながらソファに座っていた。遊馬は晴柊の晩御飯であろうものをテーブルに置いた。


「腹が減ったら勝手に食べろ。」


そういうと、ダイニングテーブルに座り書類を取り出して作業を始めた。晴柊はその向かい側に座るようにしてご飯を取り出す。今日のご飯はお寿司だった。立派な箱に入ったお寿司を取り出し、いただきます、と手を合わせると食べ始める。いつ、どう話しかけようかと晴柊は遊馬をチラチラと見た。目線は書類に当てたままだが、晴柊の視線が気になり遊馬が口を開く。



「なんだ、言いたいことがあるなら言って。気が散る。」

「あっ……えとね、遊馬さんと一緒にみたい映画があって…」

「見てわからない?俺、忙しいんだけど。」

「『カラヴァッジョ-天才画家の光と影-』ってやつなんだけど…あれ、借りないと観られないだろ?だからさっきトラ君に頼んで借りてきてもらったんだ。遊馬さんなら一緒に見てくれるかなって。ほら、こういう機会じゃないと遊馬さんだって仕事忙しくて映画観れたりできないでしょ。一緒に観ようよ。」


遊馬は、晴柊が自分と距離を縮めようとしてわざわざ自分が好きな映画をチョイスしたことが鼻についた。なぜなら、晴柊には何も知識もなく興味もないだろうと踏んでいたからだった。それをダシに使って利用しようとしている魂胆がバレバレだ。次は俺を出し抜いて逃亡を図る気だろうか、と遊馬は思う。


しかし、晴柊の言うことも一理ある。2時間や3時間、映画をゆっくり見る時間など中々取れるはずもなかった。その作品は確かに気になっていたものである。


篠ケ谷のようにみすみす逃がす様な失敗はしないし尻尾を出して今度こそ琳太郎に殺されればいい、と遊馬は心の中で思うと、晴柊の誘いに乗った。晴柊は遊馬の返事を聞いて嬉しそうに顔を綻ばせると、食べていた寿司を中断してまでして映画を見る準備をする。意気揚々とレンタルビデオの袋からDVDを取り出し、ディスクをデッキに差し込む晴柊の表情は、まるで人を出し抜こうとは考えている様には見えなかったが、遊馬は気を許さなかった。


遊馬がソファに、晴柊はソファの下のラグに座り、ソファに背を預けるようにして座った。映画が始まると、遊馬は思わず見入った。ずっと観たかったものには変わりはない。


晴柊はそこから怪しい動きもせず、ただ映画に目を輝かせて釘付けになっていた。その目は幼少期の自分を見ている様だった。普通自分の興味のない映画は退屈になって欠伸一つするはずなのだが、晴柊にはそんな様子は見て取れない。すると、映画を見ていた晴柊があるシーンを見て嬉しそうに振り返ると、遊馬に話しかけた。


「これ、これって、今描いてるのって、ユディトのやつでしょ!名前なんだっけ、えーっと…」

「…『ホロフェルネスの首を斬るユディト』。」

「そう!それだ!……へえ、こんな風にして描かれたのかあ。」


晴柊がまさかこの作品を知っているとは思わず、遊馬はまた晴柊への違和感に怪訝そうな顔を浮かべる。


今見ているこの映画の主人公、カラバッジョとは、実際に存在した画家である。中々豪快な人物で、数々の暴行事件だけでなく殺人事件を起こしたこともある画家として有名だ。カラバッジョは神聖とも言える宗教画を娼婦をモチーフにして描き非難を浴びたともされる。「娼婦」に自分を当てはめているとでもいうのだろうか、と遊馬は映画を見ながらもどこかで晴柊のことを考えてしまい集中しきれないでいた。


映画が終わりエンドロールが流れ始めると、晴柊は遊馬の方を見上げまた目を輝かせながら話しかけてくる。


「面白かったな!やっぱりあの人はさ、皆にいっぱい怒られてきたけど、すごい人だと思う!陰影技術だって、あの時代は写真もなければ活版印刷だって今みたいに発展してないのにさ、―――。」


と、晴柊は映画の感想をペラペラと喋り始めた。それは、映画の内容だけでは補いきれないような作品に関する情報や主人公自身の情報も入っていた。それも、適当なものではない。晴柊の話は、正直遊馬の興味関心をがっしりと掴んでいた。


黙って聞いていた遊馬だったが、思わず口を開く。


「……カラバッジョは今でこそバロック絵画の金字塔だけど、宗教画に関しては常識と逸脱している。ゴッホやピカソにも当てはまるように天才ってのは死んでから評価されるっていうが、カラバッジョだってその一人だ。まぁ、コイツの要因は殺人だとか今でも非難されるようなことだけど。あとは、生い立ちだろ。そもそもあの時代は―――」


晴柊がうんうんと遊馬の話を熱心に聞いていた。少し前までこういった類に興味も知識もなかったはずなのに、この数日間で何したんだと遊馬は勘ぐり始める。しかし、晴柊はそんな遊馬の話を心底面白そうに聞いていた。時には質問したりしながら、遊馬の豊富な知識に尊敬の気持ちえさえ芽生えていた。


「そういうことだったのかぁ。あ、じゃぁあの絵もさ…ちょっと待ってて!」


晴柊が立ち上がると寝室に駆けていった。そしてすぐ戻ってきたと思うと、手に大きな図鑑のような本を数冊抱えて戻ってきた。晴柊がここ数日で呼んだ本のうちのほんの数冊であった。晴柊はラグの上ではなく、ソファに座る遊馬の隣に腰掛けると、本をぱらぱらと捲り見せたいページを探した。遊馬はこれで入れ知恵していたのか、と思うが晴柊の楽しそうな勢いに負け一緒に本を眺め始める。


気付くと映画を見終わってから、2、30分が経過してずっと感想トークを繰り広げていたことに気付いた遊馬は思わず晴柊を見て、また突っぱねるような態度を示した。思わず飲まれていた晴柊のペースを遮るように。


「……一体何が目的?」

「…目的?」

「こんなものにいきなり熱心になったように見せて、俺を出し抜いてまた脱走でもする気か?」


ずっと考えていた予想を晴柊にぶつける。晴柊はきょとんとしている様子だった。なんだ、その拍子抜けた態度は、と遊馬は少し苛立ちを見せた。一瞬でも晴柊にペースを飲まれていた自分を誤魔化すように。


「脱走?そんなんじゃないよ。ただ、遊馬さんが好きなものを俺も知りたいなって思っただけ。俺、やっぱり遊馬さんとも仲良くなりたいし。お世話になるわけだしさ。それに、最初は正直何もわからなかったけど、たくさん本読んだり見たりしてたら、すごいなぁ楽しいなぁって思っちゃって!西洋美術だけじゃなくて日本美術とかも気になったら読むの止まらなくなったよ。遊馬さんのその腕の綺麗な刺青のお陰だね。」


晴柊が屈託のない笑顔を遊馬に向けた。その顔はまるで嘘をついている様には見えない。遊馬は、晴柊がこの世界に”堕ちた”人間とは思えないほどの純粋さに、呆気に取られた。「いつか見てみたいなぁ、本物の絵画!」と楽しそうに横で笑う晴柊。この少年は最初から嘘をつくつもりも、自分を騙して脱走を図る気もさらさらなかったのだ。自分が惨めになるほど綺麗な晴柊に、遊馬は胸が締め付けられるような思いだった。


「…他にもまだあるんでしょ。持ってきて。」

「……!うん!」


ずっと黙っていた遊馬が、晴柊に声をかけた。晴柊が嬉しそうに顔を明るくさせると、また寝室にいって大量の本を持ってきた。そこには美術やアート、芸術に関する本が沢山あった。晴柊はそれをどさりとテーブルの上に積む。


「何から見る?」

「えーっとねえ…!」


晴柊が本を選び遊馬見えるように広げる。そして、遊馬が喋り出した。本にも載っていないような知識を、晴柊に教えてくれる。昔から家に居場所が無かった晴柊は、よく図書館に入り浸っていた。お金を使わずとも、何冊でも本が読める。そして、本を読んでいる時だけ現実を忘れられる。あの感覚が好きだったことを思い出した。

晴柊は今まで触れたことのなかった知識が興味深かったのもそうだが、遊馬が自分とこうして話してくれているのがたまらなく嬉しかった。まるではしゃぐ子供のように、晴柊は遊馬にたくさん質問をした。
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