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#21. 可愛い彼女(Side智行)
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カルロヴィバリへの旅行で束の間を休暇を楽しむと、その後僕は仕事に忙殺される日々となった。
12月頭に日本で開催される国際会議に向けての事前準備が立て込み始めたのだ。
深夜に帰宅することも多く、家で環菜と顔を合わせる機会も減っていた。
ただ、情報収集のためにレセプションパーティーに参加することは増え、パートナー同伴のものは環菜にも協力してもらっている。
相変わらず完璧な振る舞いを見せる環菜は、出席している要人から信頼を得て、見事に社交をこなしていた。
ある時のレセプションパーティーでは、以前僕がいつもパートナーをお願いしていた商工会の元会長夫人と出会した。
彼女は好奇心に溢れた笑みを浮かべて僕たちに近づいてくると、環菜と熱心に日本語で会話をしていた。
環菜が飲み物を取りに席を外すと、今度は僕に目を向け、満足げな表情を浮かべる。
「彼女、とっても良い子じゃないの。容姿だけでなく、しっかり芯のある中身のある子ね。立ち振る舞いも素晴らしいし」
「ええ、そうですね」
「あなたもやっと真剣な相手を見つけたのね。なんだか私安心しちゃったわ」
毎回パートナーをお願いするたびに、この元会長夫人からは心配されていたのだ。
相手を紹介しようかとお節介を焼かれそうになったことも数知れずだった。
「真剣だって分かるんですか?」
「そりゃあ、あなたの態度を見ていればね。他の女性に向けるものと全然違うじゃないの。一目瞭然よ。あなたは物腰柔らかくてにこやかなのに、なんとなく人に興味がない感じがしたけど、彼女に対しては目線も仕草も甘々よ。自覚ないのかしら?」
そう言われ、そんなに態度に出てしまっているだろうかと驚いた。
第三者から見てそんなにバレてしまうほどなのは、隙になるから抑えなければなと思った。
「それにしても彼女、誰かに似てるのよね。見たことがあるような気がして。誰だったかしら?」
元会長夫人が最後にそうポツリとつぶやいたタイミングで、環菜が飲み物のグラスを持って戻ってきた。
環菜がこうやって自分で飲み物を取りに行くのは、おそらく以前襲われた時の影響だろう。
知らない間に睡眠薬を盛られていたことがあると話されたあの話は、今思い出しても相手に復讐してやりたいと腹が立つ。
最近では僕から渡すものは受け取ってくれるので、少しは心を許してくれているのだろうと嬉しく思っていた。
「本当に2人は仲睦まじくて羨ましいわ。お互いを想い合ってるのが伝わってくるもの。私と亡くなった主人のようよ。いつ相手がいなくなってしまうか分からないんだから、素直に気持ちを伝え合って、いつまでも仲良くするのよ?」
元会長夫人は、ご主人である亡くなった会長を思い出しているのだろう。
少し目を潤ませて僕たちを交互に見やると、そんな言葉を残して、他の方に呼ばれてそちらに行ってしまった。
「ご夫人の言葉はすごく胸に沁みるね。私も早くに家族を亡くしたから、おっしゃりたいことがすごく分かる気がする‥‥」
元会長夫人の言葉を噛み締めるように反芻している環菜の瞳も少し濡れている。
環菜も亡くなった家族に思いを馳せているのだろう。
僕はそっと環菜の腰に手を回し、寄り添うように引き寄せた。
環菜もそれに抵抗することなく身を任せ、寄りかかるように僕に身体を預けてきた。
そして「ありがとう」と言うように、僕を見上げると柔らかに微笑む。
こんなふうに僕たちの距離がより近くなったのは、あの旅行がキッカケだろう。
あの旅行は本当にまるでお互いを心底思い合っている恋人そのもののようだったからだ。
環菜がお詫びをしたいと言っていた言葉を利用して、婚約者役を演じている環菜でもいいから、僕を好きな気持ちで溢れた彼女と過ごしたいと、あの旅行を持ちかけた。
旅行に行ったことがないから職場で怪しまれているとかは全部ただの嘘だ。
人目があるから旅行中は婚約者のフリをずっとして欲しいと言ったのも、ただその状態の環菜と過ごしたかっただけのこと。
躊躇しているようだったから、負けず嫌いな環菜にわざと「できる?」と問いかけて承諾させたのだ。
宿泊するホテルも、環菜にはツインを予約したと言いつつ、実は最初からダブルで予約しておいたのだった。
旅行中の環菜は予想以上の役への入り込み具合で、どこでなにをしていても、僕を好きな気持ちを全開に溢れ出させていた。
その瞳も、声、仕草も、態度もすべてが僕を好きだと言っていたのだ。
家にいる時の僕に全く興味がないであろう環菜とは大違いで、彼女は本当に演じるのが上手いし好きなのだなと心底感心した。
ただ、まさかベッドの中でまで演じてくれるとは思わなかったから驚いたが。
ホテルのベッドはダブルにしたものの、別に最初から環菜を抱こうとは考えていなかった。
また拷問みたいな状態になるかもしれないが、あの時みたいに同じベッドで一緒に寝たいと思っていただけだ。
女性とホテルで2人きりなんてこれまでも何度も経験した状況だというのに、環菜がシャワーを浴びに行ってしまうと、妙に緊張した。
だから気を紛らわすために、ルームサービスでお酒を注文して飲んでいたのだが、バスルームから出てきた環菜はそれを見て、一口味見をするとさっさとベッドに行ってしまったのだ。
バスローブに身を包み、シャンプーの香りを漂わせた環菜の残り香だけがその場に残った。
(まぁそうだよね。演じている環菜にとっては別にそんな気はないだろうし。変に意識してる僕の方がどうかしてるな。僕もさっさとベッドに行こう)
グラスに残ったお酒を飲み干すと、環菜が眠っている反対側のベッドに滑り込む。
僕に背を向けて眠っているらしい環菜に、「もう寝た?」と一応声をかけてみると、まだ起きていたらしく返事があった。
抱きしめるくらいなら良いかと思い、背後から身体に腕を回して抱き寄せる。
すると環菜は一瞬身じろぎし、頭だけ動かしてこちらを振り返った。
目が合った瞬間に、「あぁダメだ」と後悔した。
やはり抱きしめるだけでは止められず、そのまま唇を奪った。
意外なことに環菜は全く抵抗を示さず、僕のキスに応じ、そのことがますます僕の火をつけた。
こうなればもう後には引けず、キスでは飽き足らずに環菜の上に覆い被さって首筋にキスをして赤い花を咲かせ、肌に這わせる手や唇はどんどん下へと向かっていく。
胸の膨らみに手を伸ばそうとした時、一瞬だけ理性が戻り、「止めるなら今だ」と思った。
ここを過ぎるともう本能のままに、僕は止められなくなるだろうと確信があった。
だから環菜に聞いたのだ。
「いい?」と。
さすがに抵抗されるだろうなと思っていたのだが、環菜は熱を浮かべた瞳で僕を見つめながら、小さく頷いたのだ。
それを合図に、そこからはもうただただ環菜を味わうように隅々まで指先と唇で触れ、白く滑らかな肌を堪能した。
環菜のタレ目がちな瞳はとろけるように潤み、ぷっくりとした唇からは甘い息と声が漏れ、僕を興奮させる。
正直なところ、こういう行為の経験は少なくない方だと思うが、こんなに気持ちを昂らせながら、自分から動き、相手を感じさせたいと行為に没頭したのは初めてだった。
途中から、これが環菜にとっては婚約者のフリの一環であることすら忘れていた。
それを思い出したのは、行為が終わって、環菜がそのまま寝入ってしまい、スヤスヤと静かな寝息を立て始めた時である。
環菜はなぜか拒否しなかったけど、本来の環菜は僕には全く興味も好意もないんだったと、家で接する環菜の姿が脳裏に蘇った。
(このまま、演じていない時の環菜も僕を好きになってくれないかな。自分から頼んでおいてそんな願いは都合よすぎるよなぁ‥‥)
せめて今だけはと思い、眠る環菜を腕の中に閉じ込める。
そのまま環菜の体温を感じながら、僕も眠りについたのだった。
「ねぇ、さっきご夫人から、今まではいつも智くんのパートナーを頼まれてたって聞いたんだけど本当?過去の恋人には頼まなかったの?」
僕に身を預けて寄りかかっていた環菜に、ふいにそう声をかけられて、あの日の出来事を思い出していた僕の意識が引き戻される。
ちょうどあの夜を思い出していたこともあり、パーティーの最中だというのに、手に触れている環菜の身体の柔らかさに生々しさを感じ、また昂りを覚える。
理性で落ち着け、ニッコリといつも通りの笑顔を作った。
「ご夫人がそんな話までしたんだ。全部本当だよ」
「なんで?女避けが必要なほど女性にモテるんだから、選びたい放題、頼みたい放題なんじゃないの?」
「なに?またヤキモチ?」
過去のことを聞かれても、今思うと碌な付き合いをしてなかったと思っているため、話すのが
憚られた。
だから僕ははぐらかすように環菜をからかった。
あの旅行の時の環菜の嫉妬は、忘れられないぐらい可愛かったのだ。
女性に嫉妬されるのは面倒だとしか思ったことがなかったのに、可愛いと思う嫉妬があるとは新たな発見でもあった。
つまりは、本当に好きな相手にだったら、嫉妬されるのも嬉しいということなのだろう。
「もう!またからかってるでしょ?もういい!聞いた私が間違ってた」
「ごめん、ごめん。まぁ簡単に言うと、環菜ほど愛してる人がいなかっただけだよ」
「‥‥!」
一瞬驚いたように目を丸くする環菜を見て、なんだかもっと触れたくなり、僕は赤く染まる頬にチュッと軽く唇を寄せたのだった。
そんな仕事とレセプションパーティーをこなす忙しい日々はあっという間に過ぎていき、気付けば11月下旬となっていた。
来週には国際会議のために日本へ一時帰国することになっている。
2週間ほど滞在する予定だから、こちらに戻ってくるのはクリスマス前くらいだろう。
環菜ともしばらく会えなくなる。
僕がいない間にまた変な男に狙われないか心配だなと思った。
その日は久しぶりに仕事が早く終わったので、家で環菜と夕食を一緒に食べようと、足早に職場をあとにする。
トラムに乗り、なんとはなしに外を眺めていると、見知った姿が目に入った。
カフェでの仕事終わりであろう環菜だった。
しかし、すぐに環菜だけではないことにも気付く。
一緒にいるのは、30代後半くらいの知的な雰囲気のある日本人男性だった。
2人は立ったまま向かい合い、何かを言い合っている。
激しく口論と言う感じではないものの、なんとなく穏やかではない空気感で、珍しく環菜が感情的になっているようだった。
(あれは‥‥?ナンパされているという感じでもないし、なんとなく2人は知り合いのようだけど。もしかして環菜の昔の恋人‥‥?)
胸にザワザワとざわめきが起きる。
気になってトラムの中から2人の様子を目で追っていると、その場を去ろうとする環菜を止めるように男性の方が環菜の手首を掴む。
その制止も力一杯振り払うと、環菜は振り向きもしないでそのまま逃げるように去って行った。
男性はその場で立ち止まったまま、環菜の後ろ姿を目で追っている。
ちょうどトラムが停留所に留まり、家の最寄りの停留所ではなかったが、僕は思わず降車するとその男性に向かって歩き出す。
男性はさっきの場所でまだ立ち尽くしていて、僕はその後ろ姿に日本語で声をかけた。
「あの、すみません」
日本語が聞こえてきたことに驚いたのか、一瞬身体を震わせると、彼はこちらを振り向いた。
やはり知的な雰囲気のある整った顔立ちの男性で、物腰の柔らかそうな感じがした。
「え?僕でしょうか?すみません、僕はここに住んでいるわけではないので、道を聞かれても分からないんですが」
同じ日本人から道案内を頼まれると勘違いしたのだろう。
彼は困った顔を僕に向けた。
「いえ、道を伺いたかったわけではないんです。僕が声をかけたのは、先程一緒にいらっしゃった女性についてご質問したくて」
「アキですか?」
彼の言葉に一瞬眉をひそめる。
聞き慣れない呼び名で、一瞬誰のことかと思ったのだが、そういえば環菜の名字が秋月だったことを思い出す。
「‥‥アキ?ああ、秋月環菜だからアキなんですね。初めてその呼び方を聞きました。僕も環菜と知り合いなんですが、あなたはどのようなお知り合いなんですか?」
「え?‥‥環菜と知り合い?」
彼は驚くように僕の顔を凝視する。
なぜこんなに驚かれるのか不思議だった。
「失礼ですが、あなたはこちらにお住まいの方なんですか?それも結構長くいらっしゃったり?」
「ええ、そうですね。もう4年目です。それがどうかしましたか?」
「なるほど。どうりで。いえ、失礼しました。アキ、いえ、環菜とは昔仕事を一緒にしていた時の知り合いです」
年齢的に職場が同じであれば、彼は上司にあたるはずだ。
なのに彼の口ぶりからは、環菜を部下として扱っていたような感じがしないことに違和感を覚える。
(上司と部下でないなら、取引先とか?それにしては親しい感じがするしな。いずれにしても、今まで会った人の中で日本にいた頃の環菜を一番知っていそうな人だし、聞き出してみるか。あの情緒不安定になっていた理由も分かるかもしれない)
「仕事ですか。ちなみに、何のお仕事ですか?」
「‥‥環菜から聞いていらっしゃらないですか?それなら僕からはなんとも。申し訳ありませんが、本人に聞いてください」
すげなく口を閉ざされた。
なんというか、環菜同様にガードの堅い男性だ。
そのあとも探りを入れてみるものの、のらりくらりとかわされて、何も聞き出すことができなかった。
情報の取り扱いに長けたなかなかやり手の男だと、この人に対する評価を上向きに軌道修正させる。
「では、すみません。僕は飛行機の時間もありますので、そろそろ失礼させて頂きます。とりあえずアキが元気で良かったです。アキをよろしくお願いします」
なぜか彼から環菜をお願いされ、その男性は僕の前から去って行った。
(環菜に恋愛感情があるとかそういう感じではなかったな。まるで環菜の親か兄みたいな雰囲気だったけど。でも仕事関係って言ってたしなぁ)
声をかけて聞いてみたはいいが、大して情報も得られず、逆に分からないことが増えた気がした。
とりあえず帰って環菜に聞いてみるべきだなと考え、再びトラムに乗ると、僕は家へと急いだ。
12月頭に日本で開催される国際会議に向けての事前準備が立て込み始めたのだ。
深夜に帰宅することも多く、家で環菜と顔を合わせる機会も減っていた。
ただ、情報収集のためにレセプションパーティーに参加することは増え、パートナー同伴のものは環菜にも協力してもらっている。
相変わらず完璧な振る舞いを見せる環菜は、出席している要人から信頼を得て、見事に社交をこなしていた。
ある時のレセプションパーティーでは、以前僕がいつもパートナーをお願いしていた商工会の元会長夫人と出会した。
彼女は好奇心に溢れた笑みを浮かべて僕たちに近づいてくると、環菜と熱心に日本語で会話をしていた。
環菜が飲み物を取りに席を外すと、今度は僕に目を向け、満足げな表情を浮かべる。
「彼女、とっても良い子じゃないの。容姿だけでなく、しっかり芯のある中身のある子ね。立ち振る舞いも素晴らしいし」
「ええ、そうですね」
「あなたもやっと真剣な相手を見つけたのね。なんだか私安心しちゃったわ」
毎回パートナーをお願いするたびに、この元会長夫人からは心配されていたのだ。
相手を紹介しようかとお節介を焼かれそうになったことも数知れずだった。
「真剣だって分かるんですか?」
「そりゃあ、あなたの態度を見ていればね。他の女性に向けるものと全然違うじゃないの。一目瞭然よ。あなたは物腰柔らかくてにこやかなのに、なんとなく人に興味がない感じがしたけど、彼女に対しては目線も仕草も甘々よ。自覚ないのかしら?」
そう言われ、そんなに態度に出てしまっているだろうかと驚いた。
第三者から見てそんなにバレてしまうほどなのは、隙になるから抑えなければなと思った。
「それにしても彼女、誰かに似てるのよね。見たことがあるような気がして。誰だったかしら?」
元会長夫人が最後にそうポツリとつぶやいたタイミングで、環菜が飲み物のグラスを持って戻ってきた。
環菜がこうやって自分で飲み物を取りに行くのは、おそらく以前襲われた時の影響だろう。
知らない間に睡眠薬を盛られていたことがあると話されたあの話は、今思い出しても相手に復讐してやりたいと腹が立つ。
最近では僕から渡すものは受け取ってくれるので、少しは心を許してくれているのだろうと嬉しく思っていた。
「本当に2人は仲睦まじくて羨ましいわ。お互いを想い合ってるのが伝わってくるもの。私と亡くなった主人のようよ。いつ相手がいなくなってしまうか分からないんだから、素直に気持ちを伝え合って、いつまでも仲良くするのよ?」
元会長夫人は、ご主人である亡くなった会長を思い出しているのだろう。
少し目を潤ませて僕たちを交互に見やると、そんな言葉を残して、他の方に呼ばれてそちらに行ってしまった。
「ご夫人の言葉はすごく胸に沁みるね。私も早くに家族を亡くしたから、おっしゃりたいことがすごく分かる気がする‥‥」
元会長夫人の言葉を噛み締めるように反芻している環菜の瞳も少し濡れている。
環菜も亡くなった家族に思いを馳せているのだろう。
僕はそっと環菜の腰に手を回し、寄り添うように引き寄せた。
環菜もそれに抵抗することなく身を任せ、寄りかかるように僕に身体を預けてきた。
そして「ありがとう」と言うように、僕を見上げると柔らかに微笑む。
こんなふうに僕たちの距離がより近くなったのは、あの旅行がキッカケだろう。
あの旅行は本当にまるでお互いを心底思い合っている恋人そのもののようだったからだ。
環菜がお詫びをしたいと言っていた言葉を利用して、婚約者役を演じている環菜でもいいから、僕を好きな気持ちで溢れた彼女と過ごしたいと、あの旅行を持ちかけた。
旅行に行ったことがないから職場で怪しまれているとかは全部ただの嘘だ。
人目があるから旅行中は婚約者のフリをずっとして欲しいと言ったのも、ただその状態の環菜と過ごしたかっただけのこと。
躊躇しているようだったから、負けず嫌いな環菜にわざと「できる?」と問いかけて承諾させたのだ。
宿泊するホテルも、環菜にはツインを予約したと言いつつ、実は最初からダブルで予約しておいたのだった。
旅行中の環菜は予想以上の役への入り込み具合で、どこでなにをしていても、僕を好きな気持ちを全開に溢れ出させていた。
その瞳も、声、仕草も、態度もすべてが僕を好きだと言っていたのだ。
家にいる時の僕に全く興味がないであろう環菜とは大違いで、彼女は本当に演じるのが上手いし好きなのだなと心底感心した。
ただ、まさかベッドの中でまで演じてくれるとは思わなかったから驚いたが。
ホテルのベッドはダブルにしたものの、別に最初から環菜を抱こうとは考えていなかった。
また拷問みたいな状態になるかもしれないが、あの時みたいに同じベッドで一緒に寝たいと思っていただけだ。
女性とホテルで2人きりなんてこれまでも何度も経験した状況だというのに、環菜がシャワーを浴びに行ってしまうと、妙に緊張した。
だから気を紛らわすために、ルームサービスでお酒を注文して飲んでいたのだが、バスルームから出てきた環菜はそれを見て、一口味見をするとさっさとベッドに行ってしまったのだ。
バスローブに身を包み、シャンプーの香りを漂わせた環菜の残り香だけがその場に残った。
(まぁそうだよね。演じている環菜にとっては別にそんな気はないだろうし。変に意識してる僕の方がどうかしてるな。僕もさっさとベッドに行こう)
グラスに残ったお酒を飲み干すと、環菜が眠っている反対側のベッドに滑り込む。
僕に背を向けて眠っているらしい環菜に、「もう寝た?」と一応声をかけてみると、まだ起きていたらしく返事があった。
抱きしめるくらいなら良いかと思い、背後から身体に腕を回して抱き寄せる。
すると環菜は一瞬身じろぎし、頭だけ動かしてこちらを振り返った。
目が合った瞬間に、「あぁダメだ」と後悔した。
やはり抱きしめるだけでは止められず、そのまま唇を奪った。
意外なことに環菜は全く抵抗を示さず、僕のキスに応じ、そのことがますます僕の火をつけた。
こうなればもう後には引けず、キスでは飽き足らずに環菜の上に覆い被さって首筋にキスをして赤い花を咲かせ、肌に這わせる手や唇はどんどん下へと向かっていく。
胸の膨らみに手を伸ばそうとした時、一瞬だけ理性が戻り、「止めるなら今だ」と思った。
ここを過ぎるともう本能のままに、僕は止められなくなるだろうと確信があった。
だから環菜に聞いたのだ。
「いい?」と。
さすがに抵抗されるだろうなと思っていたのだが、環菜は熱を浮かべた瞳で僕を見つめながら、小さく頷いたのだ。
それを合図に、そこからはもうただただ環菜を味わうように隅々まで指先と唇で触れ、白く滑らかな肌を堪能した。
環菜のタレ目がちな瞳はとろけるように潤み、ぷっくりとした唇からは甘い息と声が漏れ、僕を興奮させる。
正直なところ、こういう行為の経験は少なくない方だと思うが、こんなに気持ちを昂らせながら、自分から動き、相手を感じさせたいと行為に没頭したのは初めてだった。
途中から、これが環菜にとっては婚約者のフリの一環であることすら忘れていた。
それを思い出したのは、行為が終わって、環菜がそのまま寝入ってしまい、スヤスヤと静かな寝息を立て始めた時である。
環菜はなぜか拒否しなかったけど、本来の環菜は僕には全く興味も好意もないんだったと、家で接する環菜の姿が脳裏に蘇った。
(このまま、演じていない時の環菜も僕を好きになってくれないかな。自分から頼んでおいてそんな願いは都合よすぎるよなぁ‥‥)
せめて今だけはと思い、眠る環菜を腕の中に閉じ込める。
そのまま環菜の体温を感じながら、僕も眠りについたのだった。
「ねぇ、さっきご夫人から、今まではいつも智くんのパートナーを頼まれてたって聞いたんだけど本当?過去の恋人には頼まなかったの?」
僕に身を預けて寄りかかっていた環菜に、ふいにそう声をかけられて、あの日の出来事を思い出していた僕の意識が引き戻される。
ちょうどあの夜を思い出していたこともあり、パーティーの最中だというのに、手に触れている環菜の身体の柔らかさに生々しさを感じ、また昂りを覚える。
理性で落ち着け、ニッコリといつも通りの笑顔を作った。
「ご夫人がそんな話までしたんだ。全部本当だよ」
「なんで?女避けが必要なほど女性にモテるんだから、選びたい放題、頼みたい放題なんじゃないの?」
「なに?またヤキモチ?」
過去のことを聞かれても、今思うと碌な付き合いをしてなかったと思っているため、話すのが
憚られた。
だから僕ははぐらかすように環菜をからかった。
あの旅行の時の環菜の嫉妬は、忘れられないぐらい可愛かったのだ。
女性に嫉妬されるのは面倒だとしか思ったことがなかったのに、可愛いと思う嫉妬があるとは新たな発見でもあった。
つまりは、本当に好きな相手にだったら、嫉妬されるのも嬉しいということなのだろう。
「もう!またからかってるでしょ?もういい!聞いた私が間違ってた」
「ごめん、ごめん。まぁ簡単に言うと、環菜ほど愛してる人がいなかっただけだよ」
「‥‥!」
一瞬驚いたように目を丸くする環菜を見て、なんだかもっと触れたくなり、僕は赤く染まる頬にチュッと軽く唇を寄せたのだった。
そんな仕事とレセプションパーティーをこなす忙しい日々はあっという間に過ぎていき、気付けば11月下旬となっていた。
来週には国際会議のために日本へ一時帰国することになっている。
2週間ほど滞在する予定だから、こちらに戻ってくるのはクリスマス前くらいだろう。
環菜ともしばらく会えなくなる。
僕がいない間にまた変な男に狙われないか心配だなと思った。
その日は久しぶりに仕事が早く終わったので、家で環菜と夕食を一緒に食べようと、足早に職場をあとにする。
トラムに乗り、なんとはなしに外を眺めていると、見知った姿が目に入った。
カフェでの仕事終わりであろう環菜だった。
しかし、すぐに環菜だけではないことにも気付く。
一緒にいるのは、30代後半くらいの知的な雰囲気のある日本人男性だった。
2人は立ったまま向かい合い、何かを言い合っている。
激しく口論と言う感じではないものの、なんとなく穏やかではない空気感で、珍しく環菜が感情的になっているようだった。
(あれは‥‥?ナンパされているという感じでもないし、なんとなく2人は知り合いのようだけど。もしかして環菜の昔の恋人‥‥?)
胸にザワザワとざわめきが起きる。
気になってトラムの中から2人の様子を目で追っていると、その場を去ろうとする環菜を止めるように男性の方が環菜の手首を掴む。
その制止も力一杯振り払うと、環菜は振り向きもしないでそのまま逃げるように去って行った。
男性はその場で立ち止まったまま、環菜の後ろ姿を目で追っている。
ちょうどトラムが停留所に留まり、家の最寄りの停留所ではなかったが、僕は思わず降車するとその男性に向かって歩き出す。
男性はさっきの場所でまだ立ち尽くしていて、僕はその後ろ姿に日本語で声をかけた。
「あの、すみません」
日本語が聞こえてきたことに驚いたのか、一瞬身体を震わせると、彼はこちらを振り向いた。
やはり知的な雰囲気のある整った顔立ちの男性で、物腰の柔らかそうな感じがした。
「え?僕でしょうか?すみません、僕はここに住んでいるわけではないので、道を聞かれても分からないんですが」
同じ日本人から道案内を頼まれると勘違いしたのだろう。
彼は困った顔を僕に向けた。
「いえ、道を伺いたかったわけではないんです。僕が声をかけたのは、先程一緒にいらっしゃった女性についてご質問したくて」
「アキですか?」
彼の言葉に一瞬眉をひそめる。
聞き慣れない呼び名で、一瞬誰のことかと思ったのだが、そういえば環菜の名字が秋月だったことを思い出す。
「‥‥アキ?ああ、秋月環菜だからアキなんですね。初めてその呼び方を聞きました。僕も環菜と知り合いなんですが、あなたはどのようなお知り合いなんですか?」
「え?‥‥環菜と知り合い?」
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なぜこんなに驚かれるのか不思議だった。
「失礼ですが、あなたはこちらにお住まいの方なんですか?それも結構長くいらっしゃったり?」
「ええ、そうですね。もう4年目です。それがどうかしましたか?」
「なるほど。どうりで。いえ、失礼しました。アキ、いえ、環菜とは昔仕事を一緒にしていた時の知り合いです」
年齢的に職場が同じであれば、彼は上司にあたるはずだ。
なのに彼の口ぶりからは、環菜を部下として扱っていたような感じがしないことに違和感を覚える。
(上司と部下でないなら、取引先とか?それにしては親しい感じがするしな。いずれにしても、今まで会った人の中で日本にいた頃の環菜を一番知っていそうな人だし、聞き出してみるか。あの情緒不安定になっていた理由も分かるかもしれない)
「仕事ですか。ちなみに、何のお仕事ですか?」
「‥‥環菜から聞いていらっしゃらないですか?それなら僕からはなんとも。申し訳ありませんが、本人に聞いてください」
すげなく口を閉ざされた。
なんというか、環菜同様にガードの堅い男性だ。
そのあとも探りを入れてみるものの、のらりくらりとかわされて、何も聞き出すことができなかった。
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「では、すみません。僕は飛行機の時間もありますので、そろそろ失礼させて頂きます。とりあえずアキが元気で良かったです。アキをよろしくお願いします」
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