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4章 花ひらく
52話 欲張らないから
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あれからなんてことない日常が進んでいた。晴柊にとって変化といえば、琳太郎が帰ってくる頻度が減ったことくらいだろうか。また繁忙期がやってきたのだろう、琳太郎はときには3日に1回といったペースで現れる。それも昼だったり早朝だったり、時間もまちまちで「仕事の合間を縫って」ということを感じ取っていた。
しかし、晴柊には毎日代わる代わる一緒にいてくれる篠ケ谷達がいるから寂しくはないと思っていた。それなのに、最近は少し心がザワついている。晴柊は自分の心を騒がせる原因が何かわからないでいた。
そんな晴柊の元に、朗報が届いた。ウィリアムからのお誘いである。今度は外で会おうといってくれたウィリアムがどうやら琳太郎に掛け合ってくれたらしかった。今日の晴柊の付き人は榊であった。
「ハルちゃんご機嫌だね~。ウィル君と本当に仲良しなんだね。」
榊が晴柊の着替えを手伝ってくれている。今日の格好は勿論至って普通で一人で着替えることも可能なのだが、榊は意外と面倒見が良いのか手伝ってくれていた。晴柊が榊の持つシャツに袖を通す。前のボタンを榊がゆっくりと下から閉めてくれていた。
「うん。すごくいい子だから。今日も、ウィルが直接琳太郎に話してくれたみたい。さっき琳太郎から電話があったんだけど、個室の中華料理屋さんだって!」
晴柊が嬉しそうに顔を綻ばせていた。嬉しそうな晴柊を見ていると、榊にもその気持ちが伝染する。晴柊の不思議な力だった。
「電話……そういえば、最近組長とあんまり会ってない?」
「ああ、うん。前より頻度は減ったかな。アイツ、ちゃんと寝てるのかなぁ。」
「ハルちゃんは本当に組長のことが好きなんだねぇ。」
ニヤニヤと榊が晴柊を見た。晴柊は思わず顔を赤くして「揶揄わないで!」と榊が次に着せようとしていたカーディガンを奪うと自分で袖を通した。そりゃぁ晴柊は琳太郎のことが好きである。でも―――。また心がチクッとした。最近、琳太郎のことを考えると少し心がザワつく。一体なんなんだろうか。晴柊は意識を紛らわすように、この後のウィルとのランチのことを考えるのだった。
榊の運転で、琳太郎御用達の中華料理亭に着いた。そこは外から見ても豪勢な建物だった。琳太郎も顔が利きかつ個室であればある程度の安全は保たれるだろうと選んだ場所だった。晴柊が榊と共に中に案内され、一つの個室の襖を開けると、ウィリアムが既に座って待っていた。
「ハルヒ~!」
まるでお日様の様な笑顔を浮かべるウィリアムに、晴柊もつられて笑った。
「ウィル。今日はありがとう。」
「コチラコソだよ!」
「じゃぁハルちゃん、俺外にいるからね。何かあったら言ってね。」
「うん、わかった。」
榊が手を振って外の襖の前に立った。個室にウィリアムと2人きりになり、晴柊は円卓テーブルにウィリアムと向かいになるように腰かけた。すぐに店員が最初の品とドリンクを運んでくれる。琳太郎が手配したコース料理だった。
―――
「美味しかったぁ。」
「美味しかったねぇ。」
2人はゆっくりとランチを楽しみ、話し込んでいた。2人の間には話題が尽きることがなく、相性も良いようだった。世話役の皆とは生活を共にしすぎてもう「家族」と似たような感覚である晴柊にとって、ウィリアムは唯一の「親友」であった。18年間、家族も友達もいなかった晴柊にはあまりにもいっぺんに与えられた幸福は、贅沢とも思えることだった。
2人が話に花咲かせていると、榊が入ってくる。
「ごめんねぇ。そろそろ時間で…。」
榊が申し訳なさそうに晴柊達に声をかけた。2人の楽しそうな声が外にも漏れ出ていたため、榊も心を痛めるような中断だったが、琳太郎から元々2時間までと言い渡されていたため、やむを得なかった。琳太郎は晴柊に対してかなりの心配性で過保護である。寂しそうに笑う晴柊は、ウィリアムに声をかける。
「そっか……次は俺から誘うよ、ウィル。」
「わぁ、嬉しい!楽しみにしてる。またね、ハルヒ!」
ウィリアムが晴柊の頬に軽くキスをした。英国育ちのウィリアムにとってはスキンシップなのだが、晴柊は慣れていないので思わず少し照れて顔を赤くしてしまう。
ウィリアムが迎えの者の車に乗り込んだのを見届けた後、晴柊も駐車場で榊の運転する車に乗り込み、マンションへと帰路についた。少しして、都内の中心地を走っているのか車通りも人通りも多いところにいた。晴柊は外を眺める。信号も多いので、進みが緩やかであったため、外を眺めて人の動きを見ることが退屈しのぎになった。あまり外に出れない晴柊には、以前当たり前だった外の風景もこんなに新鮮に感じるものなのかと思うのであった。
そんな時だった。ゆるやかなスピードで進む車のお陰で、外の人を判別することが可能な晴柊の目に、見覚えがありすぎる風貌が飛び込んでくる。すらっと伸びた背丈、その出で立ちを強調させるようなびっしりとしたスーツ、一際目立つ白に近い綺麗な金髪。間違いなく琳太郎だ。約3日ぶりの琳太郎の姿に、晴柊は思わず窓を開けて声を掛けそうになった。
””琳太郎””
しかし、その言葉は出ることなく晴柊の喉元で留まる。そして、すぐに違う言葉が出た。
「トラ君…車、停めて!」
思ったより大きな声が、車中に響く。榊は驚き、晴柊のただならない様子の勢いに負けて路肩に駐車した。晴柊は歩道を凝視するようにして窓に至近距離で近づいて見ていた。この車は外からは見えない仕様になっている。晴柊の視線の先を、榊も眺めてみる。
「あ、アレ組長じゃ……あ~………」
榊も琳太郎と認識した人物の隣には、前髪をかき上げ華美に巻いたロングヘアを靡かせた大人の女性が立っていた。昼間に似合わぬその2人の出で立ちと、醸し出す雰囲気に周囲を歩く人も視線だけを寄こしているようだった。榊が何か晴柊に声を掛けようとするが、余計に誤解を招くのを恐れ言葉を選んでいた。
琳太郎は女の手を取りもう片方の手は腰に添え、まるで愛しい人をエスコートするかのようにする仕草を見せる。その表情は、いつもの冷酷な表情とは違う、僅かな笑顔を見せる柔らかい表情だった。琳太郎のその女に向けた表情を晴柊が向けられたのはいつだっただろうか。僅か3日間という期間会っていなかっただけなのに、今の晴柊にとって琳太郎と離れていたその3日間という時間は酷く長いように思えた。
女を高級車に乗り込ませた琳太郎は、対向車線越しにいるこちらの車の存在には気づかないまま自分も乗り込み、その車は走り去ってしまった。
「は、ハルちゃ……」
「ごめんトラ君。帰ろう。」
何か弁明しようとする榊の声を遮り、晴柊が何も思ってないよというようにいつもの笑顔を浮かべてお願いした。ここ数日晴柊を悩ませていた心のザワつきが大きくなっていく。ああ、なんなんだ、この感情は。押し込まなくては。余計なことを言って、琳太郎に迷惑かけて、嫌がられたくない。
でも、琳太郎が恋人を作ったら?
晴柊の頭の中に、さっきの琳太郎と女性が仲睦まじく接している様子が浮かぶ。ああ、そうか、俺は琳太郎の中での1番がいいのか。晴柊は自分が琳太郎の中での1番じゃなくなった自分を想像すると、心臓が酷く騒がしくなることを覚えた。
愛人のなかでの1番でいい。恋人なんて欲張らないから。
晴柊のなかで琳太郎に対する独占欲が芽生えた瞬間だった。その独占欲は琳太郎の真っ直ぐなものとは異なる、どこか臆病さと謙虚さを兼ね備えているような歪なものとして晴柊のなかに蔓延っていた。
あれからなんてことない日常が進んでいた。晴柊にとって変化といえば、琳太郎が帰ってくる頻度が減ったことくらいだろうか。また繁忙期がやってきたのだろう、琳太郎はときには3日に1回といったペースで現れる。それも昼だったり早朝だったり、時間もまちまちで「仕事の合間を縫って」ということを感じ取っていた。
しかし、晴柊には毎日代わる代わる一緒にいてくれる篠ケ谷達がいるから寂しくはないと思っていた。それなのに、最近は少し心がザワついている。晴柊は自分の心を騒がせる原因が何かわからないでいた。
そんな晴柊の元に、朗報が届いた。ウィリアムからのお誘いである。今度は外で会おうといってくれたウィリアムがどうやら琳太郎に掛け合ってくれたらしかった。今日の晴柊の付き人は榊であった。
「ハルちゃんご機嫌だね~。ウィル君と本当に仲良しなんだね。」
榊が晴柊の着替えを手伝ってくれている。今日の格好は勿論至って普通で一人で着替えることも可能なのだが、榊は意外と面倒見が良いのか手伝ってくれていた。晴柊が榊の持つシャツに袖を通す。前のボタンを榊がゆっくりと下から閉めてくれていた。
「うん。すごくいい子だから。今日も、ウィルが直接琳太郎に話してくれたみたい。さっき琳太郎から電話があったんだけど、個室の中華料理屋さんだって!」
晴柊が嬉しそうに顔を綻ばせていた。嬉しそうな晴柊を見ていると、榊にもその気持ちが伝染する。晴柊の不思議な力だった。
「電話……そういえば、最近組長とあんまり会ってない?」
「ああ、うん。前より頻度は減ったかな。アイツ、ちゃんと寝てるのかなぁ。」
「ハルちゃんは本当に組長のことが好きなんだねぇ。」
ニヤニヤと榊が晴柊を見た。晴柊は思わず顔を赤くして「揶揄わないで!」と榊が次に着せようとしていたカーディガンを奪うと自分で袖を通した。そりゃぁ晴柊は琳太郎のことが好きである。でも―――。また心がチクッとした。最近、琳太郎のことを考えると少し心がザワつく。一体なんなんだろうか。晴柊は意識を紛らわすように、この後のウィルとのランチのことを考えるのだった。
榊の運転で、琳太郎御用達の中華料理亭に着いた。そこは外から見ても豪勢な建物だった。琳太郎も顔が利きかつ個室であればある程度の安全は保たれるだろうと選んだ場所だった。晴柊が榊と共に中に案内され、一つの個室の襖を開けると、ウィリアムが既に座って待っていた。
「ハルヒ~!」
まるでお日様の様な笑顔を浮かべるウィリアムに、晴柊もつられて笑った。
「ウィル。今日はありがとう。」
「コチラコソだよ!」
「じゃぁハルちゃん、俺外にいるからね。何かあったら言ってね。」
「うん、わかった。」
榊が手を振って外の襖の前に立った。個室にウィリアムと2人きりになり、晴柊は円卓テーブルにウィリアムと向かいになるように腰かけた。すぐに店員が最初の品とドリンクを運んでくれる。琳太郎が手配したコース料理だった。
―――
「美味しかったぁ。」
「美味しかったねぇ。」
2人はゆっくりとランチを楽しみ、話し込んでいた。2人の間には話題が尽きることがなく、相性も良いようだった。世話役の皆とは生活を共にしすぎてもう「家族」と似たような感覚である晴柊にとって、ウィリアムは唯一の「親友」であった。18年間、家族も友達もいなかった晴柊にはあまりにもいっぺんに与えられた幸福は、贅沢とも思えることだった。
2人が話に花咲かせていると、榊が入ってくる。
「ごめんねぇ。そろそろ時間で…。」
榊が申し訳なさそうに晴柊達に声をかけた。2人の楽しそうな声が外にも漏れ出ていたため、榊も心を痛めるような中断だったが、琳太郎から元々2時間までと言い渡されていたため、やむを得なかった。琳太郎は晴柊に対してかなりの心配性で過保護である。寂しそうに笑う晴柊は、ウィリアムに声をかける。
「そっか……次は俺から誘うよ、ウィル。」
「わぁ、嬉しい!楽しみにしてる。またね、ハルヒ!」
ウィリアムが晴柊の頬に軽くキスをした。英国育ちのウィリアムにとってはスキンシップなのだが、晴柊は慣れていないので思わず少し照れて顔を赤くしてしまう。
ウィリアムが迎えの者の車に乗り込んだのを見届けた後、晴柊も駐車場で榊の運転する車に乗り込み、マンションへと帰路についた。少しして、都内の中心地を走っているのか車通りも人通りも多いところにいた。晴柊は外を眺める。信号も多いので、進みが緩やかであったため、外を眺めて人の動きを見ることが退屈しのぎになった。あまり外に出れない晴柊には、以前当たり前だった外の風景もこんなに新鮮に感じるものなのかと思うのであった。
そんな時だった。ゆるやかなスピードで進む車のお陰で、外の人を判別することが可能な晴柊の目に、見覚えがありすぎる風貌が飛び込んでくる。すらっと伸びた背丈、その出で立ちを強調させるようなびっしりとしたスーツ、一際目立つ白に近い綺麗な金髪。間違いなく琳太郎だ。約3日ぶりの琳太郎の姿に、晴柊は思わず窓を開けて声を掛けそうになった。
””琳太郎””
しかし、その言葉は出ることなく晴柊の喉元で留まる。そして、すぐに違う言葉が出た。
「トラ君…車、停めて!」
思ったより大きな声が、車中に響く。榊は驚き、晴柊のただならない様子の勢いに負けて路肩に駐車した。晴柊は歩道を凝視するようにして窓に至近距離で近づいて見ていた。この車は外からは見えない仕様になっている。晴柊の視線の先を、榊も眺めてみる。
「あ、アレ組長じゃ……あ~………」
榊も琳太郎と認識した人物の隣には、前髪をかき上げ華美に巻いたロングヘアを靡かせた大人の女性が立っていた。昼間に似合わぬその2人の出で立ちと、醸し出す雰囲気に周囲を歩く人も視線だけを寄こしているようだった。榊が何か晴柊に声を掛けようとするが、余計に誤解を招くのを恐れ言葉を選んでいた。
琳太郎は女の手を取りもう片方の手は腰に添え、まるで愛しい人をエスコートするかのようにする仕草を見せる。その表情は、いつもの冷酷な表情とは違う、僅かな笑顔を見せる柔らかい表情だった。琳太郎のその女に向けた表情を晴柊が向けられたのはいつだっただろうか。僅か3日間という期間会っていなかっただけなのに、今の晴柊にとって琳太郎と離れていたその3日間という時間は酷く長いように思えた。
女を高級車に乗り込ませた琳太郎は、対向車線越しにいるこちらの車の存在には気づかないまま自分も乗り込み、その車は走り去ってしまった。
「は、ハルちゃ……」
「ごめんトラ君。帰ろう。」
何か弁明しようとする榊の声を遮り、晴柊が何も思ってないよというようにいつもの笑顔を浮かべてお願いした。ここ数日晴柊を悩ませていた心のザワつきが大きくなっていく。ああ、なんなんだ、この感情は。押し込まなくては。余計なことを言って、琳太郎に迷惑かけて、嫌がられたくない。
でも、琳太郎が恋人を作ったら?
晴柊の頭の中に、さっきの琳太郎と女性が仲睦まじく接している様子が浮かぶ。ああ、そうか、俺は琳太郎の中での1番がいいのか。晴柊は自分が琳太郎の中での1番じゃなくなった自分を想像すると、心臓が酷く騒がしくなることを覚えた。
愛人のなかでの1番でいい。恋人なんて欲張らないから。
晴柊のなかで琳太郎に対する独占欲が芽生えた瞬間だった。その独占欲は琳太郎の真っ直ぐなものとは異なる、どこか臆病さと謙虚さを兼ね備えているような歪なものとして晴柊のなかに蔓延っていた。
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