幸薄令嬢リースベットは絶賛困惑中 〜拗らせ公爵の滾る愛は分かりにくい〜

美並ナナ

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05. 新生活の始まり

「お嬢様、ご結婚おめでとうございます」

「どうぞお身体を大切にお過ごしくださいませ」

「使用人仕事のことはご安心ください」


 夜が明け、昼になり、あっという間にリースベットが屋敷から去る時がやってきた。

 慌ただしく荷物をまとめ、これまで担当していた仕事について他の使用人たちへの引継ぎを行い、なんとか済ませておくべきことを所定の時間内で終えることができた。

 先程迎えの馬車が到着し、今は公爵家の御者が荷物を運び込んでくれている。

 その間にリースベットは、見送りに来てくれた懇意にしている使用人たちと最後の挨拶を交わしていた。

 本当の家族よりも、使用人たちの方がよほど心の距離が近い。

 特に二年前から執事の一人として父を補佐しているカミロには随分良くしてもらった。

 リースベットが家族と鉢合わせないようこっそり予定を教えてくれたりしたので本当に助かった。

 それにより理不尽な目に遭う事態を何度も回避できたように思う。

 そんな彼ら使用人の言葉を受け、今更ながら別離を実感し、リースベットはヘーゼルの瞳にうっすら涙を浮かべた。


「……そろそろ出発するが、構わないか?」


 その時、ふいにリースベットの背後から声が掛かる。

 振り向くと、そこにはリースベットよりも頭一つ分くらい背の高い、スラリと長身の男性が佇んでいた。

「シ、シャロック公爵様……!?」

 この場にいるとは思っていなかった人物の登場に、リースベットは目を瞬く。

 公爵家から来た馬車は二台だった。

 そのうち一台は荷物用。そしてもう一台にリースベットが乗る予定だと御者からは聞いていた。

 てっきり一人で乗るのだと思っていたが、どうやら公爵が中にすでにいて、リースベットはそこに後から乗り込むことになっていたようだ。

 自分のせいで公爵をお待たせしてしまったかもしれない、とリースベットはにわかに焦った。

「お初にお目にかかります。リースベット・エイムズと申します。ご挨拶もできておらず、またお待たせしてしまい誠に申し訳ございません。はい、問題ございません」

「それなら馬車に乗ってくれ」

「はい……!」

 シャロック公爵はチラリと使用人たちに目線をやる。

 ペコリと頭を下げた使用人の姿を流し見た後、その場を少しだけ見回し、何事もなかったかのように馬車の中へ戻って行った。

 慌ててリースベットもその背中を追いかけ、馬車に乗り込んだ。

 そして中を見渡して衝撃を受けた。

 さすが公爵家だと感嘆してしまう上質な馬車だったからだ。

 まったく窮屈さ感じない広々とした空間、初めて体験する座り心地の良い席に驚きを隠せない。

 ……こ、これが公爵家。さすが王家とも血縁にある名家だけあって格が違うわ。

 昨日急遽結婚が決まり、つい先程までは屋敷を出るまでに終わらせておくべきことで頭がいっぱいだった。

 でもそれが終わった今、今度はこれからの生活への不安が胸に押し寄せてくる。

 生活レベルの差を目の当たりにして、その不安は増大したような気がした。


「……君のご両親は見送りに来ていなかったようだが?」

 公爵家所有の馬車の素晴らしさに目を奪われていると、向かい側の席に座るシャロック公爵がリースベットに話し掛けた。

 問われた内容にギクリとしつつ、リースベットは控えめな笑みを浮かべる。

「その、本日はどうしても外せない用事があったようで屋敷を不在にしていたのです。別れの挨拶は昨夜のうちに済ませております」

 伯爵家の醜聞にもなりかねないため、不仲であることはさすがに言えない。

 代わりに当たり障りのない言い訳を告げた。

 ……別れの挨拶どころか、昨夜は修羅場だったけれど……。

 芋づる式に昨夜の出来事が脳裏をよぎり、なんだか頬の痛みまで蘇ってくる。

 あの後すぐに氷で冷やしたので、今は腫れていないはずだ。

 そんなことを思い出していると、気のせいかシャロック公爵の視線を感じた。

 俯きがちだった顔を少し上げて、公爵の様子を窺う。

 公爵は検分するかのようにリースベットの顔をじっと見つめているようだった。

 だが、リースベットと目が合うと、たちまち不快そうに眉をしかめ、ふいっと顔を背けてしまった。

 ……容姿を確認されていたのかしら。そしてこの反応――おそらくお眼鏡にかなわなかったということだわ……。

 最初から分かりきっていたこととはいえ、これほどハッキリ態度で示されると多少傷つく。

 やはり義母の言う通りなのだなと実感した。

 『多産の血筋』を引く、今すぐ婚姻可能な令嬢という点しか、シャロック公爵にとって価値がないのだと改めて突きつけられる。


「…………………」

「…………………」


 二人きりの空間に重苦しい沈黙が流れた。

 これから夫婦になるというのに、ほとんど初対面に近いシャロック公爵に対して何を話せば良いのかまったく分からない。

 人間離れした美貌を持つ公爵は、その容姿のせいかどこか近寄り難い雰囲気がある。

 加えて、リースベットから視線を外したまま腕を組んで難しい表情を浮かべているため、余計に話し掛けづらかった。

 でも夫婦になるのだから、このままではいけない、とリースベットは勇気を振り絞る。

 愛のない政略結婚とはいえ、せめて義務的にでも会話ができるくらいの関係にはなりたいという思いがあった。


「あ、あの、シャロック公爵様……」


 思い切って発した声は、しんと静まった馬車の中で想像以上に大きく響いた。

 窓の外を眺めていたシャロック公爵がリースベットの方へ視線を向ける。

 色気が潜んだ灰色の瞳に見据えられ、思わずドキリとした。

 緊張感も入り混じり、心臓が早鐘を打つ。


「あの、えっと、こちらの馬車ですが――……」

 ゴクリと唾を呑み込み、再び口を開いたが、リースベットは最後までその言葉を続けられなかった。

 なぜならば、シャロック公爵が途中で遮り、ポツリとつぶやいたからだ。


「アイゼル」

「えっ?」

 それは囁くような小さな声だった。

 正確に聞き取れなかったリースベットは、反射的に小首を傾げ聞き返す。

 それを受け、今度はハッキリとした声でシャロック公爵が述べる。

「……俺のことは家名ではなく、名前で呼んでくれ」

「お名前で、ですか?」

「君も今日からシャロックになるのだから紛らわしいだろう?」

 公爵の口調は、昨日盗み聞きした時よりも砕けたものだった。

 一人称も『私』から『俺』に変わっている。

 ……これは公爵様も少しは夫婦として歩み寄ろうとしてくださってるということかしら。

 もしそうであれば素直に嬉しいと思う。

 リースベットは緊張で強張っていた顔を緩め、少しだけ肩の力を抜いた。

 そして歩み寄りの一歩として提示された案に応える。

「……ア、アイゼル様、でよろしいですか?」

 公爵家当主という、リースベットからすればはるかに目上の尊い身の上の方。

 そんなシャロック公爵を名前で呼ばせてもらうなど非常に恐れ多いことだ。

 恐る恐るといった様子で名前を口にするリースベットの声が若干震えていたのは、もっともなことであった。


「………それでいい」

 名前を呼ばれたアイゼルの返答はというと、実に素っ気ない。

 それでも多少の会話が成り立ったことにリースベットは大いに安堵した。

 アイゼルが会話を厭っているわけではないことが窺えたため、さらに言葉を重ねてみる。


「よ、よろしければ、私のこともどうぞリースベットとお呼びください」

「分かった」

「あの、こちらの馬車ですが、今どちらへ向かっているのでしょうか?」

「教会だ」

「教会、ですか?」

「婚姻届を提出しに立ち寄った後、公爵邸に向かう段取りになっている」

 ルーカリオス王国では、両者のサインが入った婚姻届を教会へ提出することで結婚が成立する。

 ただし、教会での挙式と同時に婚姻届を提出する方法が一般的だ。

 今回のように、婚約期間もなく、婚姻届を提出するだけというのは極めて珍しかった。

 だが、異例なだけであって、確かに法律上はなんの問題もない。

 ……公爵家の都合、ってお父様もおっしゃっていたわね。

 リースベットは、盗み聞きした際アイゼルが「すぐに結婚できる令嬢を求めている」と口にしていたのをふいに思い出した。

 察するに、当主の義務を果たすべく、一刻も早く子が欲しいのだろう。

 『多産の血筋』にあやかるほど、アイゼルは真剣かつ本気なのだと、リースベットは暗黙のうちに理解した。

 ……私、その期待に応えられるかしら。

 これからの生活への不安に加えて、自身に求められた役割への重圧プレッシャーがのしかかる。

 しかし、リースベットにはゆっくり心の準備をしているような余裕はなかった。

 あれよあれよという間に、教会に到着し婚姻届を提出して、正式にアイゼルの妻になったかと思うと、続いて公爵邸で新しい公爵夫人として紹介され、公爵家付きの使用人たちから歓迎を受けていたからだ。

 目まぐるしく動く事態に、リースベットは目を白黒させる。

 段取り通りに物事を淡々と進めていくアイゼルに、ただただ大人しく黙って付き従い、流れに身を任せるほかなかった。
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