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#18. 不可解な彼女(Side智行)
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最近、環菜のことがよく分からない。
彼女の言動は不可解なことばかりなのだ。
その理由を探っても見当がつかず、全く気持ちが読めない。
普段から腹に一物を持つ要人相手に交渉や情報収集をしている僕がである。
考えてみれば、環菜は出会った頃から日本での生活についてはぐらかす傾向はあったのだが、ここ最近はそれだけに留まらないのだーー。
あれは環菜が情緒不安定になっていた日の翌日のことだ。
あんなに怯えて震えて普通じゃない状態だったにも関わらず、僕が帰宅すると、何事もなかったようにケロッとしている。
理由を頑なに話さないのは想定内だったが、おかしいと思ったのは僕に対する態度だ。
どこかよそよそしさを感じ、最初は前夜一緒に寝たことを照れているのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。
手に触れても、抱きしめても、いつものように動揺することなく平然としている。
それはまるで僕に好意なんかないと態度で示すようだった。
前夜の環菜との落差に僕が内心動揺したのは言うまでもないだろう。
なぜあんなに情緒不安定だったのかはやはり一番気になることだった。
本人が頑なに語らないなら独自に探るしかなく、環菜に気付かれないように僕は秘密裏に調べ始めた。
こういう情報収集は仕事柄得意な方だ。
まずは現代社会において情報の宝庫といえるSNSでリサーチする。
大物政治家の情報もこういうところから探ることができる時代で、例えば要人が外遊でプラハに来る時には過去のSNS投稿で食の好みを探ったりしている。
環菜も過去にSNSで何かしら発信している可能性はあるだろう。
勝手にプライベートを探るのはマナー違反かもしれないが、本人が話さないのだから、バレなければ問題ない。
秋月環菜の名前で一通り調べるが、予想外だったのは得られた情報が全くなかったことだ。
(本人のアカウントもなければ、タグ付けされた投稿もない。ここまで綺麗さっぱりなのも不思議だな。業者を使って消したような匂いさえする‥‥)
逆に謎は深まるばかりだ。
こうなると心当たりは友人であるカタリーナさんだろうと思い、まずはアンドレイに電話をしてみた。
ちょうど隣にカタリーナさんがいたらしく、すぐに電話が代わられる。
『先日はお会いできて良かったです。環菜と本当に仲が良くて目の保養になる美男美女カップルでしたよ』
『それはどうもありがとうございます。ところで、ちょっとカタリーナさんに環菜のことで聞きたいことがあるんです』
『環菜のこと?何ですか?』
『環菜がプラハに来た理由をご存知ですか?もちろん僕のために来てくれたのもあると思うんですけど、環菜が「私を呼び寄せた張本人」とカタリーナさんのこと言ってましたし』
婚約者役の設定上、憧れの人を追いかけて来たことになっているので、聞き方に留意しながら尋ねる。
特に不審に思うことはなかったのか、カタリーナさんは「ああ」と相槌をうつと話し始めた。
『確かに私がプラハに来たら?と声をかけました。それは環菜が「辛い、心が折れそうだ、もう終わりだ、何もかもに疲れた‥‥」って言いながら絶望したような顔をしてたから逃げておいでって提案したんです。でもその詳しい理由は知らなくて。だから今は智行さんと結ばれて幸せそうで本当に良かったなって思ってます!』
そんなことがあったのかと、思わぬ話に先日の環菜の姿が目に浮かび胸が痛んだ。
おそらくプラハに来る前もあんなふうに1人で震えて耐えていたのだろう。
でも一体なにがあったのだろうか。
『ちなみにカタリーナさんは、日本にいる頃の環菜のこと何か知っていますか?僕が聞いても恥ずかしがって。ぜひ知らない一面も知りたいんですけどね』
婚約者の僕が知らないのは不自然だろうと思い、ワザとちょっと拗ねるような口調で話す。
『ふふふっ。確かに環菜はそうやって恥ずかしがるところありますもんね。でも残念ながら私も智行さんに教えてあげられるほど分からないわ。大学生の頃の話ならいっぱいできるんだけど』
どうやら2人はカナダで留学生活を共に過ごした後は、細々と繋がっていただけのようで、絆は強いものの細かいことは知らないようだった。
『いつもとても忙しそうな感じではありましたね。連絡を取る時は、自分の近況はあまり話せないのか、私の話や共通の友人の話、あとは世間話ばかりだったわ』
カタリーナさんからもこれ以上は聞き出せそうになく、僕は礼を言って電話を切った。
結局、肝心なことは一向にわからないままだった。
僕がそんなふうに秘密裏に情報収集をしている最中、さらに環菜は謎な行動に出る。
「桜庭さん、お疲れ様です。さっきあのカフェ行ってきましたけど、とりあえず三上さんは見かけなかったです。環菜さんも不審な人はいないって言ってましたよ」
「それなら良かった。渡瀬、気にかけてくれてありがとう」
渡瀬にも協力を持ちかけて以降、彼はなにかと気にかけてくれていて助かっている。
この前は大使館を出たあたりで三上さんを見かけたらしく、僕と遭遇する前に追い返してくれていた。
「そういえば環菜さんって眼鏡姿も可愛いですね!初めて見ましたけど似合ってましたよ!」
「‥‥眼鏡?」
何の話かよく分からず、首を傾げる。
渡瀬はそんな僕の様子には気付かなかったようでさらに言葉を続ける。
「桜庭さんとラブラブですねって言うと顔を赤くして照れてるし、そんな姿も眼福でした。家に帰るとあんな子がいるなんて、桜庭さんが羨ましすぎます!」
どうやらカフェで働く環菜が眼鏡をかけていたようだ。
(眼鏡なんて家でしてるの見たことないけど。なんでカフェで?目が悪いわけでもないようだけどな)
違和感しかない行動である。
タイミング的にもあの情緒不安定になった日の直後だから、なんとなくそれと関連があるのではと勘繰ってしまう。
「あぁ!話戻りますけど、三上さんと言えば、カフェでは見かけなかったんですけど、街ですれ違ったんですよ。そしたらニタニタ笑った怪しいアジア人の男と一緒で。なんか悪巧みしてそうな雰囲気だったんですよね」
渡瀬のこういう直感は馬鹿にできない。
特に悪巧みに関することには野生の勘が当たりやすいのだ。
「それ気になる情報だね。三上さんの父親が重役を務める会社は確か中国とパイプが強いから、もしそのアジア人の男が中国人なら、その男にとってメリットとなることを提示できるだろうし」
「なるほど!」
「ちょっと気になるから、そういうことを探るのが上手い知り合いに声かけてみるよ。情報提供ありがとう」
礼を述べ、僕はさっそく探偵業のようなことをしている知り合いに連絡をとった。
三上さんを尾行して探って欲しいこと、なにか企みが露見すれば証拠を掴んでおいて欲しいことを告げる。
知り合いは承諾すると、すぐに行動に移ってくれるようだった。
家での環菜はいつも通りの笑顔を向けてくるもののよそよそしい感じの態度が続いていた。
眼鏡姿を見かけることもない。
以前は家でも僕からスキンシップをしていたのだが、最近は環菜に触れることを躊躇してしまっていた。
触れたいと思う一方で、簡単に触れてはいけない気がしてしまうのだ。
それは環菜を特別な女性だと認識して意識してしまっているからだろうと思う。
あの抱きしめて一緒に眠った日、僕は環菜に対して初めて感じる感情を持ったし、もう手放せない、いや手放したくないと思った。
このまま婚約者役ではなく、本当に婚約者としてそばにいて欲しいといつの間にかそう望んでいるのだ。
だから、環菜が婚約者役であることを強調してくると、彼女はただ自分の役目を全うしてるだけで何も悪くないと分かっているのに、失望するのを止められなかった。
自分に好意を持たない相手を選んでおきながら自分勝手なのは重々承知しているのだが。
自分の部屋ではぁとため息をついた時、ちょうど電話が鳴り出した。
三上さんを探ってもらっている知り合いからだった。
何か分かったのかとすぐに電話に応じる。
「桜庭さん、当たりでしたよ」
「ということは‥‥」
「ええ、悪巧みしてました。たぶん桜庭さんの婚約者を狙ったことだと思いますよ」
「証拠はどうですか?」
「今それを準備しています。まずは一報です。詳細がもう少し分かり次第また連絡入れるんで」
「よろしくお願いします」
電話を切ると、このことを環菜に事前に知らせるかどうかで悩んだ。
知っていれば今よりも警戒ができるだろうが、闇雲に怖がらせるのは避けたい。
ただでさえ、つい先日あんなに怯えて震えるようなことがあったばかりなのだ。
環菜に被害が及ぶ前に僕が阻止すればいいのだから、今は知らせるべきではないだろう。
そう判断して、環菜には伝えずにいることにした。
環菜をあんな弱った姿にさせないように、僕が守らなければと思った。
それから数日後、一度仕事中の環菜の様子を確認しておこうとカフェに訪れた。
念のため店内をぐるりと見渡してみるが、三上さんの姿も、怪しい男の姿もなく、ホッとする。
渡瀬の言っていたとおり、少しタレ目がちな大きな瞳を隠すかのように環菜は眼鏡をかけていた。
それだけでおっとり癒し系な外見が少し違って見える。
眼鏡をかけている理由を問えば、トンチンカンな答えが返ってきて、明らかに何かおかしかった。
本当に言動が不可解だと首を捻りながら店を出ると、ちょうど電話がかかってきた。
あの探偵業の知り合いからだった。
「やっと証拠が得られました。これ聞いてください」
そう言うと、耳元からは盗聴したのであろう音声データが聞こえてくる。
そのあまりの内容と自分勝手さに怒りが湧き上がってきた。
「この企みいつ決行されるか分かります?」
「そこが聞き取れなかったんですよ。今見失ってしまったんで探してるところです。そんなに早々には動かないだろうとは思いますけど。また連絡します」
これで三上さんが何をしようとしているのかはハッキリした。
環菜を強姦させて薬漬けにしようとするなんて許せることではない。
二度と刃向かってこないように徹底的に恐怖に陥れてやりたいところだ。
具体的な計画日が分からずまだ動くことができない僕は、そのまま大使館に戻り夜まで仕事に勤しんだ。
20時半を過ぎた頃、突然電話が鳴り、相手は探偵業の知り合いからだ。
電話に出ると焦ったような声色をしている。
「桜庭さん、大変です!あいつら、今日あの企みを実行に移すみたいです。まさかこんなに早いとは」
「彼らは今どこに?」
「それがまた見失いまして、今必死で探しています。とりあえず桜庭さんには婚約者さんの近くに向かってもらった方がいいかもしれません」
「わかりました」
ちょうど仕事もひと段落ついたところだった。
急いで荷物をまとめると、まだ勤務中であろうカフェに向かい始める。
するとまた電話が鳴り出した。
「もしもし」
「渡瀬です。桜庭さん、今日って環菜さん勤務日ですか?まだ働いてます?」
午後はずっと外出していた渡瀬からだった。
渡瀬の声色もいつもの能天気な声とは違う、緊迫した空気がある。
「まだ働いてるはずだけど」
「やっぱり!実は今、この前話した三上さんと怪しい男を見かけて、それがあのカフェの方向だったから何か胸騒ぎがしたんですよ!」
そこで僕は探偵業の知り合いから得た情報を渡瀬に伝え、自分も今向かってることを話した。
渡瀬は驚愕すると、「桜庭さんが来るまで尾行して見張っておきます!」と語気を強めて協力を申し出てくれた。
急いでカフェの方へ向かい、渡瀬と途中合流した。
一足到着が遅く、その時にはすでに環菜とあの2人が外で接触してしまっていた。
いつものように三上さんが自分の主張を高飛車に話しており、隣の男はいやらしい目で環菜を舐め回すように見ているところだった。
その男の手が環菜へ向かって伸びてきたところを見るやいなや、僕はその場に姿を現して環菜を後ろから支えるように抱きとめた。
よくも環菜まで巻き込んでくれたなと怒りがふつふつと湧いてくるが、その怒りを笑顔の裏に隠して努めて冷静に接する。
冷静に冷静に獲物を仕留めるように追い詰め、証拠を突きつけ、やんわりと脅し、二度と歯向かわないようにしてやった。
三上さんから「優しいと思ってたのにそんな人だと思わなかった」というようなことを言われたが、勝手にそう解釈していたのはそちらだ。
こんな表面上の僕の笑顔だけを見て理想を抱く方が馬鹿なのだと言ってやりたいところだった。
何事か起こる前に無事に撃退し、渡瀬も帰っていき、その場に環菜と2人きりになった。
後ろから抱きしめていた身体を離され、「ああ今日も避けられるのか」と思っていたら、くるりと振り向いて正面からしがみつくように抱きしめられた。
予想外の環菜の行動に驚く。
さらに驚くべきは、仕草や振る舞い、そして僕を見つめる目が、ここ最近のよそよそしいものとは全く違うのだ。
まるで僕のことが好きで堪らないという気持ちが溢れ出したようなものだったのだ。
(これは外にいるから婚約者役をただ演じてくれてるだけ‥‥?それとも本当に僕のことを想ってくれてる‥‥?)
環菜の言動は本当に不可解だ。
何を思っているのか読み取れなかったが、たとえ婚約者役として演じてくれているだけでも、環菜に触れたくてたまらなかった。
僕はおでこ、まぶた、頬と、慎重に上から下へと順番にキスをしていく。
環菜は全く嫌がる素振りを見せない。
それを確認すると、唇にキスを落とす。
この時また予想外なことが起こった。
なんと環菜の方からも僕を求めるように、積極的にキスに応じてきたのだ。
夢中でという表現がしっくりくるほど、お互いに深く深く求め合う。
それを嬉しく感じたのは束の間だった。
なぜなら家に帰ると、さっきまでの甘い空気は幻だったかのように消えたのだ。
環菜の振る舞いも、僕のことをなんとも思っていないものに戻っている。
やはりあれは役になりきっていただけなのだろうか。
それなら婚約者役を演じている環菜でもいいから、僕を好きな気持ちで溢れたあの状態の彼女とせめてもっと一緒にいたい。
そこで僕はある提案を環菜に持ちかけたーー。
彼女の言動は不可解なことばかりなのだ。
その理由を探っても見当がつかず、全く気持ちが読めない。
普段から腹に一物を持つ要人相手に交渉や情報収集をしている僕がである。
考えてみれば、環菜は出会った頃から日本での生活についてはぐらかす傾向はあったのだが、ここ最近はそれだけに留まらないのだーー。
あれは環菜が情緒不安定になっていた日の翌日のことだ。
あんなに怯えて震えて普通じゃない状態だったにも関わらず、僕が帰宅すると、何事もなかったようにケロッとしている。
理由を頑なに話さないのは想定内だったが、おかしいと思ったのは僕に対する態度だ。
どこかよそよそしさを感じ、最初は前夜一緒に寝たことを照れているのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。
手に触れても、抱きしめても、いつものように動揺することなく平然としている。
それはまるで僕に好意なんかないと態度で示すようだった。
前夜の環菜との落差に僕が内心動揺したのは言うまでもないだろう。
なぜあんなに情緒不安定だったのかはやはり一番気になることだった。
本人が頑なに語らないなら独自に探るしかなく、環菜に気付かれないように僕は秘密裏に調べ始めた。
こういう情報収集は仕事柄得意な方だ。
まずは現代社会において情報の宝庫といえるSNSでリサーチする。
大物政治家の情報もこういうところから探ることができる時代で、例えば要人が外遊でプラハに来る時には過去のSNS投稿で食の好みを探ったりしている。
環菜も過去にSNSで何かしら発信している可能性はあるだろう。
勝手にプライベートを探るのはマナー違反かもしれないが、本人が話さないのだから、バレなければ問題ない。
秋月環菜の名前で一通り調べるが、予想外だったのは得られた情報が全くなかったことだ。
(本人のアカウントもなければ、タグ付けされた投稿もない。ここまで綺麗さっぱりなのも不思議だな。業者を使って消したような匂いさえする‥‥)
逆に謎は深まるばかりだ。
こうなると心当たりは友人であるカタリーナさんだろうと思い、まずはアンドレイに電話をしてみた。
ちょうど隣にカタリーナさんがいたらしく、すぐに電話が代わられる。
『先日はお会いできて良かったです。環菜と本当に仲が良くて目の保養になる美男美女カップルでしたよ』
『それはどうもありがとうございます。ところで、ちょっとカタリーナさんに環菜のことで聞きたいことがあるんです』
『環菜のこと?何ですか?』
『環菜がプラハに来た理由をご存知ですか?もちろん僕のために来てくれたのもあると思うんですけど、環菜が「私を呼び寄せた張本人」とカタリーナさんのこと言ってましたし』
婚約者役の設定上、憧れの人を追いかけて来たことになっているので、聞き方に留意しながら尋ねる。
特に不審に思うことはなかったのか、カタリーナさんは「ああ」と相槌をうつと話し始めた。
『確かに私がプラハに来たら?と声をかけました。それは環菜が「辛い、心が折れそうだ、もう終わりだ、何もかもに疲れた‥‥」って言いながら絶望したような顔をしてたから逃げておいでって提案したんです。でもその詳しい理由は知らなくて。だから今は智行さんと結ばれて幸せそうで本当に良かったなって思ってます!』
そんなことがあったのかと、思わぬ話に先日の環菜の姿が目に浮かび胸が痛んだ。
おそらくプラハに来る前もあんなふうに1人で震えて耐えていたのだろう。
でも一体なにがあったのだろうか。
『ちなみにカタリーナさんは、日本にいる頃の環菜のこと何か知っていますか?僕が聞いても恥ずかしがって。ぜひ知らない一面も知りたいんですけどね』
婚約者の僕が知らないのは不自然だろうと思い、ワザとちょっと拗ねるような口調で話す。
『ふふふっ。確かに環菜はそうやって恥ずかしがるところありますもんね。でも残念ながら私も智行さんに教えてあげられるほど分からないわ。大学生の頃の話ならいっぱいできるんだけど』
どうやら2人はカナダで留学生活を共に過ごした後は、細々と繋がっていただけのようで、絆は強いものの細かいことは知らないようだった。
『いつもとても忙しそうな感じではありましたね。連絡を取る時は、自分の近況はあまり話せないのか、私の話や共通の友人の話、あとは世間話ばかりだったわ』
カタリーナさんからもこれ以上は聞き出せそうになく、僕は礼を言って電話を切った。
結局、肝心なことは一向にわからないままだった。
僕がそんなふうに秘密裏に情報収集をしている最中、さらに環菜は謎な行動に出る。
「桜庭さん、お疲れ様です。さっきあのカフェ行ってきましたけど、とりあえず三上さんは見かけなかったです。環菜さんも不審な人はいないって言ってましたよ」
「それなら良かった。渡瀬、気にかけてくれてありがとう」
渡瀬にも協力を持ちかけて以降、彼はなにかと気にかけてくれていて助かっている。
この前は大使館を出たあたりで三上さんを見かけたらしく、僕と遭遇する前に追い返してくれていた。
「そういえば環菜さんって眼鏡姿も可愛いですね!初めて見ましたけど似合ってましたよ!」
「‥‥眼鏡?」
何の話かよく分からず、首を傾げる。
渡瀬はそんな僕の様子には気付かなかったようでさらに言葉を続ける。
「桜庭さんとラブラブですねって言うと顔を赤くして照れてるし、そんな姿も眼福でした。家に帰るとあんな子がいるなんて、桜庭さんが羨ましすぎます!」
どうやらカフェで働く環菜が眼鏡をかけていたようだ。
(眼鏡なんて家でしてるの見たことないけど。なんでカフェで?目が悪いわけでもないようだけどな)
違和感しかない行動である。
タイミング的にもあの情緒不安定になった日の直後だから、なんとなくそれと関連があるのではと勘繰ってしまう。
「あぁ!話戻りますけど、三上さんと言えば、カフェでは見かけなかったんですけど、街ですれ違ったんですよ。そしたらニタニタ笑った怪しいアジア人の男と一緒で。なんか悪巧みしてそうな雰囲気だったんですよね」
渡瀬のこういう直感は馬鹿にできない。
特に悪巧みに関することには野生の勘が当たりやすいのだ。
「それ気になる情報だね。三上さんの父親が重役を務める会社は確か中国とパイプが強いから、もしそのアジア人の男が中国人なら、その男にとってメリットとなることを提示できるだろうし」
「なるほど!」
「ちょっと気になるから、そういうことを探るのが上手い知り合いに声かけてみるよ。情報提供ありがとう」
礼を述べ、僕はさっそく探偵業のようなことをしている知り合いに連絡をとった。
三上さんを尾行して探って欲しいこと、なにか企みが露見すれば証拠を掴んでおいて欲しいことを告げる。
知り合いは承諾すると、すぐに行動に移ってくれるようだった。
家での環菜はいつも通りの笑顔を向けてくるもののよそよそしい感じの態度が続いていた。
眼鏡姿を見かけることもない。
以前は家でも僕からスキンシップをしていたのだが、最近は環菜に触れることを躊躇してしまっていた。
触れたいと思う一方で、簡単に触れてはいけない気がしてしまうのだ。
それは環菜を特別な女性だと認識して意識してしまっているからだろうと思う。
あの抱きしめて一緒に眠った日、僕は環菜に対して初めて感じる感情を持ったし、もう手放せない、いや手放したくないと思った。
このまま婚約者役ではなく、本当に婚約者としてそばにいて欲しいといつの間にかそう望んでいるのだ。
だから、環菜が婚約者役であることを強調してくると、彼女はただ自分の役目を全うしてるだけで何も悪くないと分かっているのに、失望するのを止められなかった。
自分に好意を持たない相手を選んでおきながら自分勝手なのは重々承知しているのだが。
自分の部屋ではぁとため息をついた時、ちょうど電話が鳴り出した。
三上さんを探ってもらっている知り合いからだった。
何か分かったのかとすぐに電話に応じる。
「桜庭さん、当たりでしたよ」
「ということは‥‥」
「ええ、悪巧みしてました。たぶん桜庭さんの婚約者を狙ったことだと思いますよ」
「証拠はどうですか?」
「今それを準備しています。まずは一報です。詳細がもう少し分かり次第また連絡入れるんで」
「よろしくお願いします」
電話を切ると、このことを環菜に事前に知らせるかどうかで悩んだ。
知っていれば今よりも警戒ができるだろうが、闇雲に怖がらせるのは避けたい。
ただでさえ、つい先日あんなに怯えて震えるようなことがあったばかりなのだ。
環菜に被害が及ぶ前に僕が阻止すればいいのだから、今は知らせるべきではないだろう。
そう判断して、環菜には伝えずにいることにした。
環菜をあんな弱った姿にさせないように、僕が守らなければと思った。
それから数日後、一度仕事中の環菜の様子を確認しておこうとカフェに訪れた。
念のため店内をぐるりと見渡してみるが、三上さんの姿も、怪しい男の姿もなく、ホッとする。
渡瀬の言っていたとおり、少しタレ目がちな大きな瞳を隠すかのように環菜は眼鏡をかけていた。
それだけでおっとり癒し系な外見が少し違って見える。
眼鏡をかけている理由を問えば、トンチンカンな答えが返ってきて、明らかに何かおかしかった。
本当に言動が不可解だと首を捻りながら店を出ると、ちょうど電話がかかってきた。
あの探偵業の知り合いからだった。
「やっと証拠が得られました。これ聞いてください」
そう言うと、耳元からは盗聴したのであろう音声データが聞こえてくる。
そのあまりの内容と自分勝手さに怒りが湧き上がってきた。
「この企みいつ決行されるか分かります?」
「そこが聞き取れなかったんですよ。今見失ってしまったんで探してるところです。そんなに早々には動かないだろうとは思いますけど。また連絡します」
これで三上さんが何をしようとしているのかはハッキリした。
環菜を強姦させて薬漬けにしようとするなんて許せることではない。
二度と刃向かってこないように徹底的に恐怖に陥れてやりたいところだ。
具体的な計画日が分からずまだ動くことができない僕は、そのまま大使館に戻り夜まで仕事に勤しんだ。
20時半を過ぎた頃、突然電話が鳴り、相手は探偵業の知り合いからだ。
電話に出ると焦ったような声色をしている。
「桜庭さん、大変です!あいつら、今日あの企みを実行に移すみたいです。まさかこんなに早いとは」
「彼らは今どこに?」
「それがまた見失いまして、今必死で探しています。とりあえず桜庭さんには婚約者さんの近くに向かってもらった方がいいかもしれません」
「わかりました」
ちょうど仕事もひと段落ついたところだった。
急いで荷物をまとめると、まだ勤務中であろうカフェに向かい始める。
するとまた電話が鳴り出した。
「もしもし」
「渡瀬です。桜庭さん、今日って環菜さん勤務日ですか?まだ働いてます?」
午後はずっと外出していた渡瀬からだった。
渡瀬の声色もいつもの能天気な声とは違う、緊迫した空気がある。
「まだ働いてるはずだけど」
「やっぱり!実は今、この前話した三上さんと怪しい男を見かけて、それがあのカフェの方向だったから何か胸騒ぎがしたんですよ!」
そこで僕は探偵業の知り合いから得た情報を渡瀬に伝え、自分も今向かってることを話した。
渡瀬は驚愕すると、「桜庭さんが来るまで尾行して見張っておきます!」と語気を強めて協力を申し出てくれた。
急いでカフェの方へ向かい、渡瀬と途中合流した。
一足到着が遅く、その時にはすでに環菜とあの2人が外で接触してしまっていた。
いつものように三上さんが自分の主張を高飛車に話しており、隣の男はいやらしい目で環菜を舐め回すように見ているところだった。
その男の手が環菜へ向かって伸びてきたところを見るやいなや、僕はその場に姿を現して環菜を後ろから支えるように抱きとめた。
よくも環菜まで巻き込んでくれたなと怒りがふつふつと湧いてくるが、その怒りを笑顔の裏に隠して努めて冷静に接する。
冷静に冷静に獲物を仕留めるように追い詰め、証拠を突きつけ、やんわりと脅し、二度と歯向かわないようにしてやった。
三上さんから「優しいと思ってたのにそんな人だと思わなかった」というようなことを言われたが、勝手にそう解釈していたのはそちらだ。
こんな表面上の僕の笑顔だけを見て理想を抱く方が馬鹿なのだと言ってやりたいところだった。
何事か起こる前に無事に撃退し、渡瀬も帰っていき、その場に環菜と2人きりになった。
後ろから抱きしめていた身体を離され、「ああ今日も避けられるのか」と思っていたら、くるりと振り向いて正面からしがみつくように抱きしめられた。
予想外の環菜の行動に驚く。
さらに驚くべきは、仕草や振る舞い、そして僕を見つめる目が、ここ最近のよそよそしいものとは全く違うのだ。
まるで僕のことが好きで堪らないという気持ちが溢れ出したようなものだったのだ。
(これは外にいるから婚約者役をただ演じてくれてるだけ‥‥?それとも本当に僕のことを想ってくれてる‥‥?)
環菜の言動は本当に不可解だ。
何を思っているのか読み取れなかったが、たとえ婚約者役として演じてくれているだけでも、環菜に触れたくてたまらなかった。
僕はおでこ、まぶた、頬と、慎重に上から下へと順番にキスをしていく。
環菜は全く嫌がる素振りを見せない。
それを確認すると、唇にキスを落とす。
この時また予想外なことが起こった。
なんと環菜の方からも僕を求めるように、積極的にキスに応じてきたのだ。
夢中でという表現がしっくりくるほど、お互いに深く深く求め合う。
それを嬉しく感じたのは束の間だった。
なぜなら家に帰ると、さっきまでの甘い空気は幻だったかのように消えたのだ。
環菜の振る舞いも、僕のことをなんとも思っていないものに戻っている。
やはりあれは役になりきっていただけなのだろうか。
それなら婚約者役を演じている環菜でもいいから、僕を好きな気持ちで溢れたあの状態の彼女とせめてもっと一緒にいたい。
そこで僕はある提案を環菜に持ちかけたーー。
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会社での厳しい上司と、二人きりの時の可愛い人。そのギャップを知ってしまったら、もう、ただの上司だなんて思えない。
これは、美味しいご飯から始まる、少し大人で、甘くて温かいオフィスラブ。
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※エブリスタさまにも掲載
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